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「はぁ…………どうしても公塾はいかんのか?」
アルムの退出後、腹心に孫のお目付役を任せた祖父はアートと向き合っていた。
「ダメです。私塾でなければ、ダメです」
スーリア帝国では皇帝を絶対的な頂点として、貴族並びに豪商と神官、その下に商人、都民と職人がいて、最後に市民、農民の順に身分差が存在する。また、番外として農民の下には奴隷が存在するが、ここでは置いておく。
因みにアルムの身分は市民階級に相当する。しかし、この階級は絶対的な物ではなく、才能があればより裕福な生活を送ることが可能である。その最たるものが、国家資格持ちになり貴族になること。あるいは商人などの私兵や警備員と言った道もある。
ただし、その才能を見出すには然るべき教育機関が必要であるわけで、その為に帝国は昔から教育機関の育成に非常に力を入れてきたという歴史がある。
まず帝国最高の教育機関が『学院』だ。将来のエリート達が集う学舎で、貴族か或いは貴族が保証人になっている者のみが通うことができる。ここでは戦闘関連の教育はなく、政務や純粋な学問のみを教授する。
その前段階となるのが学校である。
こちらは辺境警備隊などを目指す者たちも在籍する貴族の為の学び舎だ。ここでは手広く様々な事を教えており、その一握りが学院へと進めことができる。
無論、貴族以外の学舎もある。それが公塾と私塾、小塾だ。
公塾は複数の豪商がスポンサーを務める学び舎で、辺境警備隊や魔導師団などを引退した者達が教鞭を務めるレベルの高い学び舎だ。その質は場合によっては学校にすら匹敵するものもあり、その分学費もかなり高く、豪商クラスの子供達しか通えない。
私塾は少し裕福な平民用で、簡単な読み書きや算術などの基礎知識から、位の高い人との接し方やマナーなど、仕事を得る為の教育が施される。主に引退した高名な戦士や魔術師が道楽の延長で教授するので公塾よりもピンキリだ。
だがこの2つは国が公認した学び舎であり、補償金も出るという利点もある。
一方、小塾は非公認の塾で、これこそ本当に貴族の道楽だったり、大規模に展開している鍛冶屋や薬屋などが経営する人材育成の為の塾だ。国の補償を受けていない代わりに、教授すべきノルマもないので特化した学びを得ることができる。
閑話休題。
「アルムは、おそらくこのままいけば立派に大成する。もしかしなくとも、あの方を上回る事も十分現実的な話だと思うのだ」
そう言って祖父は、赤色の光を微かに放つ頭骨を見る。
「魔物の単独討伐……幾ら手負いとは言え、魔法は使えたはず。とてもではないが10才の子の成す事ではない。何より驚くべき事が、アルムはそれを大きく誇っていないという事だ。つまり余力すらあったのかもしれん」
元々自己顕示欲がカケラもなかったり極めて物静かな子供なら別だが、下手をすれば掛け算の時の方がアルムは得意げだったのを祖父は実際に見ている。
「あれ程の力があれば、あの好奇心の強さならば、きっとその先で絶対に貴族と関わらざるを得ない。あの方がそれから逃げようとして結局更に煩わされたのはお前が1番よく知っていることだろうに」
アルムの父、カッター・グヨソホトート・カウイルは高名な魔術師としてスーリア帝国では広く知られている。
彼は昔、父の言葉に逆らい家を飛び出すと、惜しげもその比類無き力を振るった。
最初は良かったのだ。並外れて強力な異能に六属性を使いこなし、戦闘のセンスも高かった。周りに並ぶ者もおらず、数多の魔獣を狩り、村を救ったりして英雄になった気分だった。
だがそれだけ大きく動けば、当然貴族たちが見逃すはずが無い。そこら中で勧誘勧誘勧誘の嵐。幾度となくトラブルも起こし、彼は人間と言う物に辟易していった。カッターが何故、口を酸っぱくしてアルムに『安易に実力をひけらかすな』と諭したのか。それを悟ったときには時すでに遅しで、彼は若気の至りで途轍もない苦い経験を味わう事になったからだ。
ムキになって逃げても、何処からか情報は漏れて貴族たちの手は伸びてくる。かといって敵や煩わしいものすべてを破壊するようなことは彼にはできなかった。
彼は最終的に現実を受け入れて、条件をあれこれつけて複数の貴族に仕えたが、その頃にはすっかり軽い人間不信と人嫌いを発症していた。
後にカッターはとある指令の時に(故意に)足を怪我して、これ幸いと臨時引退してそそくさと都市から離れる。その逃避行先で出会った利発そうな少女がアートである。
人間関係や権力、女に辟易し、擦り切れたようなカッターは、周りから聞いていたような英雄らしい男では既に無かった。しかしどこかアートの琴線に触れるものがあたのか、なんだか放って置けないと邪険にされつつもしつこくカッターの元に通い、なにかと面倒をみてやり、最終的にはカッターの方がいつ間にかアートに深く惚れ込んでしまったのだ。
そんな経緯があって、カッターはアルムへの教育は色々と工夫していた。自分と同じ後悔をしないように、貴族などについても幼いころから具体的によく言って聞かせていた。彼は失敗先生としてはまたとない教師だったのである。
アルムがやたら貴族周りの知識が豊富なのはそういう背景があったりする。
「ならば、公塾の方が良いだろう。豪商クラスの子供達が通うだけあって、高い教育水準を誇る。貴族を強く意識した礼儀作法を学ぶこともできるだろう。将来を見据えるならば、多少無理をしても公塾に通わせるべきだ」
金なら私が出そう、祖父はそう言い切った。
「父さん、アルムはね、とってもいい子で、本当に手のかからない子なの…………母親としては、少し寂しいくらいに…………」
そんな祖父の言葉を受けて、アートは窓の外を見つめながら静かに語り出す。
「夫が亡くなってからはとんと静かになってしまって、1人で何かを黙々としていることが多かったわ。1人が好きみたいで、私は見守ることしかできなかった。でも9ヶ月前くらい前だったかしら、たしか唐突に熱を出して倒れたくらいの事ね。あのころから急にアルムが元気になってきたの。だからそのまま気が前を向く様に、そんなつもりで狩りの道具を新調したつもりだった」
そのことは祖父も覚えていた。いきなり前触れもなく弓矢とナイフが欲しいなどと娘が頼んできたのだ。あまりに唐突で少し面食らったのだ。聞けばアルムのためというから余計に驚いた。
「でも、私が知らないうちにアルムは成長していたみたい。止められないほどに危なげなく狩りをしてくるの。私の誕生日の時にはどこで覚えたのかわからないけど、拙いながらも手料理を振舞ってくれたのよ」
その時のことを思い出して、アートは嬉しそうに微笑む。
「子供って成長が早い……そんな言葉では片付けられないほどアルムは凄い勢いで成長しているの。多分、何か目標を立てたのだと思うのよ。何かに向けて、少し生き急ぐようにアルムは成長している。わたしには魔法は使えないから、アルムが今どのくらいの実力があるのかはわからない。少し怖いくらいに、今のアルムがどれほど成長しているのかわからないのよ」
母親としては失格よね、とアートは窓の縁を指でなぞりながら自嘲する。
「多分、気づいたらアルムは私の元を旅立ってしまうかもしれない。それまでにどれだけ母親としてあの子の力になれるか、私は毎日悩んでいるわ。凡人なりに、寄り添ってあげたいのよ。でも公塾はこの街には無い。通うのなら此処からは去らねばならないの」
「…………お前の気持ちは大事にしたいが、あの家がそんなにも大事か?」
「アルムの為ならば、夫もきっと気にしないと思うの。だから、もう昔ほどこだわるつもりも無い。今はある程度割り切れるところまで心の整理もついているの」
「心配なら、お前もアルムに付いていけばいいだろう?」
その為の家も手配してやる、そう言うとアートは首を横に振る。
「公塾には貴族も見学に来る。そうしたらきっとアルムは目を付けられる。そして私が未亡人となれば、私を強引にでも妾に向かいれて完全に囲い込もうと動くわ」
アートは幼少よりそれはもう沢山の求婚を受けている。それだけ美しく街でも有名な才媛だったのだ。妾どころか側室の打診もあったほどである。それをアートはのらりくらりとかわしていたが、それはひとえに自分の身1つで動けたからだ。
結婚時はカッター側の事情もあり、アートの結婚相手の正体は家族内でもほんの一握りしか知らないものの、アートが嫁いだだけあって凄い人物であるとは周囲も勝手に予想していた。なので結婚後はアートにちょっかいを出そうとする者も殆どいなかった。
今はアートの夫が亡くなったこと自体は漠然と伝わっているが、ちょっかいを出す者は今のところ居ない。この地に住む者にとって、ミンゼル商会のトップの機嫌を損ねるような真似は絶対にしたくないことだからだ。
「きっと父さんでもどうしようもできないレベルの貴族が動いてもおかしくはない。けれど私は、夫以外にこの身を許したくもなければ、アルムの足枷にもなりたくないの。でも今のアルムが1人で離れるには幼過ぎるのよ」
アートはギュッと手を握りしめ、俯く。
「夫が亡くなってから、ようやく落ち着いてきたところなの。アルムだってなにかを見据えて前へ走り出してる。だから私自分の力ではどうにもならない事が多過ぎる公塾に通わせるには、まだどうしても怖いのよ…………」
アートの訴えに、祖父は少し哀しげな目付きになり、そして深々と溜息をついた。
「…………今この状況では確かに些か無理があったか。公塾も、もっと後で通っても問題はないしな」
アートが息子の出来が良過ぎるあまりに母親としての価値に悩むように、祖父またあまり顔を合わせないアルムになにかをしてやりたい。
2人とも人一倍アルムの為を思っているだけなのだ。
「であるならば、ゼリエフ私塾で良いな。この街でも最も武勇において優れた私塾だ。彼のことはアートもよく知っているだろう?推薦状は私が書こう。それとだ、通うにあたり、いい加減家に戻ってきてはくれまいか?アルムも毎日毎日馬で往復するのは辛いだろうし、お前だって若作りだが無茶のきく年では無くなってきているだろう。それに魔物を狩れるにしてもやはりあの子を野放しにするのはまだ早いと思うのだ」
「………………そうね、姉さん達も、もうわかってくれた気がするし」
アートは窓から空を見上げつつ、1つ心に区切りをつけるのだった。




