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「…………アルム」
「ん」
アルムが滞在を開始してから4週間、“約束”の履行をアルヴィナがしてからの2人のイチャつきぶりは、アートが思わずラーグの家に避難するレベルだった。
しかしアルムとアルヴィナが共にいる期間のタイムリミットが近づいている事はアートもよくわかっている。愛する人と離れる苦しさと寂しさは1番理解している。
なのでアートはアルヴィナに「『子供が出来ました』だけはまだダメよ」と言い聞かせてアルムと好きにさせた。
すると吹っ切れた上に免罪符まで得たアルヴィナはキス魔と化して、アルムもそれに完全に毒されていた。スイキョウも隙あらばイチャつくアルム達に、これじゃ完全に重度のバカップルだぞ、と思いつつもこの後の事を思えば口を出す事など出来なかった。
そんな訳でアルヴィナはアルム家に頻繁に泊まる様になり、今日も寝る前にラッコ座りしてイチャついてキスをせがんでいた。
アルムも最初こそ身体がガチガチになっていたが既に慣れ始めスムーズにその希望に答えるが、そこでアルヴィナがふと呟く。
「これで、アルムはキス解禁なのかしら?」
「え?」
アルヴィナの言葉に首を傾げるアルムに、アルヴィナはふいっと顔を背ける。
「リリーさんは私に配慮してアルムにキスをしなかったらしいわね。そしてそれを踏襲する形でフェーナさん、レーシャさん、ジーニャさんも貴方にキスはしていないそうね」
それは恋人のみのグループチャットでも既に確認されていることで、アルムはコクリと頷く。
「でも……………今は、その、こうしてお互いに完全に慣れるきまで沢山してるでしょ?」
アルヴィナが散々しておきながら顔を赤らめつつ言うのでアルムも釣られて顔が赤くなるが、再びコクリと頷く。
「そうなると、フェーナさん達もアルムに対する歯止めが緩むのでしょうね、と思ったのよ」
デリケートな事についてそっと呟くアルヴィナにアルムは少し気まずそうな笑みを浮かべ、そしてアルヴィナをギュッと更に抱き寄せてアルヴィナにキスをすると囁く。
「僕からするのは、またアルヴィナに会えるまではアルヴィナに対してだけかな」
アルムは我ながら最低な折衷案だと思いつつも自分の正直な思いを告げると、アルヴィナは「何よそれ」と言いつつもアルムに更に身体を寄せて、アルムの片耳だけのリングピアスに触れるて少し嬉しそうにクスっと笑う。
「リリーさんが完全に拗ねちゃうわよ?リリーさんだけずっとお預けだから、再会したら凄いかもしれないわよ?」
アルムの里帰りはアルヴィナとアート以外には『通信機』で告知されている。フェシュア達は当然としてレイラも里帰りの件は聞いている訳である。
距離的にはアルヴィナより余程、と言うよりリタンヴァヌアからテュール宮廷伯爵の屋敷まで直接距離約100km程度なので、レイラに会う事の方が容易である。
しかしレイラは日中はほぼテュール宮廷伯の愛娘の側に仕え、フリータイムにはレイラの側使えと言う名の宮廷伯の家臣である監視者が張り付いている。
ただしレイラを雁字搦めにしている訳でもなく、レイラに不用意な接触を図る者がいないかガードする優秀な監視者達なのである。
レイラを信用してない、と言うよりはレイラの異能があまりに取り扱いが難し過ぎるが故の配慮なのだ。
特別にレイラの為に誂えられた自室では自由行動が許されるが、逆を返せばそれだけしか自由は無い。
あまり自室内で【幻存】を発動すれば、アルムの様に勘付く者いるし宮廷伯側も何か良からぬことでもしているのかと勘繰ってしまう。
そもそもテュール宮廷伯の自体が武闘派の貴族で、屋敷には多くの凄腕がおり要塞の如く屋敷が守られている。
そんな屋敷にはアルムとて侵入は不可能である。例え魔力遮断の布で探査から免れる事ができても、武霊術を極めている連中は直感で異分子を察知する。
ラレーズはそもそもの存在自体が植物なので種から出現されたら察知は困難だが、アルムの様な実力者がいきなり現れたら余計に強者ほどきっちり反応する。
それはあまりにリスキーで、それが実現できる人物などアルムはイヨドしか思い当たらない。
しかし彼女は気紛れで、一度した事には少し鷹揚になったり、アルムの精神面で重大な影響を引き起こすと判断した場合しか動かない。
例えばアルムのローブも最初はイヨドの完全な独断の善意だった。
アルムはその技術があると知ったからこそ、イヨドも自ら明かしたからこそ、アルヴィナの黒ローブの加工や現在地を知らせるネックレスやミサンガの加工も承諾したのである。
レイラの現在地を捜索した時はその中でも極めて特例中の特例だったが、アルムの精神面を考慮して探すだけはしてあげたのである。
謝罪の手紙やプレゼントの配送も、自らが転移という技術を持っており、前者はアルムの精神面を考慮して、後者はプレゼントは自分も関わったのが後押しして動いたのである。
レイラに関しては、一度ラレーズを仲介したやりとりもする為にイヨドが動いている。つまり既に特例は取っており、アルムの精神を大きく狂わせる事もない。アルムがレイラに逢いたいと頼んでも、そのうち会えるのであろう?バッサリ切り捨てられる事はアルムも予想していた。
加えてモチベーションがあればより鍛錬にも身が入る。レイラに下手に合わせて満足されて鍛錬の質が下がるような可能性があるならイヨドも動く訳がなく、またイヨドにとって3年など短い期間であり、そこにもアルムと感覚に相違がある。
アルム自身も自分に再三言い聞かせているが、イヨドは別に自分の使い魔ではない。
勝手に世話焼いてくれる近所のおばさんに近い存在なのである。あくまでそれは彼女の善意などからくる行動であり、彼女の判断で全ての裁量が決まっている。
なのでそんな人に高価な物をおねだりする方がそもそも間違いなのはアルムも理解している。1度してあげた事だからまあこれくらいはいいか、くらいの感覚でやってもらう事が多いだけで、いつそれを止めるかも彼女に委ねられているのだ。
失望されたりヘソを曲げられたらその時点でアルムはイヨドに対してなにもする事は出来なくなってしまうのである。
故にイヨドへの頼み事は、結構繊細なバランスを保ちつつ行われるのだ。
母や恋人の命や身の安全に関わるとアルムが言えば、イヨドも多少は耳を傾ける事もある。
しかしただ恋人に逢いたいと言えば、そんなのは知らん、と言われてお終いである。
閑話休題。
アルムはアートや恋人達に色々な事は明かしているが、ワープホール、イヨド、スイキョウの3点に関しては一切話していない。ワープホールは切札故にスイキョウに強く止められて、イヨドとスイキョウはアルムだけの判断で勝手に喋れる物でもなければ両方に多大な恩義も感じている。
だからとてもぼかしてしかそこにまつわる事柄の言及は一切しなかった。
しかし魔法が使えないので魔法に詳しくないアートは別にしても恋人達も馬鹿ではない。自分達にアルムが贈ったプレゼントが人とは違うレベルの何かが介入している代物である事もなんとなく理解できるし、それについてアルムが話そうとしていない事も気付いている。
唯一イヨドやスイキョウの存在についてかなり深い部分で知ってしまったフェシュアも、イヨドが記憶にロックをかけた事でぼんやりとしか覚えていない。
恋人達も気になりはするが、アルムが言わない事はアルムの為だけだったりましてや自分達に不義理を働くためでない事はアルムの性格から理解している。だから敢えて彼女達も言及も避けていた。
そんな大人な部分のある彼女達だが、流石のレイラもアルムから里帰りをする事を告げられた時はちょっぴり拗ねていた。
アルムのアルヴィナに対する姿勢に関しては色々と納得できる。今後また逢えるかも不透明だから会いにいくのも、しかも母親もいるのだから、実母の温もりを知らないレイラとしては余計にそのアルムの意思は大事にしたいと思っていた。
しかしここから最短でも3年間はアルムは3人娘とずっと一緒で、自分は長期のお預けを食らってしまう。実際の距離が頑張れば会える距離なのが余計に想いを募らせる一助になってしまう。
レイラとしては年上なんだし年長者として振る舞いたいものの、この件には少し凹んでしまうのも仕方のない事だった。
「だから、リリーさんに再会した後の1回目のキスは、アルムがしてあげてね。ククルーツイではアルムの為に色々な物を与え、アルムに常識を、そして男としての振る舞いを教えてくれた彼女には、複雑な思いもあれど私なりに感謝しているのよ。だから、ね?」
優しく言い聞かせるようなアルヴィナの言葉に、アルムは自分の情けなさを呪い少しすまなそうな顔をしつつ小さく頷くのだった。




