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翌日、朝からアートはせかせかと動いていた。実のところ、ゼリエフ私塾の入塾応募締め切りが今日までだったのだ。元から祖父の誕生日会の時に話をつけてどこかに申し込むつもりだったが、スイキョウには色々と慌ただしく思えた。
《しかし、不思議な時期に入塾応募をやるんだな?》
「(不思議かな?だいたいどこも一緒だと思うよ?)
一般的な私塾の多くは4月、7月、10月と年に3回入塾の機会がある。
私塾は国の認可を得て補償を受けている塾なので、国が指定する必須技能を塾生に習得させる必要がある。
国の考えとしては、私塾は平民の中でもより優秀な才能を持つ者を見出す為の機関としているので、ターゲットは魔術師・戦士・商人になる。力と金を重んじるスーリア帝国らしい考え方だろう。
主な必須科目としては、『貴族のマナー・慣習』『敬語』『職種技能』(魔法学・武闘学・経営学のいずれかをある程度修める)『基礎学術』(加算引算・文字の読み書き)『一般教養』(簡易な地理や生物学、社会常識)の5つの科目がある。
ここに各塾で教授資格のある科目が任意で追加されるわけだ。
ただし、何年学んだかではなく、どれくらい出来るのかが重視されているので、私塾側が問題なしとみなせば高い授業料を払って長い間勉強せずともその科目は履修済みになる。塾に通わず、1年に一度行う履修試験(当然有料だが)だけを受けても、合格すればその私塾の卒業生を名乗れるのだ。私塾とは言わば、国の指定する資格を取るための学び舎であり、懇切丁寧にあれこれ教える場所ではないのである。
しかし私塾に通うための費用は自己負担。それぞれの家庭にも事情があるので、システムはあえて強引に画一化していない。だから何才からでも認められれば一応塾には入れる。結局は履修試験に合格できるかどうかなのだから、塾側は塾生が何年居座っても金さえ支払ってくれればさほど問題はないのだ。よって平均3年間といえど人によっても卒業までの期間はやはりバラバラなのである。
また、各々の家庭事情により、最初からある程度習得している技能もあることで卒業までの期間がずれることはある。アルムの場合だと、魔法学を一から学ぶ必要はないだろうし、一般教養も大人以上にマスターしている。
商人の子なら家庭事情で貴族のマナーや慣習はある程度理解しているかもしれないし、一般教養もゼロから学ぶ必要はないだろう。なので、彼らのレベルにあった所から教えられるように科目にも5級~1級などの段階を設けている。
塾に入る前の試験で審査をして、その人に見合ったレベルに編入する。しかし1年ごとだと、レベルにあった割り振りが難しくなる。なので4月7月10月と短いスパンで入塾の機会を設けるのだ。こうすることでレベル帯が細かくなり、割り振りが簡単になる。
もちろん、塾が儲けるためなら1年ごとに大雑把に割り振って長く在籍させた方がいいだろう。しかし平民も子供に対し無駄な出費をして無為な時間を過ごさせるほど裕福ではない。そもそも塾生が増えなければ稼ぎもない。10年前まではそれでも殿様商売の如く、1年ごとでもなんとかなっていた。しかしとある塾がこの制度を設けて費用が削減出来る制度を打ち出した結果、圧倒的な人気を得る事になり、塾生の流出や新規生の獲得の為にも他の私塾もそうせざるを得なくなったのだ。
今ではよりスムーズな教育が可能となる事が認められ、国もこの制度を推奨(強制)している。なので現在の私塾ではこの制度が基本となっている。
《でもよ、アルムは『基礎学術』は完璧、他もそれなりに出来るだろ?すぐ終わっちまうんじゃねぇの?3年もかかるか?》
「(あくまで最低条件だからね。塾では他にも学べることもあるよ。あとは資格より上の段階として『認可推薦状』を受け取る事もできるし)」
例えば火の魔法で現役時代軍で活躍した者が、類稀なる火の魔法を使える生徒に『認可推薦状』と呼ばれる書状を与える。これを持って軍にいけば、その実力を確かなものとして証明できる。少し意味合いは異なるがコネの証明書とも言える。
しかし余程のレベルでは無いと『認可推薦状』は書いてもらえない。それは書く者の矜持があるからだ。もし推薦した者が実力不足と突っ返されたら推薦状を出した者の面目などあったものではない。それも自分の得意分野で認めた生徒が突っ返されるのは、現役時代の自分を否定されるのと同義である。なので推薦状は滅多に出されることはないのだ。
しかし一度取得できれば就職には圧倒的なアドバンテージになる。例えば、『貴族のマナー・慣習』で認可推薦状を持っていれば、貴族も安心して私兵のスカウトができるので、就職のアドバンテージになるし、『基礎学術』で認可推薦を貰えれば、何処の商会に行ってもだいたい雇ってもらえる。
つまり、どんな認可推薦状を与えることができるかどうかも私塾の売りの1つとも言える。ゼリエフ私塾ならば、ゼリエフは魔導師団まで上り詰めたので、軍に対するゼリエフの認可推薦状の価値はとても高くなる、というわけである。武力方面で成り上がりたいアルムからすると貰っておいて損はないだろう。
「(とりあえず、ゼリエフさんは強いみたいだし、軍の経験もあるみたいだからゼリエフさんの認可推薦状は欲しいかな。プラスになりそうでゼリエフ私塾で得られる認可推薦状は出来るだけ欲しい。何が役立つかはわからないからね)」
《随分と大きく出たな。勝算はアリか?》
「(うーん…………もしかすると、必須科目だけで考えたら即卒業の可能性もある気がして…………自惚れが過ぎるかな?)」
《あ、あ〜〜〜…………言われてみればそんな気がしなくもない。というかその可能性が1番高いかもしれない、な》
アルムの能力を考えると、そもそも私塾に通う必要性が疑問視され始めたが、残念ながらアルムとスイキョウ以外でアルムの実力を正確に把握できている者は居なかったりする。
ただし、知識だけでなく実際に周りの事を知るというのは価値があるとスイキョウは思っているので特に反対はしていない。
いくら自己申告でできると言っても、客観的に価値のある保証が存在しなければ評価は簡単にできないし、そう言った手間が省けるならやるに越したことはない。学校と言う物で多くの事を学んだスイキョウにとって、塾に入ることはアルムにとって無駄で遠回りになることは思えなかったのだ。
《じゃあ入塾試験は必須は一発でOKレベルで頑張ればいい訳だな?特に準備とかはいらないのか?》
「(うーん、入塾試験に特に必要な物はないと思うよ。多分塾側が用意してくれる。いつも使ってる杖とか武器があるなら持ち込みはできるだろうけど)」
その答えを聴くと、スイキョウはふと疑問に思う。
《そういえば、アルムって杖を持たないよな?街中ではたまに杖を持っている奴がいたが、流派の問題か?》
「(そうだね、そこは人によりけりというか、向き不向きがあるよ。あの杖とかは少し加工がしてあって、魔力を通しやすくしてるんだ。杖を介して魔力の流れをはっきりと掴み、コントロールした方が安定するって考え方もある。けど父さんは変な癖が付くし、ただでさえ戦士には肉体的に劣るんだから身軽な方がいいって言ってたよ。優秀な魔術師ほど杖を持たないとも言ってたかな?)」
魔法使いにおける杖とは、実はこれといって定義が無い。魔法使いに関わらず宗教的な意味で持ち歩く者もいるし、素手よりはマシという意味で近距離が弱くなりがちな魔法使いの護身用の武器とも言える。なのでアルムの父親の考えはあくまで一意見に過ぎず、絶対的な正解という訳でもない。
実際、杖を持っていたおかげで脚を怪我した時に正規の杖の役割を果たして助かったとか、もうダメだと思って適当にふるった杖が相手の目に直撃して難を逃れたとか、そんな話もあるほどだ。
《ま、自分に1番合ってるスタイルにしておくのが1番いいってことか》
「(そうだね)」
◆
引っ越しを決意してから2週間。どうしても一緒に暮らしたがったお祖父さんに対し、魔法の練習には危ないとか集中して勉強したいとか色々と理由をつけてなんとか(スイキョウさんが)説得して、完全な同居は無しで商会の半ば倉庫化していた離れに住むことになった。
お祖父さんとお祖母さんはよほど僕たちが近くに住んでくれるのが嬉しかったのか、従業員まで大勢駆り出して、離れの掃除から改装、引越しまでしてくれた。実を言えば2週間のうち1週間以上はお祖父さんの説得に当てられた時間で、離れの用意から引っ越しまでは約1日というとんでもないスピードで実行された。
離れに住むと言っても、3日に1度は顔を出すことを約束させられたので全部が自由ってわけじゃないけど、今更【極門】を落ち着いて使えない生活も困るので許容範囲内に話は収まったと言える。
実際のところ、お祖父さんとの交渉はスイキョウさんが代行していたけれど、母さんもお祖母さんも手がつけられない状態だったお祖父さんを納得させたあたり、やっぱりスイキョウさんの口のうまさは別格だった。
そして引っ越しの作業の殆どが終わった今、空っぽになった家の前で僕は母さんと立っていた。
「本当にうまくいくの?」
「そこはイヨドさんを信じるよ」
『ふんっ……』
イヨドさんとの交渉はスイキョウさんが代行できない、というか気づかれてしまうかもしれないので、僕だけで頑張った。最終的にはゴネてゴネて嗚呼めんどくさいっ!って怒鳴られたけど、結局手伝ってくれることになった。スイキョウさんはどうしてもイヨドさんしかできないと訴え続けろってしか言わなかったけど、実際了承してもらえた。
たぶん基本的に面倒くさがりで、価値観や色々な感覚が人間と大きく違うだけで、良い人(?)なんだとは思う。
『用意はいいか?』
「大丈夫」
僕が【極門】の虚空を開いた瞬間、イヨドさんは前脚を起点にターンしつつ尻尾を凪ぐ。でも濃密な魔力が凄いスピードで動いたことしかさっぱりわからなかった。
「え?あれ?」
『もう斬れたわ。土台とは既に分離している』
そしてイヨドさんがフッと息を吹くと、ヒラヒラ飛んでいた抜け毛が大きな白い狼に変身した。その白狼が家を押すと、ズズズッと家が丸ごと動き【極門】の虚空に押し込んでいく。虚空のコントロールが厳しいけど、ここは我慢だ。
ズルズルと真っ黒な空間に家が消えていき、全てが入った瞬間、制御が完全に追い付かなくなるギリギリで僕は空間を閉じた。
とりあえず家は無事だ。しかし虚空の大きさが大きさだったのか、周囲の魔力の流れが急激に歪みはじめた。多分また異常現象が起きる。やっぱり家を入れられるサイズを展開するのは無理があったみたいだ。僕は母さんを守る為に母さんを抱えて逃げようとすると、イヨドさんが僕らの前に割り込んだ。
『愚かな!余計な手を出すでないっ!』
今のは僕に言っている?違う、イヨドさんは虚空の閉じた部分を睨んでいる。
次の瞬間、今までで感じたことのない膨大な魔力の塊が動き、イヨドさんの咆哮とともに放出された。歪み始めた魔力はその本流に飲まれ、強制的に魔力の流れが正常な状態に戻されていく。
『ハッ!』
仕上げと言わんばかりに気合いと共にイヨドさんは尻尾を凪いだ。僕には一体今の動作で何をしたのか、魔力の流れすら分からなかった。けれど先ほどの事から考えるにナニカを断ち切ったんだと思う。
『これで問題はなかろう。アルム、その力はやはり人の身に些か過ぎる。使用には気をつけるのだ』
「はい」
心配してくれるあたりやっぱり悪い人じゃないと思う。
しかし母さんには刺激的な内容だったと思う。危ないことはしないって言われたのに、今のは明らかに心配させる雰囲気だった。どうやって説明しようか、そう思って母さんを見ると不自然なまでにボーっとしていた。
『我の力は無闇に見せるものではない。アルムの母には少し『放心の魔法』をかけた。揺すれば元に戻る。あとは父が来た時にわかるようにすれば良いのだな?まったく、父の魔力を知らなかったら流石に我でも無理難題だったぞ』
普通は知ってても無理難題だよ、という指摘は置いておいて、はじめての召喚の時に父さんが一緒にいてくれて本当に良かった。
イヨドさんは何もなくなった家の土台部分をなぜか少し睨むように見つめた後、僕の知らない魔法をかけた。
『これで良いな。こんな些細なことにもう手を貸さんぞ』
「あ、ありがとうございました!」
イヨドさんはそう言い残すと、体が氷になって霧になって消えていった。僕のお礼はギリギリ聞こえたかな?
《ま、次あったときにもう一度言えばいいさ。それよりもアートさんを元に戻そうぜ》
そうだった。僕が母さんを揺すると、母さんはハッとしてキョロキョロとあたりを見渡し、不思議そうに僕を見た。
「あぁ、アルム。魔法って凄いのね。家が跡形もなく消えちゃって。大丈夫よ、ちょっとぼーっとしてただけ」
母さんはなんだか戸惑っていたけれど、それでも笑っているので体には特に異常はないみたいだ。母さんにとって一番つらい光景をずっと見続けに済んだのはむしろ良かったのかな。けれどもこの魔法をいざ戦闘で使われたらと思うとゾッとする。
母さんは頭をふるふると振ると、自分の両頬をピシャリと叩く。そしてゆっくりと歩いて行くと、しゃがんで何も無くなった土台を名残惜しそうに撫でる。僕以上に母さんは思い入れがとても深いのだろう。10分ほどすると、なにかを振り切るように勢いをつけて立ち上がった。
「ごめんなさい、待たせたわね。さあ行きましょう」
母さんはハンカチでそっと目を抑えると、巾着にしまって馬に跨る。
僕はその後ろに乗って、見えなくなるまでずっと家の方を見つめていた。




