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3月末、契約終了日。アルムはレシャリアの修練の成果をイラリアに披露した。
結果は上々。イラリアはレシャリアの成長具合に大変喜んで、契約通り500万セオン払うだけでなく250万セオンを更に追加ボーナスと支払った。
また、レシャリアと共にその関係性の変化がした事や、レシャリアがルザヴェイ公塾に通いたいと思っている旨も全て話した。アルムは果たして許してもらえるのかヤキモキしていたのだが、そんなアルムに対してイラリアは苦笑を持って応えた。
フェシュアからサークリエに、サークリエから此方にも話は既に来ているのだと。
イラリアはあっさりとレシャリアに公塾へ通う事を許可をして金も一切心配しなくて良いと言い切った。ただ、空いた一年はただ自由に過ごすのではなく、リタンヴァヌアで会計の仕事を手伝いなさい、とも。少しずつアルム以外の男性にも慣れる練習をしなさい、と。既にサークリエとは話が付いているから居候は継続して貴方も社会経験の一環として働きなさい、とイラリアはレシャリアにそう告げた。
要する『アルムとフェシュアと一緒に居てもよい』と言う事でありサークリエとイラリアの両名から配慮されている事に慌てたり恥ずかしがったりとレシャリアは色々と忙しい事になっていた。
そんな訳でレシャリアはリタンヴァヌアでの居候は続行。今は会計業務をフェシュアから仕込まれている真っ最中である。
「そう言う事だったのですね」
冬休み終了を目前にし、まだやってない宿題がある事が発覚し家に拘留されてるレグルスを放置し1人イラリアの店へ訪問したジーニャは、アルムだけがジーニャを出迎えた理由についてアルムから全てを聞き漸く納得する。
「……………つまり、御膳立てされているのですね?」
「自分でそれを言っちゃう?」
レシャリアの元自室で2人きりのアルムとジーニャはお互いになんとなくかしこまって対面して座っていたが、ジーニャの言葉に少し緊張して表情が固かったアルムは苦笑する。
そう、レシャリアの件も終了し今日はイラリアもオフの日なので、本来はアルムもイラリアの店に来る必要がない。
ジーニャも今日はイラリアも休日だと事前に知っておきながらアルムに会えない事を胸中で嘆きつつ来たのに、冬休み中に決着がつけられなかったので長期戦決定だと思っていたのに、行ってみればイラリアは何処かに出かけていて、家主不在の中でアルムがジーニャを出迎えたのだ。意味不明な状況にジーニャも流石に最初は混乱していた。
「じゃあこっちも1つぶっちゃけると、レグルス君の終わってない宿題ってヤツ、本当はまるっきり嘘なんだよね。前回会った時にレグルス君とその話はして一芝居打ってもらったの」
「…………………全然気付きませんでした。母様にも珍しく烈火の如く叱られあの父様にも苦言を呈されていたのに、兄さんも相当の役者ですね」
「今頃ネタバラシして拍子抜けされてるんじゃないかな?」
なお、実際はアルムが頼んだ訳ではなく、アルムに事情を打ち明けられてそれを面白がったレグルスが自ら提案したのである。
なのでありもしないやってない宿題もアルムがその場ででっち上げた物で、レグルスはノリノリで演技をしていたのである。
ただ1つ、彼にとって超大誤算だったのは、アルムが適当にでっち上げた宿題のダミーが余りに質が良過ぎてネタバラシしたのに中々信じて貰えず、ジーニャが帰ってきてようやく本当に誤解が解かれるハプニングが起きた事である。
だが、いつも叱られてばかりの母と妹にちょっぴり驚かせてやろうとレグルスが自分で提案したので、ある意味自業自得である。そしてそれをアルムが知るのも少し後の事である。
なのでそんな事になっているとは露ほども思ってない2人は、今頃相当得意げな顔でもしているんだろうな、とレグルスの表情を想像して苦笑した。
「フェーナさんとレーシャさんには、前回お会いした時に彼女達の抱えていた秘密やアルムさんとのお付き合いを始めた事まで既に全て打ち明けていただいておりますの。ですので、本当の予定では私の結論をお二人に答え、どうか、アルムさんと話し合う機会を取り付けていただけないか、恥を忍んででも頼み申し上げるつもりでした」
「だとすると、今日1人だけ僕がここにいるのが2人の総意って事は言っておいた方がいいね」
その上イラリアまでわざわざ家を開けているなど全てが筒抜けに違いない、とジーニャは苦笑する。
「流石に此処まで御膳立てされてしまうと、少し恥ずかしくも思います」
そして少し素直に、ジーニャが顔を赤らめつつ微笑むと、アルムも少しすまなそうな顔をしつつも微笑む。
「ごめんね、なんか大がかりになっちゃって。でも今日はジーニャさんに沢山話さなきゃいけない事、話したい事があったからこの場を用意して貰ったんだよ」
因みに家を開けているイラリアはただ2人に配慮して家を闇雲に開けているわけではなく、割と近くで家の防御結界の維持に専念して盗み聞きでもしようとする不届き者が万が一いたら容赦無くとっちめてやるつもりで待機しているのである。
なのでジーニャが思ってるよりも更に、割と大掛かりでこの場は用意されているのだ。
「私が伺いたいのは、たった2つです。アルムさん、私は貴方の足枷にはなっていませんか?重りにはなっていませんか?アルムさんしか見ていなくて視界が狭くなっていて、貴方に逢えることも無くなるかもしれないと思った時、私は漸くそれに気付いたのです。ですので」
少し寂しげで悲しげな表情で俯きつつ言葉を紡ぐジーニャ。正座して膝の上に堅く握りめられたそんなジーニャの手をアルムはそっと握って言葉を遮る。
「そんな事無いよ。ジーニャが僕の為に影で動いてくれていた事は知っているよ。足枷どころか、礼を長く言わずにいた僕が謝罪しなきゃいけないぐらいだよ。本当にありがとう、ジーニャさん」
完全に不意打ちの言葉は、少し自虐的になり荒んだジーニャの胸にスーッと染み渡り、表情の制御に慣れてるはずのジーニャの瞳に涙が浮かぶ。
そんなジーニャにそっとハンカチを渡すアルムに、ジーニャは一滴の涙が頬をつたりながらも微笑む。
「アルムさん、あなたはいつでも私の理想を超えていて、本当にいつも優しいですね」
「そんな事ないよ。全員に同じように気を向けるのはやっぱり無理なんだ。好意を抱く相手だからこそ、ちゃんと細部まで見るし、だから気付けることもある。婚約者が2人もいる状態で新しく2人の恋人ができて、その2人に背中を押されてようやく踏ん切りがつく様な、そんな優柔不断なダメ男が僕なんだよ。ジーニャさんが思っているような完璧な人間とは、僕は程遠いよ」
そんなジーニャに対して、頬をぽりぽりと指で掻きつつ苦味のある笑みを浮かべるアルム。
しかしジーニャの瞳の熱は治るどころか強くなる一方だった。
「そうやって自分の弱点も認められ正直に言えるのもまたアルムさんの美徳ですよ」
ジーニャの真っ直ぐな発言にアルムは「それは開き直ってるだけなんだけどね」少し恥ずかしそうに白状した。
「その、ここ1週間、改めてジーニャさんの存在についてよく考え向きあったよ。そして今後どうしていくのかも」
そしてそのまま本題へ繋げようとするアルムに、ジーニャは先に言いたいことがあるので少し待って欲しいと言う。
「それでしたら、既に結論を出されているとしても私の気持ちは1つです。私は貴方を、この命尽き果てるまでお慕い申し上げる所存でございます。お伝えしたいのはただそれだけです。もしこの恋が叶わず、家の意向で別の者に嫁ぐことになっても、私の想いは変わりません」
自分の全てを賭けの対価にして、自分の本心を真っすぐに伝えるジーニャ。
まだ15才にもならぬ少女のその混じり気の無さすぎるストレートな熱に、アルムは深く胸を打たれる。
普通に考えれば重過ぎる告白だが、重さではどっこいどっこいのアルムなので、ジーニャの言葉には強く心動かされるのだ。
そして俯き震えているジーニャに愛おしさが募り、アルムはギュッと抱き寄せる。
「ありがとう、ジーニャさん。ううん、ジナイーダ、凄く嬉しいよ。今度は、僕のことについて聞いてもらえないかな?」
ジーニャは抱きしめられ名前を呼んでもらい、感極まりアルムをギュッと抱きしめ返すと、コクリと頷く。
その日、アルムにはまた1人恋人が増える事となるのだった。
◆
「ただいま戻りました」
アルムへの想いが実を結び、今後もまた逢えるし公塾にも一緒に通える事が分かり、人生最高の幸せな気分で、満面の笑みで家に帰着するジーニャ、もといジナイーダ。
そんなジナイーダを引き戻したのは、そんな幸せ気分のお花畑を吹き飛ばすような双子の兄の不躾な大声だった。
「あーーーー!ようやく帰ってきた!おいジーニャ、頼むから証明してくれよ!俺は嘘ついてないってジーニャなら分かるだろ!?」
ジナイーダの幸せの余韻を吹き飛ばす兄の大声にイラッとしつつ、一体なんの話かと自分が部屋に入ってくる前にレグルスと会話をしていたと思われる母を見やると、奥方は溜息をつく。
「ジーニャ、今日見つかったこのレグルスの宿題の件についてなのですが、レグルスは本当は全て芝居で、この宿題もアルムさんが作り上げたフェイクだと主張しているのです。どう言う事でしょうか?」
机に置かれた1枚の紙を持ち上げる奥方。ジナイーダは何か想定と違うと思いつつも、その紙を受け取る。
それはジナイーダも見慣れた公塾の算術の宿題のプリントで、思わずジナイーダもこんな宿題あったかしら?と考えるが、それがアルムの作り出したダミーである事を思い出す。
「母様、私もアルムさん本人から伺っております。兄さんの宿題を手伝った時に見た宿題を参考に自分がダミーを作ったと仰られていました」
予想外の娘の答えに奥方は首を傾げる。
「それは不思議ですね。その一律の書式は明らかに刷った物ですよ?そしてこの活字体もいつも宿題で拝見する物と同じですよ?」
そんな奥方の言葉にレグルスが吠える。
「だ、か、ら!アルムが魔法で模倣したんだよっ!」
そこでジナイーダはアルムがなにをしでかして、そして如何にこの状況が出来上がったのかを理解して苦笑する。
「母様、アルムさんは恐らく母様が想定していらっしゃる遙か上をゆく魔力操作の技能をお持ちですよ。私、先程拝見させて頂いたのですが、アルムさんは炎を糸状にして針の穴に通す曲芸の様な事をしておられました。
恐らくアルムさんには、獄属性で染料を生成し水の魔法に混ぜて書式を模倣した物を魔法で書き上げる程度は容易いのでしょう。
私もアルムさんが別れ際に何を仰りたかったのかようやく理解できました。アルムさんは偽物と一応判るように、紙の裏面に非常に小さく『偽物です。ごめんなさい』って書いたそうですよ」
ジナイーダもまさかこんなに精巧な偽物を作り上げてるとは思ってなかったのでアルムが何を言いたいのかいまいち合点がいかなかったが、実物を見てなぜそんなことをしたのか理解する。
それを聞いて奥方はジナイーダに渡されたプリントを裏返す。そして『もしかしてこの変なシミのような物?』とプリントと額をくっつけるほどに顔を近づけ、更に光で透かすと、その滲みの下にうっすらと小さく『偽物です。ごめんなさい』と書いてあることがギリギリ判別できた。
そこにわざわざごめんなさい、と謝罪が入っているあたりレグルスではない事は明確で、それがアルムによる物だと奥方も納得せざるを得なかった。
「俺、その話聞いてないんだけど」
「まさか兄さんが信用してもらえないとはアルムさんも思っていなかったのでしょう。それは混乱させるであろう父様と母様へのメッセージだったそうです。大変良い御友人をお持ちになりましたね」
レグルスも奥方から奪い取るようにプリントを受け取ると、その裏に確かに『偽物です。ごめんなさい』と書かれていることに気付く。
なんだよそれ〜!と叫ぶレグルス。それを教えといてくれれば半日に渡りこんなバカらしい言い争いをしなくて済んだのに!と思うが、それはいつものレグルスの行いのせいというのも大いに関係しているのだろう。
「レグルス、ごめんなさいね。まさか本当だとは思わなくて」
真実を知り素直に奥方に謝罪されるが、レグルスにとっては色々と複雑な物がありなんとも言えない表情になるのだった。
◆
元は自分が撒いた種なので、むしろノリノリでアルムに本物ソックリの偽物宿題を作らせた張本人の為に誰にも文句を言えずトボトボと部屋を出ていくレグルスを見送ると、奥方の関心は当然ジナイーダに向く。
「レグルスが一芝居打ってこんな手の込んだ真似までして、今日は一人で訪問した様ですが、ジーニャはどうしたのです?本来ならまでお昼頃に帰宅するのに少し早いようですが。それと先程から随分頬が緩んでいますが気付いていますか?」
奥方にそう指摘されハッとして思わず頬に手をやるジナイーダ。
レグルスの騒動が終わった事でまた幸せを思い出し勝手に頬が緩んでいたのに気付けなかったのだ。
いつものジナイーダからすれば非常どころか異常な事である。
奥方は目を瞑り改めて状況を全て確認し直すと解答を出す。
「仕留めたのですか?」
「これ以上になく見事に“仕留められて”しまいました」
奥方の問いとは少しズレた答えだが、そんなジナイーダは見た事のない程に幸福に包まれた笑顔で、愛娘のそんな顔を見て奥方はフッと微笑む。
「貴方が幸せそうなら何よりですよ」
奥方にとっても、愛娘の結婚相手を選ぶのには非常に難儀していた。自分が産んだ子の中で唯一の女の子、と言うだけではない。
ジナイーダが自分の子の中で最も理知的で献身的なのは知っていた。そんな娘に『この人が婚約者です』と誰かを紹介すれば自分の気持ちを捨ててでも従順にその指示に従う事は予測できていた。
しかし愛娘にそれを強いるのは奥方は嫌だった。何故なら自分自身が恋愛結婚で結ばれたからだ。その幸せを愛娘にも母として与えたかった。
だが、『良い子』に育ち過ぎたジーニャが此方の意向を無視して動くようにも思えず、ではジーニャを幸せにしてあげられる相手を見つけてあげようにも娘のスペックが高すぎて中々それも見つからない。
かと言って凄い位の高い貴族に引き合わせてしまえば、自分達の方では何かあっても全く助けてあげられない。
大きすぎる身分差も駄目。かといって能力にも妥協ができない。
1番最高なのは貴族以外の娘が認める実力を持つ男性。
果たしてそんな都合の良い人はいるのかと会長夫妻はかなり頭を悩ませていたのだ。
そこに現れたのがアルムである。
会長夫妻から見てもその能力は素晴らしく、何より娘自身がとても気に入った。
その正体はなかなか判明しなかったが、会長も冷静に考えればサークリエが自分のパワーの強さを理解しているだけに何処かの特定の貴族に肩入れしない事はすぐに分かった。
つまりアルムは貴族でない可能性の方が圧倒的に高いし、サークリエの縁者の時点でそこまで本腰入れて探らずとも妙な素性という線も無いのは明確。
よしんばなにも分からないまま娘が関係を進めることに成功しても、正式に婚約する迄に素性は聞ければ良いので焦る必要もない。
そして万が一の事があっても婚約程度なら破棄させる事も可能という打算的な考えも無くはない。
なので会長夫妻もわざわざ自分達も動いてジーニャへ援護射撃を行ったのだ。
それが功を奏したのなら自分も少しは助力した甲斐があったと奥方も思うわけである。
「それで、彼の正体は聞かせて頂いたのですか?」
ハーブティーを飲みホッと一息つくとさりげなくずっと気になっていた事を問いかける奥方。
そんな奥方に、母に対して、今までに見たことのない悪戯な笑みをジナイーダは浮かべた。
「はい、教えていただきました。驚愕すべき、いえ聞けば納得してしまう正体でしたよ。ですけど、彼の為に母様にもまだ秘密です。御安心下さい。アルムさんも機を見ていつかは伝えたいと仰ってます。そしてアルム様に出自に関連して当家になんの不利益も発生する事が無いことはほしょういたします」
唇に人差し指をあててパチっとウインクした娘を見て、初めて自分に対して隠し事をした娘を見て、家よりも自分の想い人を優先したジナイーダを見て、確かに完全に仕留められていると奥方は微かに苦笑するのだった。




