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「ハひュー、ハひュー」
青白い顔でグッタリと木に寄りかかり、怪しげな呼吸音で深呼吸するヴィーナ。かなり先にゴールにたどり着いていたアルムが水の入ったコップを恐る恐る差し出すと、今は虚勢すら張れないのか声にならない御礼を言いつつ、ヴィーネは飲もうとして派手に咽せた。
「大丈夫!?」
「だっ…………ゴホッゴホッ!」
「言いたいことは後で聞くから、金属性魔法でゆっくり体を休めていこう。休息の強化は胸に魔力を集中させて、魔力を呼吸に合わせて動かせばできるよ」
アルムは噎せた時に父や母がやってくれたように、ヴィーネの背中を優しく摩る。それにより更にヴィーネが噎せるのだが、街から離れて暮らしてきたので妙に擦れていないアルムは純粋にヴィーネを気遣っているのでなにが問題か気づいてない。
やがて落ち着いたのかヴィーナはそれとなくアルムから少し離れると消え入りそうな声で、「ありがとう」と言った。この状況でちゃんとお礼が言えた辺りの根の良さに、スイキョウの中で投げ売り価格状態だったヴィーナの株がかなり上昇する。
「落ち着いたかね?」
ヴィーネは憔悴気味だが、ゼリエフに問われるとコクリと頷く。
身体測定は恙無く行われ、ほとんどはヴィーネを途轍もなく大きく突き放すスコアをアルムはマークした。ただ柔軟は、頑張っているアルムよりも更にしなやかな体をヴィーネは見せつけた。むしろ異常なくらい体が柔らかかった。
しかしそんなヴィーネも、腕立て伏せから特に酷くなっていった。
プルプルと震える腕とは裏腹に、なかなか上がらない身体。
足を抑えていたアルムが悲しげな表情になるほど体を持ち上げられない貧弱な腹筋。
極め付けは、過呼吸レベルでしかも完走できずに終わった長距離走だ。
「まず、ヴィーネ君だが、典型的な箱入り娘の成績だったね。まあ気落ちすることはない。元から想定内だ。肉体も同時に鍛えていけばいいだろう。寧ろ異常なのはアルム君だ。一応聞いておくが、君は戦士を目指していたのかね?」
「え、そんな、考えたことも無いですよ」
全くの寝耳に水。アルムはキョトンとするが、ゼリエフは首を捻る。
「正直に言えば、君のスコアは全て戦士のクラスの最上位のクラス、その更に上位層に匹敵しているのだよ。ああ、最上位というのは、在籍している全塾生のうち、だよ。私の理想の最高値を君は既に実現しているんだ。どうしてそんなに鍛えているのかね?思えばゲームの時も凄まじくタフだったが。君の師匠はそんなに厳しかったかい?」
ゼリエフはアルムの師匠がカッターであることを知っている。だが、そんな彼がアルムを異常なまでに鍛え上げたとは考えにくかったらしく、首を横に捻っている。
「あはは……父……師匠にもかなり鍛えられましたし、実は既に狩りをしていて半日は森の中を駆け回っていたので、そのせいかと」
勿論、この全てが嘘ではないが真実でもない。本当の理由は明確だ。流石に自己鍛錬や狩りでここまで筋力などは付かない。イヨドの拷問鍛錬が成果を出しているのだ。更にそこにどんな魔改造をしたのか性質不明なこのローブ。身体が軽く感じたのは気のせいでもなんでもなく、本当に身体能力が上昇しているのだ。
もう既にヴィーナは化け物でも見る様な目でアルムを見ているが、実際に事情を知らなかったらアルムも同じ事をしたと思うので気にしない。
「ヴィーナ君は、まずは基礎の筋力をつけるところからだ。金属性魔法は元の身体の性能がダイレクトに影響する。アルム君はこれを維持すること。今日は一応此処までとするよ」
◆
それからアルムは目まぐるしい日々を送る。
朝起きて、塾でみっちり授業を受けて、帰ってきて家庭教師をやって、イヨドの鍛錬を受けさせられ、その後に塾の課題と自己鍛錬、そして泥のように眠る。
動くことが更に増え、食べる量も増えた。
給食では足りないので、食堂に行く前と後にこっそりジャーキーなどを囓り、家に帰ればアートも思わず心配するほど大量に食べる。
塾が休みの時は街を飛び出して、狩りでストレス発散と同時に鍛錬。日のくれる前に少々のお小言を頂きつつ帰着する。
ワーカーホリックと言うか、鍛錬ホリックじみた生活をアルムは送っていた。
しかしそれに食らいついて追い上げるくるのがヴィーナ。超然としたアルムへの対抗心を糧に血反吐を吐きそうになるほど必死に鍛錬を重ねていた。既に貧弱箱入り娘も徐々に脱しつつあり、先日は長距離を完走することに成功し、アルムは自分のことの様に喜んだ。
対抗心だけでここまで出来るのは逆に凄いとスイキョウも素直に賞賛するレベルの追い込みようだった。
入塾して5ヶ月する頃には、アルムはイヨドの鍛錬にもロベルタのスパルタ鬼教育にも負けないメンタルが形成されていた。
そのメンタルは鋼のように強靭ではない。柳のようにゆるくしなやかで決して倒れてたとしてもすぐ立ち上がるような柔軟性を持ち合わせた精神だ。1番近くにいる男の影響を多分に受け、アルムの精神はかなり老獪さを増しつつあった。
それに、どちらも自分の為になる事で、更にはスイキョウの謎を解く事にも繋がるかもしれない。そう思えば、そう思うと、アルムはなんとか乗り越えなくてはいけないという一種の使命感を感じてすらいた。
そんなある日の『魔法武闘/超実践編』での授業のことだった。
「今日まで君たちは、私の授業にしっかりついてきてくれた。アルム君は魔法も肉体も成長する一方だし、ヴィーネ君の身体能力の上昇度には些か私も驚いている程だ。徒手空拳の上達も双方私の予想以上に大きく進んでいる。なので、次の段階に移ると同時に、私から贈り物をしよう」
そう言うと、ゼリエフは懐から二対の手袋と二対の靴下を取り出した。
「これは、金属迷宮の魔物、“ルートグラブゴレム”、蟲壺迷宮の“レンパウク蜘蛛”などの素材を用いた極めて特殊な素材の布を使った物でね、蒸れたり摩耗したりせず、魔力を流して使い続けると成長に合わせて大きくなる迷宮素材をふんだんに使った一品なんだよ。私が討伐して得た魔物の素材を使って、知り合いに作成してもらった。その名を『ヤールングレイプル』。これの最も素晴らしい点は魔力を流す事で極めて強く硬化と耐久性が上がることだ。魔物や魔獣由来の素材を用いた刀剣だろうが容易に弾く程にね。衣類でありながら、獄属性鍛治師が製作に関わっているんだ。その強さは実戦で使い続けた私が保証しよう」
「だ、だめです!受け取れません!」
多数の魔物の素材を使った一級以上の特殊素材。開発費まで含めて、その能力から算出される金額は1億セオンに届き得ると『博物学』を専攻しているアルムは冷静に考えていた。いや、いきなり金額を考えてる辺り冷静ではないのだろう。
金属性魔法は肉体を強化し、自らの肉体を治癒する。しかし金属性魔法において最大の問題が“肉体の変質が出来ない”性質にある。肉体を硬くしたり、爪を鋭利にしたり、腕を増やしたりといった事は金属性魔法では不可能なのだ。もしこの問題がクリアできたら、いよいよ魔術師は無敵になってしまうだろう。
その問題を擬似的に解消できないか、多くの魔術師と同じように、若き日のゼリエフは戦いで毎回壊れる拳を治癒しながら考えていた。そして魔法による解決ではなく専用の装備を作ることを思いつき、自分の頼りになる知り合い全てを巡り、相談して回った。
最初は邪険にされたり苦笑されたりもした。だがゼリエフはあきらめず粘り強く交渉した。やがてその熱意に押されて真面目に考え、これらの素材を持ってきたら考えよう、とある時に名のある人物に半ば冗談半分で言われた。だが若き日のガッツの塊のようなゼリエフは1人奔走して本当に必要な素材を集めた。開発料も目玉が飛び出るほど取られたが、それでもいいと言い切った。
「失敗前提で沢山用意したのだがね、製作方法が確立したころに残りの材料で生地を作ったら、思ったよりだいぶ少なくなってしまったんだ。理想としては全身に着れるサイズだったのだが、最重要だった手と足、急所の為に布を使ったら半端な量しか残らなくてね。どうしようかと思っているうちに死蔵していたのだが、君達の大きさなら、ちょうどいいのではないかと思ったのだ」
だから受け取って欲しい、ゼリエフはそう言った。
「こう言っては教育者としては失格かもしれないが、私も才能があり更に向上心の強い若者は好ましくてね、つい手を貸したくなる。惜しげもなく投資して先を見たくなる。今この齢にして君達と巡り会えたのも、神の思し召しだと思ったのだよ。私には残す物は無い。与えるだけなのだ。故に、与えた分だけ君達の可能性をこの私に見せて欲しい」
そして最後に悪戯っ子のような笑みを浮かべて囁いた。
「これは秘密なんだがね、外国の迷宮の魔物の素材も使っていて、軍事的にも非常に有用である事から、技術から利権まで全て帝国が強制的に買い上げたんだ。だから金はたんまりあるのだよ。君達の為の投資なら、この程度安いものだよ」




