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「(ふぅ……………とっても贅沢な使い方をしているね)」
《折角あるから有効活用したほうがいいだろう?》
サークリエとの契約を正式に締結できたアルムはだいぶ精神的もリラックスし、かなり穏和な顔付きになっていた。
なので翌日のイヨドの拷問鍛錬の方も余裕を持って取り組むことができ、確かな成長の手応えを感じていた。しかし相変わらず感情やら記憶やら感覚やらを強制的に弄くり回されている状態は変わっていない。アルムは昼食を食べ終えるといつもの如く図鑑を読んでリラックスタイムと洒落込む気だったが、スイキョウの提案でアルムは新たなリラックス方法を試していた。
それは館内探検で見つけた温泉の部屋で、温泉に浸かりつつ本を読むこと。わざわざ台座までコンクリート擬きで作成し、図鑑にはこれでもかと言わんばかりの防水の祝福の魔法をかけた。
幸い触媒になる素材、主に魔蟲の死骸は膨大な量ストックされている。本来なら時間が経てば経つほど触媒としての性能は落ちるが、虚空で保存すればその問題を簡単にクリアできる。なので殺して直ぐの極めて新鮮な死骸を惜しげもなく使うことができるのだ。
風呂だとお湯の温度はセルフで調節だし、適温でやろうとするとのぼせてしまう。開放感溢れる露天温泉でのまったりとした読書はアルムも結構いい物だと思った。
それから1時間ほどのんびり図鑑を読み進めていると、アルムの探査に何かが引っかかる。サークリエの執務室ではまだ難しいが、今のアルムは13階でもだいぶ探査の魔法ができるようになりつつある。
しかしその正体に思い至った時には少し遅かった。
「あ、ウィル」
「え、あ、えええ!?フェーナ、服は!?」
上下一体のつなぎタイプの作業服を歩きつつ脱ぎ去り、真っ白な肌を晒して平然と温泉に入ってくるフェーナ。
アルムは慌てて目を背けるが、フェーナはなにも思ったかアルムの台座の正面に回り込んできた。
「どうしたの?私は着てる、水着」
ほら、と少し不思議な形状の白いビキニを見せるフェーナ。しかしアルムはドギマギして顔を上に向けてなんとか見ないようにする。
「それって下着と変わらなくない!?」
「下着とは違う、明確に。蟲人種は種族の分岐が1番多くてしかも性質がかなり異なりやすいけど、冬が苦手なのは共通してる。だからシアロ帝国に住む蟲人種は住む場所は似てる、大体温泉の出る場所か比較的暖かい場所。
私は住んでいた、温泉の出るところに。私の種族は多い時に1日で3回は温泉に入いる。リタンヴァヌアは薬のためにも館内の気温が一定しているけど、身体に染み付いた習慣はなかなか治らない。体が温泉を求める」
「それは知ってるけど格好が下着っぽい理由になってないよ!?」
アルムもお手伝いの一環で家族の服を洗っていた事がある。当然その中にはアートの下着もあるわけだが、アルムも特に気にせず洗っていた。だが下着みたいな、むしろ下着より面積が狭い物を着て同じ年代の美少女にうろちょろされるのはアルムのとって目の毒だった。
「蟲人種は外見的に人間と違う点でわかりやすいのは、触角と羽根があること。帝国では温泉には湯着が一般的だけど、蟲人種はそのまま直ぐ温泉に浸かれて羽根を伸ばせる衣服を考えた結果、この形態に辿り着いた」
フェーナが背中を見せると、首から肩甲骨にかけて髪の色と同じ綺麗な虹青色の羽根が背中に張り付くように生えていた。
アルムもそこで好奇心に負けて舐めるように羽根を観察すると、フェーナは探査の魔法でギリギリ分かるくらいに顔が赤らんだ。
「少し恥ずかしい、あまりじろじろ見られると。大瑠璃蝶人は羽根も性的なアピールポイントになる、男性にとっての女性の胸の様に」
それを聞くとアルムもハッとして謝罪して離れる。
「ごめんね、不躾に見て。でも形も近くで見てみると線がきめ細やかで凄く繊細で、色もとっても一口に水色っぽくても見る角度で微妙に青の濃さが変化して綺麗だったよ。まるで宝石みたいだね」
アルムがそう言うと、フェーナは団子ヘアを解き長いストレートの髪でカーテンの如く羽根を隠し身を捩る。振り返り、微かにジト目でアルムを見る。
「口説いてる事と同義、大瑠璃蝶人族において羽根を褒めるのは。特に宝石の様だと評価するのは最上級の褒め言葉。知っててやってる?」
フェーナは特殊な握手をアルムが自然にやって見せたことで相当にアルムは知識があると思っていた。また羽根を褒めることが口説く意味合いを持つのは大瑠璃蝶人のみならず他の蟲人種にもそこそこ見られる風習だ。
故にアルムの本意がよくわからない。フェーナは特段表情に出にくいだけで普通に感情はある。いきなり情熱的に口説かれたらそれは恥ずかしさも感じるという物だ。
「あ、ごめん。完全に失念してたよ。別に口説くとかそんなつもりじゃ無くて、ただ単純綺麗だなぁって思ったからさ」
しかしそこは天然のアルム、とばかりは今回は言えないだろう。知識として知っていても故郷は北方で寒い気候なので蟲人種などおらず、ククルーツイでも特に接触がなかった。
ただ単純に忘れていて、紳士的な意味合いもこめてアルムは褒めたつもりだったのだ。
因みに、蟲人種は共通して女性はかなりスレンダーな傾向にありその代わりに羽根や他の部位が発達しているケースが多い。
「別に怒ってはない。褒められたのは素直にとても嬉しい、手入れを頑張っているだけに」
アルムもちょっとずつフェーナの姿にも慣れてきた、というより種族的な壁は自分から乗り越えなきゃ、という気持ちでなんとか目を逸らしたくなる気持ちを抑える。
しかしやはり下に目を向けられず、自然と視線は上へ向けられる。種族的な特性は理解できても、本能までは簡単に制御できないのだ。
髪を下ろしたフェーナはグッと印象が変わり、湯気に当てられて独特の色気があった。
フェーナはアルムの視線に気付きつつも湯に浸かり解れた羽根を広げ、とても柔らかなモコモコした布に薬を垂らし軽く揉み洗いし始める。
背中に折り畳まれくっついていたときにはわからなかったが、羽根は広げると腕を伸ばしたくらいの案外大きいサイズであることにアルムは気づく。
細くしなやかな手で繊細に丁寧に羽根を洗うフェーナ。質感などが気になり触れて確かめたいアルムはウズウズする。
そんなアルムにフェーナは気づき首を横に振る。
「不用意に触るとダメ、羽根に少し毒がある。それに異性が羽根に触れるのは色々と問題がある」
「え、あ、いや、声に出てた?」
「わかる、そんなに羽根を凝視して手をそわそわしていれば」
アルムは自分の心を見抜かれて決まりの悪そうな表情になる。フェーナは相変わらず気にした様子も無く羽根の手入れをしているが、アルムは気まずくってとりあえず話を振ってみる。
「ねえ、その羽根って実際は飛べないんだよね?」
「そう。実際に空を飛べる者は存在しない、有翅系の種族でも。いたらしいけど、昔には」
鳥人種でも蟲人種でも複獣人種でも羽根はついていたところで飛べる存在はいない。伝承で幾つの強大な種族が飛べたとされているだけだ。
だが触角やその他器官は見た目通りの機能を持っている事が多く、サークリエが異種族を雇うのも彼らが間隔的にとても優れているからという理由がある。
例えばフェーナの触角は周囲の匂いや魔力流の感知を大きく補助している。一方で本来の鼻の嗅覚はあまり発達しておらず、味覚も若干鈍い傾向もある。
「御先祖様が神様から授かった物なんだろうけど、使えないならどうしてずっとあるんだろうね?」
アルムがふと何気なくつぶやくと、フェーナはズバッと切り返す。
「それはアルムをはじめとして男になぜ乳首が存在するのか考えるほど不毛なこと」
綺麗な顔してとてもインパクトのあるワードを吐くフェーナに、なぜかアルムの方が気恥ずかしさを感じてアルムはうつむいてしまう。
「でもわかる、言いたいことは。正直無くはない、ふとした瞬間に邪魔だと思うこと。私は嫌い、羽根で背中が蒸れたり肩がツッパたりするの」
大瑠璃蝶人族にとって羽根はセックスアピールの強い重要な部位だが、手入れは少し手間がかかるし服にも少し工夫が必要だったりとフェーナ自身邪魔に思うことは度々あるのだ。
しかしそれはフェーナが大瑠璃蝶人でもかなり美麗で大きな羽根を持っているが故の弊害。
巨乳な女性が「実際の巨乳は揺れると痛いし肩凝るし蒸れるし下着選びも少し面倒」と不満を言うのと似ていて、他の大瑠璃蝶人族などの女性が聞けば歯軋りしたくなる無い物ねだりである。
また、まだ年齢的にフェーナは分泌がそう多くないが、羽根が大きければ大きいほど大瑠璃蝶人などは羽根から特殊なフェロモンを多く分泌する。
それは一般的に異性を惹きつけるフェロモンで、同族ほど効果は高くないが異種族でさえも多少は影響を受ける。
つまり羽根が大きくて美麗なのは同族とプレーンである人間の男性のほとんどが特に影響を受けるセックスアピールなのである。
殆どと言うのは、貧乳派が一定数いるように高すぎるフェロモンを逆に忌避する者も一定数いるためだ。
アルムが初対面でゾクゾクしたのもその体がフェーナの発するフェロモンに反応したからだったりする。
「あの、でも、混ぜっ返すようで悪いけど、こんな至近距離で水着でも平気なの?蟲人種が温泉好きとか水着という文化があるのは知ってるけど、これが普通なの?」
そのフェロモンは風呂に浸かり羽根を広げるってブワッと広がる。なのでどうしてもアルムにさえ奇妙な気持ちを惹き起こさせる。
そんなアルムの言葉にフェーナはフイッと顔を背け、少しだけ距離を取る。
「普通は女性と男性の入る側は自然と右か左の何方に別れる、間仕切りまでは設置しなけど。少なくとも10mぐらいは境界線を引いて離れる」
「だ、だよね!?おかしいと思ってたんだよ!フェーナは綺麗なんだからもっと余計に気にしてよ!」
アルムはフェーナが台座の向かい座った時点で既にだいぶ動揺していたが、あまりに違和感なく普通通りに振る舞うフェーナになかなか指摘できずにいたのだ。
「私、ウィルの事がいろいろ気になってた。蟲人種は筋肉はあまり発達しない、皮膚とかは丈夫だけど。私は間近で見たかった、ウィルは凄く筋肉が綺麗だったから。ウィルも私の羽根をじろじろ見たからお相子」
そう言われるとなにも返せず言葉に詰まるアルム。そんなアルムにフェーナが微かに口角を上げたことでアルムはフェーナに軽くからかわれていたのだと思う。
「私は宣言通り、貴方へは恩義を返す。例え“神に誓って”も出来る限り援助はする」
何処までも独特なフェーナにアルムがペースを掻き乱されていると、妙な沈黙を破るようにパシャパシャと遠くから水を蹴って歩く音が聞こえる。
そしてバシャンっと大きく何かが跳ねる音がして、アルムは上から降ってきた緑色の塊を抱きとめる。
「ラレーズ、温泉であまり危ないことしちゃだめだよ」
『ピッピッ、ピ、ピ、ピピ、ピッ、ピピ、ピピー、ピー、ピ、ピッ、ピーピー、ピッ!』
「そういう問題じゃないんだよ?」
アルムに抱き留められ嬉しそうにアルムに頬擦りするラレーズに、アルムは年に似合わぬため息を吐く。
そんなラレーズを見て、ちゃんと表情に出る形でポカンとするフェーナ。そんなフェーナにラレーズは気づき、『ピピッ、ピ、ピッピッ、ピッ、ピーピー、ピ、ピッピ、ピー、ピピピ、ピ!』『ピピッ、ピ、ピピッ、ピッ!』と笛を吹く。
今度はその笛にアルムがポカンとする。
「え、フェーナってこの子のお母さんなの?」
アルムは双方に問いかけると、ラレーズは無邪気に『ピピッ、ピ、ピッピ、ピッ!』と笛を吹いた。
肯定するラレーズにどういうことなのかとフェーナに視線を向けると、フェーナは答えずにラレーズに手招きする。
ラレーズは困ったようにアルムとフェーナを交互に見るが、話しが進まなそうだったのでラレーズを抱えたままアルムがフェーナに近づく。
するとフェーナはいきなりズボッと手の表皮を肘辺りからベリベリと剥がし始めてアルムは悲鳴をあげそうになる。
しかしよく見るとフェーナの手はなんともなく、スイキョウは台の上に置かれたものが手を精緻に模した薄いゴム手袋のように見えた。ただそのリアリティーさが異常で、スパイ映画の変装マスクを脱ぎ去った後みたいに思えた。
「元よりちゃんと答えるつもり、ウィルには問われれば。でもそれは後で」
フェーナはラレーズの両頬に優しく手を添えて、神経を研ぎ澄ませるように目を閉じる。
するとフェーナの手や羽根やらが黒曜石の様な物に変異して、ラレーズから伝わる探査の反応がいきなり変わり始める。それはまるで性質そのものを変えているような、神などのお目通りした経験のあるアルムでさえ知らない超常の現象だった。
だがラレーズは平然とフェーナの手に頬ずりするばかり。20分ほどすると完全に性質が変化し、ラレーズはより人間らしい動きでアルムを見てニッコリ笑う。
魔力とも霊力とも違う、形容するなら神気と呼べそうな物を放つフェーナにアルムが言葉も出ないほど呆然としていると、フェーナはラレーズからそっと手を離して目を開く。
そしてアルムの事を初めて強い感情の篭った瞳で見つめる。
「今の私の成したことにウィルは相当の疑問を持ったはず。心構えはある、その秘密を明かす。でも、それは師匠が私を手元に置いて離さない理由と同義。全てを明かすには難しい。だから、私は貴方に触れたい。それを受け入れてくれるなら、私は貴方に明かす、その全てを。私の使えし神に誓って」
あらゆる力の痕跡が無ければそれは異能であることはわかる。しかしアルムから見ても異常で底が見えない能力。
だがフェーナは「ただ私を信じて欲しい」とアルムをジッと見つめる。アルムはフェーナの神への誓いを信じてそっと手を出すと、フェーナは目を閉じてその手を優しく包むように握る。
最初はなにか上手く感覚がつかめなかったのか首をひねるフェーナ。その時は唐突に訪れた。フェーナは目をカッと目を見開き激しく動揺する様に瞳を揺らしアルムを見つめるが、手は離さない。
《ん?なにが起きてるんだ?》
「(僕もわからないけど、悪いことじゃないよね?むしろ身体から魔力も霊力も綺麗に整えられていく感じ)」
《確かに、俺にまで何か影響がきてるぞ。この娘っ子はなんの能力を持ってるんだ?》
「(性質変化?でもラレーズの根本はなにも変わってないし…………。ねえ僕だけじゃないよね、何かスイキョウさんとの繋がりが凄く活性化してる気がするのは)」
《こりゃ活性化なんてもんじゃないぞ、おい。アルムは感じてないのか?》
「(スイキョウさんの方に凄く大きな影響が出てるのはなんとなくわかるけど、何が起きてるかまではわからないよ)」
《ん〜…………アルムが分かりやすい例を出せば、あの劇薬を飲んだみたいな感じだ。思考が冴え渡って全てがフルスロットルの状態みたいな、あの感じだ》
「(ふるすろっとるはよくわからないけど、とにかく調子が凄くいいってこと?止めたりはしなくて大丈夫?スイキョウさんに危険が及ぶなら即刻やめて貰うつもりだけど)」
《かなり賭けだが、続行してもらう。結果が知りたいからな》
スイキョウの意見を受け入れてじっと待ち続けるアルム。あまりに暇すぎて台座の上で図鑑を読み始めたが、フェーナは祈祷するように目を閉じ、身体の一部を黒曜石のように変化させてアルムの手を握り続ける。
それからなんと6時間以上経過した所で漸くフェーナは目をゆっくり開き、身体を元に戻しつつ手を離す。そしてアルムの目を見据えて暫くの逡巡の後、静かに問いかける。
「ウィル、貴方は一体何者なの?私が感じた事を正直言う、貴方は傷つくかもしれないけど。貴方は…………人間の括りから逸脱している。上手く言い表せないけど、どの種族にも該当しない古来の上位種族の様になっている。貴方は神の気配が濃い、異常な迄に」
アルムは自分が人型の魔獣に近い存在であることをフェーナが気づいたのかと思ったが、フェーナの瞳はそれ以上の何かに触れたような驚愕を称えた目だった。
「最初はこう感じた、魔獣の気配に近いと。異能持ちは似たような反応を示す。けど探れば探るほどに貴方は何にか別の物が宿っている様に思えた。濃過ぎる神気を持つ貴方に匹敵するナニかが、私でも読み取れない高次元の存在と化した物が秘められていた」
アルムとスイキョウはフェーナがなにを探り当ててしまったのか気付いてしまい、アルムは反射的に自分でも驚く程の殺気を込めて膨大な数の魔法を瞬時に展開してしまった。
だがフェーナはそれを感じつつ動揺した様子も無かった。
「私は予想していた、師匠が貴方をいきなり直弟子にした時点で。だからもう一度、貴方への恩返しもふくめて誓う。私の信奉する生命と植物の神パロパルトツイ様に私の存在全てを賭けてでも、貴方の秘密の口外はあらゆる手段を用いても貴方の許可無しに行わないし明け渡さない事をここに“絶対の誓い”をたてる。私にはわかる、貴方の怯えと苦しみは」
それは単なる神への誓いよりも更に重い誓い。“絶対の誓い”を破れば魂は煉獄に連れ去れるとされている。煉獄へ連れされた物は遍く世から存在が抹殺される。自分が存在した形跡が全て消え去り書き換えられる。本当にこの世から亡き者になる恐ろしい事なのである。
実際に神々が座す世で絶対の誓いを立てるのは、言葉通り自分の過去から未来まで全ての存在を賭けるほど危険な事であり、神官ですら司教の座につく時だけ唯一宣誓するほど重き言葉だ。
本来はそれを強要した者すら一族郎党処分レベルの重罪、いわゆる神が絡んでくる“真罪”とされていて、それは皇帝ですら従わざるを得ない『この世の法』である。
そんな誓いをフェーナは易く口にしたわけではない。それほど重みのある事だと深く理解したうえで、絶対の誓いを立てたのだ。
「私の異能『寵歛』はこのような超常の使い魔を使役する師匠をして最も異端かつ神に近い能力と評されるとても危険な能力。その本質は使い手である私でもまだわからないけれど、師匠は『あらゆる物の可能性と潜在能力を引き出し高次元に昇華させる能力』と評した」
アルムはフェーナが一体何を言っているのか理解が追いつかず、頭がオーバヒート状態になりかけていた。
「ウィル、何かちょっとした小物はない?あ、そのピアスが丁度いい」
そんなアルムを見て具体的に実演しようとしたフェーナは、アルムが殆ど片時も外さないレイラのピアスに目をつけた。
「大事な物?大丈夫、壊したりしない」
アルムは何か途轍もない秘密を明かしているフェーナに負け、ピアスをそっと外すが手から離さなかった。
相当大事な代物なのだとフェーナは理解しつつ、ピアスには出来るだけ触れないように心がけて指先だけ添える。
フェーナの指先が黒曜石のように変化してピアスの探査の反応が徐々に変わり始める。10分ほどして反応が完全に変わりフェーナはピアスから指を離す。
ピアスの見た目や表面的能力は変わってないように思えたが、アルムには全く別次元で何かがピアスに起きていることに気づく。
「今私の異能でそのピアスにあった永続と不壊の性質が昇華された。多分あらゆる風化を起こさず、異能でもない限りは破壊は確実に不可能になってる」
アルムにはフェーナがとんでもない事をしていることに漸く理解をし始める。
例えば、アルヴィナの肉体変幻だけでも自らの性質を変化させる異常な能力である。フェーナはそれを超えて自分以外の物質まで影響を及ぼす事ができてしまう。それが如何に凄まじく危険で希少な能力か、アルムは驚愕のあまり言葉が出てこない。
「もっと詳しいスペックについて解説する。まず私の異能は触れた物全てに影響を与える。加えて所謂常時発動型に近く、殆ど自分でコントロールできてない。ただ、私の異能は生物に直接影響は与えられない。何故なら生物は成長していく物でありその最大スペックは生物自身で大きく変化するから。
あるいは手が金属の様に硬ければ便利と思っても、いっぽうであるべき利点も消失する。私の異能は性能を引き出し昇華する物であって変換する物では無い。たとえ体調が悪い時に触れても回復はしない。生物にはフルスペックの定義がないから今その時の状態がフルスペック。だから私は生物の能力は引き出せない。
けど死骸は別。成長が完全に閉じた存在は物扱いだから異能は使える。
あと副作用として触れた物の本質をより高次元のレベルで理解できる。私が師匠に薬師の後継者として望まれるのは、そんな事情が関係している。探査の魔法とは違う、異能までを読み取れる能力が副作用としてある。
けど一応デメリットもある。まず強力過ぎて能力が常時発動している状態に近いこと。だから触れている物の情報がどんどん流れ込んでくるから頭痛を引き起こすことがある。
あと物体の格に応じて完全に昇華させるまで途轍もなく時間がかかってしまうこと。
昇華途中で切り上げると私に何らかのダメージが生まれるとともに逆に物を劣化させてしまうことがあること。
1番困るのはどの性質をどれくらい引き出せるかは全くのランダムである事。あとは一度異能を作用させた物は2度と昇華出来ない」
アルムは無表情かつ一定のトーンで放流するようにダラーっとフェーナから語られる情報に頭がパンクしそうになりつつ、1分ほどで漸く全てを噛み砕き全容を理解する。
「えっと、質問はしていいかな?」
「構わない。出来る限り何でも答える」
フェーナはあっさり許可を出した事で、アルムの中の知識欲のスイッチがONになる。
「まず1番に聞きたいのは、生物には不可能ならフェーナはラレーズと僕になにをしていたの?」
フェーナはラレーズが誰かを察すると逆にアルムに問う。
「逆に聞きたい。貴方は何をした?一体あの子に。私はあの子が言うように、あの子や庭の植物でできた生き物の生みの親。あれらは私の異能により生み出された。師匠と私の異能で実験していた時、師匠が使役するこの神に届きえるような使い魔の果実に異能を作用させた。結果、新生や叡智、超越、思念などの性質が昇華されて生み出された。
あの子達は生物に見えるけれどそうではない。あれはただの植物の擬態。周囲が斯くあるべきと思う状態を模倣しているだけで意思は存在していない。師匠の使い魔みたいだったのは大元が師匠の使い魔の一部だったから。
あれらは意思があるように周囲の思念を受けて模倣して行動しているだけ。あれの正体はただの果実。それは貴方がラレーズと呼ぶ個体も同様“だった”」
だった、という言葉にアルムはピクッと反応する。
「あの子は私が生み出した個体でも1番最初の個体で最も叡智の性質を引き出されていた。でも結局はただの植物だった。でも誰かさんがその空っぽの器に何かを与えた。持っていて発揮されていなかったあの子の昇華された新生の性質がそれと結びつき、貴方が名付けまでしたからあの子は1つの独立した生命として存在を新たにできるレベルまでスペックを解放された。もうあの子は私が生み出した物とは別の領域にまで到達していた。だからその半端な状態をもう一度昇華させた。私自身、2度昇華できた事は異常と思っている。その中でどうもあの子に意思を与えたのは貴方に眠っている力である事に気づいた。
だから私は貴方が何者なのか調べた」
そこでフェーナは言葉を切り、覚悟を決めたように告げる。
「許してほしい、事後報告になった事を。私が貴方を人から逸脱していると評したのは、貴方に昇華可能な不自然な部分があったから。生物なのにまるで全く別個の何かが宿っていた。それがあの子の器を満たした根本の力だと思い、調べてみて、結果的に昇華できてしまった。
でもあまりに異質過ぎて何をどう昇華したのかわからない。昇華が始まってしまったから途中で切り上げることも出来なかった。あの子を生み出した時でも最長の3時間。6時間なんて経験した事のない領域。相当格の高い物がアルムに不自然に宿ってたから時間がかかったんだと思う。
多分今はかなり整理もされてる。お互いに潰しあっていたり反発していたリソースも今は整頓されてるからいわゆるかなり自然な状態になった、はず」
そこでアルムとスイキョウは自分たちに一体何が起きていたのか理解する。
《なんとなーくわかるぞ。前よりも共有率の変化がすごく細やかにできる。多分今ならアルムの異能にも干渉可能だな》
「(僕もスイキョウさんが扱っていた力について本質的に理解できるよ。もしかすると少しは行使できるかも。あと声がよく聞こえるっていうか何がとは言えないけど色々とクリアになったよね?)」
スイキョウは今まで共有して使っていたパソコンのごちゃごちゃだったデータがちゃんと2つのフォルダに分けられ、結果的に今までよりも自分のスペックが精細にわかるようになったし、アルムのスペックについても理解できるようになったイメージを思い浮かぶ。
その恩恵はアルムも同様で、自分の能力とスイキョウの能力を明確に区分けできた事を理解する。
「(スイキョウさんの言っていた霊体がごっちゃに混ざっていたって考えは当たりかな?その結びつきが切り離されるどころかより強固になったけど、洗練されたよね)」
今まで2つの糸がぐちゃぐちゃに絡み合い、全く解けないしそれ以上動かすこともできなかったが、それが解されて秩序だって丁寧に結び直されたお陰でより強固に柔軟性のある繋がりに変化した。そんな印象をアルムは抱く。
《で、デメリットは無しってか。てかこれが本来俺とアルムが完全に発揮できたスペックってことだろ?この娘…………相当ヤバいぞ。アルム以上の本物のチートだぞ》
あまりに強力すぎる能力を持つフェーナ。しかしアルムにはフェーナがそれで幸せだったかを考えると少し複雑な気分になるのだった




