16
ザリヤヘンズさんの骨董屋を出た後は、ちょっと寄り道して帰宅した。
スイキョウさんはちょっと考え事があると言って今は内側に引っ込んでいる。今回は2つも高い買い物をしていたけれど、スイキョウさんの新しい魔法が見られるなら安い方だ。
夕食を摂って寝る準備を済ませ、昔母さんが使っていた部屋で母さんと一緒に寝ることになるまでは色々考えごとをしていたせいかあっという間だった。
新しい魔法にはどうしたってワクワクする。明日が早く来ないかと思って眠りにつこうとすると、母さんが急に話しだした。
「ねえアルム、聞いてちょうだい。あのね、いきなりだけれど、アルムを塾に通わせたいと思うの」
「塾?」
急に何を言いだすのだろう?塾なんて私塾でもかなりの金額が必要って聞いてるのに、でも小塾に通うのは意味があるのかな?
《とりあえず話を聞いてみようぜ》
そうだね、たしかに一度話を聞いてみないとね。
「そうよ。最近のアルムは、凄く頑張ってるのを知っている。特に狩りには力を入れてるわよね?でもね、きっとアルムがこの先なにかを目指しているのなら、いつか1人での学びには限界がくる。だから私塾に通わせようと思ったの。塾で学べる事は、絶対に貴方の未来の為に無駄にならない。それに来月には11才になるのよ。塾に入るには1番いい年齢なの…………どうかしら?」
私塾かぁ、確かに言われてみれば無駄にはならないかもしれない。今は公権魔導師を目指しているけれど、それはつまり貴族になるということだから礼儀作法は学んでおいて損は無い。もしかしたらもっと上を目指さなくてはならないかもしれないから、やはり礼儀作法の習得は何処かでしなくてはならないだろう。
《でもこの規模の商会なら礼儀作法も…………まあ長女や次女の子供達でもう手一杯か》
うん、そうだと思うよ。あと商人としての貴族への接し方と魔術師貴族への接し方は違うしね。
《そりゃそうか》
魔法のレパートリーを増やすにも限界が出てきている。奇抜な発想に事欠かないスイキョウさんのお陰で新しい魔法をいくつかは作っているものの、既存の魔法を習得してからなら更なる発展も望めるはず。父さんに学んだ魔法も本から会得した魔法も、もう既にそれなりのレベルにはなっているし。
塾に行けば、僕の知らない魔法を知ることができるかもしれない。
でも…………。
「でも………………お金は?」
私塾に一月にかかる費用は大体20万セオン前後と本で読んだことがある。これが公塾なら60万〜100万セオンは必要になる。父さんが残した遺産は首都の国営銀行にあると思うし、父さんが無くさないように鍵を僕に預けていたけれど、取りに行くのは距離的に現実的ではないし、確か半年の間なんの出し入れもなければ国が没収してしまうのでもう無いだろう。
だから今ある大きなお金は父さんへの貴族からの報酬金。でも1年13ヶ月、月々20万セオンで、塾は大体3年〜6年程の時間をかけて卒業になるから…………
「(最低でも総額780万セオン…………父さんへの報酬が幾らだったかは知らないけれど、負担が大きすぎるよね)」
それに塾で使うあれこれもだいたい家で用意するから、3年間で更に20万セオン程度は必要になるはずだ。よって卒業まで最低800万セオン。簡単に出せる金額ではない。
けれど母さんは気にした様子もなく、ふふっと笑うと僕の頭を優しく撫でた。
「実はね、アルム…………お金のことはちっとも問題じゃないの。父さんはね、実は貴方の為にこっちに居着いてから別にお金を貯めていたのよ。それに毎月お祖父さんも何だかんだ理由をつけて多めに給金をくれるの。だから父さんの遺してくれたお金はまるまる残ってるし、それどころか最近は貯蓄が増える一方なの」
ん?てっきり足りていないものだと思っていたけど、違うのかな?
僕が不思議そうな顔をすると、母さんは可笑しそうにクスクス笑った。
「貴方のおかげよ、アルム。アルムが狩りを始めてからはいいお肉がタダで手に入るからわざわざ高いお金を出してお肉を買わなくて良くなったし、食べれる果実とか山菜もとかキノコとか狩りの途中で集めてくれるでしょ?内職の手伝いも随分上手になって、もう母さんよりも上手な物だってある。それに貴方は、おやつが食べたいとか言ったりもしないし、服だってお母さん……お祖母さんがくれるし…………馬のエサ代も、お祖父さんが払ってくれてるしね」
《確かに食費はアルムのお陰でだいぶ浮くわけだ。後は野菜程度で、服なども祖母が負担してくれるとなれば、小難しい税金とかもあまり無いわけで、支出が減るのか》
ジュウミンゼイとかショトクゼイ、コウネツヒとかも無いしな〜、とスイキョウさんは呟いているけど、またまた聞いたことのない言葉だ。あとで意味を教えてもらおう。
「どう、アルム?実はね、父さんともいつかアルムを塾に通わせようか、って話はしてたの。父さんも貴族とかのやりとりでルールとかにはかなり苦労したみたいだから」
「父さんが?だったら行くよ」
《お前やっぱり結構重度のファザコンだよな》
スイキョウさんが呆れたようになにかを言うけれど、父さんの勧めが間違っていたことはない。それに僕のあらゆる師匠は父さんだ。父さんがそう考えていたなら異論はない。
「そう?ならよかった。お祖父さんはゼリエフ私塾を勧めてくれたのだけれど、アルムは自分で選びたい?」
「わからないからなんとも言えないよ。そのゼリエフさんってどんな人?」
どこかで聞いたような名前の気がするけれど、いまいち思い出せない。誰だっけ?
「ゼリエフさんはね、農民の生まれだったけれど、魔法の才能があって最終的には魔導師団の尉官まで上り詰めた立志伝中の人なのよ。退役して貴族位は自主的に返上したけれど、貴族との関わりもまだあるみたいだし。それにね、実は母さんと父さんが出会ったキッカケは、ゼリエフさんなの」
「あ、父さんも何か言ってた気がする」
そうだよ、確か父さんがこの地に来たのもゼリエフさんって人がどうとか言ってたちょこっと言ってた気がする。恥ずかしがって詳しくは教えてくれなかったけれど。
「ふふふ、ゼリエフさんは軍所属だったけれど、父さんも私兵として駆り出されてそれなりに共闘をすることもあったらしいの。父さんに出会った時は既に貴族位を持っていたみたいだけれど、その出自もあって貴族じゃない父さんにも気さくに話しかけてくれてたみたいでね、父さんの境遇にも同情してくれてたみたいだし、なにかと父さんの面倒をみてくれたみたいなの」
「なんかちょっとだけ聞いたことあるかも」
「そう?ゼリエフさんはあの人の恥ずかしい過去も結構知ってるみたいでね、ゼリエフさんの前だと頭が上がらないみたいで、父さんもおとなしくなっちゃったのよ。父さんにとってゼリエフさんはもう1人の父親みたいだったのかもね。だから遠方に去る前に、挨拶だけはしとこうと思ってゼリエフさんの住むこの街に父さんは来たそうよ。その時に父さんと私塾の手伝いをしていた私を引き合わせたのがゼリエフさんなの。ゼリエフさんがいなかったら、アルムは生まれていなかったかもね?」
父さんと母さんの馴れ初めにそんな裏話があったなんて知らなかった。でもそういう事なら、ゼリエフさんは父さんの事もよく知っているはず。
《アルム、思わぬ所に凄い手掛かりがあったな。現役時代に接してたってことは、アルムの父親が誰に仕えていたかも把握してる可能性が高いぞ》
「(そうだね、こうなるとなんとしてもゼリエフさんに会わなきゃ)」
どこから手をつけるべきかも怪しかったけれど、ゼリエフさんに話を聞ければもしかしたら一足飛びで真相に辿り着けるかもしれない。
《あまり大きな期待をするとコケた時に痛いが、それでも何か情報は得られるはずだ》
「どうしたの、急に黙り込んで?」
ついスイキョウさんと話し込んでしまったが、母さんは心配そうな顔でこちらを見ている。
「ううん、何でもないよ。でも父さんは恥ずかしがってそういうこと全然教えてくれなかったから、ちょっと驚いただけ」
「なら良かったわ。父さんもゼリエフさんは実戦用魔術師だってよく言ってたわ。多分口ぶりからして、あれは彼なりに評価していたのでしょうね」
農民から尉官って運も必要だけれど相当の実力がなければ無理だろうからね、たしかに強そうだ。
「軍の教官も務めていたみたいだから、教え方も上手らしいの。わざわざ隣街からゼリエフさんに教わりに来る人もいるみたい」
「凄いね…………でも、そんな輝かしい経歴なら、公塾で教鞭をとることだってできたよね?」
立志伝中の人で、実戦的な魔法に秀で、軍の教官まで務めたとなれば何処の公塾だって諸手を上げて歓迎してくれるはずだ。
「もう貴族は懲り懲りなんだって。だからわざわざ貴族位まで返上して早々にこの街に引きこもってるみたいよ。たぶんそんな人だから父さんとも仲が良かったのでしょうけどね」
父さんが認めた人か。一体どんな人なんだろう?会うのが楽しみだなあ。
僕がちょっとワクワクしていると、母さんが先ほどよりも静かな声で話しかけてきた。
「アルム、もう一つ聞きたいことがあるの」
「…………なに?」
母さんの表情は部屋が暗いのではっきりは見えないが、少し悲しげな気がした。
「あのね、私塾に通い始めるから、こっちに引っ越して来なさいってお祖父さんが言っているの。アルムは嫌かしら?」
確かに私塾に通い始めるなら街に向かう頻度は上がる。母さんの後ろに跨り馬で通うのは大変かもしれない。でもあの家は、母さんが凄く大事にしている家だ。父さんが頑張って建てた家で、母さんへの最初の贈り物だって知っている。
「母さんはいいの?だって、あの家は……」
「私は妻であると同時に貴方の親なの。私は貴方のことを1番に考えたい。だから、アルムの為なら構わないわ。たまに戻ってお掃除はしようと思うけど、先のことを考えたら、ね?」
掃除って言ったって、あそこは野生動物もウロウロしているし、実は家を守る為の使い魔も配置しているけど契約的に長時間家から離れられない。でも、母さんの後ろに乗っていた時に思ったけれど、母さんはもう馬に長時間乗るのが辛そうだった。きっとこの先家を出たら母さんは1人になっちゃうし、どうしよう。
《外野から口を出してもいいか?》
「(うん、なんでもいいから聞かせて)」
僕が悩んでいると、スイキョウが助け舟を出そうとしてくれるので僕はすぐに飛びついた。最近なにかと頼りがちになりそうだから気をつけなきゃ。
《そうか。まあ俺の意見としては、引っ越し自体は賛成だ。将来の事とかアルムの母さんの身体の事を考えるなら、機会がある今、引っ越してしまうのがいいだろう。ただしこの商会に居候は反対だな。アルムの母さんも、2人暮らしでなくなったらアルムの世話を焼くことをできなくなってしまうしな。【極門】の使用にも気を張らなきゃなくなる。どこか街中の手頃な場所で2人暮らしできないか?》
「(世話って焼きたいものなの?)」
《アルムは俺から見ても手がかからなすぎるからな、母親としてはもっと色々してあげたいと思うぜ?》
そっか、そんなこと考えたこともなかった。父さんには、『母さんのことは困らせたりするんじゃないぞ』とはよく言われてたし。
《複雑な親心って奴だよ。で、提案だ。あまりアルムの母さんの願い通りとは言えないが、家をまるごと【極門】に収納できないか?多分それが1番安心できるんだが。イヨドの手を借りたらなんとかなっちまう気がするんだよ。踏ん切りをつかせるって意味でも、あの家から出るのは大事な気がする。でもそうだな、もし万が一アルムの父さんが実は生きててひょっこり戻ってきた時のために、何か分かるような魔法でもかけておけばいいんじゃないか?》
「(スイキョウさんは父さんが生きているかもしれないって思うの?)」
《可能性としてはなんだってありだと思ってる。最初から全部希望を捨てる必要もないと思うぜ》
僕はスイキョウさんのその言葉を聞いて、色々と覚悟ができた気がした。そうだよ、いつか元通りになるかもしれない。だから、家は絶対に守らなきゃ。
「母さんに逆に聞いてもいい?もし僕があの家を異能の力で、【極門】の中でとっておけるとしたら、どう思う?」
母さんはその返答が意外過ぎたのか、目をパチクリして困惑した表情になる。
「どうって、そもそもそんなことできると思わないし、なんでそん事をしようと思ったの?」
「絶対に残しておきたいから。僕は、父さんがあっさり死んだなんて思ってないよ。僕は父さんがどれほど強かったか知ってるし、父さんが誰よりも家族思いで、死ぬぐらいなら逃げ出すような性格だってことも知ってる。もし生きてたら、どこにいてもどんな手を使ってでも必ず連れてくるよ。そうしたらいつかまた、3人で暮らしたいとも思ってる。父さんが残したあの家は、僕だってすごく大事にしたい。だから安全にとっておくとしたら、【極門】の中が1番安心できる」
「アルム、あなたは…………」
母さんは僕をギュッと抱きしめると、声を押し殺して泣き始めた。
「貴方が頑張りだしたのは、そういう事のなのね?」
「僕はやっぱり父さんが戦死したなんて、信じていない。頭ではわかってたつもりだけど、心が、そうじゃない、父さんがただ戦死なんてするわけがない、って思ってるんだ」
「ごめんなさいアルム。貴方は私よりもずっと強かったのね」
痛いぐらいに母さんは僕を抱きしめる。
父さんとは、母さんを泣かせていいのは家を出るときだけだって約束してたのに、また泣かせてしまった。
「違うよ母さん。僕は、僕は背中を押してもらったんだ。僕1人じゃ前を向けなかったけれど、今はね、もう大丈夫なんだ」
《………………》
僕がそう言うと、母さんは力を緩めて、涙を拭いながら僕を見た。
「誰に背中を押してもらったの?」
「今はちょっと言えないんだ。でも、僕はその人のお陰で色々頑張ってみようと思えたんだよ」
「母さんには言えないの?」
「勝手に言えないよ。今だってこうして話していることだって駄目かもしれない。でも、いつかは紹介できたらなって思う、尊敬のできる人なんだよ」
母さんはジッと僕を見つめて、何も言わずにもう一度抱きしめてくれた。
「…………どうしても言えないの?」
「うん。でも貴族とかそういう人じゃないよ。あまり知られちゃダメだから、言えない」
僕がきっぱりと言うと、母さんは少し溜息をついて頭を撫で始めた。
「一度しっかり決めると揺らがないところ、父さんそっくりね。でも約束して…………危ないことはしないって」
「魔術師にとっての危ないを説明するのは難しいことだと思うんだよね」
僕がそう言うと、泣いているものの母さんはクスッと笑った。
「言い訳まで父さんと一緒。あの人の変なところばかり似てるんだから」
確かに見た目はほとんど母さん似だ。髪色と眼の色は父さん譲りだけど、それ以外はこれといって父さん似だと思える外見の特徴はない。性格もどちらかと言えば母よりだと周りに言われるし。父さんからそれ以外ではっきり受け継いだのは魔法の才能と【極門】くらいだ。
一度笑って暫くすると落ち着いたのか、母さんは静かに言った。
「アルムが大丈夫そうなら、引っ越しましょう。家はアルムに預けていいのね?」
「うん、任せて」
僕がそう答えると、母さんはギュッと最後に僕を抱きしめてふーって脱力した。そうすると、色々と疲れていたのか母さんはすぐに眠りに落ちた。
◆
「(………………ごめんなさい)」
《何が?》
僕が心の中謝ると、スイキョウさんはすぐに応えた。惚けているけど、多分お見通しだと思う。
「(2つの意味で。母さんに隠し事をした事と、スイキョウさんのことを勝手に喋ったこと)」
スイキョウさんは以前に言っていた。魔法はまだしも異能なんてものがある。もしかしたら意外なところで俺の存在がバレるかもしれない。だから絶対に安易に話してはいけないと、それがたとえ家族でも……と。
《泣いている母親のためにアルムなりになんとかしようとしていたのはわかる。まあ、辛口に言うなら今のはちょっと軽率だっただろうな。ほかにうまい言い方もあった。でも、母親に出来るだけ不義理なことはしたくないって気持ちは人間として正しい事だろうし、その後全てを話さなかったあたりアルムは自分なりにちゃんと考えて話していたのは理解できる》
こういう時ほど顔が見えないのは不便だと思う。スイキョウさんはなんとなく自分の気持ちを隠す事が上手だと思うから。
考え事をする時に全てが筒抜けにならないような方法を見つけたのもスイキョウさんだ。蓋をしっかり閉めるイメージを念じるんだって説明してくれたけれど、そもそもそんな技を身につけようと思い、実際にできる辺り、スイキョウさんは僕に全てを打ち明けてくれるわけじゃないんだと思う。
けれど、それを僕に教えてくれた理由は全くわからない。多分聞いてもうまく丸め込まれてしまう気がする。明け透けなようでいて、スイキョウさんはいつも何かを隠してるんだ。
《まあ、色々言ったがぶっちゃけあまり気にしてはいない。今の状況や会話で強く疑問を覚えることは無いだろうし、特段不自然でもない。明らかに強キャラ感あるイヨドでも多少の違和感を感じる程度なのに人間がそう簡単にわかるか、って言う客観的な疑問もある。言わないに越したことは無いってだけだ。今回は相手が母親で、状況的にも考慮すべきことは多分にあったからな、だからそう重く捉えるな》
スイキョウさんはふざけてみたり子供らしさを見せつつも、やっぱり根本的には頭のキレる大人だ。自由なように見せてるだけで、甘えさせてくれてるし、導いてくれる。でも今も胸の内で何を考えているか、僕にはわからない。わからない事だらけで、恩を受けてばかりで、僕ではどうにも勝てない。
けれど信じたい、いつかはスイキョウさんが全てを話してくれる事を。だから僕はスイキョウさんを信用して、信頼したい。凄く近くにいるのに、何処か感じる距離がいつか無くなる…………その為にも、僕は立ち止まってる暇はないんだ。
でもそれを今いきなり打ち明けるのは恥ずかしい。心に蓋をしても漏れているんじゃないか、スイキョウさんは見抜いているんじゃないか、そんな気もする。でも頑張ることには変わりない、そう思い決意を新たにして、僕は眠りについた。




