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つつがなく、かどうかはヴィーナの精神状態的に言い切れないが、取り敢えず教えるべき事は教えた。もうすぐ昼食の時間帯になるので解散ということになると、顔を赤らめてアルムの制止も聞かずにツカツカとヴィーナは歩いていく。
「ねえ、待ってってば。なんでそんなに急ぐの?」
怒ってるようにも見えるけど、なんか違う気がする。そう思いながらアルムは付いていくが、ヴィーナからすれば色々ともういっぱいいっぱいなのだ。
しかしその勢いも、正門の所でとある集団に遭遇するとピタッと止まる。
「あ、蛇女だ」
集団の中の1人がそのヴィーナに気づくと、出し抜けにそう言った。
ヴィーナはそれを聞き唇を噛む。
アルムはこの状況も、蛇女の意味も分からずにキョトンとするばかり。
しかしスイキョウにはその集団には見覚えがあった。食堂に行くといつもヴィーナに嫌な視線を送っていた連中であると気づいていた。
「なんで休みなのに校庭にいるの〜?」
「変なの〜?」
ニヤニヤとした表情は好意的とは言えない。ヴィーナはギュッと拳を握りしめて睨みつけるばかりだ。やがて何を言っても反応しないヴィーナに飽きたのか、矛先がアルムに変わる。
「君はなんで蛇女といるの?」
「蛇の呪いがうつるよ〜?」
しかしやはり話が見えてこないアルムは、首を傾げるばかり。
「呪い?獄属性の呪いにはかかってないと思うけど。それにそういう差別的な言葉を使うのはよくないと思うんだけど「違う違う、コイツはねーーーーーーーーー」
次の瞬間、一瞬の間に現れた泥の腕が不自然に吹き飛んだ。
「やめろ、ヴィーナ」
それはアルムらしからぬ強い口調。ヴィーナとその前に居た集団は呆然とするが、アルムは悠然とした足取りでズイッとヴィーナと集団の間に割って入る。
そして温和そうなアルムの顔つきが一瞬で変化し、心底相手を小馬鹿にするような笑みを浮かべる。
「さてさて〜、見所のある女の子に10人以上のクソガキが寄ってたかって何をしたいのか理解し難いが、群れないと何もできないのか?1人でかかって来いよ。あ、10人以上居ないとヴィーナが怖いのか〜。可哀想にね~」
完全に空気を支配して、いちいち身振り手振りまでつけて煽り立てるアルム。次の瞬間、集団の顔が真っ赤に染まる。
「は、ふざけんな!」
「何言ってんだ、怖くねえし!」
「バカじゃないの!?」
激昂して口々に叫ぶガキンチョを前にして、アルムはハエでも払うように手を振って顔を顰める。
「はいはい、弱いワンちゃんほどよく吠えるんだね。殴りかかってくるのも勝手だけど、そうしたら正当防衛でボッコボッコにしてあげるからね。ハンデとして魔法は使わないからさ。でも1番最初に飛びかかった奴だけは必ず潰す。さあ誰からくる?」
ヤールングレイプルを装備して構えるアルム。明らかな格闘技経験者の動きに彼等は露骨に怯む。
「お、お前そんなことしたらタダで済むと思うなよ!俺の親父は金持ちの商人で、豪商にもツテがあるんだぞ!俺はロク商会の会長の次男なんだぞ!」
皆似たような事を口々に叫ぶが、要は怖気付いたのだ。
「あ〜、はいはい。凄い凄い」
それをあくまで小馬鹿にした態度で流すアルム。
信じてもらえていないと思ったガキンチョ達は再び色々言い出そうとするが、アルムはローブを肩からズラすとクルッと回って背中を見せつける。その背中には、この街の者なら誰もが知っているマークが入っている。
「“俺”のお爺さん、ミンゼル商会の会長なんだけれど、明日お店が無事だといいね?この街の商人を束ねてる人を相手に事を構える凄い商人がこの街にいたら、話は別だけど」
その瞬間、ガキンチョ達の顔がサーっと青褪める。この街を治める貴族ですら配慮する存在を相手に事を構えられる者などこの街には極少数。勿論こんなところで吠えてるガキンチョの父親で歯が経つわけがない。
「俺の友達をそうやって馬鹿にするって事は、その子を友達に選んだ俺も馬鹿にしているわけだ。おっかしいなぁ、お爺さんに人を見る目はあるって言ってもらったんだけど、馬鹿にされたって言ってみようかな?
あれれ、俺の人を見る目を馬鹿にするって事は、それを認めたお爺さんもバカにしてる訳だ。
えっと、ロク商会に、ウチョ商会に—————ふむふむ。よーーーく覚えたよ。お爺さんの人を見る目を馬鹿にするぐらいすごい息子や娘のいる家があるから、是非ともその素晴らしい教育方針を聴くために会って欲しいって言っておくよ」
既に自分達は何をやってしまったのかわかる程度にはガキンチョ達も賢いので、涙目でカタカタ震えるばかりだ。
「す、すみま「えええ〜?聞こえなーい!全然聞こえなーい!」」
アルムに圧倒されるばかりのガキンチョ達。人を食ったような、小馬鹿にする様な笑みを引っ込めると、アルムは静かに睨む。
そしてカッと空中で光の粒が光ったかと思うと、ガキンチョ達の着ていた服のボタンや金属製の物からバチンっと激しく火花が散る。
「喧嘩を売る相手は選べよ、クソガキ共。2度はないからな。ほらさっさと散れ」
シッシッと手を払うアルム。ガキンチョたちはペコペコ頭を下げて走り出そうとするが、その目の前に火花が散る。
「馬鹿かな?俺が何で怒ってるか理解してる?ヴィーナにも言葉が必要だろ?」
ガキンチョ達は直ぐにヴィーナにもペコペコ頭を下げると、言葉にならない謝罪を口走ると、恐怖のあまり泣きながら逃げていった。
◆
「(はい終了。あとはよろしく)」
《ねえ、今の絶対やり過ぎだって!》
アルム改め肉体を動かしていたスイキョウが投げやりにアルムにパスをしようとすると、アルムより抗議の声を受ける。
「(しょうがないだろう?あのままヴィーナが感情のままに魔法を使ったら大変なことになってた可能性は大きい。結果的にはヴィーナへの再度の接触も潰し、誰も怪我していない。それともこれ以上うまくやれたか?)」
スイキョウはヴィーナが何処かで爆発するかもしれないと思い、クソガキが絡んできたときからずっと気を張っていた。そして話に流れに危険を感じて即座にアルムと交代し、ヴィーナの泥の手を圧力の魔法で吹き飛ばしたのだ。
「(多分自分だけが言われるなら耐えられたんだが、アルムの前では言われたくないことだったんだろうな)」
蛇女、そう言われる理由についてアルムには聞いて欲しくなくて、ヴィーナは衝動的に魔法を使ってしまった。スイキョウのその推測は実際正しかった。
入れ替わった後はスイキョウの独壇場だ。スイキョウは直接的な攻撃は禍根や騒動を呼ぶと判断し、間接的攻撃だけで心をへし折る事に決めた。半端に甘くすればヴィーナにまた余計な事をしかねない。いじめというのは生半可な対応をすることが後々重大なトラブルを誘発するのだ。なので反抗する意思まで一度完全に叩き潰すしかなかった。
更に言えば、一度見逃されたからこそ精神的にも貸しを作った事になる。痛みなどを受けると逆恨みの反撃をする事もあるが、威圧をかけまくった後で普通に逃がされるからこそ、力の差もしっかり刻み込まれるのだ。それに直接暴力に訴えかけると、それはそれでアルムの経歴的に大きなトラブルになってしまう可能性の方が高い。ミンゼル商会会長の愛孫という立場それだけこの街では重いのだ。その重さでクソガキを抑えることでスイキョウは彼らの動きを封じた。
これでもダメならスイキョウは宣言通りに潰す気があった。もちろん、直接手は下さず、祖父へに告げ口という切り札を普通に使う気だった。
直接魔法でボコボコにするのとどちらが酷いかと言えば、むしろ告げ口の方がエグい結果になる事が目に見えているが、金輪際関わらないのが1番いいのだ。
《い、嫌だからね!ちゃんと最後までやってよ!絶対面倒臭いから僕に投げようとしたでしょ!》
「(アルム、成長したな)」
《あまり嬉しくないけどありがとう!》
本当の所、スイキョウが1番心配したのはアルムの暴発だ。
自分の初めての友達だと思えそうな人物が悪意にされていることに気づいた瞬間、アルムが何をするかわからない。鈍いアルムでも漸く状況を理解しかけてる事に気付き、スイキョウはトラブルが大きくなる前に身体を変わったのだ。
普段温厚な奴ほど爆発すると止めどころが分からず、凄まじい被害を齎すことをスイキョウは知っている。そしてアルムは典型的な“優しい人であるあまりに怒りのブレーキが存在していない”と思われる人種だった。なまじアルムは力があるだけに更に危ない。
スイキョウはあえて大袈裟にやって見せてアルムの怒りを沈静化させたのだ。
「(でも、本当にいいのか?)」
《な、何が?》
完全に閉じこもろうとするアルム。それに対しスイキョウは煽るようにアルムに問いかけた。
「(折角できた友達を慰めてやるってのがいい男ってもんじゃないかって話よ。アートさんもレディには優しくしなさいって言ってただろう?肝心な時に、友達が苦しんでる時に知らんぷりして奥にひっ込んでいて、今後アルムは胸を張ってヴィーナと付き合っていけるのか?)」
《ううぅ、でも……………》
的確にアルムのウィークポイントをついてアルムの退路を断っていくスイキョウ。もう一押しだとスイキョウは更に畳み掛ける。
「(手伝ってやるからよ、何事も挑戦だ。アルムの親父さんだって人付き合いで苦労したんだろう?アルムはそんな親父さんを超えていかなきゃいけないんだ。この程度で怯んでる場合か?)」
《うぅ~~………もう!わかったよ!でもアドバイスはしてよね!放置しないでね!?》
「(そんな酷いことしないから安心しろ)」
スイキョウの煽りに負けたアルムは肉体の主導権をバトンタッチすると、気持ちを落ち着けるように深呼吸し強張った表情筋を解きほぐして、バツの悪そうな顔で笑う。
「えへへ、やり過ぎちゃった…………」
「あ、えっと、今のはアルムなの?不思議な魔法を使っていて、その……」
「僕もね、友達を馬鹿にされて怒らないほど、優しくはないんだ。今のはね、えっと、その、そう!うちの商会の警備員さんがさ、チンピラを追い払った時の話の真似をしただけなんだよ!どうだった?その、上手だった?」
リアルタイムでスイキョウからのアドバイスを受けながらも、アルムは辿々しくも頑張って最もらしい嘘をつく。
「ええ、本当に別人みたいで、その、少し、怖かったくらい。でも、ありがとう。私を守ってくれたんでしょう?」
「気にしないで、僕が勝手に怒っただけだから」
これはアルムの本心で、初めてアルムはそこで自分が怒っていたことに気づく。一方、サラッと返されるとヴィーナも少し言葉に詰まってしまう。
「……本当に凄かった。服のマークは魔法で書いたの?」
そこで一拍反応が遅れるが、アルムは状況をすぐ理解した。
「ああ、それは本物だよ」
「…………え?」
状況が少し飲み込めず、困惑したように耳元の髪をクシュクシュと掻き回して、しばらくするとヴィーナはカッと目を見開いてアルムを見つめた。
「えっ、アルムって本当にミンゼル商会の会長のお孫さんなの!?」
「そうだけど?」
「聞いてない…………」
「だって言いふらす事じゃないし。今思えば初めて人前で言ったかも」
ヴィーナは愕然とした表情で、力なくヘナヘナと座り込む。
「なんだか、驚いて腰が抜けちゃったわ」
大袈裟に思えるかもしれないが、貴族制が絶対の帝国において街を支配する貴族は街という名のエリアの王様みたいなものだ。その王様でも配慮しなければいけない有名人の孫が目の前にいると聞けば、誰だって驚くだろう。
「こうなるからさ、言いたく無かったんだ。ヴィーナちゃんだけは気にしないでほしいな。僕にとって初めてで唯一の友達だから」
ぺたんと座り込んでしまったヴィーナに手を差し伸べて、アルムは軽く微笑む。ヴィーナはその手を握ることなく、潤んだ瞳でジッと見つめた。
「私が、友達?初めての?」
「そうだよ。ヴィーナちゃんが僕にとって初めてのお友達」
ヴィーナは恐る恐るアルムの手を取る。そこでヴィーナの目から水滴が零れ落ちる。
「あれ?なんで?」
拭っても拭ってもポロポロとヴィーナの紅い瞳からは、涙が零れ落ちていく。
さて、どうしたものか。戸惑ったアルムはすぐにスイキョウに助けを求めたが、スイキョウはいきなりダンマリを決め込んだ。早速の裏切りに焦りそうになるが慌ててる場合ではない。本当に今困ってるのはきっとヴィーナだ。これぐらい自分で考えてみろ、アルムはスイキョウにそう言われた気がして必死に頭を捻る。
けど、考えても考えてもまるでいい言葉が思い浮かばないので、アルムはしゃがみこんで目線を合わせるとヴィーナの片手を無言で握った。アルムにできた事はそれだけだった。
すると、ポロポロと流れていた涙が決壊したように溢れ出して涙の川を作り出す。自前のハンカチで抑えても、紅く輝くヴィーナの瞳から涙はとめどなく溢れてくる。
「ご、ごめんなさい、私も友達って初めてで、嬉しくなって、そうしたら、涙が、止まらなくて」
いくら周囲にはツンツンしていても、根は11才のか弱い女の子。塾に入る前はボンヤリと『友達とかできるかな』とアルムと同じ様な事をヴィーナも考えていた。実際は全然上手くいかなかったのだが、貶められた後だからこそ、余計にヴィーナは嬉しくなって感情のコントロールができない。
まあ、しょうがないか。
アルムは昼食の時間が過ぎちゃったなと思いつつも、最後までヴィーナに付き合ってやる事にした。
30分してようやく落ち着いた後は、借りてきた猫のようになったヴィーナをヴィーナの家まで送り届ける。帰りが遅かった娘に文句を言おうと待っていたヴィーナの母は、娘の泣き腫らした顔を見ると動転するが、その隙にあとはヴィーナに任せてアルムは家にさっさと帰る。
家に戻るとアートも困ったような顔で玄関で待っていた。少しのお小言を頂きつつも、遅れた理由は最後までボカして、平然とアルムは昼食を摂るのだった。




