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「おはようヴィーナちゃん。早いね。待たせちゃったかな?」
「おはよう……私が早く来ただけ。頼んでおいて待たせてはいけないと思って」
約束した翌日、校舎裏には既にヴィーナが待っていてアルムは少し驚く。
なんせ事情をアートに説明したところ、レディーを待たせてはいけないと1時間早く行くように勧められたのだ。1時間は流石に早いと思うも、ぼーっとしていてイヨドに捕まりたくないし、先に行って魔法の練習でもしていればいいと思い、約束の1時間も早くアルムは到着していたはずのだ。
しかしそれをヴィーナは上回っていた。
「あの、それとね、まずは…………1番最初の時、変なこと言ってごめんなさい」
「え?あ、ああ。ちょっとびっくりしたけれど、怒ったりとかは全くしてないよ?」
初対面でいきなりやらかしたのは双方の記憶にも印象に残っている。どうでもいいことは比較的どんどん忘れるアルムだが、流石にそれは覚えていた。
「実は、あの後ママにも叱られて…………いつか謝らなきゃって思ってたんだけど、どうしたらいいかわからなくて」
ここで漸く、スイキョウもヴィーナの事を理解した。そして今までの事が何となく繋がった。
《あれだ、この子アルムと別種のコミュ症だ。多分、人一倍頑張り屋で、周りと上手くいかなくて、いつのまにか1人で色々やってるうちに口下手になったんだ。ピリピリしていたのは、うまく喋れない自分へのイライラもあったんだろうな》
「(僕と別種ってどういうこと?)」
《アルムは単純に経験不足と元来の性善説を地でいく性質から、ちょっと鈍いというか空気が読めない時があるタイプの子。この子は周囲に敏感で、逆に空回りし易くて口下手が余計に口下手を生むタイプの子。まあアルムみたいないい奴と一緒なら大丈夫だろ》
「(なんか色々と言われてるけど、とにかく仲良くなれるってこと?)」
《そうだと答えておくが、まさにそれを言ってるんだよ》
スイキョウは根っからの性悪説派なので、人の悪意などを基準に物事を色々と考えて立ち回る。リアリストと言うには臆病さも垣間見えるが、一匹狼と村八分の羊の違いをスイキョウはよく理解している。自ら独立するのと群れから追放されることの違いを見ている。だからこそ人の悪意に敏感なのだ。
一方、アルムは自分を心底愛してくれる両親のみとしかほとんど交流がないまま、自然の中で興味のある事を学びつつすくすくと育ったので、基本的に悪意に鈍い。いや、そもそも悪意になんの生産性があるのか理解できないのだ。その代わり物事を前向きに捉えることができ、愚直な努力も然程苦ではない。
その一方で、アルムはスイキョウが色々と自分の事を考えてくれているのは気づいているし、スイキョウもアルムの太陽の様なポジティブな善性は接して心地の良いもの事実だった。スイキョウは性悪説派だが、別にアルムのような考え方を否定したりはしない。アルムのどこか抜けた明るさには、スイキョウも助けられることがあるのだ。
「あのね、ヴィーナちゃん。僕は、ずっと森の方で暮らしていたんだ。だからね、同じ年の子と殆ど喋った事がなかったし、他の魔術師にも父さん以外に会ったことがなかった。だからね、同い年の子には負けない気がしていたんだ。でも試験の時にヴィーナちゃんの地属性魔法を見て、負けたと思った。その後ヴィーナちゃんに負けないって言われて、僕も頑張ろうって思えたんだ。だから気にしてないよ」
アルムがヴィーナをフォローすべく自分なりに真剣に気持ちを伝えると、ヴィーナは恥ずかしそうに俯く。
「私、バカだったわ。こんなの勝てっこないよ」
「どうして?そんなことないよ!ラインの制御は多分父さん……僕の師匠よりも繊細だよ!」
「そ、そうかしら……」
さらに俯いた満更でもない表情のヴィーナを見て、スイキョウはニヤニヤする。
《わー、やっぱり天然スケコマシの素養があったか。大人になってから刺されるなよ?》
「(よくわからないけど、最近スイキョウさんが良いことを言っているか悪いことを言っているかはわかるようになってきたよ。そして今のは絶対良くない)」
《俺は知らねぇなぁ》
どうやっているのか、スイキョウはトボけると誤魔化すように調子はずれな口笛を吹き始めるのだった。
◆
「まず、ヴィーナちゃんは地属性の探査について何処まで理解しているの?」
「実はほとんどよくわかっていないの。生き物か違うかぐらいはちょっとわかる気がするけれど」
ヴィーナの返答を聞くと、アルムは首を傾げる。
「え、泥の魔法があんなに使えるなら、当然説明されなかった?誰がヴィーナちゃんの師匠だったの?」
地属性魔法を教わったなら、絶対に土の操作と探査はセットで教えられるはず。なぜそれを教えられなかったのかアルムが不思議がっていると、ヴィーナの返答は予想の遥か斜め上だった。
「私、師匠はいないの」
「えぇ!!?じゃあどうして魔法を!?」
アルムは思わず大声を出して驚いてしまう。ヴィーナはかなり苦しそうな顔をした後に、何かを諦めたような顔をして白状した。
「あまり言いたくないけど、私のママは元は遠くに住んでた農民だったの。それを国に直接仕えるようなとある豪商が見初めて強引に妾にした。そして生まれたのが私。私には生まれてすぐ、強力な魔法の才能があることがわかった。でも親戚でも魔法の才能を持つ人はいなくて、ママの不義の子だと思われママと捨てられちゃったの」
「でも、私塾に通ってるよね?」
捨てられたなら、私塾に通うだけの金額を持っているとは到底思えない。アルムが不思議に思うのも当然だった。
「うん、そのあと話には続きがあってね、急に不義密通の疑いが晴れたの」
「どうして?」
「私ね、生まれてからずっと目が開かなかったみたいなの。でも捨てられてしばらくしたら…………私の目は非常に珍しく紅かった。顔も知らない父親そっくりにね。それをどんな伝手があったのか風の便りで耳に入れた父親は、平謝りでママに詫びに来て、今迄の分のお金とかを纏めて渡したり色々として許して貰おうとしたみたい。妾だったけれど、一応愛してはいたみたいなの」
豪商の妾が不義を働いたなら、その豪商の面目は丸潰れだ。故に豪商も衝動的に動いて追い出してしまったのだ。
「でも自分を信じずに捨てた父親に、せめて子供だけはって私を救おうとしたママをすてたあの人にママは激怒していてね、貢物は私の生活の為に受け取っているけれど、それ以外は取り付く島もなく、自分で育てるって言い切ったみたいなの」
ヴィーナの母親も半ば強引に妾にはされたが、ちゃんと愛と誠意を見せた父親に心を開きつつあった。子供が出来てからは、愛せるようになっていた。しかしその後の仕打ちは酷いものだった。訴えても信じてもらえず、心を開いていた分余計にその怒りは凄まじかったのだ。
「だからね、物心着く頃には、私はママと暮らしていたの。ママはお仕事で忙しくて、暇だった私は、窓からずっと外を見ていたの。実はここの目と鼻の先に私の家があってね、そう、あの茶色の壁の家。あの窓からね、静かにしていれば校庭で何をしているか見えるし聞こえるの」
そして暇だったヴィーナは、校庭から聞こえてくる言葉を参考に、徐々に魔法を使うようになったのだ。やることと言えばそれしか無く、ただ毎日、勝手に1人で、校庭にいる子供達と魔法を競っていた。
裏庭に出て、1人で砂を動かしたりして満足していたのだ。
「そんな私に、2つの出来事が起きるの」
1つは、文字を読む練習として本を与えられた事。これは父親の贈り物らしく、色々なジャンルの本があった。
その中でも、魔法に関する本と英雄譚を特に読み漁った。そして自分も凄い魔術師になりたいと思ったのだ。
「今でもママに言われるの。救われるお姫様じゃなくて救う方の英雄になりたいって言い始めたから、一体誰に似たのかしらって思ったわ、って」
そう言ってヴィーナはクスクス笑う。そんなヴィーナにアルムは今まで感じ事のない胸騒ぎを覚える。
「そしてもう一つ、これも父親からなのだけれど、沢山の種類の粘度がプレゼントされたの」
「なんで?」
余り常識がないアルムと言えど、娘に粘土をしこたまプレゼントする父親など奇異でしかないことはわかる。理由が全く分からずアルムは首をかしげる。
「私の砂遊び好きを風の噂で聞いたみたいなんだけれど、どこでどう間違ったか粘土遊びが好きだと勘違いしたみたいなの。でもそれが私の人生を変えた」
最初はヴィーナも送られてきた様々な種類の粘土に困惑したが、すてるにはあまりにもったいない気がした。ヴィーナからすると父親とは一切面識はなく、たまに贈り物をしてくれる人程度の認識で強い隔意があるわけではないのだ。
結果、色々と考えてみて地属性魔法に活かせないかと思ったのだ。それからは粘土や砂の配合比率を変え、操作しやすい泥、硬くするのが容易な泥などを研究したのだ。
なんせとある理由であまり長時間外で活動することもできず、暇でやる事がない。ヴィーナは研究に没頭し、細かな比率の操作をするうちにラインの制御が洗練されていったのだ。
「でも塾に入学する手前だけは、臨時で家庭教師をママが雇ってくれて、金属性魔法とかの入試に必要な事だけを集中して教えてもらったの。他は本当に最低限だけでね」
「え、待って。それの期間は?」
「多分……3ヶ月?魔法に限れば2ヶ月もないかもしれないわ」
アルムはヴィーナの言葉にポカーンとする。
「ヴィーナちゃん、天才中の天才なんじゃないの?」
「アルム君に言われると、ちょっと複雑なんだけれど」
ヴィーナは気まずそうに言うが、アルムは首を横に振り興奮した様子で話し出す。
「師匠なしの自己流だけで魔法の研鑽を積み、たった3ヶ月で箱入り娘の身体能力で付け焼刃の金属性魔法を使って試験の10レーンを突破。十分凄いから!効率で言えば僕よりもずっとずっと上だよ!みんながヴィーナちゃんみたいなら、国の指定する魔法なんて3ヶ月もあれば習得できちゃうから!今だってもう僕に追いつきかけてるし!」
「そ、そうなの?でもそう言われると、嬉しいわね。この5ヶ月、私はずっとアルム君の魔法を参考に鍛錬してたから。貴方の魔法は私が見てきた誰よりも綺麗だったから」
ヴィーナは興奮した様子のアルムに驚きつつ、内心を吐露する。
実際のところ、ヴィーナは知識に限れば魔法を実戦で使う程の知識の蓄積が無い。しかしこれはゼリエフのミスとは言い切れないだろう。ゼリエフがつい相当に魔法の研鑽を既に積んでいる子だと勘違いするくらいには、ヴィーナの出来が良すぎたのだ。
「私は、ずっと周りを見て覚えてきたから、魔力の流れを見て覚えるのが1番楽なの。その点、私は貴方の間近で貴方の高度な魔法を見続けることができた。だから、今ここまで成長出来たのは貴方のお陰なの」
そこまで言うと少し恥ずかしくなったのか、ヴィーナは顔を少し赤くして耳元の髪をクシュクシュと搔きまわす。
「でもね、私はもっと頑張りたい。出来る事を増やしていきたい。貴方に勝てないかもしれないけれど、いつか必ず追いつきたいの」
だから、私に魔法を教えてくれませんか?————————————ヴィーナはそう締め括った。
◆
「昨日も言ったけれど、探査の魔法は熱い、冷たい、硬い、柔らかいなどの性質からパターンを覚えて物質を推測する魔法だよ。だから必ずしも当たるという訳でもない。擬態したり、探査を潜り抜ける魔獣もいるからね。一応これは知ってる?」
「試験勉強で知識だけは」
ヴィーナがそう答えると、アルムは徐に手を差し出す。
「僕の手を掴んで」
「え?」
「いいから」
ヴィーナは少し恥ずかしそうに、恐る恐るアルムの手を握る。
「今僕がひんやりしていると感じるなら、ヴィーナちゃんには僕の手はあったかく感じてるよね」
ヴィーナは少しソワソワしつつコクリと頷いた。
「この感覚を覚えてね。次にこのまま、僕が探査の魔法を一定の間隔で放つよ」
アルムは自分の手を起点に、ヴィーナに通るように探査の魔法を繰り返す。
「伝わってる?」
「もう少しだけ…………ええ、わかった」
やはり感覚が異常に鋭い、そう思いつつもアルムは指導を続ける。
「今度は、自分を中心に円状に魔力を飛ばして」
これもあっさりヴィーナは成功する。
「その魔力を強くしたり弱くしたりして、僕の放ってる探査の魔法に合わせて」
「合わせる?どうやって?」
上手くイメージが湧かずヴィーナは眉を顰めるが、アルムは合わされば絶対にわかる、としか言わない。しょうがないのでヴィーナは言われた通りに威力を変えながら放ち続ける。
ヴィーナは明らかに納得がいってない感じで指示に従っていたが、ある瞬間にヴィーナの体が震えた。なにかが体を突き抜けたように思えたのだ。
「よし、当たったね。もう一度やるよ。その時の感覚をしっかり覚えて。物を突き抜けていくような、そんな感覚を」
しばらく繰り返し魔力を合わせていると、やがて身体に心地良さを感じてくる。
「今僕がやってるのは、温かいという感覚の伝播。大体体温を基準にして温度は分析するよ。これが膨らむような、揺らめくような感じが強ければ温度は高く、収縮して動かなくなっていくようなら冷たいと考えるんだ。湯気と氷を思い浮かべて。あのイメージだよ」
アルムはそのような感じで、様々な性質の感覚をヴィーナの身体に教え込んでいく。慣れてしまえば割と簡単な作業で、教える方はちょっと暇だ。そんなアルムに対してヴィーナは目をジッと閉じて集中しており、睫毛も白くて長いんだな、とアルムは余計な事を考えていた。
そうすると、ヴィーナがピクッと震えて片方の目を開ける。
「今、少し違った感覚があったのだけれど」
「ああ、ごめんね。ヴィーナちゃん可愛いなって思ったらそれが混じっちゃったみたい」
正直者のアルムは咄嗟に思った事を口にしてしまう。しかしこれは家庭環境も問題がある。アルムの父親は本人には言えない癖に、アルムの前では事あるごとにに母さんは美人だなんだと言っていたので、アルムも女性を素直に褒めることに一切の抵抗がないのだ。
しかしヴィーナはそうはいかない。一瞬で顔から首まで赤みがさす。
「か、からかわないで!」
「揶揄ってないよ?あ、ヴィーナちゃんの手が熱い。えっと、ちょうどいいや。これが熱いって感覚だよ」
「アルムのばかっ!」
あくまでマイペースなアルムに恥ずかしくて恥ずかしくて涙目で悶える…………ことも出来ずにプルプル震えて真っ赤になるヴィーナ。これにはスイキョウも呆れかえるのだった。




