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「(わー……降ったねえ…………)」
ヴィーナに誕生日プレゼントをあげた翌日には、授業は無しで事務連絡や宿題などが出され、塾は冬休みに入った。
そして2日経って新年を迎えた当日の朝、起きて窓の外をみれば雪が既に50cmほど降りつもっていた。
外では必死こいて警備隊などが雪をかいているが、現在進行形でドンドン雪は降り積もる。ミンゼル商会でも下っ端の人達が本館の屋根の雪を下ろしていた。
スーリア帝国には新年祭と言うものがあるが、スイキョウの知るものと違いあまり盛り上がらない。スーリア帝国の新年祭とは言わば、春を迎えるまでの節制を誓う儀式に近いのだ。なので精進料理を食べて簡単に終わる。
「(そう言えば、ヴィーナちゃん元気かな?)」
《どうだろうなぁ?》
冬休みに入る前に少し話したいこともあったが、なかなかヴィーナが捕まらなかったのだ。なので今ヴィーナがどうしているかアルムにはわからない。
《遊びに行けばいいんじゃないか?新年祭で気も沈んでるだろうし》
「(そうだね)」
上冬は原則全ての業務が止まるのが一部例外も存在しており、例えば商人の中でも規模が大きい物はそれでも活動する。むしろ他の商人達が動けないからこそ、それなりの規模でマンパワーが足りていれば動かない筈が無いのだ。
なので朝からアートも商会に駆り出されている。
アルムはヴィーナ家に遊びに行くことを決めると、朝毎日のルーティンとして行っている運動と魔法の鍛錬を行い、机の上に置いてあった朝食をかっ込む。形ばかりの防寒装備をしてローブを纏い、家を出る前にふと書き置きを残しておこうと思い自室に戻ると声を掛けられる。
『ん?この天気の中何処へ行く?』
「ヴィーナちゃんの家に遊びに行ってきます」
もう既に居る時間の方が長いくらいに入り浸っているイヨドがベッドからムクリと起き上がる。いつの間にかにいることに慣れたアルムももはや驚かず平然と答えているあたり、イヨドがどれくらいの頻度で現れているか分かると言う物である。
『ほー……最近よく名前が出る娘の事じゃな。ふむ、ならば我も行くとするかの』
「え?」
ヴィーナに指輪をプレゼントしたものの、アルムもあの後ただただ楽観的だった訳ではない。勝手に巻きつく指輪について何か知らないかイヨドに質問していたのだ。
帰ってきてすぐに話を全て聞いたイヨドは、アルムよりも深い考察をしていた。
◆
『恐らく、それは宗教国家の神奉具だったのじゃろうな』
「神奉具?」
『魔力をこめられた道具、魔宝具の中でも特定の人物のみに効果を発揮し、その上使用者を強制固定するとなれば、候補はかなり絞られる。効果の内容も、神と直接接触したがる超高位の神官からすれば垂涎の品じゃ。神官連中が使うような強力な魔宝具を神奉具と呼ぶのじゃ。もっとも、今では聞かなくなって久しい言葉じゃがな。とかく、精神防御、肉体保全、精神強化、解毒…………神に愛される者かを指輪で判断して、選ばれた者が接触を図ることできるというわけじゃ。その娘、よほど神に愛されておるな。それに、その効果を言い当てて、その上隠蔽まで施す奴が少々気になるの』
まあ、使用者を守るための力が込められてる道具故に特に問題は起きることはないじゃろう。イヨドはそう締めくくっていた。
「付いてくるんですか?」
『気になることが多いのでな。それに我は雪が好きなのじゃ』
そういうと、ちんまりした見た目に見合わぬ跳躍力で飛び上がりアルムの頭の上に乗る。
「なぜ上に?」
『乗り心地が良さそうだったからじゃ』
むしろ悪いように思えて仕方ないが、イヨドは満足気なのでアルムは気にしないことにした。
家を出てみると、やはり雪はかなり降っている。だが実を言うと下冬より寒さは自体は全然マシだったりする。下冬は非常に冷たい風が吹き続けるが、上冬は雪が湿度を補うので体感温度が高いのだ。
さらに尻尾が多いイヨドが体を固定するために10本の尻尾で頭周りにピッタリくっついており、ぱっと見上質な帽子のようになっていた。
『やはり雪は良いの。とても静かじゃ』
外に出ているものは皆一所懸命に雪かきに従事しており、アルムに気を止めるものはいない。アルムはこっそり天属性魔法で雪を操作しながら、しっかりとした足取りで歩いていく。
「ローブが濡れてない…………」
火の魔術などで降ってくる雪はさりげなく対処しているが、完全にブロックはできない。しかしアルムのローブは全く濡れていなかった。
『当たり前じゃ。我の毛を織り込んであるのじゃぞ。温度調整、防水、防腐、防汚、防火、防呪、防斬、防盗、防魔、衝撃吸収、魔力性質向上、肉体能力向上、肉体保全、成長強化、精神防御、精神強化、自然治癒力強化、解毒、形質調整、自己修復、使用者固定、性質隠蔽…………あとは確か「これ以上聞くと脱ぎたくなるので勘弁してください」』
『脱ぐ?折角作ったのにか?』
「神賜遺宝物クラスなんて畏れ多くて着れないです」
イヨドが列挙した効果が本当にあるなら、それはもう国宝とかそんなチャチな物ではなく、世界にまたがる宗教が神から直接賜り崇め奉る物、神賜遺宝物レベルのパワーがある事になる。
神に会うのと変わらず、こちらも使うだけでもれなく廃人になるが、国1つを簡単にひっくり返しかねない潜在能力を持つ強力無比なアイテムだ。
『まあ、我の肉体が織り込まれておるからな。縁脈契約を結んでいるアルムだから使えるのじゃぞ』
神にでも喧嘩を売りにいくのかと聞かれそうな装備に慄きつつも、そこは程よく図太いアルム。関心が雪に移ろうとそんな慄きは消えていく。
そんなメンタルだからこそプライベートもクソも無いスイキョウとの共存生活ができているのかもしれない、とスイキョウは苦笑する。
「ところでイヨドさんは、ヴィーナちゃんになんて説明すればいいですか?」
『使い魔としか言えないだろ?まさか野生の魔獣を連れてきたなんて言えば正気を疑われるぞ』
「…………契約はどうします?」
使い魔を作るには必ず契約が必要だ。短期なら魔力やちょっとした供物が必要だが、長期のスパンだとさらに複雑で膨大な供物が必要だ。アルムは今二体の使い魔を長期で契約している。
一体が父カッターから引き継いだ梟型の使い魔。名をミルーミといい、配偶者を守る為に代々受け継いでいる魔獣だ。先祖がどんな対価を支払ったのか知らないが、各々が対価を支払わずともミルーミは何代も前からずっとアルムの一族の傍におり、今はアートを陰ながら護り続けている。
そしてもう一体が、イヨド召喚後にもう一度ちゃんと使い魔を作ろうとして召喚を行い、そこにイヨドが勝手に手を出して召喚した使い魔。 マグマを纏うゾンビ犬で、イヨドの抜け毛数本を主の対価にして、通常はアルムから漏れ出る魔力で活動している。
こちらはイヨドが召喚したようなものなので能力は未知数。しかし知能がそこまで高くないので、家の周りをずっと守らせている。アルムが家から長期に離れられないのはその為だった。
といっても今は家がないので契約は途切れており、どうなっているのかはアルムもよくわかっていない。
なので召喚属性と言う強力な魔法を使えるにも関わらず、意外と自由に使える使い魔がアルムには居なかった。
だが使い魔は大体使えない属性を補うための補助の存在なので、特段必要かと言われれば全属性の魔法が使えるアルムは否定するだろう。わざわざ自分の魔力のリソースを食い潰すのは誰だって慎重になる。だからこそ使い魔がいる理由が必要だ。
『一応天属性を使えないフリをしているのだから、それでよいだろう?』
「なんで知ってるんです?」
『“縁脈誓約の魔法”で探れば情報はだいぶ得られるのじゃ』
それって只の覗きじゃないか?とスイキョウは思ったが、かなしいかなアルムにはプライバシーの権利などないのだ。
「今まで連れて歩かなかった理由はどうしますか?」
『人に懐かないから、でいいだろう?対価を魔力に絞ってあるが故に契約も緩く、自由度の高い使い魔だと言えばいいのじゃ。その小娘の召喚にさほど詳しくもあるまいて』
打てば響くような返しの早さに、アルムは何処と無くスイキョウと喋っている時を思い出す。
「でも喋ったりしたら……」
『実際に喋っているわけではなく精神に語りかけている。対象はアルムのみ故に周りは分からんのじゃぞ』
そういえばそうだったとアルムは納得する。
そんなこんなで色々と話が纏まったころ、アルムはヴィーナの家に到着する。ヴィーナの家の周りはやけに雪が少ないが、少々が土が混じっているのを見て、アルムはヴィーナが魔法で雪をどかしたことに気づく。
ヴィーナ家の前の雪の量から考えるに、つい先程までヴィーナが作業していた様であった。
『気づいておらんかったのか?アルムの姿を見て猛烈な勢いでここに引っ込んだ小娘がいたぞ』
「そうなんですか?」
なにか用意でもしてるのかな、と呑気な事を考えつつ、アルムはドアをノックする。
「おはようございまーす。ごめんくださーい」
アルムが聞こえるように大きな声を出すと、ドアの上の方に付いている更に小さなドアが開く。
「あらアルム君、どうしたの?」
子供の顔の半分くらいの小ささの穴から顔を覗かせるのはヴィーナ母。アルムを見て目を丸くするが、何か合点がいったような顔になる。
「ヴィーナちゃんと遊びに来ました。ヴィーナちゃんは今大丈夫ですか?」
「大丈夫……なんだけれど、大丈夫じゃないわね。取り敢えずうちに入ってちょうだい」
ヴィーナ母はドアを開けて暖かな部屋にアルムを迎え入れる。濡れてしまっただろうアルムのローブを受け取りローブを干そうとするが、アルムは大丈夫ですと断る。よく見るとなぜかローブが濡れていない。では帽子を……と思ったらそれは帽子ではなく生き物でバッチリと目が合ってしまった。
ヴィーナがなにかあれこれ言ってたのもわかるかもしれない、ヴィーナ母はアルムの不思議さを見てヴィーナの言っていたことに納得してしまった。俗世離れしていると言うか、何か別の世界を見ている雰囲気を感じたのだ。
「随分と可愛らしい帽子なのね」
「雪が好きな使い魔なんです。なのでこの位置から離れなくて」
「そうなの?使い魔ってよくわからないけれど、面白いのね。ちょっとこれを飲んでて待っててくれる?」
ちょうど作っていた生姜湯をアルムに淹れてやると、柑橘系のジャムとクラッカーを置いてヴィーナ母は奥の部屋に向かっていく。
「アルヴィナー、でてらっしゃーい」
アルムが生姜湯にジャムを少し溶かして飲み、クラッカーを齧っていると、ヴィーナとヴィーナ母のくぐもった声が僅かに聞こえる。
因みにジャムはクラッカーに塗ってもよし、生姜湯に使ってもよしで、使い方に特にこれといった決まりはない。アルムは生姜湯にジャムを入れてクラッカーはそのまま齧るパターンが好きだ。
熱い生姜湯を息で冷ましながらゆっくりと飲んでいると、やがて奥のドアが小さく開いて、ヴィーナが真っ赤な顔をチラッと覗かせる。
「…………」
「おはようヴィーナちゃん」
アルムが普通に挨拶すると、ヴィーナはクルッと振り向いて後ろにいた母と何かを小声で話し始める。
やっぱり、とか、てんねん、とかの言葉が聞こえてきたが、淑女の会話の盗み聞きはマナー違反と脳内のロベルタが主張している。なので会話の内容が少し気になるがアルムは黙って待っていた。
『アルム、おぬしの目は節穴なのか?』
「え、どうして急に詰られたんですか?」
アルムは急に詰られて視線を上に向けるが、イヨドはアルムの問いに答えずに『これはダメじゃ』と首を横に振る。一方、スイキョウは予想していた事態に近いので1人でニヤニヤして笑いをかみ殺していた。
やがて議論がまとまったのか、ヴィーナがぎこちない動きでそろそろと母親に背中を押されつつ奥から出てくる。
「……おはよう、アルム」
顔は未だ赤く俯き気味だが、なんとか吃らずにヴィーナは挨拶した。それに対してアルムはまるで気にした様子もなく普段通りに返す。
「うん、おはよう。今日は遊びに来たんだけど、その指輪の事もちょっと」
その瞬間、ヴィーナは入塾当初のへぼべぼ箱入りお嬢様状態からは考えられないほどの機敏さで動きバシッとアルムの口を塞ぐ。
「その話はここでしちゃダメ!ダメなんだから!こっちでお話しして!」
ヴィーナはアルムの腕を引っ張っていくと強引に奥の部屋に押し込む。そして自分も部屋に入り部屋の外に向かって叫ぶ。
「ママは入ってきちゃダメだから!絶対だから!盗み聞きもダメだから!」
そう言って勢いよくドアを閉めると、わざわざドアの前に土の壁まで作り出した。絶対に入られたくないし聞かれたくないらしい。
突然の事に戸惑うアルムだが、部屋を見ようとすると今度は後ろから目を塞がれる。
「まだ見ちゃダメ!片付いてないの!いいって言うまで目を瞑って後ろ向いてちょうだい!」
アルムは素直なので指示どおり目を瞑ってドアの方を向いて待つ。何かをひっくり返すような音とガサゴソと物を片付けるような音がするが、アルムは振り返りたい誘惑に耐えてジッと待つ。
慌てて片づけているが、いつもヴィーナの部屋が散らかっているわけではない。ただ、雪掻きをしている時に遠くから歩いてくるアルムに偶然気づいて、誕生日プレゼントの事での気恥ずかしさから部屋で少し暴れていたのだ。
だいぶ長い時間が経った後、いいわよ……というヴィーナの言葉が聞こえた。




