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それはとっても無慈悲な審判の合図だった。
僕たちはつい脱力して、そのまま折り重なるように地面に倒れてしまう。
「はぁ、はぁ、はぁ」
身体の緊張が解けたのか、疲れと痛みがどっと押し寄せてくる。
周りで見ていた試験官も慌てて駆け寄ってきて、治癒の魔法が使える人は僕たちに魔法をかけ始めた。
「はぁ、はぁ…………こんなにも手玉に取られたのは、何十年ぶりだろうか!」
「はぁ、はぁ、はぁ、僕も父さん以外と戦ったのは初めてでしたけど、すごく楽しかったです!」
ああそうだ。痛いけれど、苦しいけれど、疲れたけれど、僕は楽しかったんだ。
スイキョウさんと共闘出来て、その策で追い詰めることができて、嬉しかった。
「はっはっはっ、化け物じゃなこの子はっ!こちとら非殺傷なのに何度か死の危険すら感じたというのに!しかも、凄く怠い!私も年か!?」
「はぁ、はぁ、いえいえ。年を召されるどころか、驚きました。水弾には眠り薬を混ぜ込んだので、蒸発させた時に相当吸い込んだ筈です。蓄積すれば大型の動物でも昏睡しかねない代物なので、むしろ怖かったですよ」
僕がそう答えると、シーンと周りは静かになり、ゼリエフさんだけが笑いだした。
「なるほど、色々と合点がいった!地面が滑ったりしたのも獄属性魔法の薬毒生成で細工していたからか!」
「その通りです。ゼリエフさんは極めて金属性魔法に秀でていました。特に移動にかけてはトップクラスです。だから脚を奪わせてもらいました」
「かーっ、悔しい!戦略的には完全な大敗じゃ!しかし、もう長くない気がしていた私に、神は素晴らしい贈り物をしてくださった。こんなに鍛え甲斐のある子が2人もいるっ。なんて素晴らしい!」
「まだ合否は出てないですよ?」
冗談めかして返すと、ゼリエフさんは大声で笑った。
「合格に決まっとる!私にこうも土をつけたのは君が初めてだ!実戦ならば首を取られていたかもしれん!さあ行くぞ!ああ、君もだよ!君も素晴らしい地属性魔法だった!入塾手続きは私がしよう!」
そう言うと、スクッと立ち上がり、ゼリエフさんは疲労やダメージを感じさせない機敏さでローブを脱いで汚れを払う。
どうなってんだろうこの人。丈夫さが人間レベルじゃない。
僕は他の試験官の手も借りて立ち上がると、身嗜みを整えてもらう。されるがままだけど、もう身体が疲れきっているんだよね。お祖父さんの家にいるとたまにこうして女中さんに世話されるからなれたというのもあるかも。
なんとかダメージを隠して建物に向かうと、控え室には行かず僕と4人目の子はそれぞれ個室にいきなり通された。そして僕に少し待っててくれ、というとゼリエフさんはまず4番目の子が入った個室に入っていった。
僕が通された個室はそう大きくない。長机が1つ、椅子が奥に1つ、手前には2つ。その手前の椅子の1つに、母さんが不安そうな顔で座っていたが、扉の空いた音に反応して振り返り、僕の顔を見ると少し表情が明るくなる。
「あ、やっと来たのね。みんなはもう終わってるのに、私ともう1人のお母さんだけずっと呼ばれなくて凄い心配したのよ。そのお母さんと少しお喋りして仲良くなれるほど待ったけれど、どうしてこんな時間がかかったの?」
「えっと、塾長直々にゲームという名の特別試験を受けさせられていたんだよ。多分、僕ともう1人だけだったから、母さんが仲良くなった人はその子のお母さんだと思うよ」
「ど、どうしてそんな事を?ギリギリだったから再試験なんて有り得ないし…………」
あり得ないと言い切れる程には信頼してもらってるみたいで、ちょっと嬉しい、
「違うよ。最後のレベルまでいったから、もっとしっかり審査しようとしたんだと思うよ」
僕が隣の椅子に座りつつそう言うと、まあ、と母さんは嬉しそうに言う。
「つまり優秀ってことねっ!凄いわアルム!」
母さんがギューっと抱きしめてくれるけど、胸で息がしづらい。
30分くらいどんな試験だったか母さんに説明して待っていると、ノックの後に塾長がヅカヅカと入ってきた。
「よぉ〜し、いよいよ君の番だっ!大変お待たせしましたな。改めまして、塾長のゼリエフ・ンダゴ・チロヴィボです」
椅子に座ると頭を軽く下げるゼリエフさん。母さんはそこで何かを言おうとしたけれど、ゼリエフさんは手で押しとどめる。そして今迄のニヤつくような笑みから、どこか優しげな笑みを浮かべた。
「ああ、分かっていたよ。私に土をつけられる、既に一級の小さな魔術師…………その綺麗な黒髪に黒目、緻密な魔法のコントロールに、使える魔法の多さ、実戦慣れすらしている動きと頭のキレ。久し振りだね、アートさん。そしてようやく会えたね、カッター君の1人息子、アルム・グヨソホトート・ウィルターウィル君」
そう言うとゼリエフさんは身を乗り出し僕の頭をグシャグシャっと撫でた。
因みにアートとは『アトモ』という名前の一般的な略称だ。スーリア帝国では女性の本名は大体血の直接繋がった家族か伴侶しか呼ばないのがマナーだ。
「私はね、君が来た時にすぐ分かったよ。君は覚えていなだろうが、実は君がとっても小さい時に1度だけカッター君とアートさんが君をみせてくれたんだ。君が2才くらいの時だったよ。君の父親の正体が露見すると面倒になるからそれ以降は会えなかったが、それでも私に自分の子供だと言って見せてくれたんだ。1人でそのまま何処かへ行ってしまいそうだったカッター君に子供ができるなんて感慨深くてね、その日のことは昨日のことのように覚えているよ」
やはり父さんとってゼリエフさんは、かなり特別な人だったんだ。本当に第二の父親とも思っていたのかもしれない。父さんは臆病だから、普通危険を冒してまで僕を見せたりしないと思う。それでも見せようと思えた相手が、ゼリエフさんなんだろう。
「あれからもうずいぶん経った訳だ。顔はアートさんそっくりだが、髪の色と目の色は父譲り。それと気付いていないかもしれないが、魔法の癖も驚くほど出会った時のカッター君に似ていたよ」
それは初めて知った。そういうのって親に影響されるのかな?でも父さんに似ているところがあるというのは、なんだかとっても嬉しい。
《やっぱりファザコンだな》
スイキョウさんうるさい。
「さて、老人の思い出話はまた後にしよう。このまま1日中喋ってしまいそうだからね。では結果を伝えよう。
『基礎学術』満点+α合格
『一般教養』満点+α合格
『貴族のマナー・慣習』満点+α合格
『敬語』満点合格
『職業技能』満点+α+100点合格
国が指定した基準は完全にクリアしているな」
「あれ、でも『一般教養』は完答できていないし、+αってなんですか?」
「実はだな、試験の問題の8割が本来国が指定しているレベルで、それ以上は我々が私的に設けている難易度の高い問題なのだよ。なので8割より上の問題は得点に入れていない。しかし、君を担当していた者が絶賛していたよ。『時間がなくなりかけるまで説明できるほど色々と理解している子供など初めて見た』、とね。君もカッター君と同様に本の虫で知識欲の塊かい?全く面白いところは似たもんだ」
そうだったんだ。試験後半部分の時はいつも『国もかなり難しいレベルを要求するんだな』、って思ってたよ。
「さて、今言ったように君はもう既にゼリエフ私塾卒業生の資格を取得できるレベルだ。だが我々は更なる知恵と技術を君に授ける準備がある。文字は読める様だから文字を交えて説明させてもらうよ」
そういうと、文字がびっしり書いてある数枚の黒板を机の上に並べた。
僕が考えていたよりもゼリエフ私塾で学べることは多くて、『航海技術』から何故か『メイド奉仕術』まで色々あった。
その中でも興味を持った科目がいくつかある。
まず1つ目が『特別教養』。この国と海外の事情、それに歴史まで含めたより高度な教養を身につけられる。
2つ目が『博物学』。自然の物に重点を置いた深い教養を得られる。地属性での探査がより強化できそうだ。
3つ目が『貴族のマナー・慣習、超実践編』。基礎が満点合格以上が必須で、知識だけでなく実際の立ち振る舞いを教授してもらえるらしい。頭でっかちにならない為にも実際にやってみるのはいいことだと思う。同時に敬語も仕込んでくれるみたいだ。
4つ目が『人体学』。金属性魔法を修めるならば、身体の仕組みを知る事が大事だとゼリエフさんは力説していた。しかし前提として金属性魔法に相当秀でていないと駄目なので割と不人気らしく、今のところ1人しか取っていないとか。
だが、肝心な魔法についての科目が1つも提示されていない。
「アルム君、君は今、魔法についての講座が1つも無い事を不思議に思っているだろう。それにはちゃんと理由がある。君には特別な科目を受けてもらいたくてね。それもついさっき新設したばかりなんだ。『魔法武闘、超実践』…………私が自らが教鞭を執る、極めて難度が高い事を教える科目だ。
私は、農民という1番下の身分の生まれだ。そこから己の身1つを頼りに駆け上がり、最後には尉官を与えられた。しかし私は、沢山の魔法が使えた訳でも、極めて攻撃力の高い魔法が使えた訳でも、1km先の敵を倒すような魔法を使えた訳でも、とんでもない異能を持っていたわけでもない」
普通ならば成り上がることなど考えられない状態だ。しかし、ゼリエフさんは実際に成り上がっている。
「では何故、私は生き残り、農民から尉官を頂くまでの武功を挙げ続けられたのか。それはひとえに身体が丈夫だったからだ。私は凄い魔法を持っていたわけでもなく、農家から飛び出した常識なしのクソガキだったもんで、最初はたいそう馬鹿にされたよ。しかし私はあきらめが悪かったんでね、自分の出来ることを精一杯伸ばそうと思った。貧しい農家の出だったもんで、人一倍貪欲だったんだ」
「金属性魔法ばかり鍛えて、武術まで学ぶなんて、お前は魔法使いなんかじゃない、そう馬鹿にされ続けた。しかし、そう言って私を馬鹿にしていた者達の最期は皆同じだった。接近されて、何もできずに棒立ちのまま、ちょっとした痛みに怯んで、あっさり首を落とされた。避けることも、反撃することも出来ただろうに、武器を目の前にして怯んだんだ」
「それに私は上官にも嫌われていてね。1番辛い場所にいつも回された。しかし誰よりも戦果を挙げて帰ってきた。それは何故か。戦士に守ってもらわずとも単身で攻撃を仕掛ける事が出来たからだ。つまり、戦士相手に近接戦闘をする能力があったからだ。後陣で御膳立てされなければ動けない屁っ放り腰のもやしっ子達が出るよりも先に、戦士と共に道を切り開き、私は大きな武功を挙げたのだ」
「死人に魔法は使えない。生き残った者が最後は勝ちだ。私は金属性魔法で強化した身体で戦場を走り抜けて、火属性魔法で敵共を吹き飛ばしてやった。怪我を負うまいが何しようが、絶対に生き抜いてやるんだという信念で、並み居る戦士を薙ぎ倒してやった」
「私の持論になるが、武術にも秀でた魔術師は極めて生存率が高い。必ずしも強くなれるとは断言しない。ただ、生存すれば次がある。人は学ぶ生き物だからな。どんな英雄でも死んだら御仕舞いだ。故に、まずは徹底的して生き残る為の術を学ばせる。実戦の痛みを教える。素晴らしき才能をむざむざ失うような真似は出来ない。成ればこそ、私の生涯をかけて磨いた技術を伝授しようと思い立ったのだ。その想いを思い出させてくれたのは、今日の君との勝負だ。アルム君、どうか私の技術を受け継いでは貰えないだろうか?」
そう言って、ゼリエフさんは頭を下げた。これには母さんも驚いている。でもゼリエフさんの心意気はわかる。きっとゼリエフさんは僕を通して、違う人を見ている。
「謹んでお受けします」
父さん、父さんも自分の身を守る事に長けていたよね。僕も、頑張るよ。
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『解説コーナー:魔力障壁と魔力塊、それを利用した移動について』
この世界には遍く物質に魔力が宿っているとされています。しかし物質に内包された時点で、空気中に漂う魔力とは別の魔力になります。
空気中の魔力が純水、物質内の魔力が物質の因子(イデア論を参考にしています)が混じった溶液と捉えてください。
生物でも魔法に適性のある存在は基本的に体内で生成した魔力を放出することができますが、空気中の魔力をいきなりダイレクトに吸収できません。
人間が水中に入ったからといってその水分を身体に吸収してしまうわけではないのと同じです。
魔法は体内で生成される物質の因子を含んだ魔力を元に、魔力をエネルギー源として因子を別の因子や概念に転化させる事で発動します。しかし溶液は純水の中に入れば純水の絶対量の多さから混じりあってしまい、溶液に動きを与えるほど余計に混ざり合うスピードは加速します。
魔法に射程距離が存在するのはこの為です。
体内から放出された魔力は直ぐに分離せず、肉体とラインが繋がっています。このラインを通して発動した魔法を動かす事が可能になります。スイキョウが魔力導線と呼んでいるのはこのラインにエネルギーの伝達の概念を無意識で加えているものです。
このラインの制御が“魔法のコントロール”という形で一般には認識されています。
これを踏まえた上で、魔力障壁や魔力の塊の衝突とはどのような状態を言っているのかを説明させていただきます。
まず魔力についての説明は前述の通りですが、体内で生成する因子を含んだ魔力は1人1人異なった形態があり、他の種類の魔力と瞬時に混じり合う訳ではありません。この形態はDNAみたいな物です。
イヨドが魔力による識別を可能とするのも1人1人の魔力の形質が異なるからです。また、ラインの魔力保持の性能を上昇させる事で更に空気中への魔力の分散率・混合速度を下げる事ができます。
この因子を保持した魔力を高濃度で収縮すると、水が氷になるように一種の塊になります。これが所謂『魔力の塊』です。
これに形を与えて反混合の概念を付加させる事で『魔力障壁』となります。
また、因子を含んだ魔力同士は混じり合う事が難しくなります。
なので他人の魔法は魔力障壁に激突すると反発し合い、その乱れがラインの制御に影響を与えて魔法をジャミングします。当然、魔力障壁でガードした方も反発の影響を受けますが、魔力障壁は自分の間近に張り巡らせるので、遠くからラインを制御している敵よりも反発時にラインがうける影響は軽度です。
加えて自分の魔力は同じ物なので反発は極々微小で魔力障壁を透過して魔法で攻撃できます。
閑話休題。
質の異なる拡散率の低い高濃度の魔力同士が衝突すると、その際のエネルギーは熱、光、音などのエネルギーには一切置換されず、純粋な力に置換されます。
アルムがゼリエフを吹っ飛ばしたのは、近距離である事とこの反発の作用を利用しています。もし魔力障壁が弱い物だったなら、アルムの魔力の塊に衝突して霧散しますが、逆にゼリエフの熟練した強固な魔力障壁は混じり合わず反発しています。ゼリエフの利点を逆手に取った策です。
ゼリエフが泥の上に立っていたのも、身体を軽くしているのではなく、超高濃度の魔力障壁を足裏のみに集中させて、泥の魔法に含まれる魔力に反発させています。本来なら障壁に衝突した魔法は相殺されますが、泥を継続して操作し続けるためには魔力を継続して送らなければなりません。その魔力をゼリエフは逆に利用しています。
では自らを吹き飛ばすにはどの様なことをすればいいのか。
自分の魔法は魔力障壁をすり抜けるように本来自分の魔力同士では高反発を発生させることはできません。
では何を反発させているのかと言えば、空気中の魔力です。
魔力の塊は、その状態から空気中の魔力と簡単に混じり合いません。
これを自分の魔力障壁に向けて放つと、塊と障壁の間にあった空気中の魔力が圧縮され、衝突した魔力障壁に対して高反発を発生させます。
ただし空気中の魔力は横から流れ出て行ってしまうので、相当の速度がないと反発は起こせません。これを可能とするには異常なレベルの魔力のコントロール能力が必要になります。また使えたとしても、魔力の消費率が高くては実戦には使えません。その理由から魔力の塊を利用した移動が可能な魔術師は極めて少ない傾向にあります。
以上、『魔力障壁と魔力塊、それを利用した移動について』でした。
明日はエイプリルフール




