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「フゥ〜……大した子じゃった」
勝敗が決してから10分ほどすると、今度は僕の番になった。
目の前に立つ塾長は腕で汗を拭っているけれど、恐ろしいことに息が切れていたりとか、魔力枯渇の影響とかは一切見られない。どうやればそこまで魔力を節約できるんだろう?相当のコントロール能力だ。
「さて、君に謝っておくことがある」
「何ですか?」
謝罪?いったいなんだろう?
「先程言った後攻が少し有利という言葉……すまん、あれは嘘だ。先にいくつかの技を見せたと言うことは、平等にする為にも私は手加減のレベルを緩める。体力と魔力の残量の問題もあるが、私も手加減のレベルまでは正確にコントロール出来るわけではないのだよ」
《つまりは、ちょっと本気出すって事か》
でも使ってくる魔法や技が事前にある程度わかっているから後攻の方が有利なのは変わらないはず―――――そんな事を考えていると痛い目にあいそうだ。
「さて、もう紐はつけたかい?」
「はい」
ちゃんとゼリエフさんの為の10分間の休憩時間の間に用意はしてある。しかしゼリエフさんは僕を見て不思議そうな顔をする。
「はて、私には何処にあるか見えないが?」
「後ろにつけさせて貰いました。ルール違反では無いですよね?」
僕が腰に手を回して紐を見せると、ゼリエフさんは面白そうな物を見る表情になる。
「前につければ、私が紐を取ろうと接近した時に私に触れられる可能性がある。今まで相手した子で後ろにつけた子は殆どいなかった。つまりは君には何かしら考えがあるわけだ」
僕は何も答えずにニッコリ笑った。ああ嫌だ、スイキョウさんのせいで作り笑顔がどんどん上手になる。
《それ俺のせいなの?いや、悪影響を及ぼしている気はしなくもないが……》
スイキョウさんは観戦している間に色々と考えていた。休憩時間の間にスイキョウさんの出してきた案は、スイキョウさんらしい突飛な物だった。人の虚を突くような、悪辣で、とても嫌らしい策だ。
《それに乗った時点でアルムも一緒だって》
うん、否定はしない。聞いてみて、凄く面白そうって思ったから。
「さて、距離は何mから始めるかね?先程は20mだったが」
これも策に練りこまれている。だから答えは最初から決まっている。
「5mでお願いします」
その時、初めてゼリエフさんの表情が笑みから困惑になった。
「何だって?」
「5mです。ちょうどこの距離ですよね」
僕がそう答えると、ゼリエフさんは大きな声で笑った。
「これは面白い、一本取られた!魔術師専攻の殆どの子が25mの最大距離を選ぶのに、5mとは!成る程、その紐の位置はそういう意味か!しかも本来ならば二戦目の私の体力と魔力をジックリと削り長期戦に持ち込んだ方が有利だろうに、接近戦による短期決戦を挑もうというのか!いいだろう、その実力と策を見せてもらおう!」
僕達が離れないので、周りの試験官達は困惑したように騒ついている。それに構うことなくゼリエフさんが『合図を出せ!』と言うと更に騒めきが多くなった。しかし塾長の言葉には従うのか、旗は挙げられた。
僕の背中には先程負けた子の視線が痛い程に集中している気がする。
でもやる事は変わりない。
スイキョウさんも言っていたけど、この条件で勝負を挑んでくる時点でゼリエフさんはこの形式に自信があるのだ。だから定石通り遠距離でどうにかしようとしても対処されてしまう、というかその手のノウハウが豊富なのだろう。ならば、その前提を変える。
スイキョウさんは練った策をそう説明し始めたんだ。
腰を落として、呼吸を整える。魔力の準備もオッケー。
ゼリエフさんも少し腰を落として何をしようとしているのか見抜こうとしているのか、表面上は笑みを浮かべつつジッとこちらを見つめている。どんな魔法を発動させようとしているのか冷静に見極めているのだろう。
血の流れる音が耳の奥で幽かに聞こえ、同時に周囲の音が小さく消えていく。そして限りなく無音に近づいていく世界の中で、合図の声と共に旗が風を切る音が響いた。
同時に魔法を発動。金属性魔法で瞬時に肉体を最大強化して一気にゼリエフさんの懐に飛び込…………まないっ!飛び出すと同時に強烈なブレーキをかけたので身体に強い衝撃が走り軽く浮遊する。
おそらくゼリエフさんも突っ込まれるか近距離の大火力魔法を警戒していたのだろう。空を切った自分の蹴りに目を見開いた。余裕そうな笑みが初めて消えた。
タネは明かしてしまえば簡単だ。ゼリエフさんがやってみせたように障壁を張って自分の斜め下から魔力の塊をぶつけたんだ。当然強烈な負荷が体にかかるので身体は痛いけれど、あのイヨドさんの拷問に比べれば全然平気だ。
僕は即座に不意を突いて地属性魔法で地面から大量に棒を生やすが、魔力に反応したのかギリギリのところで立ち直られて躱された。でも逃がさない!
ゼリエフさんが躱すために咄嗟にジャンプしたところで、頭上から広域に水弾の雨を降らせる。非常に細かく、威力は低めのまるで雨の様な水弾だ。
しかしこれは威力が低いので障壁で簡単に防がれる。一旦は凌いだと思ったのか、ゼリエフさんも軽く笑みを浮かべる。多分着地点への魔法も警戒しているから効かないだろう。
なので地面からの攻撃は無し。僕が火を纏って火の矢を放ちながら接近を開始すると、火を纏った事は驚いたものの余裕そうな表情だ。だが着地した瞬間、ゼリエフさんの顔が再び驚愕に染まる。
ゼリエフさんが着地すると、足を滑らせ身体が大きくバランスを崩したのだ。
もちろん着地した瞬間“は”何もしていない。ゼリエフさんも魔力の流れを読んでたからそれは承知の筈。だから自分の予想外の事が起きたことに一層驚愕する。
実際に何が起きたか。
僕が降らせた水弾はただの水弾じゃない。スイキョウさんの提案で作成に成功したワカメや苔などから滲み出るヌルヌルする液体を混ぜ込んである。獄属性魔法で作り出たその特性の液体を水弾の雨にこっそり混ぜ込んで先ほど降らせたのだ。
これが小さな粒になって地面に染み込むと、下の砂がサラサラなので非常に滑りやすい砂になる。これは10分間の空き時間の間にも確認しておいてある。そしてこの液体はもう1つの性質として、高温、例えば火にさらされるとヌルヌルが消えるというと言う特性がある。
火を纏ったのは自分が足を取られないようにするためだ。
制御は簡単じゃないけど、出来なくはない。かなり熱いけど、イヨドさんの拷問みたいな鍛錬に比べたら温いくらいだ。
ここで地属性で泥を巻き込んで動かし地面をランダムに凸凹にする。ただでさえ動きづらい状況下で足場を更に劣悪に。咄嗟に手をついてもこれも滑る。ゼリエフさんは反応が間に合わず手を滑らせて身体を強かに地面に打ち付ける。
僕がなぜ火を纏ったのか。多分外野にいれば鋭い人なら気付くかも知れないが、ここまで予想外が連続しているゼリエフさんは簡単に考えは纏まらない。いや、纏めさせない。畳みかけることで冷静さを奪い取る。
ここで僕に攻撃か、魔力の塊を使い距離を取るか。どちらをとるか。
ゼリエフさんは驚くべきことに、この状況で僕に大量の火の矢を放ちつつ、魔力の塊で体斜めに打ち上げる。
しかしどちらを取っても、両方をできたとしても結果は同じなんだっ!
僕も予め用意していたどデカい魔力の塊を“ゼリエフさんに”ぶつける。火の矢を吹き飛ばし、後ろへ吹っ飛ぶゼリエフさんを更に加速させる。予想外だったのか、対策も取れずに凄いスピードでぶっ飛んだけど、こっちは全部織り込み済みなんだよね!
地属性で壁を後方に作る準備はしてある。突如できた硬い土壁に、距離を取って立て直すどころか、僕のせいで制御不可レベルで加速したゼリエフさんは壁に全身を激しく打ちつける。
ゼリエフさんの金属性魔法の肉体強化、特に移動に関する技術は目を見張る物があるが、そもそも走らせなければあのスピードは潰せる。スイキョウさんはそう断言した。これは全てそのための策だ。
ここで大量の水弾を間髪入れずに放つ。今度はさっきのとは違う、搦手無しの高速高威力だ。
火を纏い続けるのは苦しいけれど、まだまだいける。
この数の水弾を障壁で完全に無効化しきろうとすれば魔力はだいぶ減るはず。しかし身体を激しく打ち付けたにもかかわらず、ゼリエフさんは正確なコントロールで、最低限の火の矢で水弾を撃ち落とす。それどころか僕に数発飛ばして反撃した。
これは魔力障壁で無効化するしかない。しかしかなりの威力の奴をまともに受けて魔力が減らされた。やっぱりこの人戦い慣れの度合いは僕なんかじゃ比べ物にならない。
それに熱気もかなりキツい。でも、過暴走で全身丸焦げになった時に比べれば、全然痛くないっ!
だが、気力である程度辛さはどうにかなっても、直撃して少し攻撃が止まってしまったことには変わりない。ゼリエフさんは驚くべきことにその隙を見逃さずこのヌルヌルする地面を利用して滑りながら逆に立ち上がる。
《運動神経良すぎだろうがっ!》
ここで距離を取るか?いや、突っ込んできた!
恐らく僕の通り道は滑らないと思ったのだろう。魔力の塊を自分の背にぶつけて高速で接近される。
《アルムっ!》
だけどこうした時に切り札的な手段は幾つか残してある。まだ使いたくなかったけどねっ!
目の前で魔力をほんの少し過暴走させて、ゼリエフさんが接近したギリギリで暴発させる。衝撃波が僕の手の先を中心に爆散して、僕とゼリエフさんを一気に吹き飛ばす。
これで片手は使い物にならなくなったけれど、腕が千切れた時より痛くない。強い衝撃で目が回りそうだけど、あの鍛錬のお陰が耐えられている。意識はハッキリしている。ほんと、イヨドさんのスパルタ教育がこうも役に立つとはね!
僕は事前にわかっていたから瞬間的に高密度で障壁を作り金属性魔法で肉体を最大強化していたから片手のダメージのみに押さえ込めたけど、ゼリエフさんはやはり後手に回ったので全身にダメージを受けている。非殺傷か少し怪しいけど、そもそも過暴走は魔法じゃないのでグレーゾーン。スイキョウさんの論法が通じることに賭けた博打の一撃だ。
しかしこれは触れたという判定にはならない。多分それがオッケーならさっきの子の霧が触れた時点で勝負は終わってる。
自分で方向をコントロールした魔法がヒット判定の対象なんだ。
しかしゼリエフさんもなかなかで、かなり痛いはずなのに普通に立ち上がる。金属性魔法を極めると戦士ばりに丈夫になるんだね。
でも、ここで明らかにフラついたっ!
更に水弾で弾幕を張り集中攻撃。これも火の矢で撃ち返してくる。でも顔から余裕そうな笑みは消えている。少なくとも虚勢を張れる段階をすでに超えていて、やはり相応のダメージは蓄積している。かといって、老人だからなんて手を抜ける相手じゃない。相手は実戦経験者だ。ここから幾らでもひっくり返してくる可能性がある。
接近戦を再度仕掛けようとしてきたが、その瞬間に方向性を持たない大放火を火属性魔法で行い牽制。今まで奇襲を何度も食らったせいで、普通なら魔力障壁を纏って突っ込むところをゼリエフさんはたたらを踏んだ。
水弾による水が、地面に吸収された水が、大火力の炎により一気に蒸発して高熱のカーテンができる。火そのものを防いでも案外熱などは防ぎ難い。その性質を突いた搦手だ。
《しかし丈夫だな、ゼリエフさん。アルム、ここで畳み込めよ!》
ゼリエフさんの穴を付けるとしたら3つ。
まず1つは自分が絶対的強者だと思い、策を用意しておらず、あくまで受験生の実力を見る試験官と言う立ち位置な為に基本的にカウンターしかできないこと。
2つ、移動を潰されると勝利条件がかなり遠のくこと。というか、動作のスタートをさせて貰えないとうまく動けないこと。
3つ、魔法が火属性と金属性のみである事。つまり熱に対抗する最高の防御方法である水属性が使えない可能性が高いこと。隠している可能性もまだあるが、彼にとって手加減の絶対的ボーダーがそこにあるとしたら、使っては来ないと予測できる。
「(高熱の蒸気のカーテンを強引に突破する時に水魔法で緩和できないなら、幾ら金属性魔法で肉体を強化しても其れ相応のダメージか魔力消費を強いられる!)」
ここでぬめり液加工した水弾で猛攻を仕掛け、ゼリエフさんが立っている場所も滑り易くして追い詰める。
火の矢でたまにカウンターされるけれど、さっきは近距離で反撃されたから直撃しただけで今は距離もあるから水弾で、あるいは躱して無効化できる。
《お、効いてきたぞっ!》
でも今迄のは全部布石。スイキョウさんが考えた手は極悪だ。
明らかにゼリエフさんはフラついている。金属性魔法で身体を強化して誤魔化してるみたいだけれど、後手後手に回り続けている状態では厳しそうだ。
「(ここで決める!)」
魔力障壁を解除し、魔力を水弾に回して、弾幕のうち1つの水弾だけに大量の魔力を注ぎ込み反魔法力を引き上げる。集中力が分散して幾つか火の矢が僕に直撃するが、この程度の痛みは問題ない!
加えて、スイキョウさんの予想した通り、火の矢が僕に直撃した瞬間にゼリエフさんの意識が僅かに乱れた。
でもそれこそスイキョウさんの罠。教育者だからこそ、子供が予想外のダメージを受けた瞬間に絶対に気が散る!
魔力を大量に注ぎ込み反魔法力を高めた水弾はゼリエフさんの火の矢の弾幕を潜り抜け、ゼリエフさんの魔力障壁に直撃。凄い勢いで魔力を削り、遂にゼリエフさんが膝をついた。ゼリエフさんはもう魔力障壁を殆ど維持出来ていない。
「(終わりだっ!)」
ここで僕はトドメの水弾を放とうとするが、視界が揺れてフラットすると僕は思わず膝をついた。
「(魔力切れ?いや、貧血っ!?)」
僕の魔法の対価は魔力と少量の血液。けれどこうも無茶を続けて一気に血が減ったみたいだ。
「(いや、まだまだ、終わってない)」
ゼリエフさんは完全に沈黙している。
それもそうだ。むしろ今まで動いけていた方がおかしい。
スイキョウさんが張り巡らせた罠のうち、最凶の罠が今発動しているのだ。
ゼリエフさんはずっと火で水に対抗していた。してなくても僕の大放火でなんとかなったけれど、あれは自分で自分を追い詰めていたんだ。何故って?僕が放った高速水弾の弾幕には、揮発性のある眠り薬を獄属性魔法で含ませていたからだ。
火で水を一気に蒸発させる事で、眠り薬の成分が空気中に一気に広がる。当然自分の近くで眠り薬入りの水弾を撃ち落とし続けたゼリエフさんは沢山の眠り薬を知らず知らずの内に吸い込んでしまう。しかも即効性だと気付かれて金属性魔法で対抗されるかもしれないので、遅延性の蓄積型を選んだ。これで自分の疲労感や魔力残量の低下によるフラつきと錯覚させることができる。しかも実際は魔力は関係ないから余計に混乱を招く。
最初の接近戦を選んだように見せたのは、同時に短期決戦を仕掛けるように見せるため。実際は眠り薬による長期決戦を狙っていることをブラフだ。
これがスイキョウさんが仕掛けた罠の全容。直接仕留めずに、まずは思考力を奪うレベルで奇襲を仕掛け続けて疲労させ、眠らせてしまう。あとは煮るなり焼くなり御覧じろ、と言う寸法だ。
僕は金属性魔法で体を多少治癒すると、這うように徐々にゼリエフさんに近づいていく。魔法はもう放てない。空気中の眠り薬を解毒し続けるので手一杯だ。
魔獣相手だってこんな苦労なんかしてない。
ゼリエフさんはとんだ化け物おじいさんだった。多分先手先手に回り続けられなかったら、手加減されてなかったら、命をかけた実戦だったら、あっさり負けていただろう。
《いや、油断するなアルムっ!》
そしてゆっくりとその身体に手を伸ばした所で、スイキョウさんが鋭く叫ぶ。
その声に反応して僕は体に残された力を一気に使って咄嗟に後ろへ飛ぶが、それが無かったらやられていた!
グリンッとゼリエフさんの顔が上がる。舌を血が滲むほど噛んで耐えたんだっ。元気すぎるっていうか本当に大人げないよこの人っ!
野獣の様に低姿勢から飛び出して、ゼリエフさんは遂に僕の後ろを取る!ここで僕も倒れつつ一か八かその身体に手を伸ばす!そして―――――――――
バサッッッ!!
空気を割る旗の音がした。
「時間切れ!判定は引き分けとするっ!」




