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初めての追加講座を終えて、フェシュア達をはじめとして色々言いたいことはあった。だが一度話し始めたらずっと話し続けてしまう。
だから今は我慢。
そう心に念じて彼女らは周囲の生徒が声をかける暇もない程にさっさと寮に戻ると浴室で身体の汚れを洗い流す。そして髪の毛が乾いても無いような状態でアルムの部屋に押しかけた。
そしてそうなる事を予測していたアルムは、掃除の魔法で身体を清めてフェシュア達を直ぐに出迎えた。
「ウィル、さっきのは本当に模擬戦?」
それからアルム達は誰ともなく炬燵に入りしばし黙っていたのだが、これもまた予想通りフェシュアが口火を切った。
フェシュアの表情や声は平常そのものだ。そこに含まれた感情は読めない。だがアルムは彼女らの言わんとする事を察して言い直す。
「殺し合いをしていたように見えた?」
それは温和なアルムらしからぬ率直な物言いだった。しかしその声や表情は至って普通で、彼女達はアルムの内面が読めない。厳密に言えば、まだ頭が戦闘モードから完全に切り替えが完了していないアルムにペースを乱されているのだ。
いつもアルムから感じられる温和な雰囲気や暖かさは今は感じられ無い。寒空の下、月光の元で輝く凍えるように冷たい刃のような、超然とした雰囲気を放つアルムに呑まれているのだ。
だが彼女らがペースをかき乱されるのも無理は無い。このモードになったアルムを見た事があるのはアルヴィナとレイラの2人だけ。その二人でも一度しか見たことがない。
アルヴィナは雪食い草の騒動の時に、レイラはファーストコンタクトで、戦闘モードに完全に頭が切り替わってるアルムを見ているがそれだけだ。
そのオーラは圧倒的で、現に他の生徒は、周囲の空気に左右されないヴェータやいい意味で空気を読まず動けるレグルスでさえ追加講座が終了してから一言も話す事が出来なかった。
その点、終了直後にすぐにアルムの傍らに行き塾長を治療したり校庭を整備したりと自分の出来ることをテキパキと熟せたフェシュア達は上出来の部類である。
アルムは、特にスイキョウと言うブレーンが付いているアルムは戦闘に於いて限界スレスレで戦い続けるような無謀な真似はしない。
腹八分、と言う訳では無いが余裕を持って戦闘をするようにしている。それを踏み越えて無理をする時などイヨドの拷問鍛錬の時ぐらいである。
常に冷静になるように心がけているアルムが戦闘モードに頭脳を切り替えると、冷徹な殺戮兵器に早変わりするのである。
いや、厳密に言えばこの状態のアルムをアルヴィナもレイラも見たことがない。
盗賊を全て駆除して自らの手を真っ黒な血で染め上げて、イヨドの拷問鍛錬第二弾で精神的強度を上昇させ、遺跡探査で死戦を潜り抜け、そしてアルヴィナを自らの物にした事で、アルムの中でより強固な覚悟が出来たのだ。
敵には容赦はしない。
自分の大切な物に触れようとする害虫はどんな手を使おうと駆除する。
だからこそ―――――――それがどんな敵であっても立ち止まる事は絶対にしないと。
結果としてアルムの中に冷徹な殺戮兵器が生まれた。戦闘に対する興奮と理性が釣り合った、冷たい水が煮え立つ様な戦闘における理想の精神状態を作り出す事が出来始めていた。
ただし、まだまだ切り替えが上手くできていないあたり未熟とは言えるのだろうし、アルムも元々キヒチョ塾長相手にあの様な大太刀周りを披露する気はなかった。
ではなぜあそこまで過剰な反応をしてしまったのか。遺跡で死戦を潜り抜けた時ですら負傷しなかったアルムが、イヨド相手以外で長らくダメージをくらった事がなかったアルムにとって模擬戦中に両腕を折られるのは本人が思っているよりも生物的な危機本能を刺激されたのだ。
アルム自身でも精神状態を何とか元の状態にしたいのだが、最後の塾長の一撃といい予想より早く模擬戦が終わってしまった事といい不完全燃焼気味なのが尾を引いていた。
本音を言えば、【極門】を使用して戦闘がしてみたかった。はっきり言ってしまうと、アルムは塾長相手では気が抜けないと思いつつも万が一うっかり【極門】を使わないようにしなければならないとずっとそればかりに思考を割いていた。つまり戦闘にあまり集中できていなかった。それが余計にアルムにとってはスッキリしないのだ。
フェシュアもレシャリアもジナイーダも、そんな冷徹な殺戮兵器のモードのアルム相手に気圧されつつも目は逸らさない。故にアルムとて早くこの状態から解き放たれてしまいたいのだが上手く感情を昇華できなかった。
そんなアルムに対してスイキョウは何も言わなかった。自分が言えば宥める事ができるとは思ったが、今回はアルムが自力で乗り越えるべきと判断したのだ。
されど、なかなか動かない状況にスイキョウもどうしたものかと思ったが、ロフトから緑色の影が飛び降りてきてアルムにギリギリで抱き留められる。
その緑色の影は果たしてラレーズだった。ラレーズはロフトにあるベッドの枕元にアルムに植木鉢を用意してもらいそこに自らの種を入れておいたのだ。種から種へ自在に転移するラレーズはアルムの方に向いてアルムの上に座る。
そして徐にアルムの頬をぐい〜ッとラレーズは引っ張った。
『パパ、わらって!ラレーズは、わらってるパパが好き!わらってるだけであかるくなれる!えがおをわすれたらおしまい!ヴィーナねえちゃがそういってたの!』
ラレーズは自らの思念をぶつけると、アルムのほっぺをグニグニ引っ張り笑ってみせた。
そんなラレーズの笑顔を見せられるとアルムの中にあった燻りが急速に小さくなっていく。それはラレーズの笑顔によるものか、あるいは自分の娘の様な存在に宥められてる自分が情け無いからか、それはアルム自身もわからない。しかし精神状態が戦闘モードから切り替え始める事ができたのは確かだった。
「ちょっとお茶でも飲んで仕切り直ししようか」
アルムはラレーズを撫でると2、3度深呼吸する。そしてまだ本調子とは言えないが微笑んでみる。
それをみてフェシュア達は少しホッとしてアルムに笑みを返すのだった。




