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「(前途多難すぎるっ…………!)」
《ああ、まさかこうなるとは俺も思わなかった》
勉強の面については、寧ろこれ以上は無いと思える程の質の高い教育を受けられている。偶にあるゼリエフの小話も戦争で各地を練り歩いたゼリエフならではなのだろうし、休憩がてらに自分の知っている魔法や異能の話もしてくれる。普通にゼリエフのマンツーマンの授業など受けようとすれば本来は凄い金額を払わなきゃいけないのだ。むしろ現役の軍人でも喜び勇んで傾聴するほどの価値のあるものである。それを通常の価格でよしとするゼリエフはなかなか懐が深いと言えよう。
問題は、アルムのコミュ力上昇の場の無さだ。
残る科目は『貴族のマナー・教養/超実践編』『人体学』『魔法武闘/超実践編』。
スイキョウはもうある程度あたりはついているのだ。
『魔法武闘/超実践』はゼリエフの発言からアルムとツンツン娘の2人だけ。しかも『人体学』もその可能性が極めて高い。
全くゼロ知識のアルムをいきなり今まであったクラスに編入出来るはずがない。つまりそのもう1人とやらも新規の生徒。そして金属性魔法の条件を加味すれば、もうツンツン娘しかスイキョウは思い当たらないのだ。
そして『特別教養』『博物学』の流れ的に『貴族のマナー・教養/超実践編』もお察しだ。
最後にゼリエフに色々と質問していたので、アルムはかなり遅れて食堂に入った。食堂には既に人がごった返していてアルムは1番最後のようだった。皆に倣って列の1番後ろに並ぶと木のお盆を受け取る。この間にもずっと周りから見えないように小さな水弾を手の周りで回転させ続けているが、今のアルムにはこの程度簡単にできる。
イヨドの鍛錬ではもっと極限状態で、もっと緻密な魔力操作を強いられるので、既に呼吸をする様に当たり前にできるのだ。
列を進んでいくと麦芋の餅パンや、ぶつ切りにした肉と野菜をチーズのソースで煮込んだ物が並んでいて、それをお盆の上に載せていく。メニューは割と無骨なようだが量は十分なように思える。
因みに餅パンは餅とパンの中間と言える独特の物体で、齧ると仄かに芋の香りがする。本名はリソビコプトだが、スイキョウは食感や香りから餅パンと名付けていた。
しかし料理を受け取った所で、どこに座ればいいのか。殆どの席は既に埋まっている。スーッと辺りを見回したところで、アルムは奥の角の一角だけ妙に空いているのが見えた。
「(あそこにしよっと)」
《さすがはアルム》
「(なんで?)」
もう既に腹の虫も泣き喚いているので、アルムは一刻も早く食べたい。アルムはその一心で、あとは全く気にしない。その席の近くまで行って漸くなんでその一角が妙に空いていたかアルムは気づく。机の角にスイキョウがツンツン娘と呼んでいる女の子が少しピリついた空気を放ちながら昼食を摂っていたのだ。
しかし人のマイナス感情に鈍感気味なアルムは気にすることなくその向かいに座り、すぐに昼食を食べ始めた。
「(なんでみんなここに座らないのかな?)」
《いやぁ、どう見てもツンツン娘がピリピリしてるからだろ…………って言いたいが、ちょっと妙だな》
スイキョウが感じる何か嫌な性質の視線。おそらく大多数は、綺麗な女の子が顰めっ面で食べているのに気圧されてしまってるだけだろうが、一部はツンツン娘に対して悪意の含んだ視線を受けているような雰囲気をスイキョウは敏感に感じ取った。
《(僻みか、それとも他に何かあるのか?)》
幼少期からスイキョウは比較的立ち回りがうまく、子供達のカースト社会の中を飄々と過ごしていた。傍観者寄りにいるのが好きで、自分の興味のあることだけは参加する……うまく立ち回らないとやっかみを買いかねないポジションで、スイキョウは気楽にやっていけるスライムのようなメンタルとずば抜けた要領の良さがあった。
基本的に一歩引いて傍観者を気取るからこそ、全体が見える。少し感覚を鋭くすれば、雰囲気を掴むことはスイキョウにとって難しくない。その中でも排他の空気にさらされた者達も知っている。その時の空気をスイキョウは思い出していた。
「(うーん、ちょっと足りない)」
スイキョウは面倒なことになるかもしれないと思い色々と考えていると、アルムの声で引き戻される。
《もう終わったのか?》
「(ほら、イヨドさんも言ってたじゃん。身体の再生する時、全て魔力で治すと成長率は低いままだって。だから出来るだけ僕の身体を使って治してるみたいだけれど、そうするとなんだかお腹が減るんだよね)」
《…………【極門】に非常食とかあったか?》
「(引っ越す前に回収したジャーキーなら食べきれないほど沢山)」
狩った動物の肉の全てをアートに渡していたわけではなく、ある程度はアルムが保持していた。それをスイキョウが「新しいオヤツを作ってやろう」と言ってなんちゃってジャーキーにしたのだ。因みになぜジャーキーなんぞの作り方を知っていたかというと、幼少期の夏の宿題で実験したからである。
正直言って味はジャーキーとは言えないし少し固いが、かみごたえがあるのでアルムはたまに齧っていた。
《厠に行って【極門】から取り出して、こっそり噛んでればいいんじゃないか?》
「(そうするよ…………)」
初日から色々と問題が多いな、とスイキョウは疲れ気味に呟いた。
◆
「こんにちは」
「こんにちは、今日はよろしくお願いします」
昼食後、20分の昼休みを挟むと3コマ目の授業になる。
指定の教室に行くと、既に教室にはだいぶ年を重ねているようだが、背筋のピンっと伸びた白髪のお婆さんがいた。
それと、やはり机と椅子は1セットだった。
アルムが席に着いたところで開始の鐘が鳴る。
「改めてまして、今日は。『貴族のマナー・慣習/超実践』を担当するロルカべラツィ・アゥグクト・アナロラプです。略称はロベルタになります。貴方はアルム君でよろしいですね?」
「はい」
ハキハキとした喋り方で、目付きはかなり鋭い。少し神経質そうな感じの見受けられる女性だった。
「まず、いきなり始めるのもどうかと思ったので、私の自己紹介をしましょう」
聞けば、ロベルタは昔、貴族の家にメイドとして雇われ、次期当主が当主になりそしてその当主が亡くなるまで仕え続けたらしい。よってメイド長の経験もあり、当主の御子息達にも礼儀作法を叩き込んだとの事である。
当主が亡くなった後は、仕えし主も喪ったので自主的にお暇を頂いたらしいが、如何せん仕事人間だったからか暇を持て余していたらしい。そんなところを前当主と旧知の仲だったゼリエフさんに声をかけられたのだとか。
「ですので、自分で言うのもなんですが教育の質には自信があります。このクラスを選択したという事は、将来貴族に仕えるか、それとも貴族自体を目指す気概のある者だと思っています。そしてもう一つ、この科目の選択者で私の指導に最後まで付いてきたものは非常に残念ながら1人も居ません。ええ、超実践編ですから、貴族の方々が幼少期から仕込まれていることを強制的に、無意識でもできるくらいに体の芯に刻み込みます。付け焼き刃も徹底的に条件反射に至るまで突き詰めれば良いのです」
屹然と、そして独特の覇気を纏いつつロベルタは言い切った。
《わー、これはイヨド第2号の香りがするぞ》
惚けたような声でスイキョウが言うが、実際それに似た空気がロベルタには少しあった。
「さあお立ちになって。まずは姿勢から撤退的に直していきます。立ち方1つでも気品を見せる、それが真なる貴族というものです。些細な事ですが、だからこそ重要なのです。さあ、早く」
そう言うと、ロベルタは服の袖から短くて細い杖をピッと引き抜く。
アルムはその雰囲気にのまれ、跳ねるように立ち上がった。
「まず、自分なりに姿勢を正してみなさい。…………肩が硬いです。あともっと下げて……それは下げ過ぎです。腰をもっと伸ばして、ただしお腹は反らさない」
ピシッ、ピシッと杖で指摘箇所に触れる。痛くはないが、アルムは杖を通してロベルタの気迫が伝わってくる気がした。
「指は程よく伸ばして。力を入れて指を張るのは見苦しく思われます。歪みのない動きに優雅さを忘れないのが貴族の動きというものです。余裕があるなら表情にも気を配りなさい。優秀な貴族は複数の仮面を自由自在に付け替えるのです。基本の表情は柔らかであることが理想です」
そこからマンツーマンの指導がずっと続き、アルムは精神的に疲れきってしまうのだった。




