159
アルムが塾長と模擬戦をする為に校庭中央に歩いていく途中、レキアウスがヘルクートに問いかける。
「え、噂には聞いてたけど、本気でやるの?キヒチョ塾長って……………」
「帝国軍でも最も上の大将の地位まで上り詰めた御仁だ。その実力は今なお聖騎士様方と同等と言われている、生ける伝説があのお方だぞ」
軍派閥が集まる緑角組と青鱗組のクラス長だけあって、レキアウスとヘルクートは遥か昔に退役した軍属の人物も知っている。
彼等はキヒチョの塾長を学びを受ける為だけに、わざわざ他の衛星都市から此方へ自分と従者達だけ移住してルザヴェイ公塾・低等部の段階から通っていたのだ。
「アルム君、死なないよね?」
「手加減は当然してくださると思うが…………」
一体どうなる事かとレキアウス達が見ていると、ヴェータが急に話に割って入る。
「アルムって異能は持ってないわけ?なのに首席?」
ヴェータの質問は不躾だしまるで異能持ち以外を認めてないような言い方だが、本人にその気はない。無いのだが、先ほどの模擬戦でヴェータの戦闘能力を知らしめられた第九席次以下の者達は怯えるようにビクッと震える。
普通なら多少は憤る事もあるかもしれないが、異能持ちの隔絶した能力をヘルクート、レキアウスと続けて見せられて、ヴェータ、ジナイーダの人智の及ばないクラスの異能を見せられては彼らの自信もバキバキにへし折られてしまう。
特に比較対象が悪過ぎるだけで実力がそこそこある彼等は模擬戦を見ればそこにある自分との大きな実力差がはっきりわかってしまうのだ。わかってしまうだけの実力と賢さがある。そんな状態で、ヴェータの鋭い声でそんな事を言い放たれたら怒りが湧くより萎縮してしまうのである。
そのマイナスの空気に反応したジナイーダは、ようやく冷静さを少し取り戻しフォローを入れる。
「結果が全てですよ。アルムさんは異能無しで私達の上に立っています。その実力は今から分かりますよ」
ジナイーダも、アルムとキヒチョ塾長の模擬戦には注視ししていた。
それはさっきの衝撃的な出来事に未だ動揺を引き摺っているフェシュアとレシャリアもである。
彼女達は魔重地には連れて行って貰っていたが、その後は別行動をしているのでアルムが本気で戦闘をしている姿を一切見たことがない。自分たちと模擬戦をしたり鍛える為にアルムが魔法で攻撃をしてくる事もあるが、それを戦闘と呼べるとはフェシュア達も思っていなかった。
魔法の開発や伝授に於いてその実力を垣間見ても、やはり本気で戦闘するアルムは見たことが無いのだった。
全員の注目を集めながら少し離れた位置で向かい合った塾長とアルム。
塾長がその後少し喋り気合いを入れて構えた瞬間、空気がビリビリと振動した。
「霊力が凄過ぎる!ただの余波でこれ?」
「は?これ霊力なん?」
生唾をゴクリと呑み目を見開いて慄くレキアウスがポツリと呟くと、ヴェータが更に鋭い声で問う。
「そうだよ。でもレベルが違う」
そんな塾長に怯えることなく拳を構えたアルムにヘルクートは目を細める。
「やはりただの魔術師ではない。近接格闘にも熟達した者の動きだ」
塾長の霊力に応えるように膨大な魔力がアルムから揺らめき、ヘルクートとは違った視点でヴェータは目を見開く。
それから20秒ほど何も状況が動かず、ただジッと周りはその光景を見つめていた。
あまりに動かない状況にレキアウスがまた口を開こうとした次の瞬間、何が起きたのかを正確に認識できた生徒は金属性魔法であらかじめ感覚を極限まで鋭敏化させていたフェシュア、レシャリア、ジナイーダだけだった。
他の生徒には光が見えた後、塾長の動きがブレて雨が降り出すと同時にアルムが跳躍している光景だった。
まるでその間にあった時間がスッパリとカットされた様に、紙芝居のページを1つ抜いてしまったように、前触れもなく一瞬で状況が変わった。
それに対してヴェータは反射的に異能を発動し視覚を強化。レキアウスとヘルクートも武霊術で視覚を強化した。
そんな彼等が見たのは、なにも無い空間を蹴って疾走するアルムの姿だった。
「はあ!?空中走ってるし!!」
「あれは、異能とは違うのか?」
ヘルクートが皆の思いを代表したようにポツリと呟くと、今まで沈黙を保っていたフェシュアが口を開いた。
「あれは異能ではない。魔力塊を移動したウィルの絶技。自分の足に超強固な魔力障壁を形成しピンポイントで魔力塊をぶつけている」
そのフェシュアの説明を聞いても、武霊術使いは当然として魔術師の生徒、更には教官まで意味が分からん、と思う。
しかし、実際に魔力の流れが魔力眼で全て見えているヴェータはその意味が理解できてしまった。
アルムの避けた斬撃はそのまま教官や生徒のいるゾーンにまで飛んできたが、戦士の教官たちが巨大な盾を構えてフン!と気合を入れて受け止める。それでも教官達はその圧に押されて軽く後退した。
「いや、これ手加減足りてないって!直撃したらアルム君死んじゃうでしょ!」
その威力の異常性は武霊術使いだからこそレキアウスもよくわかり、ヘルクートもその威力にゾッとして嫌な汗が額に滲んだ。
しかしそんな事に反応できないほどの魔法が塾長に襲いかかるのを見てヴェータは唖然とする。
先程からヴェータも魔力の流れで魔法が発動しているのは分かるのだが、あまりにアルムの魔法のスピードが速すぎて全然なにがなんだか理解しきれないのだ。
つまりアルムの魔法速度がヴェータの知覚限界を完全に超えている事に他ならず、ヴェータは寒気を感じた。
しかしそんなことにも反応している暇がない程にまた状況が変わる。
一瞬で作られた太い槍の投擲、回避、そこからの光の矢が飛び出す理解不能な光景。そして塾長が何かに足を取られたように思えた次の瞬間、水滴の様な何かが空中で煌き、それと同時に塾長の姿が消えたかと思うとアルムが50m近く急に吹っ飛んだのである。
だが、不可解な現象は止まらない。羽毛の様な軽さになったように見えるアルムは衝撃を殺しつつふわりと着地する。
それと同時にアルムの雰囲気が完全に切り替わったのを実力上位者は気づく。
吹っ飛ばされた事で自分達との距離がかなり近づいたアルムから爆発するように膨れ上がった魔力が周囲に叩きつけられる。
それは魔法に素養を持たない武霊術使いの戦士でも鳥肌が立つほどの高濃度の魔力だった。
次の瞬間、アルムの目の前にザンッと針の壁が出来上がった。
其れに呆気に取られてる暇もなく数千の光の矢が全方位から塾長に向けて放たれたのを見て、皆はようやく塾長が跳躍して針を回避していたのに気付く。
そして殺意の高過ぎる光の矢が塾長にヒットするのを見届けることがないままゴウッと大量の水が塾長の下の座標から湧き立ち高速回転する渦へ変貌する。
その水流の回転のスピードの凄まじさや猛毒が練り込まれた事に気付いたのは生徒・教官合わせて5人未満。
その水流はすぐに茶色に変色し泥の竜巻へと変貌した。
アルムが編入試験で勝てないと思った魔術師の3人もそこには教官として参加していたが、彼等ですらアルムの魔法全てには反応できていなかった。効果が謎の魔法を超高速で使うのでそれを探り切る前に反応が消えるのだ。
しかし今回の泥の渦は形としてハッキリ見えたために、その魔法の殺意の高さに明確に気付いてしまう。
そしてそこに更にアルムが氷の刃を平然と加えた事にゾッとする。
自分の魔法の性質を完璧に理解している上で完璧に殺しにかかってる魔法構成にアルムの攻撃が洒落になってないと改めて気付いた。
それは色んな修羅場をくぐり、塾長の実力をよく知っている彼等ですら試合の中止を一瞬考えるほどだったが、心配無用とでも言うように竜巻が内部から爆発して崩壊した。
彼らにとっては無敵とも思える塾長が負傷をしているのを見て、教師陣はアルムの魔法のヤバさを改めて実感した。ただの理論ではなく、実戦に基づき計算された魔法の組み合わせとアルムの戦闘技術の成熟具合に慄いた。
だが、そこから更に放たれたアルムの魔法のはそれまでが前座だったと言いたくなる程恐ろしい物だった。
負傷している塾長に眉一つ動かさず、白い線が3本空中を凪ぐように動くと、針山がスパンと全て輪切りにされそのライン状にいた塾長の肌もザックリと斬られた。
続けざまに起きるは泥の波。
このタイミングでの非殺傷性の魔法には教官達も不思議に思ったが、その答えは吐き気を催す臭気で判明した。獣人の生徒は臭いで吐くを通り越して気絶するレベルの悪臭に誰もが身体の反応が鈍くなる。
次の瞬間、教官ですら思わず身構えるほどの魔力がアルムから膨れ上がり、塾長の居た場所に赤い氷像が現れた。
そこで遂にこれ以上は危険だと判断した教官の1人が終了の笛を鳴らそうとしたそのタイミングで、また時間がスッパリ抜け落ちた様に氷像が砕け散ると共にアルムの首に薙刀を振り下ろした状態で止まっている血塗れの塾長に皆は気付くのだった。
◆
アルムとの模擬戦を終えて、「初日はこれにて終了とする!」と言う塾長の号令で終了した初の追加講座。
アルムは我に帰るとまず胸を借りた事の礼を塾長に述べ、掃除の魔法で悪臭や汚れなどを消し去った。ここで謝罪するのは胸を貸してくれた塾長に失礼だ。故にお礼だけをする。
そこにフェシュアが来て解毒剤を塾長に直接注入する荒技をやってのけ、最後に全治1ヶ月レベルの裂傷だらけの塾長をレシャリアが全て治療していき、その間に校庭に火を放ちながらジナイーダが歩いてぬるぬるを無効化して整地し、4人で一緒に寮に帰っていた。
最後の最後まで塾長並び教官達を満足させるパフォーマンスを見せる彼等に教師陣の表情は気色に満ちていた。
「アフターケアまでバッチリだな!儂もあの臭いを垂れ流して校舎に戻るのは少々気が引けていたが、解決手段を持っていたが故だった訳だ!」
「いやあ、今の魔法ってサラッとやってましたけど多分超高度なオリジナル魔法っすよ?治ってないのは服だけっすね」
悪臭のする泥塗れかつ身体中裂傷や火傷で、見えてないだけで体内にも猛毒が回っている普通ならば満身創痍と言ってもおかしく無い状態の塾長だったが、泥も血もその他汚れは綺麗さっぱり無くなり、毒は全て無効化され、身体中の負傷まで全て完治していた。
元通りになって無いのは、鋭利なカッターを3回滑らせて直線上に切れたり、ナイフを何十本も突き立てられたように穴だらけの服だけだった。
アルムは最後に弁償するとまで言っていたのだが、塾長は高価な物でも無ければそもそも戦闘時の凡ゆる行動の許可をしているので気にするな、とその申し出は固辞した。
「そんなもの構わんよ!それよりも、皆もこのまま此度の事に関しての総括をこのまましようと思うが、異論は無いか?」
現在の時刻は19時を既に大きくオーバーしておりかなり冷え込んできている。しかし興奮している教官達は異議なしと頷いた。
これは毎年初回の講座で行われる会議なのだが、普通は屋内に戻ってから行う。春なのに身体の芯から冷え込むような寒さの中ですることではないが、「記憶が最も鮮明な今のうちにこの気持ちを共有したい」と皆の気持ちが揃っていたのだ。
生徒の能力に関する総括も披露順、つまり席次順に行われるが、28〜9迄は特に誰も何も言わず、例年通り簡単に纏められていく。しかし第八席次のレグルスまできて今まで塾長の評価に耳を傾けていただけだった教官達が口を開いた。
「確かに荒削りでは有りますが、彼はまだ成長の余地が大いにあると言えるでしょう」
「異能に関してもよりコントロールする力を身に付ければ、我々が霊力によって相手の攻撃を吹き飛ばす様なことと同じ事ができるでしょう」
【轟破】の異能を持ちながら、色々な部分で実力を伸ばそうとするレグルスの評価は教員の中でも高い。
しかし1人の教官は少し残念そうな顔をしていた。
「惜しむらくは彼に金属性魔法の素養がない事ですねえ。異能も、剣の腕前も、性格的な面から見ても完全な前衛タイプなんですがあ、完全な前衛を担うには異能による防御が相当成熟しないと危ないですねえ」
それは塾長並び他の教官も同意するところだったが、では我々はより高い防御の力を彼に身につけさせるべきだな、と塾長が纏めた。
「さて次に第七席次だが、其方は魔術師の方が分かるだろう」
塾長が魔術師の教官達に話を振ると、今まで我慢していた様に彼等は急にあれこれ言い出した。
「塾長、あの娘の使ってた魔法、ほぼ全て超高難度の複合系魔法かつオリジナルだったわい。あたしも知らん魔法を平気で使っておったぞ」
「てかあれの有用性が凄いっすね。全てが戦闘に向けてカスタマイズされてるみたいな感じっすよ。難易度に目を瞑れば軍とか警備隊でも主力になりそうな魔法だと思うっすよ」
「私はあ、御二方が言いたい事を言ってくれたので治療の腕前について挙げさせてもらいますねえ。いやあ、あの娘は今すぐ帝宮の医療部門でも幹部相当で雇ってもらえますねえ。あと結局よくわからないのが、あの頭の上に乗ってるヒヨコみたいな毛玉ですかねえ?あれ一体何なんでしょうねえ?」
編入試験の段階でもヘンテコな物を乗せた森棲人の少女の情報は確認されていたが、本当になにもしてないので使い魔よりも帽子に見えてしまう状態だった。
「まあそれはおいおい聞くことも出来るだろう。逆に彼女の伸ばせるところを挙げられるか?」
塾長は話が脱線し始めたのを察して話を戻すと、今度は武霊術使いの教官から意見が出た。
「あの子は模擬戦を行わなかったのでなんとも言えませんが、歩法から相当に実戦慣れしているように思えますな。魔法も前衛から後衛までこなせるレパートリーがありますので、移動を強化してみると面白いかもしれませんな」
そんな意見に魔術師側からも意見が出る。
「治癒の魔法もあるし、見た感じの性格も後衛向きみたいっすね。自衛能力の高い後衛として、あとは戦況判断のセンスとか回避センスとかが磨かれれば、戦術級を上回る作戦級の行動の要になり得るっすね」
それを聞き塾長はふむ、と頷く。
「つまりは後衛向きの技能を育てさせ、更には作戦の主柱を担う者の動きや思考力を身につけさせてみると良いみたいだな」
塾長の総括に、異議なしと皆が頷く。
「では次の第六席次となるが、この娘もまた面白い娘だったな。魔術師はどう見る?」
表情が全く変化しないのも相まって、妙なオーラを纏う超然としたフェシュアは、教官達の記憶によく残っていた。
「いやあ、多分あの薬毒生成の技術は宮廷魔導師様方でも敵わないですねえ。帝国でも頂点のレベルに近い。情報の処理能力が人のレベルを踏み越えてますよお」
「あたしは異能抜きでアダマンタイト合金の鎧を破壊してきた事の方がビックリっすよ。異能じゃない事は確かっすけど、この種類の、厳密にはアダマンタイト合金第二形でしたっけ?これって硬度特化とはいえ、アダマンタイト自体が腐食にめっちゃ強いじゃないっすか。どんな魔法で壊してたかあたしでも全然わかんないっすね」
チタンの魔化金属であるアダマンタイトは、引張強度が極めて大きく酸化する事で異常な腐食耐性を獲得する。加工そのものも異常に困難で、特殊な煉瓦だの魔物から取れる幾つかの物質を触媒として用意する必要があったりするが、他の金属とも結び付きやすく合金化すると軽くて強度が高いとても素晴らしい合金になる。
そんなアダマンタイトは公爵のメダルに採用されているが、単体で取り出すのはほぼ不可能とされており、とある魔物から獲れる物質を触媒にして出来るだけ純度を高めるのだが、結果的にその色は金属光沢を示す黒紫色になる。
チタンが元なので本来なら銀色のアダマンタイトは今の技術力ではどうしてもこの色になるのだ。
しかし、この金属光沢を持つ黒紫色自体が美麗で、他のメダルともぱっと見で色が違う事がわかるので肯定的に捉えられており、そのせいか国民のほとんどがアダマンタイトは黒紫色の金属と思っている始末である。
閑話休題。
そんなアダマンタイトを使ったたっぷり使った鎧の腐食耐性は全金属の中でもトップクラスである。
異能により合金を傷つけた強者はいなくはないが、異能なしの純粋な魔法のみでの破壊を行った者は教官達の記憶にも無かった。
フェシュアがやってのけた事はアルムにも出来ない芸当で、アルヴィナの人工的魔化金属に生成には及ばずとも十分に偉業である。
フェシュアはサークリエにその異能の性能を調べられた時、非常に沢山、では言い表すことが出来ないほどの物体に触れてその性質について覚えた。その中には魔化金属やそれを用いた合金も存在していた。そしてフェシュアはアルムより腐蝕龍の劇毒を作る魔法、分解の魔法、殺力の魔法を伝授されており、その時から既にフェシュアは魔化金属合金だろうと上手くやれば破壊できると考えていた。
殺力の魔法で魔化金属の持つ付属効果及び添加されてる魔物素材の効果をダウンさせ、腐蝕龍の劇毒に分解の魔法を付加させる事で腐食耐性の高いアダマンタイトは“分解の魔法”で劣化させ、腐食耐性がダウンしたところで劇毒で融解させる。
これを小さな点に集中して超高速で繰り返す。
破壊したい部分全てをこれで破壊するのは魔力が全く足りないが、なにも全てを壊す必要はない。構造的に見て自分が最後に力を与えれば壊れる程度に切り取り線の様な物を作ればいいのだ。
そして用心深いフェシュアは出来るだけそれを悟られないように鎧の内側から破壊を行った。
なのでフェシュアが鎧から手を離した時には見た目の上ではなにも起きてないように見えた訳である。
「あの娘も第七席次の娘と同じく実戦経験者の雰囲気を纏っておる。加えてあの冷静沈着な立ち振る舞いは魔術師にとって非常に大切な姿じゃ。あの娘もまた作戦級の行動の要となるでなるじゃろう。もしかすると軍師としての才能もあるやも知れぬ。第七席次の娘と同様まだまだ未知数なところが多い興味深い娘じゃな」
フェシュアとレシャリアの席次に関しては実は教官達の中でも一番揉めていた。
惜しむらくはその時に試験監督が3人しかいなかった事だが、結果的にその3人の総評と、筆記の評価、マナーの実技試験の評価、派閥関係のあれこれを照らし合わせた結果、レキアウスとヘルクートを彼女達より上の第四席次、第五席次に据えた。
しかし今回の能力の披露で席次に関しては魔術師側の教官ほどそのポテンシャルを見抜き更に上でよかったのではないかと考えていた。
元々低等部時代からレグルス、ヘルクート、レキアウスの戦闘力を拮抗していたし教官達もその認識は共有していた。
そのレグルスと、ヘルクート、レキアウスの間にレシャリア、フェシュアが加えられたのはジナイーダやレキアウスの指摘通りレグルスが座学やマナーにやや難があるからである。
対してヘルクート、レキアウスは軍人の家系なので非常に躾が厳しく、幼き頃より既に良き軍人として育つように英才教育を施されている。レグルスは四男坊のお坊ちゃんで兄も上に三人いる訳で家を継ぐ事もなければ重い責任も無い。そんな生育環境の違いからヘルクートもレキアウスもマナー関係の立ち振る舞いも成熟しており、1年少し学んだレシャリア、フェシュアではやはり彼等の立ち振る舞いには及ばないのである。
それに加えてクラス長をトップファイブで固めるのは色々と公塾側としても楽な訳で、そこが最終的に席次の決定の決め手になっていた。
閑話休題。
「第七席次、第六席次共に非常に先が楽しみな子達である。一作戦を担う者としての力を磨いてみることで相違ないな。では次に第五席次だが、やはり彼は安定性が抜群だな」
塾長のヘルクートに対する評価に、戦士の教官は特に深く同意する。
「彼は精神的な安定性も抜群であり、指揮官として非常に重要な才を兼ね備えていますぞ。異能もこれといったマイナスはなく、オールラウンドに状況に対応ができ、伸び代も非常に大きいと言えますぞ」
「彼は物事の理解も深いですからな。戦士としての心構えが既に出来ており、彼が指揮官として上に立てば、規律正しい非常に集団として優秀な部隊が出来上がるでしょうな」
ヘルクートは根は真面目だが、やんちゃ坊主な感じのレグルスや軽い性格に思えるレキアウスとも友人関係を築ける鷹揚さがある。
周囲に対して広い視野を持ち、確かな判断力があり、大人達から見ても指揮官として非常に優秀な人物になる事は予想できていた。
「あとは彼自身の武芸の腕前を更に磨かせる事が重要になるだろう。また様々な状況に対応できる臨機応変な思考を更に磨けば安定性は更に増してくる。感覚的な面の強化を担う武霊術が成長すれば隙のない動きができるだろう」
そんなヘルクートに戦士の教官でも一位、二位を争う実力を持つ教官が評価を纏め、塾長も同意した。
「それでは第四席次の評価に移るが、ここは少々意見も割れるのではないか?」
塾長がニヤッとして問うと、教官達の反応は様々だった。
「彼はかなり自身のポテンシャルを生かす事に長けているのは間違いないでしょうな。自分の異能を良く理解したうえでいざとなれば肉を切らせて骨を断つ決断も下せるでしょうな」
「身軽さと脚の強さを活かした戦闘にも磨きがかかっていますぞ。また彼も集団、恐らくクセの強い連中ほど纏めるのが得意ですぞ。少数先鋭を率い特大戦功を挙げられる大胆不敵さもありますぞ」
2人の戦士の教官に、先ほどヘルクートの評価を総括した教官が微妙そうな顔をする。
「彼の難点はムラが大きいところだ。決断力の速さは同時に安定性の低下も招く。異能も相性の悪い相手にぶつかると中々切り崩す事は難しいでしょう。どうにも攻撃先行な点が目立つ。それは傷が回復し易い異能があるが故に尚更だ。防御側に回った時の動きはもう少し修練が必要だと私は思う」
外征政策最盛期では攻撃の方が非常に重要だったが、今は国土が拡大して防衛能力に重き置かれる傾向が強いのが現在の軍の風潮である。
なので軍出身者となるとヘルクートとレキアウスの評価は個々で少しズレがある。
そんなレキアウスがヘルクートより上に据えられたのは相性の問題である。レグルス、ヘルクート、レキアウスの実力は拮抗しているがいざ戦わせてみると三竦みの様相を呈する。
レグルスはトリッキーで素早い動きができるレキアウスに対して範囲攻撃で対抗できるし、傷への回復力の高いレキアウスが苦手な意識を奪ってくる攻撃をレグルスはできる。レグルスの振動付与を身軽で細身なレキアウスが喰らってしまうとかなり致命的なダメージを食らうのだ。
そんなレグルスに対して、ヘルクートは鉄壁の防御ができる。
恵まれた体格と落ち着いた性格、護る事に長ける彼はレグルスの攻撃に耐え、勢いで動くレグルスの隙を的確に攻める事ができる。そうなるとレグルスも少々攻めあぐねてしまい、我慢しきれず大ぶりな動きをとった瞬間にヘルクートの槍を突きつけられる訳である。
そんなヘルクートが対応し難いのがレキアウスである。
大柄なヘルクートに対して俊敏で身軽に動き回るライトファイターなレキアウスは相性が悪い。その上ヘルクートが攻撃を食らわせてもレキアウスは即時に回復できるし、トリッキーな動きで安定したヘルクートの動きを掻き乱すしてくる。そのままヘルクートはレキアウスに対してなかなか攻撃が出来ず防戦一方になり、兎に角よく動くレキアウスへの対応が最終的に追いつかなるのだ。
今回の席次決定でもその能力の相性が決め手になった。
「第五席次には決断力と臨機応変性、そして素早い立ち回り、第四席次には安定志向と堅実性、護事を意識した立ち回りが必要という訳だ。彼等は双方が足りていない部分を自覚し、尊重し合える美点がある。儂等の指導で彼等は確実に更なる成長ができるだろう」
塾長はヘルクートとレキアウスの評価を総括すると、教官達も頷いた。
「さて、此処からは例年ならば絶対的な首席の座につける3名の評価をするが…………第三席次、やはりあの娘は総合的にどの観点から見ても非常に強力だな。そうだろ?」
塾長に話を振られたのは今まで上位3名の魔術師の教官達の意見に頷いていただけの、ヴェータとの模擬戦を任された教官、かつアルム達の担任だった。
「あの、正直に白状しますと私では彼女の相手は荷が重いですね。物理も魔法も相殺されますし、魔力眼自体で此方の魔法の発動も予見してきますので、改めて模擬戦してその実力の高さは実感しましたよ。本気で戦っていたらどうなっていたか…………」
担任が少し疲れを滲ませた様な雰囲気でそう評価すると、他の教官も彼女への評価を述べる。
「攻守ともにあの異能はめっちゃ強いっすよね。あとあの子自身が前衛にうって出るだけの実力と度胸があるのも評価できるっすね」
「それに、彼女の本当のバトルスタイルはより恐ろしいみたいですな。彼女の為に誂えられた、常人ならへし折ってしまいそうな強度でありながら、軽さと鋭さのみに特化した特別な双剣を使うそうですな。それを彼女の強力な祝福の魔法で強度を上昇させ、装備している物にもあの光を纏わせるあの異能で魔法でも並の金属でも斬り裂く名剣に変貌させるそうですな」
武霊術使いからするとヴェータは非常に戦い辛い人物である。
あの翼より放出される光の鱗は其れのみで弾幕が張れるのでまず接近が難しい。
武霊術使いは肉体の強度を上げられるため火の中だろうと強引に突破できるが、光の攻撃は魔法の中でも物理貫通性があるので相当に強度を上げないと防御も難しい。
加えて彼女自身は光以外の魔法も当然使えるので、業火の波や水の波で撹乱を行う事も容易である。
よしんば近づいた所で待ち構えるのは自由自在に動き彼女を護る翼とより密度の高い弾幕、そして彼女自身の剣技である。
武霊術使いにとって更に頭が痛いのが、彼女を包む光そのものが光の矢を具現化状態にしている物と性質が変わらないので、剣や翼を受け止める度に武器や防具が摩耗して行くことである。なにが1番辛いかといえば、武器や防具にかかった祝福の魔法を尽く破壊してくる事だろう。並の祝福の魔法だと彼女の光と衝突すると簡単に競り負けるのである。
ただの革鎧と剣を装備させても異常な祝福の魔法で耐久度その他諸々を強化する事でヘルクートの【護紘】と一時的に同じ状態になり、祝福の魔法で身体も強化して光の鱗と双剣を用いてレキアウスのスピードを上回り、範囲攻撃や防御能力でもレグルスの【轟破】を色々な面で上回る。
魔力が続く限り彼女は実力者3人の上位互換と化すので、レグルス、ヘルクート、レキアウスは未だ彼女相手に一勝もあげられないどころか1分以内に完封される。故に彼女は絶対的に彼等3人の上にいた。
また、魔人族故に魔力量は多く、魔力眼で魔法の軌道も見える。翼と光の膜は異能由来なのでスタミナ関係無しで素で防御力が高い。魔術師相手だろうが相手の魔法諸共光の鱗の弾幕の前に全て無効化できる。その上近接戦は弱い魔術師に対して弾幕張りながら接近戦を挑めるのが彼女なので、魔術師にとっては厳しい戦いを強いられる。
加えて光自体に対抗できるのが、光か消滅の魔法ぐらいしか無く、彼女の光は異能の効能で消費魔力は低いくせに威力もスピードも強化されているので撃ち合いになれば魔力消費効率的に絶対にヴェータには勝てない。
では避けようと思っても魔術師より身体能力の高い武霊術使いですら避けるのが難しい弾幕を魔術師がそう簡単に避けられる筈もない。攻撃が何の減衰も起こさずヒットしたら魔力障壁をズタボロにされて次には身体をズタズタに引き裂かれる。
また、彼女は今回は披露していないが、六枚の翼の先を重ねて窄める様に閉じて攻撃を収縮させる事で、鱗の弾幕ではなく光のビームの様な物を射出できる。
その威力は一般人に直撃すれば塵一つの残さず綺麗さっぱり消滅するほどである。
その攻撃のスピード、威力は最高クラスで、何より異能の力が篭っているので減衰が異常に少なく、チャージする時間と魔力消費を度外視して全力で放てば射程距離は2km以上に到達する。
ただしこれは翼自身にも強烈な負荷がかかり暫く使い物にならなくなる大きなデメリットはあるが、遠距離から一方的にレーザーを放射する、なかなか凶悪な事が可能と言う事である。
「より濃密な戦闘経験を積ませ隙が減ってくれば、凡ゆる状況でも勝利可能な単体作戦級の戦闘能力を得るじゃろうな。塾長の言うように、本来なら満場一致で首席の実力者じゃ」
「宮廷魔導師だけでなくう、聖騎士も目指せる圏内のポテンシャルがありますよねえ。そして1番すごいと思うのはあ、驕りが少ない事ですねえ。異能に溺れない気質は個人的には重要ですよお」
強力な異能を持っていてもそこに胡座をかいている様では、本当の実力者とぶつかったらそこの浅さが直ぐに露呈する。自分の異能について研究し、圧倒的殲滅能力を持ちながら前衛能力を強化すべく双剣の腕前を磨いたのは彼女自身の選択である。
ヘルクートやレキアウスの様に軍人となるべく最初から養育された訳ではない。自分から双剣の戦闘方法を身につけたいと申し出たからこそ今の彼女があるのだ。
「だが、難がない訳ではない。彼女の強さは全て正統派なのだ。自分より弱者を押さえ込む技量に関しては素晴らしいものがあるが、自分の能力を撃ち破る存在が現れるとそのまま押し込まれる。
彼女は何をしでかしてくるのだろうか、と思わせる底知れなさは無い。最初から最後まで強さが一定なのだ。故に逆境に立たされてもひっくり返しそうな感じが無い」
あまりに万能で、ストレートに強いが故に、意表を突くような技は無い。ヘルクートを評価した戦士の教官はヴェータをそう評価する。
「もっと彼女には泥臭さが欲しい。最初から全力ではなく、もっと効率よく少ない手段で敵を制圧する技能を身につけて欲しいところだ。フェイント、奇襲、搦手ができるなら実際の戦場でも隙の無い存在になれる。
最後の最後まで喰い下がる者は、予想もしない戦果を打ち立てる。今のままの彼女では土壇場でいつかひっくり返される方の立場に立たされる。皆も1度くらい経験があるだろう、土壇場や逆境で急に化ける奴との戦闘が。そして大概その手の奴は相討ち覚悟で敵に挑みかかり自分より格上を討ち取ってくる。そして討ち取られる大体の強者は彼女の様なスタンダードに強力な者だ」
ヴェータは常に手札がオープンの状態なのだ。無論その手札は異常に強力であり、オープンした状態で戦っても大概の物は歯牙にも掛けない。
しかし、実際の戦場では極稀に、最後に自分でも持っている事に気付いていなかったたった1枚の切り札を逆境で掴み取り、それが自分の破滅を招くと分かっていても切ってくるタイプの人種が出現する。
その時に手札がフルオープンの強者はたった1枚の切り札に全てをひっくり返される時がある。
と言うより、フルオープンにしてるからこそ相対する者も自分の身を顧みず破滅級の切り札を切れるのだ。
これがまだ隠し札を持っていそうな相手なら相対する者もなかなかその札を切る事ができない事が多い。
或いは、集団でジャイアントキリングを成し遂げてくる者もいる。個々の能力が絶妙にマッチングして大戦果をあげる奴等が戦場には必ず出てくる。
「彼女が異能無しでも並み居る者を封殺できるようになった時、彼女は真の強者に至るだろう」
それはかなり厳しい評価ではあったが、強者ほど戦場でのイレギュラーは沢山経験しているが故に否定せず頷いた。
「うむ、では彼女は色々な縛りをかけての戦闘を積み重ねさせるのが良さそうだな。強制的に逆境に叩き込みそれを乗り越える術を身に付けさせる。より高い生還能力の養育をすることにしよう」
塾長がヴェータについての方針を固めると、皆も頷いた。
「さて、第二席次なのだが………………」
それから塾長がジナイーダの評価へ移ろうとしては言葉を止めると、皆々が皆、今までの感じと違い生温かい笑みを浮かべていたり苦笑だったりと反応が違かった。
「あれですねえ、去年あたりから更に大きく化けた気はしてたんですがあ、実際は壁を乗り越えるどころかぶち抜いてましたねえ」
未だにジナイーダの衝撃行動は教官のも非常にインパクトがあり、彼女の話はそこから始まった。
「恋は人を変えるんすかね?あー、そこら辺にいい男転がってないっすかねえ?」
「愛娘の相手選びには家も本人も非常に慎重な姿勢を崩さなかったにも関わらず、急に状況が変わった事はあたしの耳にも入るぐらいの話じゃったが、あれは「待て。その話が皆が我慢している事だ。先に第二席次についての評価をすべきだ」」
塾長は話の方向が変わりかけているところで軌道修正し、そこで漸く通常の評価が述べられ始める。
「アダマンタイト合金を素手で破壊する……………実物がそこにあっても信じられない気分ですな」
その教官の視線の先にはまだ未修理の鎧がそのまま横たえられていた。
拳状に抉れた鎧は素手による破壊を何よりも証明している鎧を見ただけで、鎧を着込む戦士ほどゾッとするものがある。
「先程の話を引き継ぐなら彼女の異能が何処までの性能値を叩き出せるのか未知数な部分がありましたが、今回で1つ指標ができましたぞ」
感情の丈に応じて強化される。
それはそれ以上でもそれ以下でもない言葉通りの効果だが、ではその最大値は?と問われてもジナイーダ本人も含めてわかるわけがない。
彼女は幼少より悲しみも怒りもそして強い喜びでさえも抑える事を強いられた。常に冷静で凪の心を保つ必要があった。
赤児の時はまだ体も精神も未成熟過ぎて異能の能力が本格的に発揮されなかったが、ジナイーダが言葉を喋るようになる様な頃には既にパワーが並外れていた。
そんなジナイーダの養育には会長夫妻もかなり頭を悩ませたのだ。幼少より賢いジナイーダはそんな自分が両親を悩ませている事に気づき、何とか自分で異能を制御しようと精一杯頑張った。
その結果、アルムの様に常に感情にブレーキがかかっているのとは違い、ブレーキがかかっている状態が素になったのがジナイーダである。そのブレーキを自らぶっ壊すで平静を保っていた山が急激に噴火を起こすが如くジナイーダは変貌するのだ。
更に恐ろしい事に、ジナイーダが金属性魔法まで使ったアルム相手に腕相撲で勝利を収めた時、彼女は異能を能動的に発動していない。つまりその状態でも噴火前だったのである。
「あの子、その上に徒手空拳も達人級っすからね。低等部時代に体術の指導教官と体術だけのガチの模擬戦やってあの子が勝っちゃって、それで自信を完全に喪失して負けた教官が辞めちゃったじゃないっすか」
その言葉を聞いた塾長他数名は発言した教官を睨み、その教官はビクッと震えて直ぐにその発言を謝罪する。
その事件が起きたのは一昨年の13月末の総合試験の時である。
当時低等部2年次のジナイーダは、体術の指導をしていたとある教官と体術のみの模擬戦を行った。
その教官はまだ公塾に勤め始めたばかりで、体術を見込まれて採用されたので当然教官自身も体術に自信があった。
しかしジナイーダへの指導はその時別の教官が行なっており、その教官はジナイーダの実力についてはよく知らなかった。
ただ、同僚達が口を揃えて強い強いと言うので興味はあった。しかし何処かで1番のスポンサーの娘だからだろうとか異能を持ってるからだろうとか少し斜に構えてその評価を聞いていた。
実際に試験監督としてジナイーダと模擬戦を行う事になった時も、まあ怪我をさせても困るし穏当に済ませようと考えていただけだった。
その模擬戦の結果は、まさかの教官の敗北。
教官が本気を出していなかったのは確かではある。1番のスポンサーの愛娘だから絶対に怪我させたくないので少し実力を抑え気味過ぎたのもある。
だが、その模擬戦は生徒がどれくらいの腕前になったのかを測る場であって、そもそも勝敗のつく物でも無ければ、ましてや試験監督の敗北など前代未聞である。
その教官が模擬戦の開始と共に繰り出した蹴りを見切り、ジナイーダは電光石火で屈みつつ蹴り足の方を抱えて、軸足の方に脚をかけてその筋力を生かし強引に身体を捻った。
体格差故に屈んだジナイーダをほんの一瞬見失い、次の瞬間想定を遥かに超えるパワーで身体のバランスを崩された教官は派手に床に身体を叩きつけられ、ジナイーダはそこから即座に関節技をかけて完全に教官を押さえ込んでしまったのだ。
試験中故に他の教官も周りにはいるし、生徒達もそれを見ていた。
そんな公衆の面前で、教官は13才の少女に完璧に、そして一瞬で敗北したのだ。
静まり返る試験会場、ジナイーダの心底困惑した表情、周囲の視線すべてが彼に集中した。
ジナイーダにとっては緩い攻撃に今まで教えられた事を反射的に行った迄で、関節技が決まって漸く状況に脳が追い付いたのだ。
ジナイーダの養育には会長夫妻も時に迷走する事もあったが、力加減と正しい力の使い方を覚えさせる為にジナイーダに徒手空拳を幼い頃より学ばせていた。
指導者も体が極めて丈夫な獣人の女性格闘士をわざわざ用意して、ジナイーダに力の使い方を学ばせたのだ。
女性格闘士も見た目に削ぐわぬパワーを持つジナイーダには最初は困ったものの、ジナイーダがその力にとても苦しめられている事に気付き彼女は親身になって熱心に指導した。
そこでジナイーダは類稀なる格闘技の才能を開花させた。
公塾に入塾するまで、4才よりずっと親身に丁寧にマンツーマンの指導を受け、ジナイーダも指導者を年の離れた姉の様に慕いその教えを素直に吸収した。
なので入塾の時点でジナイーダは今のアルムと格闘術のみで試合しても場合によっては勝てるほどの実力が既にあった。
そんな事情は敗北した教官は知らない訳で、更に彼を追い詰めたのが彼自身が先手を取った事である。
普通生徒の実力を測る場なので、生徒がよほど動いてこないなどのケースを除き原則試験監督が初手を取る事は無い。
しかし彼はあまりに強い強いとジナイーダを周りが評価するものだから、ちょいと試してやろう、と言う腹積りであった。なので不意を突くように模擬戦開始と共に下段回し蹴りを仕掛けたのにきっちりカウンターされて負けたとなれば、状況的に最悪である。油断していたなどと言う言い訳はこの武を尊ぶルザヴェイ公塾では通用しない。
呆然とする教官に対して、先に我に返ったジナイーダは関節技を解いて床に叩きつけた事を教官に丁寧に詫びた。
それを見て周りの生徒達もジナイーダが完勝した事を理解し「さすがジーニャさん!おれたちににできない事を平然とやってのけるッ!」「そこにシビれる!あこがれるゥ!」と素直に大盛り上がりしたわけだが、そこでジナイーダが勝ち誇ってくれればいいものを、素直に謝罪された事で教官のプライドに致命的なヒビが入った。
その上、試験的にはジナイーダの実力が全然見れてないので仕切り直しでもう一回することになり、その時の居た堪れ無さは周囲で盛り上がってる生徒達との温度差と相まって筆舌に尽くし難いレベルだった。
しかもそんなボロボロのメンタルで始まった2回目の模擬戦も、スイキョウから見ればキックボクシングの技に近いと表せる技を使う教官に対し、相手を傷つけないように柔道と合気道を組み合わせてより実戦的な格闘技に昇華した様な技を使うジナイーダとの相性は最悪だった。
試験監督が技を繰り出しても、獣人の女性より教授された独特の技でジナイーダは綺麗にいなし、焦りに焦った教官がうっかり本気で蹴りを繰り出し「しまった!」と思った次の瞬間に床に転がっていたのは教官の方だった。
教官が本気の蹴りを繰り出した時、それを反射的に減速させようとして変に身体が強張った瞬間、好機とみたジナイーダは反射的に懐に入り込み、蹴り足を更にグンッと押して強張った軸足の膝を蹴り抜き姿勢を崩したところで、その軸足の膝内側に更に肩を入れてタックル、そこから掴んで捻りを加える。
威力を途中で抑えようとして変に脚が強張ったところに本来衝撃が加えられない部位にアタックを喰らえば再びバランスを失う訳で、脚を捻られ顔からに床に倒れ込む。其処にジナイーダの強烈な膝蹴りが腰に叩き込まれて更に加速。
ジナイーダは仕上げに腕を掴み肩関節をキメたところで受け身も取れずに教官は地面に叩きつけられた。
教官が気付いた時には足りない体重を剛力と親指をまでキッチリキメる(親指を取られると人間は案外動けない)事で補い完璧に関節技をかけられてうつ伏せに倒れていた。
本気の蹴りにはジナイーダも本能的な危機感を刺激され異能が強化されたのも後押しして、教官が気付いた時にはもうゲームセットである。
剛の格闘術だけで全てを乗り越えてきた彼にとって関節技をかけられたのはほぼ初めての経験で、脱出方法さえ分からないまま取り押さえられたのである。
ルザヴェイ公塾の教官として雇われたが、彼は別に並外れて強い訳ではなかった。
当たり前だが、『強い』=『指導力が高い』訳ではない。名選手名監督にあらずだ。強くても絶望的に教えるのが下手な奴は割といる。そんな中、彼は魔術師ながら徒手空拳が使え、その指導力も確かな物だと評価されたが故に公塾に雇われた。棒立ちになりがちな魔術師の生徒に向けての護身術を仕込む為に彼は雇われたのだ。
彼のジナイーダに対する認識の誤り、魔術師なのに金属性魔法を使わなければただの人であるのだからジナイーダよりもその時点で身体能力で負けている事にも気付くべきだし、彼は自分より明らかに背が小さい武の達人を相手にした経験がなかった。
二回連続で勝利を収めたジナイーダがその教官にかけた言葉は、「お加減がよろしくないのですか?」と言う純粋な気遣いの言葉だった。
ジナイーダの指導を務めてきた者達は軒並み武霊術使いかつベテランで、ジナイーダの実力も正確に見抜けた。だからこそジナイーダには魔術師相手でなく武霊術使いを相手取るつもりで指導を行った。油断は一切無く、ジナイーダに倒されることなど一度も無かった。ジナイーダにとっても『教官』とは自分より絶対的な強者の認識があった。
そんな自分に2度も倒された教官に対してジナイーダは「自分が教官より強い」と考えず、「教官は本日は体調が優れないのでは?」と考えたのである。
だがその言葉が何よりのトドメだった。その教官のプライドや自信は13才の少女の純粋な労りにより木っ端微塵になった。
そして彼はその翌日、辞職届を自分に与えられた机の上に置きバナウルルから失踪してしまったのである。
あまりに無責任なその教官の行動に塾長もお冠だったが、この事実がジナイーダに知られればきっと生真面目で優しい彼女は気に病んでしまう、更にはそこから1番のスポンサーの不況を買う真似はできないと塾長は考えた。
結局、色々と考えた結果、塾長は教官達にその件に関わる事の発言を禁じ、例の教官に関しては生徒には一身上の都合で休職したと説明した。
そんな事情があって箝口令を破り迂闊な発言をした教官を視線でキツく咎めたのである。
「まあまあ、今のは更に減俸でイーブンにしてお咎めなしにしましょうよお「え!?ちょっ!?」何か問題でもお?」
おっとりとした物言いの同僚の提案に塾長も無言で頷いた事により、アルムの一件で給金3年分ほどのどでかい減俸を喰らった教官は更に減俸が加算されガックリと肩を落とした。
「話を戻しますねえ。彼女は徒手空拳も達人級ですがあ、杖術でも戦士専攻の子を封殺する実力がありましたよねえ。それに槍の投擲の腕前もお、なかなか恐ろしい技量がありましたよねえ」
ジナイーダは獣人の女性格闘士より、ただ体術を習っただけなくその応用として護身術の一環としても杖術、小剣術を仕込まれている。
小剣術はジナイーダの性に合わなかったのでイマイチ伸びなかったが、杖術の方が尋常じゃない握力や手の耐久性があるジナイーダにマッチした。
武霊術使いだと徒手空拳でも霊力を使って拳の一撃を圧力で放つ事もできるのだが、魔術師のジナイーダにそれは出来ない。なのでリーチの問題を解消する為に杖術も仕込まれたのだ。
また、槍の遠投自体は才能があったと言うよりは、尋常じゃないパワーがあるので力技で投げただけでもノーコンでも無ければ目標物を刺し貫く事ができてしまう。
家が武器商で、更には製作まで一括でする商会なので焼き入れに失敗した武器などを比較的簡単に回収できる。それを使ってジナイーダは遠投練習が気兼ねなく出来たのだ。
「筋力・耐久性増加はシンプルにして強力無比。そもそも有効なダメージを与える事が困難で、あの娘は金属性魔法にも非常に秀でておるのじゃ。ダメージを与えたところで回復してくる上に更に強力になるわけじゃな。十分に聖騎士を狙えるポテンシャルが有るじゃろうて」
魔術師の教官がジナイーダをそう評価すると、ヘルクートの評価の総括をした戦士の教官も頷く。
「戦士の願う物全てを彼女は持ち合わせていると言っても過言では無い。彼女はこれから更に魔法のレパートリーを増やし格闘術と組み合わせるだけで更に強くなれる。一つあるとすれば、あの破壊力を出せる状態をある程度自在に引き出せるようになれば言う事は無いだろう」
ジナイーダが衝撃行動より引き出した異能のスペック。あのレベルと迄は求めないが、あれに近しい状態になる方法を身につければ隙はないと教官は考えた。
「そうだな。彼女はまだ異能に関しても研究の余地がある。あれをある種ルーティーン化して引き出せる様になれば良いだろうな。其れを為すのもまた苦境においてのみ。第三席次同様に様々な条件下での戦闘を想定した訓練を行う」
塾長の打ち出した方針に皆が同意して、遂に最後の1人に移る所で、塾長はいきなり皆に頭を下げた。
「まず、総評に移る前に儂は皆に謝罪しなければならぬ。先日の編入試験の一件、頭ごなしに叱りつけたがお前達の気持ちもよーーーくわかった。あれは確かにどこまでできるのか試したくなる」
今この場にいる教官は公塾抗争に出場する者達の指導をするが故に、座学の教官達と違って全員武闘派であり、編入試験時も実技試験の試験監督を務めていた。
それはつまりアルムの試験中に同席していた者達という事であり、過剰審査や試験妨害を止めなかった事に関する減俸を食らっている。
アルムが非常に穏当故に大事にならずに済んだが、普通は公的試験を試験監督が妨害するなど大問題であり、塾長も事が発覚した時は怒り心頭だった。スポンサーの愛娘であるジナイーダの実質的婚約者となれば猶更だ。バレたら大目玉では済まない。
故に、塾長が校庭に来た時にアルムに対して特に容赦無く魔法をぶっ放していた魔術師の教官の上位3名は3年分の給与の取り消し、冠婚葬祭以外の休暇は1年無しなど色々とペナルティーを与えていた。
あの試験形式を独断で立案し、試験妨害が始まっても止めなかった教官は1年分の給与の減俸と一年次黒尾組の担任を任され、他に妨害していた魔術師の教官だけで無く止めずに見ていただけの戦士の試験監督達も連帯責任で何らかの罰は下されている。
私欲に駆られ教官が好き勝手に振る舞うなど指導者として言語道断だと塾長は怒鳴りつけた訳だが、アルムと実際に手合わせした塾長もなぜ皆が暴走したのかも理解できた。できてしまった。
「うむ、本気を出すなど本来あり得ないのだが……………少し、いや最後は完全に本気だったな。笛の音が無かったらやめ時を失っていたかもしれぬ」
塾長が正直に白状すると、上位3名の魔術師の教官達はニヤッとする。
「塾長の実力は知ってますけどお、よく生きてるなあって思いましたよお」
「ってか、そもそもあの模擬戦の内容をあたしたち含めて何人が全てを理解できてたのかって感じの模擬戦だったっすね」
減俸が更に確定してる教官がそう述べると、目では追えていたがなにがなんだかよくわかってない戦士の教官達は頷く。
「ならばまずは答え合わせをしようかの。あたしゃでも確信が持てない部分が幾つかあるのじゃ」
「そっすね。じゃあまず戦闘開始直後っすけど、恐らく5種の魔法をほぼ同時発動してたっすね」
「最初はあ定石通り眼帯側を攻めたと思いましたけどお、あの時点で4つのトラップが連鎖してましたねえ。定石の逆張りで本命っぽく見せた雷系の魔法、更に自ら接近して塾長の意識を分割させつつ、足元を崩してきましたよねえ?」
教官がそう問うと、塾長は頷く。
「儂が視界外の攻撃を薙刀で対処することを予想し、凪払おうとしたところを逆に踏みとどまらせるような視界内での超高速攻撃。其れに対して回避する事まで予測して土で足場を歪ませてきたな」
「でも本命はあ、あの雨ですよねえ。あのラッシュでワザと広域に降らせた不自然さを考えさせないようにしてたんだと思いますよお」
魔術師の教官の言葉に、戦士の教官の1人が問いかける。
「問題はその後ですな。塾長が霊力で吹き飛ばし斬撃を飛ばしたところまではいいのですが、彼は明らかに空中を走っていましたな。第六席次の子が何か言っていましたが、あれはどんな意味ですかな?」
戦士の教官達もルザヴェイ公塾の方針の様に、魔術師達の使う魔法については学んでいる。その中には魔力の反発や魔力障壁に関する説明もあったのだが、フェシュアの説明にはちんぷんかんぷんだった。
「んー、ちょっと説明が難しいんですけどお、例えば水がなみなみ入った底の深い大きな桶を用意するじゃないですかあ。その水の入った桶の底に垂直になるように木の板を置いたと考えてくださいねえ。そして、この板に水流などの一切の影響を受けない『重り』を貼り付けますねえ」
説明は始めた教官は水の魔法を使ってわかりやすいように砂地に水で絵を描いた。
「この桶に手を入れて、板の方に手を動かすんですう。するとお、そこに発生した水流を板が受け止めてえ、重りは付いていても板は少し動きますよねえ。色々説明は雑になるんですけどお、この時の手が魔力塊、水が空気中の自然の魔力、板が魔力障壁、重りが人に該当するんですねえ」
実際は手を水に差し込んだ瞬間に手は溶けていくようなものですしい、板が丈夫だとも限らないですしい、重りほど軽くないですけどねえ、と教官は付け加える。
「でもお、手をゆっくり動かしても水はどんどん手の横から逃れていって威力は低くなりますしい、板と手が綺麗に平行じゃないとそれだけ威力も下がりますしい、水流の威力が高いほど板が丈夫じゃないとお板の方が壊れちゃうんですよねえ。そうなるとお、板が壊れた時、重りは直接水流の影響は受けないので動かないんですう」
その説明にわかったような分かってないような顔をする戦士の教官達。それは魔術師向けの理論的な説明なので戦士には分かりにくく、別の教官はそれを察する。
「そうっすねえ、武霊術使いの皆さんに理論はすっ飛ばしてどれくらい異常な事を説明するっすよ。例えば手のひらサイズの薄いレンガを用意するっすね。その平らな面と地面を平行になるようにしつつ思いっきり上に投げ上げるとするっす。その下から飛んできたレンガを足場にして空中を走ってる感じっす。レンガを投げる威力が強すぎても弱すぎてもバランスは崩すし、レンガが足裏に対して僅かに傾いていても、座標を少しでも見誤っても、レンガを踏み外してしまうっす。そしてこの投げる側と走る方を両方同時に行ってるんす」
「更に付け加えるなら、そのレンガはその場で即時に焼き上げた物である訳じゃ。レンガの強度が足りなければ踏み抜いてしまい落下する訳じゃな。しかも強度を優先して適当に焼き上げるとレンガは歪になってこれでもまたバランスを崩すじゃろう。素早く、尚且つ強度の高いレンガを即座に用意する必要があるわけじゃ」
2人の教官の説明で、戦士の教官達もアルムがかなり異常な事をした事を具体的に理解できてきた。
「恐らくレンガをぶ厚くすれば良いと思うかもしれませんがあ、レンガの元になってるのが魔力なのでえ、レンガを厚くした分だけ魔力は消費してしまうんですねえ。加えてそれを踏まえつつ塾長の攻撃も避けてえ、更には普通の魔術師の切り札になりそうな超高等魔法をサラッと発動してるんですよねえ」
「編入試験の時も思ったんっすけど、空間認識能力と思考速度が完全に人間やめちゃってるんすよね。それにその足場を走る運動神経や動体視力、塾長の攻撃を見切る反射神経……………金属性魔法で強化しても限界ってものがあるっすよ。ってか、その強化も継続しつつ足場も作り攻撃躱しつつ次の攻撃準備に移ってたわけっすよ。異常ってレベルじゃないっす」
教官があの数秒でアルムがしていた事を噛み砕いて説明すると、それには塾長も瞠目した。
「そこからの攻撃もお苛烈でしたねえ。目潰しからあ、人間を綺麗に切断できる魔法を数十と放ってるんですよお」
「その後の策略も刮目すべき物じゃったぞ。あの槍からの光の矢の奇襲、塾長もよく反応した物じゃな」
塾長はそこで口を開く。
「あれは完全に勘だったぞ。儂もあれは少し理解できなかった。あれはなにがどうなったのだ?」
必殺レベルの奇襲を勘で躱した塾長に苦笑しつつ、魔術師の教官が説明する。
「あれは塾長の気質まで計算した超高度なトラップっすね。あの1秒くらいで泥と火で瞬時に簡易な槍を生成してるのも十分おかしいんすけど、あれって多分中身を空洞にして生成してたんっすよ。だからごく短時間で整形できたわけなんっすね。それを塾長の顔に投擲した訳っす。今までの物からすれば凄く緩い攻撃っすから、塾長も霊力の気合いで吹き飛ばしたり薙刀で斬り払ったりせず最低限の動きで回避した訳っすけど、その槍の軌道上に魔法の発動起点を置いといた訳っすね」
「皆も知ってはいるじゃろうが、原則として物質内を起点に魔法を発動することはできないんじゃ。じゃが槍の内部が空洞だったおかげで発動条件をギリギリ満たしておった。と言ってもそれでも難しいんじゃがな。そして見てからでも回避する塾長に対し、攻撃を避けた瞬間の僅かな意識の揺らぎを突く形で槍内部より予め用意していた魔法を発動したわけじゃな。同じ事をしろと言われてもあたしゃも無理じゃぞ」
塾長は攻撃の予兆を直ぐに看破してくるのはアルムも予想できていた。
例え目前に発動起点を用意しても回避されてしまうだろうとも。魔獣なら普通にやるから、なら塾長も出来ると予測する。
ならば一度避けさせた所からの奇襲ならば如何だろうかとアルムは考えた。尋常じゃ無い察知能力を持とうと、誰だって1度避けた攻撃に対して意識を向け続けることは無い。普通は次弾へ警戒を強める。アルムの意識が、視線が何処に集中しているのか塾長は見切ろうとする。
塾長があの奇襲を回避出来たのは純粋な戦士としての勘だった。
自分の対峙する少年が、今までに比べてだいぶ緩い攻撃をしてきた事に対して無意識的に警戒心が膨れ上がったのだ。そんな攻撃をしながらも今迄と違いアルムが中々次の攻撃に移らない。
槍に注目し続けその軌道を見続けている…………………何故?
塾長はそこで嫌な予感がしてギリギリで奇襲に気付いたのだ。
「僅かにでもタイミングや位置がズレたら出来ない芸当を、あの少年は咄嗟にやってみせたわけじゃよ。だが末恐ろしいのが、ここまでが全て最初に仕掛けたトラップが発動するまでの前座だった、という事じゃろうな」
「トラップ、ですかな?塾長が回避後に足をとられたような不自然な動きをしたのもそれですかな?」
戦士の教官の1人が最も気になっていた事について問いかけると、塾長は深々と頷く。
「地面がな、少し表現としては変なのかもしれないが氷でも張ったかのようになっておって足が滑ったのだ。いや、海の岩場でぬれた海藻を踏んて滑った時のような感じと言えばいいのか。儂の勘が鈍った、訳ではなかろう。立て続けの猛攻により着実に儂の注意を分散させ、それ以上に驚異度が高い攻撃ばかりを選択して、そして先ほど話に上がった超高度の奇襲だ。彼はあれが不発した瞬間確実に動揺していた。あの一撃の為、次なる攻撃を仕掛ける用意も無かった。儂はそこを攻め時と感じ、まんまと罠にかかった訳だ。儂もあの一瞬で意識が切り替わった。それ程までに完全に不意を突かれていたな」
戦闘において相手の得意な分野を潰すのは鉄則に近い。アルムとて戦術抜き搦手ゼロで金冥の森で闘う事は出来ない。純粋な身体能力や魔力量などの能力値だけでガチンコ勝負したら5thエリアの魔獣や魔蟲供の方が圧倒的に強いのである。
それを知力を持って力量差を補い、戦術を持ってその差をひっくり返している。毒なども使いまくるし、視覚、聴覚、嗅覚など感覚器官への攻撃は当たり前。何も殺す事は戦闘中の最終目標では無い。身動きを取らせなくすれば後は煮るなり焼くなりである。
『撹散雷の魔法』に於けるフラッシュや吐き気を催す悪臭を帯びた泥の攻撃も敵の感覚器官の鋭い事を逆手に取った攻撃である。
また、感覚器官以外で有効的なのが機動力を削ぐ事、つまりは翼か脚周りへの攻撃である。その点に於いて脚で移動をするタイプには魔法製ローションは結構役立つのである。
大掛かりな準備は要らず、察知が難しく、対応も難しいとなかなか利便性が高く動物相手ならこれで大体どうにかなってしまう。
“ヌルヌルしてよく滑る”液体など魔獣や魔蟲も認知しておらず、高すぎる身体能力や感覚ですぐに体勢を立て直したらそのまま滑って移動までしてくる様な連中こそいるものの、1発目は確実に体勢を大きく崩す。そして生物の定めとして反射的に踏ん張ろうとするが、それが逆に派手にすっこける原因になるのだ。本能が逆に牙を剥くのである。
それは対人でも同様で、人類において摩擦力を大きく失わせる液体など『油』程度しか今は広く認知されていない。スイキョウもアルムにローションを魔法で作らせる際にまず油をモデルにさせている。ただし油と違い無味無臭無色でとことん摩擦係数を減らす事に秀でているその薬剤は油の比ではないほどよく滑る。
私塾の入塾試験でゼリエフ相手に対人戦に於いてもその利用価値を確認してからアルムとスイキョウは魔法製ローションを用いての戦術研究をし続けてきた(因みにアルヴィナとの禊後のとある行為にて“スイキョウの知ってる正規の利用方法”でも活躍してくれている)。
薬毒生成でローションを作り出すにしても性能をは一定の限界はある。何方かといえば如何にローショントラップを成功させ、それを利用するかが戦闘では重要だった。
アルムの当初としてのプランでは初手で猛攻を仕掛けてローショントラップを成功させるつもりだった。だが塾長は予想外にもそれを武霊術で吹き飛ばした。あの瞬間よりアルムは既にアドリブで戦術を組み立てていた。塾長がローショントラップに引っかかる迄に隙の多い大技の魔法は避け速射性の高い物のみで猛攻を仕掛け、塾長の意表を突くような動きをし続けた。
槍での攻撃も大本命は光の矢の奇襲では無い。
その奇襲により思考力を削ぎ自然な形で自分の攻撃に隙を作る事が目的だった。だからこそアルムは光の矢が不発しても塾長がローショントラップに引っかかった直後に攻撃を仕掛けることが出来たのである。
簡単に言えば、戦闘開始から塾長がローショントラップに引っかかるまでのその全てが布石だったのだ。
塾長も認めているように、経験と直感力でアルムより遥かに秀でる塾長だからなんとかなっただけで、戦術的観点で見ればアルムにその時点で敗北していたのだ。
「あれに関しては凄く気になったんですけどねえ、末恐ろしい事に性質隠蔽されてて私もよく解りませんでしたねえ。逆を返せばあ、彼はあんな戦闘の最中で私達に対して手のうちを完全に晒さないように考えてる余裕もあった訳ですう」
そこに更にアルムの異常な点について魔術師の教官が捕捉し、他の魔術師の教官も肯く。
「そこからも結構ヤバいっすよ。体勢を崩した所に目視不可能レベルの超高速、なんてレベルじゃない速度の水弾を大量に叩きつけて、閃光をばら撒いてるわけっすから。まあ、その後が結構問題だった気がするっすけど」
魔術師の教官がニヤッとしつつ塾長を見つめると、塾長もほんの少し決まりの悪そうな顔になる。
「うむ、あの時は少し手加減が甘くなっていた。だが予想より勢い良く吹き飛ばされたのは恐らく彼自身の策だろう。衝撃を殺すと同時に物理的に距離をとったのだ。だが………………あの時確かに両腕の骨を折るダメージを与えてしまったはずだ。なのに顔色1つ変えない。吹き飛ばされつつ状況を整理して、骨折を治癒しつつ追撃を回避している。本当はあのタックルで終わらせる気だったのだ」
普通ならば両腕を骨折すればその激痛で戦闘不能に陥る。余程、今迄に痛みに慣れていていなければ、その場に蹲らず逃げ出すことはできても戦闘続行を選択など出来るわけがない。
しかし、アルムは塾長の想定を超えた。遥かに超えてしまった。
「彼はあの一撃で寧ろ完全に意識が切り替わってたっすね」
「それまでは“まだ”対人戦をしてましたけどお、吹っ飛ばされて着地した後は目が座ってましたねえ。もう対人戦の形式をかなぐり捨ててましたよお」
まるでもっと大きく強大な何かを想定した様な鮮やかなまでの戦術。魔術師でなくともあの異常性は全員が理解していた。
「ところで塾長、グルングルン回転させられてたっすけど大丈夫だったんすか?あれは本当に死んだんじゃないかって一瞬思っちゃったすよ」
「ふむ、そうだな。お前の口と鼻をしっかり塞ぎ目隠しした状態で、水のたっぷり入った縄付の大きな袋の中に入れて儂がぶん回す。そしてぶん回されてる最中に猛毒を塗ったナイフを大量に投げつけられるわけだ。そうすれば同じ気分が味わえるであろうな」
泥の竜巻はただ回転しているように見えるが、塾長が遠心力で竜巻の外に飛んでいかないよう内部では意外と複雑な回転をしている。実は外側と内側では竜巻が逆回転しているのだ。なので内側の物が外に出てしまうことはなく、塾長はずっと泥の竜巻中に捕われていたのである。
また、対象の脚が地に付かないようにも計算されており、踏ん張ることもできないので脱出も困難。平衡感覚を狂わせ窒息も同時に狙い視界も奪う。目が回って吐いて反動で猛毒入りの泥を飲み込み気管支にでも入ったらそれでもう御陀仏である。少なくとも対人戦で使っていい魔法では無い。
「その次の魔法も使用禁止指定クラスの魔法のオンパレードじゃったがな。並の人………どころか魔獣だろうが魔蟲だろうがあれですっぱり三等分に綺麗に輪切りにされたじゃろう。泥の竜巻から始める大技を撃ち破られて直ぐにあれじゃぞ。つまり想定内と言うわけじゃ」
これでは塾長は死なない。その確信があるからこその対応の速さだったと教官は指摘する。
「儂もあの魔法に対しては防御に専念せざるを得ないレベルだったな」
「そしてそれも布石に過ぎなかったんでしょうねえ。その後のこの世の不浄の一部をかき集めたかの如く悪臭を放ったあの泥の波もお、十分に恐ろしい物でしたよお」
「先ほど跳躍して回避してしまったが故に塾長から波を跳躍で回避する選択肢が無意識化で消えた。またスリップの罠にかかった時点で直接的に生命の危機を齎さ無い事象に対しては勘が少し鈍る事も彼は見抜いていた。我々前線に立つ武霊術使いは確かに激痛など色々な負荷のある状況下でも耐えられるように訓練されている。しかし臭いは盲点だった。彼はそこを突いてきた」
武霊術使いの教官の推測に対し、塾長は肯定するように頷く。
「嗅覚と視覚のタイムラグを見事に利用された。今まで視界を奪われることも聴覚に対しての攻撃も経験がある。激痛を感じようと毒に侵されようとそれでも儂は行動不能にならないだけの訓練を積んでいた。だが……………“嗅覚”は盲点だった。思わず呼吸を止め、ついで僅かな行動の遅延。儂がしまったと思った時には手遅れじゃったな。そこから更にあの攻撃を続けられるのだから…………はてさて、彼をどう鍛えた物かな」
既にほぼ完成している少年に対し、教師陣は皆難しい顔をするのだった。




