118
「あっ!」
「ど、どうしたの?」
スイキョウがイラリアと契約を結び、アルムとバトンタッチ。アルムとイラリアの双方ホッと一息つこうとしたところでアルムが素っ頓狂な声を上げる。
「あの、契約の締結自体は問題無いのですが、レーシャちゃんの同意を全く得ていないことに今更気付きまして………………」
外野がどうこう言おうと最終的にはレーシャの頑張り次第と言っても、そもそもレーシャが同意しなければ男性恐怖症はむしろ悪化してしまうのでは?などと本当に今更な疑問が湧き出すアルム。
そんなアルムにイラリアは苦笑する。
「本当に、どっちがあなたなの本性なのかしら?不思議な子ね。でもそこは気にしなくて良いわよ。どうせこの内容は聞いてるでしょうし。ねぇ?レーシャ、フェーナっ!」
イラリアが天井部分の一点に向けて声を張り上げると、今までやけに静かだった上から2階の床が僅かに軋む音が聞こえる。
「構造的な問題かはちょっとわからないけど、床にぴったり耳をつけると一階部分の音が聞こえやすいポイントが少しだけあるみたいなのよね。金属性魔法で強化しながらだと絶対聴こえてるわ。元々森棲人って耳のいい種族だし」
「聞こえてても結局同意を得たわけではないですよね?」
アルムが一応指摘しておくと、イラリアは肩を竦める。
「本当に嫌ならレーシャの性格的に必ず私を止めにくるでしょうし、フェーナだってついてるわ。あの子の場合はレーシャよりも余程しっかりしてるから、レーシャや貴方にとって不利な契約なら、サークリエのおば様の名を出してでもフェーナは交渉を中止させようとするわよ」
それほど賢いから、レーシャを任せて置けるんだけどね?とイラリアが締め括ったタイミングで、弱々しくドアがノックされる。イラリアは今迄寄り掛かかっていたドアから離れてそのドアを開けると、そこには気まずそうなレーシャと、平然とした感じのフェーナがいた。
「盗み聞きコンビさん、契約に何か問題はあったかしら?」
イラリアがクスクス笑いながら問うと、レーシャはあうっと鳴いてたじろぐ。
「ぬ、盗み聞きなんて……その……」
胸の前で指をツンツン合わせながら目を泳がせまくるレーシャに、イラリアはサラッと指摘する。
「床に耳を押し付けてたから耳や頬が片方だけ赤いわよ?」
すると顔を赤らめてサッと右耳を手で覆うレーシャに、イラリアはより体を震わせてクスクス笑う。
「嘘よ。赤くなって無いわ。安心しなさい」
「えぇ!?」
カマをかけられたことに気付いたレーシャは大きく動揺し、フェーナはあっさり騙された親友に溜息を吐き、話が進まないと思ったかレーシャの前に出る。
「私としては思わない、特に問題点があるようには。ただ、ウィルに少し聞きたい。スケジュール的に私を鍛えるのはストップってこと?」
フェーナが何方を望んでいるのかはその表情からは窺い知れないが、アルムがチラッとレーシャとイラリアに視線を送ると、イラリアはお好きにどうぞ、と手をアルムに向けるジェスチャーをする。
なのでアルムは首を横に振った。
「勿論続行だよ。1人も2人もやる事あまり変わらないし、鍛錬する仲間がいるって結構大事だと思うし、張り合いもあるでしょ?それにいきなり2人きりなのもレーシャちゃんにとっても良くないかもしれないし、フェーナが居てくれると助かる事もあると思うんだよね。無理のない範囲でフェーナも参加してくれると、僕も嬉しいかな」
アルムがレーシャを引き合いに出すと、フェーナはほんの微かに頬を緩め、レーシャはアルムとフェーナを交互に見て表情がパーッと明るくなる。
「フェーちゃんも一緒だとあたしも嬉しいっ!」
子犬の様に飛びついてくるレーシャをバックステップを踏みつつ受け止めると、腹部に抱きついているレーシャの頭をフェーナは撫でた。
「ん、私からも話はつけておく、師匠にも色々と。私も少しは切ない、親友がニート予備軍では。幾ら胸に肉がいっても限界はある。気付いたら親友が食べ過ぎでブクブク太った芋虫みたいになっても困る。ウィルならスパルタで食生活からきっちり叩き直してくれる」
フェーナがそう言うと、レーシャはビクッと震えて、イラリアは意外そうな顔になる。
「あら、見た目によらずスパルタなの?」
そのイラリアの問いに、フェーナは万感の思いをこめて大きく頷く。
「真摯に向き合ってくれるのは保証するけど、ウィルは超スパルタ。私の運動不足改善の為、師匠とタッグを組まれてこの1ヶ月私はウィルに鍛えられた。その私が言う。ウィルはとってもスパルタ。最初の1週間はかなり辛いと予言しておく」
フェーナの無慈悲な宣告に、喜びから一転、ガックリと項垂れるレーシャ。素直でリアクションの大きなレーシャを見て、フェーナが弄りがいがあると言ったのもアルムはちょっぴり理解してしまうのだった。
◆
「………………ねえ、やっぱり僕は談話室でもいいと思うんだけど」
「今更恥ずかしがることは無い。相互理解の為にコミュニケーションは必要」
「いや、フェーナに関しては寝巻きで僕の部屋によく来るから気にしてないけどね?」
「え!?フェーちゃんダメでしょそんなことしちゃ!」
アルバイトの契約が締結され、イラリアがサークリエに連絡を取ったことで本当に泊まりが決定したアルム。
夕食にはイラリアの手料理が振る舞われ(やっぱり中身は多少男なのか意外と無骨な感じのメニューだったが沢山食べれたのでアルムも満足だった)、イラリアがこだわったという風呂に浸からせてもらい、その後はイラリアだけでなくフェーナとレーシャを交えて正式な日程の取り決めなどを行った。
レーシャもリタンヴァヌアに居候することは歓迎らしく、かなりとんとん拍子で話が纏まった。
問題が発覚したのはその後である。
なんとアルムの寝る場所が無かったのだ。
建物の中は一階は談話室と作業室を除くと更衣室、風呂、台所などがあり、では二階はと言うとレーシャのいる部屋と、衣類を掛けておく部屋や衣類の材料や道具をしまってある部屋だけでいっぱいいっぱい。
因みにイラリアは作業室が私の城だと言って憚らず、睡眠は作業室にある簡易ベッドで十分と豪語していた。
自分の好きな趣味の道具に囲まれて寝るのが1番の幸せとのことで、衣類を製作する作業場は、作業室兼イラリアの自室なのである。
一応作業室の奥にはイラリアの私物をしまってあるコーナーもあるが、本当に物をしまうだけのスペースしかない。
イラリアは一緒に寝ましょ?とアルムを誘ったのだが、狭い簡易ベッドで2人きりは不味いとスイキョウが激しく警鐘を鳴らし、それは断ることに。
アルムはローブを着ていれば身体が冷え切ってしまうこともないので、納戸でも談話室のソファーでも構わないと言ったが、そこは常識的に駄目だとレーシャがストップをかける。
しかしそれが運の尽き。ならばレーシャの広い部屋がいいといきなりフェーナがぶっ込んできた。
フェーナが泊まっていいようにと用意された布団などの一式がレーシャの部屋にあるらしいが、今まで使った試しが無い。どうせ自分はレーシャと同じベッドで寝るし、ウィルがそれを使えばいいとフェーナは平然と述べたのだ。
アルムもそれは良くないんじゃ、と反対するが既に風呂にも入ってしまい泊まることも決定済み。レーシャが止めるならレーシャが責任を持つべきという超理論でフェーナはレーシャを丸め込み、アルムも強制的に部屋まで引き摺りこんだ。
見た目や話し方こそ平然としているが、実は結構フェーナのテンションは高い。親友の男性恐怖症の改善に大きな進歩が見られたし、レーシャが大丈夫そうな相手が自分が気を結構許せる相手と同じとなれば、色々と都合がいい。
加えて毎夜アルムは鍛錬に打ち込んでいるので夜にあまり話せた事がない。見た目や性格によらずこのようなパジャマパーティーっぽい小さな催し物が割と好きなフェーナはアルムを逃す気はなかった。
因みに、アルムは割とフェーナの寝巻き姿は見慣れている。
アルムも自分もオフの日だと、フェーナは寝巻きのままでアルムの部屋を訪れたり、そのままアルムのベッドで二度寝をしてしまう事さえ割とあったりする。
正直フェーナからすれば水着姿を至近距離で晒したので既に怖いものなど殆どなく、アルムもそんな理屈で寝巻き姿のフェーナを特段咎めることもなかったのである。
逆にフェーナからするとアルムはいつ訪ねても起きているレベルなのでアルムの寝巻き姿を見るのは初。その目新しさも押して少しフェーナのテンションは高い。
一方でレーシャは色々恥ずかしいので布団に包まって座っており。自室に同年代の男を入れたことも初めてで緊張しっぱなしである。
普段、イラリアは妹が気にしているのを分かってるので身体の線が出にくい服をレーシャに作ってあげる。
例外なのが寝巻きで、これは他人に晒すことを想定せず、身体がとにかく休まる事だけを目的に作られている。なのでボディラインを隠すための工夫は一切されておらず、冬で厚手の物を着ていても身体の輪郭がはっきりわかってしまう。その為に布団に包まって今は身体を隠しているが、やはり慣れない状況にレーシャは動転していた。
「レーシャちゃんも困るでしょ?」
「でも、迷惑とかそんな事は無いし、ルーム君が風邪ひいたら嫌だし………」
そんなアルムはレーシャを味方に引き入れようとするが、レーシャも客観的に見れば自分の部屋のスペアのベッドで寝させる方が一番良い事は理解しているのでNOとも言えず歯切れが悪い。
結局面倒になったのか、フェーナもレーシャの布団にダイブしてさっさと布団に入ってしまう。
そうなるとアルムも観念して、スペアのベッドを自分で展開させて横になる。
「(駄目だと思うんだけどなぁ)」
《まあ、寝るだけだからな。返って大きく騒ぎ続けるのも相手にプレッシャーになるから、素直にフェーナに従っておけ》
アルムは釈然としないながらもさっさと眠ってしまえと横になる。だが、妙にいい匂いがして少し落ち着かない。そんなことをアルムが思っていると、こっちを見ていたレーシャと目が合い、レーシャは布団を目元まで上げて赤くなった顔を隠す。
「もう明かりは消す」
フェーナはアルムが観念してベッドで寝に入ったのを見て、魔残油製品のランプを消す。
アルムももう寝に入ろうと思い完全に目を瞑るが、そこでフェーナが少し話がしたいと話を振ってくる。
確かにいつもアルムが眠り始める時間よりはかなりまだ早く、アルムの目は冴えている。
鍛錬についてはどうやっていくのかなど真面目な話から始まり、レーシャも巻き込んでアルムたちはそこから談笑をし始める。レーシャも真っ暗ならプレッシャーもあまり怯えず、10分もせずにリラックスした様子で話し始め、数十分も経つといつの間にかレーシャは穏やかな寝息をたてて寝ていた。
「寝ちゃった?」
「むしろ今回は長かった。いつもは自分から話したがるのに10分で寝落ちする」
レーシャが既に眠っている事に気づくと小声で話し出すアルム達。アルムも暗がりにも目が慣れて、フェーナの表情がとても緩んでいることに気がついた。
「ウィル、ごめんなさい。そしてありがとう、今日は色々と無理な要求にも全て付き合ってくれて」
そんなアルムに見た目でも分かる形でフェーナが微笑み、アルムに深い感謝の意を示す。
「レーシャがこうして男の人がいる空間でも寝付けるようになってよかった。ウィルのお陰で今日は色々とレーシャの中にあった壁を壊すことができた。これはとても喜ばしき事」
いつになく素直でストレートに自分の気持ちを言うのは深夜テンション故なのか、表情も心なし豊かなフェーナにアルムは少し調子が狂う。
「それはイラリアさんをはじめとしたレーシャの周囲の人物や、親友であるフェーナがちゃんとレーシャちゃんを支えてあげたからだよ。そしてレーシャちゃん自身が前に進もうとしたから、結果的に壁を壊す事ができたんじゃないかな?」
アルムは自分でレーシャの為に何かした気は無い。レーシャが軽い男性恐怖症を患っていた事もスイキョウでさえイラリアの話を聞くまで分からなかったし、それまでは本当にフェーナの親友として対応していただけなのだから。
「違う。ウィルでなければダメだった。自然と下心無しで親切かつ紳士的に振る舞える同世代なんてそうそう居ない。ウィルが真摯にレーシャに対応してくれて、無理に踏み込まずレーシャが歩み寄るのを待ってくれて、そのおかげでレーシャは貴方に近付けた」
腕に抱きつくことだって、レーシャからすれば本当に一大事だった。大きな怖さも気恥ずかしさもあった。
けれど親友が心許す相手なら、自分の秘密を抱える恐怖に共感を示して直ぐに神に誓う事ができる相手なら、兄の献身やフェーナの気遣いに応えたいなら、やるしか無い。
レーシャはレーシャなりに凄く悩んで腕に抱きつく決心をしたのだ。
ここで僅かでもアルムが鼻の下でも伸ばせばアウトだったが、ロベルタに散々骨の髄まで叩き込まれた紳士たる者の振る舞いをアルムがきちんと守り通したお陰でレーシャにさらなるプレッシャーを与えなかった。
そんなアルムの性質を全て分かった上で、フェーナは今日一日多少強引でもレーシャの背中を押し続けたのだ。
フェーナとてレーシャの境遇には深い悲しみを抱いていた。
自分の前でないと殆ど笑わなくなってしまって、前はダメだと言っても散々フェーナを外へ連れ出したがったのに、逆に男を恐怖しフェーナが心から説得しないとなかなか外に出なくなってしまった親友の姿に。
外へ出る際に、同伴する自分の腕を跡が残るほどキツく握りしめて、それさえ気づかず軽く震える親友に。
慕っていた兄相手でさえも怯えるようになってしまった親友に。
それを表情に表さずただ1人素知らぬ顔で接し続けたが、本当はフェーナもそんな親友の姿を、親友どころか妹であり姉であるような存在が苦しむ様を見るのはとても辛かった。どうにかしてあげたかった。
だがそれはイラリアの献身で大きく改善を見せた。
その時のフェーナはそれを喜ぶと同時に、強大な力を持ちながらなにもできなかった幼い自分を呪った。
それは今もなおフェーナの中で引きずっている事である。
自分が人に何かをしてあげるのが下手だとフェーナは自覚していた。ただ寄り添うだけではレーシャの前に道を切り開けないとわかっていた。
だからこそ、アルムに初めてレーシャがばったり出会った時、レーシャに過敏な反応が無かった事にフェーナは光明を見た。
ウィルならもしかすると、レーシャも大丈夫かもしれない。
故に、敢えて大胆に振る舞ってみたり挑発するような前をしたり、唆したりとフェーナなりに親友の反応を見ていた。平然としていても内心ではフェーナも少し恥ずかしく思っている時もあった。しかしアルムへの信頼に甘え、どうにかレーシャの状況を好転させる道を探した。
結果的に事故とはいえハグもして腕組みもして気軽に話せるようになってこのような空間でも寝れるまでレーシャが落ち着いた。
それはレーシャの幸せを願うフェーナにとって、とっても嬉しい事だった。
その感謝を示すフェーナに、アルムは苦笑する。
「ううん、きっかけは絶対フェーナだよ。僕の事を信頼できる人だってレーシャちゃんにアピールし続けてたでしょ?あと、思い返せば今なら色々わかるかな。レーシャちゃんの事をよく見て無理をさせ過ぎてないかずっと見てたでしょ?何処までなら大丈夫なのか見定めようとしてたでしょ?フェーナこそ、それを外へ表さずやってみせてるんだからよほど献身的だよ」
レーシャの恥ずかしい話を敢えて暴露したりしてレーシャの緊張などを解したり、積極的に話を振ったりしてレーシャとアルムが交流できる機会を作り………………と、多少粗は多かったがフェーナがフェーナなりにレーシャのために努力していた事をアルムは称賛する。
フェーナは自分の行動の意を見抜いたアルムに対して少しはにかみつつ微笑む。
「そういうことに気づくウィルだから、言葉にしてくれるウィルだから、レーシャの信頼を得られた。ウィルには恩返しするはずが貰ってばかり。返済不能になってしまうかも」
フェーナの雰囲気は髪を解いてるのもあっていつもより大きく違い、表情に出る形でクスッと笑うフェーナはいつものギャップのせいで余計に可憐でアルムはつい見惚れてしまい首を横に振る。
「別に貸し借りなんていらないよ」
「だから言ってる、元より理解も求めていない自己満足だと。でも私が貴方に与えられるものは本当に無い。ウィルに伝えられる物が無い、私の感謝を」
そんな事を囁くフェーナに、だったらそれでいいよ、とアルムは苦笑するがフェーナは首を横に振り、今まで見たことも無いほど可憐に年相応な笑みを浮かべて囁く。
「釣り合わせようとするなら、自分の身柄だけ、私の差し出せる最大の物は。ウィルはちゃんと受け取ってくれる?」
雰囲気と相まってその言葉にアルムの顔が赤くなるが、アルムが反応するより早くフェーナはフイッと顔を背けてアルムと反対側に顔を向ける。
「冗談。でもそれぐらい感謝してるし嬉しい。おやすみ、ウィル」
フェーナはそれだけ言うと頭まで布団を被って話を打ち切ってしまう。
アルムは急に体から力が抜けて、激しく拍動する心臓のあたりを手で抑える。
「(言い逃げって酷くない…………?)」
《それこそどっちが本性なのかって感じで結構今のフェーナは確かに可愛かったよな。普段ニコッともしないだけに笑顔の破壊力が余計に高い。更に思わせぶりな言葉からの言い逃げ。悪女ポイント高めだな》
「(ねえ、どうして意識させるようなこと言うの?)」
アルムが弱り切った声で呟くが、スイキョウはケラケラ笑って《経験をつけよ若人よ》と言うばかりだった。




