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インベントリの虚空に仕舞われていたあれこれを出して、お茶の用意をするアルム。今回は鎮静作用のあるハーブティーを選択して4人の中で最もお茶を淹れるのに長けたジナイーダがハーブティーを煎れる。
いきなり現れたラレーズだがまだアルムの足の上に座って一緒にハーブティーを呑んでいる。5人は無言でハーブティーを飲んでいたが、ハーブティーの温かさや熱いハーブティーを頑張ってフーフー吹いて冷ましているラレーズの可愛らしい姿のお陰で、重苦しい空気は今や部屋のなかに立ち込めていなかった。
そして皆がハーブティーを半分ほど飲んだところでようやく本調子になったアルムが話し出す。
「さっきのフェシュアの質問の答えなんだけどね、殺し合いをしてるつもりは無かったよ。と言うより塾長が死なない確信があったんだよね」
はて、これはいったいどう言うことか。
不思議なことを言い出したアルムにフェシュア達は話の続きを促すようにアルムを見つめる。
「キヒチョ塾長がただの武霊術使いなら耐えきれないだろうけど、塾長は加護持ちだからね」
アルムの言葉にジナイーダは心当たりのあるのか微かに目を見開き、フェシュアとレシャリアは首を傾げた。
「私も、低等部の時に噂で聞いたことがあります、キヒチョトエクウ塾長は大地の精霊より加護を受けていると」
「大地の精霊に遭遇し力を与えられた塾長は、大地に脚が付いている限り強靭な肉体、それによる類稀なる怪力を発揮しどの様な傷を負っても直ぐに治る。その力を以てして塾長は大将の地位まで登りつめた。塾長が眼帯なのは、精霊に遭遇した時に力の対価として奪われたから」
ジナイーダが自分の知っていることを話すと、そこにアルムが詳しい補足をする。その内容にはフェシュアもレシャリアも唖然としていた。ただ、フェシュアの見た目は無表情だ。だがフェシュアが驚いている事をアルムはなんとなく察することができた。
「一応ね、試験の後にキヒチョ塾長に関しては色々と聞く機会があったんだよね」
キヒチョ塾長についてアルムが誰から話を聞いたのか。その人物はアルムの恩師であるゼリエフだ。
アルムが故郷へ里帰りした時にアルムはゼリエフの元も訪ねている。その時にゼリエフからキヒチョ塾長に関して色々と教えてもらったのだ。
ゼリエフは帝国の軍の中で1番のヒラから尉官まで登り詰めている。そんな彼にとって大将の地位についていたキヒチョ塾長は上官にあたる。
同じ戦場で戦った事もあるし、実際にキヒチョ塾長が戦っている所を見た事がある。と言うよりも、ゼリエフにしっかりとした徒手空拳を仕込んだ人物こそキヒチョ塾長である。
現役時代、魔術師ながら最前線で戦い続けたゼリエフは良くも悪くも目立っていた。それは遙か上の地位のキヒチョ塾長の耳にもその噂が届くほどだった。
師弟関係があったわけでは無い。興味を抱いたキヒチョ塾長が気紛れに何度かゼリエフと模擬戦をして少し指導しただけだ。そして周囲の反対、特に貴族連中を黙らせてゼリエフを指導教官に任命したのもキヒチョ塾長である。
その後にキヒチョ塾長自身は退役し、ルザヴェイ公塾の副塾長の地位に収まった。なので直接しっかりとゼリエフと会話した事も無いのでキヒチョ塾長自身はもうゼリエフの事は朧げにしか覚えていない。
だがゼリエフからすれば現役時代でもっとも記憶に残っている相手であり、模擬戦の相手をして貰って以降ずっとその大きな背中を目標としていた。
だからこそゼリエフはキヒチョ塾長に関しては少し情報を持っており、キヒチョ塾長には大地の精霊の加護があると教えてくれたのだ。
無論、ゼリエフもジナイーダ同様に噂に聞くだけだったが、ゼリエフは信じていた。戦場で実際に駆け回るキヒチョ塾長を間近で見ていたゼリエフはその強さについて熱く語ってくれた。
アルムも実際にもう一度対面するまでは半信半疑だった。だがアルムは2回目に塾長と接触したときにその噂が真実であると気付いていた。
探査の魔法とは、一度探査済みの物に対してはその精度が一気に上昇する。
そしてアルムがキヒチョ塾長から探査の魔法で得た反応が、ごく僅かながらザリヤズヘンズの使役する精霊に近い物と似た反応を示したのだ。
それは本当に極々僅かだが、確かに人の域を超えた力が宿っているのに気付いたのだ。
故にアルムも派手に魔法をぶっ放していたが、キヒチョ塾長が死なない事は元々確信していたのである。
致死性の毒も泥の竜巻も武霊術で幾ら肉体を強化していようと気合で耐え切れる物では無い。それを耐え切れる力を与えるのが精霊の力なのだ。
先ほどの模擬戦、アルムが実際に行っていたのは戦闘と言うよりも精霊の力についてのデータ収集である。
どの魔法ならよりダメージを受け、通用するのか。異能とは異なる超常の力はアルムとスイキョウにとって非常に興味深いものであり、実際先ほどの模擬戦も色々とスッキリはしないが精霊の力に関してはすでにだいぶ測る事ができていた。
あの場に於いて本当の意味で実力を計られていたのは何方なのか。キヒチョ塾長がアルムの本気を引き出そうと無茶をした様に、アルムも精霊の力を観測すべく今回ばかりは切らなくていいはずの手札、空中歩行などの曲芸を披露したのだ。
ただ、キヒチョ塾長が予想より遥かに攻めてきたが故にレーザーの魔法まで使ってしまったがそのお陰で精霊の力のポテンシャルを測れたので結果オーライといえるだろう。
「ーーーーーーーーーそんな訳で、キヒチョ塾長が死なない確信があったんだよね」
アルムはそんな実情を少しボカしてフェシュア達に語ると、フェシュア達はなんとも言えない表情になる。
今までの話をまとめてみてよく考えても、一歩間違えばどっちかが死んでしまう様な戦いだったのだから。
だがもう終わった事をとやかく言っても仕方がないことはフェシュア達も理解している。なので別の話をアルムに振ってみることにした。
「ところでウィル、キヒチョ塾長の精霊の力って結局何だったの?」
何処から何処までがキヒチョ塾長の力で、何が“精霊の力”なのか具体的に分からなかったフェシュアがそう問いかけると、レシャリアもジナイーダも聴きたそうな顔をする。
「うーん、そうだね…………………戦っていて実感したけど、1番思ったのは魔法に対する防御力が途轍も無く高いって事かな?」
てっきり塾長な異常な生命力を挙げると思いきや、魔法に対する防御力を1番に挙げたアルムに少し不思議そうな顔をするフェシュア達。
だがレシャリア含めて知識がだいぶついている彼女らは何となくアルムの言わんとしている事を少しの思案の後に察する。
「魔術師からすると魔法は本来、魔力障壁とか対になる魔法が防御になるよね。でも魔力が操作できない武霊術使いは自らの肉体を強化して耐え抜くか、極端な例だと塾長がやって見せたように魔力より上位の力である霊力を使用する事で周りの魔力を歪めて魔法自体を破壊することで魔法に対抗できるんだよね」
それはアルムとの模擬戦でも塾長がやった事であり、あの異常な防御方法はフェシュア達の記憶にもはっきりと残っていた。それ程までにあの防御方法はかなりでたらめな力の使い方だからだ。
「要するに、武霊術使いは魔力障壁が使えないって事なんだけどね。でも塾長の場合 ………………熟練の魔術師が攻撃の一切を捨てて全魔力を注ぎ込んで作り上げたような魔力障壁を常に纏っている感じなんだよね」
アルムが膝の上に座るラレーズの、どうやっているか不明だが既に人間と遜色ない肉感のラレーズの頬をプニプニと揉みつつ、あれは戦いづらくてね〜と少々愚痴る。
「あ、もしかして、魔法みたいな存在の精霊からの加護だから、魔力障壁みたいになってるのかな?」
そこでレシャリアが問いかけると、アルムは頷く。
「レシャリア、よく直ぐに気付いたね」
頭の回転がかなり速いフェシュアもジナイーダも辿り着けてなかった答えに辿り着いたレシャリアにアルムが内心驚きつつ称賛すると、レシャリアは照れたように笑う。
「うーん、ほら、精霊さんとは違うけどあたしのムカリンもそれに近いと言えば近いでしょ〜?だから精霊さんの加護も近いのかな〜……なんて思ったり?」
だから似てるかな〜って思っただけなんだよ?とレシャリアは素直に称賛するようなアルムの視線に照れつつ自分がなぜ気付けたかを説明するが、アルムの視線の称賛はより強まった。
「実は僕もムカリンがいたから気付けたんだよね」
アルムも模擬戦して3手目くらいまではもしかしたら、と思っていたが、レーザーの魔法があまり効いてないのを見て確信したのだ。
着眼点までアルムと一致していたレシャリアにフェシュアとジナイーダも称賛の眼差しを向けるが、レシャリアは少し恥ずかしくなって顔を頭の上から下ろしたムカリンで隠してしまった。
レシャリアは今までの育った環境や境遇だけに無知な部分が多かったし割と天然だが、今のレシャリアの知識量はかなり多いと言える。
だが周りにいるアルム、フェシュア、ジナイーダの3人、特にアルムとフェシュアの頭の回転力は頭抜けている。
なのでレシャリアは自分が頭はあまり良く無い方だと思いこんでしまっているがそれは全くの見当違いである。ただレシャリア視点だとジナイーダ含めて3人とも自分よりずっと頭がいい人だと思っているので偶然気づけたことを心底感心されるとちょっと恥ずかしいのだ。
閑話休題。
「レシャリアの言う通り、存在が魔法そのものと言っても差し支えないのが精霊なんだよね。その加護を受けてるからか武霊術使いのはずなのに魔法に対して強いんだよね。体感だと、すべての魔法の威力を5割以上下げられてるかな?魔力量自体は多分察知するのも困難な程低いけど、精霊の魔力だけあって質が桁外れなんだよね」
アルムはイヨドが召喚した火の精霊を通じて本来の精霊の規格外さをよく知っているが、その残滓程度の魔力でもアルムは手こずらされた。
「飽和攻撃なんてしててもあれはらちが開かない類だね。一点集中の攻撃でようやく破れた感じだよ。そこに更に武霊術の強化が加わるんだから、かなり強かったよ」
実際の所、キヒチョ塾長の戦闘能力は武霊術のみでも帝国最高峰である。そこに精霊の加護が加算される事で身体能力全てが上昇している。特にその怪力と耐久性は完全に人間の領域を超えている。
少し余談になるが、ではキヒチョ塾長ならば金冥の森を探索できたのではないか、と思うかもしれないが答えはNOである。
魔力というのはどんな物にも宿っているのだが、空気中にある魔力は全くの別物である。人間達が主に暮らしているエリア、あるいは金冥の森の3rdエリアまではまだ人間の住める魔力濃度である。
魔力を酸素の様に捉えるとわかりやすいだろうが、あまりに濃すぎる魔力は生物にとってはかえって毒でしか無い。魔重地に生息する生物が基本的に大きいのはそんな魔力に耐え得る為だ。
武霊術使いは魔重地に於いて霊力は阻害されない為に本来のスペックを十全に発揮できる。だがこれが4thエリア以降になると話が変わってくる。魔術師の様に安定して魔力が操作できない武霊術使いは魔力濃度が高過ぎる場所に行くとその影響をダイレクトに受ける。
言うなれば、体内の魔力が外部から入り込んでくる魔力に対抗すべく過剰反応するのだ。近しい例で言えばアレルギー反応を起こすと入れるだろう。この時、精神体と霊体の層が近しい事がかえって武霊術使いには大きなダメージを齎す。
体内魔力がアレルギー反応を起こし激しく乱れる事で霊体もその余波を食らってしまうのだ。
確かにキヒチョ塾長の場合は普通の武霊術使いとは大きく違う。アルムの魔法を半減させるレベルで魔法的影響に強い。だがアルムがそれを打ち破れたように、ある程度大きな揺らぎが有ればそのアドバンテージも無くなる。
アルムの様にピンチならワープホールで緊急脱出できるならまだしも、体力やその他諸々を削られた状態で6thエリアに突入すればその魔力濃度の高さから精霊の加護は殆ど力を失い、いくら奮闘しようと体力には限界があるわけで数分後にはキヒチョ塾長の死体が1つ出来上がる事請け合いである。
簡単に言えば、それだけアルムの【極門】は色々と反則的な能力を持ち合わせているのだ。今のアルムはスイキョウの助力ありきとはいえ金冥の森の6thエリアでも探索できる。つまりそれだけの魔力濃度がある場所できっちりと魔力の制御をしつつ、更に一体一体がキヒチョ塾長と同レベルの魔獣や魔蟲相手に戦闘をし続ける事が既にできるのである。
それにしてはアルムはあっさりやられたように思えるだろうが、あの模擬戦ではアルムは相当な縛りプレイしていたのだ。まず持ってうっかり異能やその他諸々の能力を発動してはいけないし、校庭を破壊しすぎてもいけない。塾長に再起不能なダメージを与えてもいけないし、精霊の力も計測したいし、と色々なことに思考を割いていた。
言うなればロックバンドのライブ会場で筆記試験を受けるような無謀さであり、戦闘に完全に集中し切れたとは到底言えない。
もしアルムが完全に自重せず戦闘が出来たら、もう少しアルムも善戦していたとアルム自身でも予測できる。
だがアルムはそんなことを負け惜しみのようにフェシュア達には話さないが、塾長の怪力や耐久力については述べた後にこう締めくるる。
「まあ、忘れちゃいけないのはさっきの模擬戦は完全に実力を測れたかどうかは怪しいけどね。僕はインナーの加護で色々とブーストが付いてたけど、キヒチョ塾長の場合は衣類に関しては本当にただ丈夫なものを着ていただけだったよ。木製の薙刀も薙刀自身のみを強化してるだけだったし、キヒチョ塾長自身には何のバフも無かったんだよね。もし僕がインナー無しでもう一度再戦したら…………………当然だけど相当苦しい戦いになるよ」
遺跡の怪物の素材を使用しイヨドが加護を与えたインナーは今現在その効能の全て最大限に発揮させてはいない。
イヨドも少し効果が高過ぎたと感じていたので幾つかの効能は制限をかけることにした。
だが制限をかけてなお相当のブーストが得られるので規格外な装備には違いない。
そんな装備をしている自分と装備に関するブーストは一切無しのキヒチョ塾長を鑑みて先程の模擬戦について考えると、アルムとしては決して誇れる結果ではなかった。
「まあ、まだまだ精進しなきゃね。1番いいのはまたキヒチョ塾長と模擬戦ができる事だろうけど………………まあ難しいよね」
アルムは少々冗談めかしてそう言うと、フェシュア達もクスッと笑うまでは言わないまでもあるアルムが冗談をいうくらいには精神的に落ち着いたのを察して部屋の空気も温和になる。
ただ……………その冗談が本当になり、アルム、のみならず第一席次から第八席次のレグルスまでは追加講座のたびに更に皆と違う訓練を、具体的はアルムが一対一だと勝てないと踏んだ魔術師の教官や塾長本人が出張ってきて毎回毎回模擬戦をすることになるのは今のアルムには全く予想もできない事だった。




