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森棲人は一般には細身で美麗な種族として知られている。肌は色白で強い日差しに弱く、共通して翠色の眼と細長く薄い特徴的な耳をしている。温暖で清らかな水のある森などの場所を好み、身体年齢がピークを維持する期間が長い一方で少々虚弱で冬場は身体能力が下がるなどの弱点もあるのも特徴的である。
また子供が出来にくい事でも知られており、その為に美麗さと若々しさを保っている期間が長いのではないかと推測されていた。
そんな特徴があるので、大昔の森棲人達は捕らわれたり戦に負けるとなかなか酷い結末を迎えることが多かった。それは見目麗しい女性達だけではない。
非常に中性的な男性達も、戒律的に男しか接する事ができなかったりする者達に強く求められるケースが多々あり、奴隷化されて高値で売り飛ばされたのだ。それほどまでに多少整えてやるだけで女性顔負けの美麗さを男性も持ち合わせているのが森棲人という種族である。
本人達がいくら頑張っても体質的に筋肉はつきにくく、金属性魔法を鍛えた方が良い始末で、女性も逆にかなりスレンダーな体質なので余計に男女の境界が分かりにくい状態であり、森棲人はその状況を自分達でも危機感を持っており、多くは冬に弱いなど体質の似通った部分がある蟲人種などと共生する事で自分達の生物的感覚を無意識的に保とうとする傾向にある。
だがこれも、元々森棲人の祖となる神が女性寄りの雌雄同体の形をとっているからであり、森棲人はその性質を種族的要素として引き継いでいるのである。というよりも、実は原初の森棲人は女性しかいない種族で、その中でも1番生物的に強い個体が男へ転化する事で繁殖していた種族である。
それが他の種族、主に人間と交わることで性質が徐々に変化して最初から男性の状態で生まれるケースが出てきただけで、依然として森棲人は女性の割合がかなり高い。一方で男性個体は先天的に強力なパワーを秘めている傾向にある。
そんな訳で男性もやはり女性ベースな所があり、更には女所帯な場所で生まれ育つので感覚的な素養も少し女性に近い。それを避けるために他の種族達と生活を共にして男には男性の感覚を身につけさせるのだが、こうして極稀に元があまりに女性寄りで開き直ってしまうケースも、ないことはないのである。
「アルム君なら気付くかと思ったけど、気付いてなかったみたいね?信じられないなら一緒にお風呂入ってみる?背中流してあげるわよ?」
《アルム、ダメだ。その扉は絶対に開いちゃダメな奴だ!》
裏のない笑顔でイラリアはクスクス笑うが、スイキョウは割とイラリアの目付きが怪しいことから、『この人完全にあっち方面の人だ!』と本能的に見抜いた。
アルムも流石にほぼ初対面ではそれは無理だと、目が点の状態で首を横に振る。しかしアルムが見てきた中でもイラリアはトップクラスの美麗さで、男であると分かってもここまで完成度が高いとアルムはやはり違和感を感じることが出来なかった。
そんなイラリアに、少し複雑そうな視線をレーシャは向ける。
「あのね、ルーム君。そのお姉ちゃんも最初からこうだった訳じゃないの。その私のために、お兄ちゃんからお姉ちゃんになったの。だからっ」
少し苦しげな表情で語り出すレーシャに、イラリアはパチンと急に手を叩いて話を遮る。そしてフェーナに視線を送ると、フェーナも何か察したのか今度はフェーナがレーシャ抱きついてそのままレーシャをずりずり引きずって作業室から出て行った。
レーシャも何か言おうとしていたのだが、フェーナは結構強引にレーシャを連れて行ってしまい、イラリアはそれを見送ると席を立ってドアを閉めた。
「急にごめんなさいね。でも今ので色々安心した部分があるわ」
一体なんの話かとアルムは首を傾げるが、とりあえずイラリアに座るように用に言われて作業室にただ1つある椅子に腰掛け、イラリアは閉めたドアに寄り掛かった。
「何処から話そうか悩むところなんだけど、とりあえずレーシャが言いかけたのは、レーシャにとっても未だ傷の癒えない嫌な過去が絡んでる事なのよ」
今までの雰囲気とは違う、少し儚げなやりきれない感じの微笑をイラリアは浮かべた。
「あの子、と言うよりうちの一族ってなんでかわからないけど森棲人でありながらとても早熟で男好きのする体付きなのよね。自分の家族ながらもう呪いと言っても差し支えないレベルで、超早熟かつ男好きのする身体になるのよ。貴方もレーシャを見ればわかるでしょ?」
いきなり始まったイラリアの重い話。アルムは男としてなかなか頷き辛かったが、ほんの微かに頷いた。
「別に恥ずかしがることじゃないわよ。男としては自然なことじゃないかしら?ただ、そんな感じだからね、1度だけあの子は誘拐されかけた事があるの。外に出かけた私を呼び戻しに勝手に家を出たはいいけど、持ち前のドジを発揮して蜂に遭遇して、逃げ回ってたら運悪く私達の集落を狙っていた盗賊達とばったり出会ってしまったのよ。
本当にあともう少し私や友達の帰還が遅れてたら、もう取り返しのつかない事になってたでしょうね。あの子があっさり捕まって連れ去られそうになった時、そこを逆に私とかが奇襲をかけて殲滅した。それは運が良かったとは言えるかもしれないけど、その一件であの子の心に深く癒えない傷ができてしまったの」
イラリアは話しながら当時を思い出し少し鳥肌の立った腕を摩った。
「本当にレーシャは早熟でね、当時はまだ幼いのに胸も出始めてるから、それまではあんな感じの中身だから気にもしてなかったみたいだけど、男の視線って奴に敏感になってしまったのよ。恐らく盗賊から向けられた剥き出しの獣欲を見て、視線の質を覚えてしまったのでしょうね。それから男というものがどんどん苦手になってしまって、笑顔も減っていって、最終的に私や父ですら心構えができていない時に遭遇すると反射的に悲鳴を上げるようになってしまって………………あの時は本当に虚しくて切なくて、辛かったわね」
イラリアは沈痛な面持ちで少し俯き、アルムも底抜けに明るいレーシャを襲った悲劇を思い胸が少し痛くなる。
「フェーナがいてくれたおかげであの子はかなり救われていた。あの子だけがそんなフェーナに気にすることなく自然体で接し続けていた。だからこそあの子はフェーナを凄く大事にしてるし信頼して信用している。けれどずっと男が苦手なままではあの子の人生が狂ってしまう。その思った私はどうにかしようと一生懸命考えた」
イラリアの表情はそこでほんの少し明るくなり、フッと微笑むと「それが私の人生を大きく変えたわね」と呟いた。
「男が苦手なフェーナをどうにかしてあげたい。また家族として妹と気軽に接したい。そう思って1人で考え込んだ私がその時出した結論は、『女の姿ならレーシャも大丈夫かも』という変な物だったわ。
私はその結論に辿り着いちゃったら『もうこれしか無い!』って決め込んじゃって、真面目に母と祖母達に女性の格好をしたいと頼み込んだわ」
イラリアは何処か遠く見るような目をしてクスッと笑った。
「今でもあの時のポカンとした母の顔も忘れないし、祖母達も自分達の頬を叩き合って夢じゃないか確認し合ってたのも多分死ぬまで忘れないわね。でも私がもうこれしかないって真摯に訴え続けたら、母達も私の思いに答えてくれた。母は私の為に服を作り、祖母達は化粧の技術を私に伝授した。わざわざカツラまで用意してたのよ。そして母達が見ても女性に見えるレベルまで整えた所で、私は意を決してレーシャの部屋に久しぶりに入ってみた」
そこまで話したところで色々と堪えきれなかったのか、イラリアはクスクスと笑う。
「そうしたら、ビクッとはされなかったけど、レーシャはポカーンとしながらに『とても綺麗なお姉さんだけどあなたはだ〜れ?』って言われちゃったわ。声だって別に意識して変えてなかったのよ?なのにあの子ってば全然気付いてなくて、貴方の実の兄だよ〜って種明かししたら、キョトンとしていたけど、その後直ぐに『お兄ちゃんはなんでスカート履いてるの?』って笑いながら聞いてくれたの」
其れを思い出してかとイラリアは温かみのある笑みを浮かべる。
「あの時はとても嬉しかったわ。長い間私が見れなかったレーシャの自然な笑顔が私の対面で見ることができて。男に対して身構え無い妹を見ることができて」
どうやら女の格好だとレーシャは大丈夫らしい。その一件でそうしっかり結論付けた当時のイラリアは、その後は必死になって女装の腕前を上げた。
レーシャに寄り添ってあげられるように女性としての立ち振る舞いなどから始める色々な事を熱心に学んだ。
レーシャはそのお陰で実の兄であるイラリアに身構えなくなり、以前の如くイラリアに頭を撫でらても鳥肌が立ったりもしなくなった。少しずつ男に慣れ、父にも反射的に怯えが出ることもなくなった。
自分を探しに出た事が不幸の始まりとイラリアは深く思い込んで、その罪を償わなければと非常に献身的にレーシャのリハビリを助けた。レーシャの為にずっと女装をし続けた。
「それからは外へも出歩けるようになって、男性恐怖症は改善していったわ。勿論まだ完治して無くて、誰か深く信用できる人が近くにいないと外を出歩くのは厳しいけどね。それでも元からすればすごく良くなったのよ」
イラリアの献身にアルムは深い感嘆するが、そのもう一方で冷静な部分が1つの疑問を呈す。アルムは流石に失礼だと思いなんとか胸の内に止めようとした。
だがそんなアルムの葛藤もイラリアは見抜く。
「だったら如何して今もこの格好なのか、気になるんでしょ?それが私にとっても予想外だったんだけどね」
イラリアのみならず、その周囲にとっても充分予想外だったが、ハッキリ言うとイラリアは必死に勉強するうちに女装にのめりこんでしまったのだ。努力した分しっかり目に見えてわかる女装が楽しくなってしまった。
しかもなまじ完成度が高すぎる余り思わずイラリア自身でも自画自賛したくなるほどの美麗さで、イラリアと気付かず勘違いした者達が女性に対してよりも熱心にイラリアを口説いた。
イラリアも最初は戸惑っていたが、出来心で一度男達を手玉に取るような真似をしたら背筋から頭の先までゾクゾクとしたこれ迄にない昂揚感と殊の外大きな楽しさを感じてしまった。
周りもネタバラシされてもイラリアがどうしても女にしか見えない。イラリア自身も男の目がレーシャに向くぐらいなら自分で集めてしまったほうがいいと考えてその格好を続けた。
だが姿は中身を表すように、女性の格好をして悪女のような振る舞いをしてみたり服作りも自分までするようになって女装に凝っていった結果、元々種族的に中性的な性質の強いイラリアは女性側へ精神的にも大きく傾いっていった。
その中で若気の至りが転じて若気の扉まで開いてしまう始末。オカマは女性より女性らしいという言葉があるように、イラリアは並居る女性を蹴散らすレベルで女性らしくなっていった。
「いつの間にか目的と手段が入れ替わってたのよね。だから今はもうただの個人的な趣味ね。でも大いに実益を兼ねてもいるのよ」
「実益ですか?」
一体女装にどんなメリットがあるのか、アルムはパッと理由を思いつけなかった。
「私って服屋だけど、小さな個人営業なのは見ての通りよ。オーダーも難しい物が多くて、だから採寸も自分の手でやりたい。もちろん女性のお客様もいらっしゃるけど、この様な見た目だと変に警戒されないし、男性のお客様もこうして綺麗にしてる方がウケがいいのよ。
それに男と女の両方の目線で服をデザインできるのも強みね。
やっぱり服は女性の方が買い求めくれる事が多いから、女性に警戒されないのは凄く大事だし、実際に自分で着ることもあるから服を作る時も着やすように工夫できる。
私のお店は自分で言うのもなんだけれどかなり繁盛してる。その裏にはこんな事情があるわけなのよ」
アルムは今まで考えた事もなかった世界に深く聞き入り、アルムよりオカマという物を知るスイキョウは確かにな、と納得していた。
色々な事があるんだなぁ、とアルムが深い思考に沈み始めていると、イラリアを空気を変えるように再び手を鳴らしてアルムの気を引き付ける。
「で、長い前置きは置いといて、ここからが本題。サークリエのおば様のお手紙には、貴方が上冬の間に暇を持て余すだろうからバイトを紹介してくれないかと頼まれているのよね。
そこで提案なんだけど、うちのモデルとレーシャの家庭教師のアルバイトをして欲しいのよ。勿論、相応のお金は払わせて貰うわよ」
「モデルと家庭教師、ですか?」
アルムが問い返すと、イラリアは頷く。
「サークリエのおば様は絶賛していたわ。全属性を使い、頭もキレて、性格もとても良い弟子だと。3年前にこっちへきたフェーナを追い、その1年後くらいにレーシャはこっち引っ越してきて1年半以上経過してるわ。フェーナはリタンヴァヌアで教育を受けたからいいけれど、レーシャは色々あり過ぎて、休養させてあげる時間が長かったし、私も暇じゃないから継続的に勉強を見てあげられなくて困ってたのよ」
本来ならもっと学んでおかなければならない事も、男性恐怖症のリハビリの時間に圧迫されカットされており、イラリアは妹の身元を預かったはいいがレーシャの現状について悩んでいた。
イラリアは説明下手な超感覚的天才肌なので妹がどん詰まってもなかなかいい助言もできないし、加えて6属性全て使え深く信用のおける、しかも手の空いてる人物なんて見つかる訳が無く、かと言って男性恐怖症が完全に完治してない妹を1人だけ私塾や公塾に通わせるのは不安があり過ぎる。
イラリアが養っても経済的に全く問題はないが、かと言ってこのまま妹をふらふらさせて置くわけにもいかない。
せめて成人までにちゃんとした教育を受けさせたいとは考えていた。
そんな時にサークリエから全属性使えて頭も良いサークリエも信頼のおける人物が送られてきたのは、イラリアは偶然などとは考えてない。これはサークリエが意図的に差し向けているとイラリアは勘付いていた。
だからこそ講義の遅れまで許すと言う文章まで付け加えられているとイラリアは推測したが、実際のところその考えはほぼ正解である。
「文字を読んだり計算することもできるけど、それ以外の基礎知識が弱いのよね。魔法も全属性使いなんてそうそういないし、折角の宝も持ち腐れって訳なのよ」
「確かに全属性を満遍なく使えるとなると稀少ですよね。でも僕でいいんですか?」
イラリアさんならもっといい家庭教師を見つけられるのでは?と意を込めて問うが、イラリアは首を横に振る。
「あまりあの子にストレスはかけたくないし、関わる人はまだ少なくしたいし、って色々と悩ましいのよね。あとは、あの子の男性恐怖症のリハビリも兼ねてるのよ。貴方みたいにレーシャと同世代でありながら、大人びていてレーシャにもプレッシャーがかかり難い美麗な顔と温和な雰囲気の少年は、レーシャにとっていい刺激になる気がして。それにレーシャも驚くぐらいに貴方に打ち解けてるわよね。あんな風に男の子と話すレーシャ、ほんっとうに久しぶりに見たわよ」
フェーナが割と強引にレーシャとアルムを接触させようとしたのも、ただ衝動の赴くままではない。レーシャのアルムへの反応を見て、アルムならレーシャのリハビリにとても良いと考えたからだ。
レーシャもアルムと接するのは恥ずかしさの一方で実は心の底で恐怖を感じていた。
だが親友が深く信頼し身を預けるような人で、顔もかなり中性的な美少年で、柔らかい雰囲気と気の利く紳士的な振る舞いの裏にどこかに親友と似た雰囲気がちょこっとあり、自分の深く信用するフェーナとイラリアの両方の要素を持ち合わせているようなアルムには、レーシャも不思議と普通の男性より恐怖を感じなかった。
そしてレーシャは“レーシャだけが判別できる方法”でアルムの立ち振る舞いに下心が無いことも視抜いていた。
だからこそアルムに気をある程度許すことができたし、フェーナの意図を汲んでレーシャも勇気を出してみようと今日は頑張ったのだ。
しかし見事に頑張りがから回って男の免疫がかえって無さすぎな事が露呈したが、フェーナは嫌悪感や恐怖より羞恥心をレーシャが示したことに、実のところ内心では凄くホッとしていたし喜んでいた。
「モデルはついでね。フェーナは何故か蛇蝎の如く嫌がるし、レーシャはモデルに向かなすぎな非標準的な体型でしょ?別に妥協してもいいんだけど、私にとっての理想体型の男の子がどうしても欲しかった。貴方と初めて会った時、別れた後にすっごく後悔してたのよね。取り敢えず誘うだけ誘ってみれば良かったかもって。貴方、モデルとしては抜群の素材だったのよね。だからモデルを頼むならあの子が良かったな、って引きずってたのよ。今は身長を伸びたから最高よ。
モデルの仕事は極端に難しい訳じゃないけど簡単でもないわよ。試作品とかの感想とか、あとはお客様方の前で実際の動きを見せつつ披露するとか、モデルと言っても結構色々やってもらう感じを想定しているわよ」
ショーウィンドウやマネキンが未発達なので、服のモデルはまだまだ人がこなすのが主流である。また、服は実際の利便性も重要視されるので、まずモデルが着てみせるのは割と当たり前の事。一方で、イラリアの取引相手は商人と言っても帝国公権財商や貴族達。粗相は許されず、ある程度立ち振る舞いも重要視される。
その点アルムは貴族から見ても感心する優美な立ち振る舞いを仕込まれており、頭も切れる。質問にもしっかり答えられる。見た目も体型も良しなので、少年のモデルとしては最高の部類なのが今のアルムだったりする。
「どう?受けてもらえる?」
思ったより結構難しい話になってきて、特に金絡みときたのでスイキョウとアルムがバトンタッチし、コントローラーとなったスイキョウは軽くイラリアに微笑む。
「どちらとも言えません。まずはもっと詳細な仕事の内容や条件、拘束時間、給金について教えていただけますか?」
急に雰囲気が変わったように思えるアルムにイラリアは少々驚くも、ニヤッと笑う。
「そうね、私が初めて会った時はそんな隙のない人を観察するような目付きの少年だったわよね。果たしてどっちが本性かしら?あのフェーナを手懐けたりレーシャの信用をある程度既に勝ち取る紳士的で賢いよくできた子供か、それとも全て計算ずくの恐ろしいまでの切れ者か。別に詰ったりしてないの。個人的にはその目付き大好きよ」
「お褒めに預かり光栄です」
サラッと受け流し話には応じない様子のスイキョウに、イラリアは苦笑する。
「喰えないわね。本当にレーシャと同年代?老獪な貴族でも相手にしてる気分になってきたわよ」
「そうならざるを得ない境遇があった、とだけお伝えしておきますよ」
スイキョウは自分の手前でほんの一瞬、電気エネルギー弾をバチンっとスパークさせる。
イラリアの察しの良さはスイキョウも気付いて、尚且つ少し警戒していた。あまり踏み込まれると危険だとスイキョウの本能が訴えかけてくるほどに、イラリアについては不透明な部分が見受けられた。なのでスイキョウは牽制を少々しておく。
普通は喧嘩売ってるとしか思えない対応だが、元よりサークリエの庇護化にあるのでイラリアも牽制されたら手が出せないはず。スイキョウはかなり打算的にそのように状況を読んでいた。
案の定、強めの牽制を受けたイラリアは喧嘩する気はないと両手を上げて降参の意を示す。
「頼む側にしては不躾に聞きすぎたわね。大事な妹を預けようと思う相手だから少し気になってしまったの。ごめんなさいね」
「いえ、此方も衣類を仕上げていただきながら無礼な真似をしました。申し訳ございません」
牽制に対して強い牽制。謝罪に対し大きな謝罪。相手の行動をミラーリングしつつ精神的な借りを即座に返すどころか更に相手に借りを作らせる。
スイキョウの交渉は既にバトンタッチした瞬間から始まっている。
特に打算的な面があると白状された後で、それを改めて引き合いに出し謝罪をするのはなかなかに嫌らしい事であり、スイキョウは意図的にイラリアに更に精神的な貸しを作らせる。
しかも見た目は13才そこらの少年であり、イラリアがアルムを疑ったりできないことも全て計算している。
スイキョウが割と自分勝手にしながらもうまく世渡りを出来ていたのは、この様な交渉術やその他諸々の技能を身につけているからである。それは元から持っていた素養でもあり後天的にも自ら伸ばした才能でもあり、スイキョウが自信を持てる分野でもあった。
「差し当たり、出来る出来ないを見定める1番の要素は期間と時間ですが、それはどのようにお考えですか?」
そして精神的な弱みを的確に突き相手を微かに揺るがせた所で一気に主導権を取る。
イラリアも直ぐにうまく主導権を取られたことに気付いて少々動揺するが、ここで事を構えると面倒そうな雰囲気しか漂わせていない相手に対し、素直に矛を収める。
「そうね、できるならば上冬は全てで。モデルは4日おきぐらいで、レーシャの家庭教師の方が優先して欲しいわね。上冬以降も可能ならばレーシャを鍛えて欲しいのが本音だけど。
時間はキッチリした制限は設けないわよ。サークリエのおば様に話をつけてレーシャもリタンヴァヌアに居候させてもらうわ。1日6時間鍛えてくれれば嬉しいわね。レーシャの出来によっては更にボーナスもつけるわよ」
「なるほど、居候させれば稽古時間も割と自由に決められると」
いちいち会いにいく手間が省けるのは確かにいいな、とスイキョウも頷く。
「私と、それとレーシャもリタンヴァヌアの13階エリアについては知っているし出入りを許されてるの。稽古の場所に関してもそっちで解決できるんじゃないかしら?」
「そうですけど、師匠が許可を出しますか?」
特に嫌がってるわけではないが、あまりにサークリエに甘えすぎでそもそも許可がおりる内容なのかスイキョウは純粋に疑問だった。
「『誰かに学びを教えることで、教えを受けた者より教授した物の方が更なる学びを得る』。サークリエのおば様はその理念の元にリタンヴァヌアの中は従業員だけで出来るだけ完結させているの。
アルム君だって全属性を対象に誰かに魔法を教えることも無いでしょう?その論法で交渉すればあっさり許可をくれると思うのよね。
それに、バイトの話をこっちに投げてきた時点で私の言い出すことも織り込み済みだと思うわよ」
自分に言い聞かせるようではなく、自信を持ったイラリアの発言にまあ最後はサークリエさんの判断か、と思い話を置いておく。
「具体的に要求する習熟レベルはありますか?」
「うーん、取り敢えず国の指定レベルは全てにおいてクリアしてほしいわね。そこらの私塾ですぐに卒業判定取れるぐらいは欲しいわよ」
「上冬の間だけでですか?」
「サークリエのおば様が見込んだ貴方を信頼しての依頼ね」
果たしてそう簡単にいくかな?とスイキョウは薄く笑うが、イラリアも微笑みを持って返し、いよいよ交渉の最大のポイントに話を持っていく。
「勿論、給料は期待してちょうだい。家庭教師は1日6時間と計算して、1日あたり9万セオン。モデルは時間に関わらず1回15万セオン。上冬に限定しても総額940万セオンってところかしら?」
公塾に通うより余程破格の値段設定だが、あまりに良すぎる話に逆にスイキョウは落ち着いた様子で問う。
「それは目標に到達できた場合の料金ですか?」
スイキョウの問いにイラリアは笑いつつ首を横に振る。
「本当に用心深いわね。目標に到達できたらボーナスで+500万セオンでどうかしら?もちろん、料金の中には口止め料とかも多分に含まれてるわよ?」
「どこからそんな大金がポンっと出てくるんですか?」
思わず呆れるように言ってしまうスイキョウに対して、イラリアはクスクス笑う。
「特級伯の年俸って凄いのよ?それに、今回サークリエのおば様から取る料金、今の総計金額の倍より余裕で超えてるわよ?服屋は趣味の一環だからお金なんて故郷に仕送りして、服のための素材を買い揃えるぐらいしか出ていかないわね。だからお金は結構溜まってるのよ。むしろ国から使えって催促状を頂くぐらいにはね?私の扱ってる服って、そんなレベルの服って事を覚えておいて頂戴ね」
店構えがこじんまりしてるだけでその財はサークリエでも少なくないと言える総資産を持っているのがイラリアである。この程度の出費ではイラリアは痛くも痒くも無いのだ。
守秘義務故にあまり言えないが、イラリアは軍の装備の製作にも招集されるレベルの腕前であり、帝国でも上から5番以内に食い込んでくる凄腕なのである。そっちの方面でも給金が発生してる結果、銀行を経由して国から金を貯めるだけでなく使ってくれと催促状を頂くレベルである。
イラリアにとってはアルムへ支払う給金はむしろ都合のいい出費なのである。
「交渉しようかと思っていましたが、これ以上欲を掻くと宜しくない気がしてきましたよ。では前払いで950万セオン、依頼達成のボーナスを500万セオンと言うことで」
「サラッと条件上げてるように聞こえたけど?」
イラリアがニコッと微笑むが、スイキョウも微笑みを持って返し、イラリアが先に目を逸らした。
「負けたわ。サークリエのおば様もとんだ怪傑を送り込んできたわね」
イラリアは棚の鍵を開けるとそこから契約用の紙を取り出してくる。更には同じ棚の別の引き出しの三重のロックを解錠し、綺麗な巾着を取り出す。台の上を片付けると、その場で契約書を作り上げて、サインをした上で血判までイラリアは押す。
それをスイキョウにイラリアは渡す。
「前払い1000万セオンになっていますが?」
「この袋に入ってるのが丁度切りよく1000万セオン。差額分は、上冬以降もレーシャの面倒を少し見てくれればそれで十分よ。貴方があの子と接してくれるだけでもあの子のリハビリになると思うし。これはただの口頭での頼みであって契約には盛り込んでないわよ」
なかなかうまいこと言うな、とスイキョウはイラリアの交渉術を評価し、クスッと笑う。
「了解しました。まあ、レーシャの頑張り次第ってとこもあるでしょうけど、頑張ってはみますよ」
なにを言っても結局はレーシャ次第だとスイキョウと思いつつ、アルムに声をかける。
「(てな訳で1000万セオンだそうだ。ボーナスゲットすれば残り500万か。順調だな)」
《軽く言ってくれるけど、3ヶ月で1000万セオンって……………》
「(いや、アルムの条件の希少性とかイラリアもチラッと言ったがレーシャの体質の口止め料とか考えれば、極端に異常な金額かと言われれば俺はそう驚かないぞ。で、ここまで話を進めておいてとても今更だが、やるか?)」
《流石にこんな美味しい話は逃す気は無いよ、当然だけど》
アルムとスイキョウはバトンタッチし、アルムはサラサラとサインをすると血判を押す。
「それではよろしくね、小さな先生」
「こちらこそよろしくお願いします」
そうしてまたまた予定外にアルムは大金をゲットするのだった




