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7.運命の出会い

 父さんの仕事を手伝っている間にすっかり日は暮れ落ちた。満月が空高くに上っているけれど、やっぱり女の子は目覚める気色を見せなかった。でも、息に合わせて上下する胸元を見れば、生きているのは間違いない。


 ランプに灯した魔法の火が、彼女の顔を橙に照らし出す。歳は僕と同じか、少し上だ。眼は大きくて、どことなく猫に似ている。そんな風にじっと彼女を眺めていて、僕はふと考える。まだ、一度も彼女の眼を見ていない。閉じられた瞼の奥には、どんなに美しい瞳が隠れているのだろう。きっと、太陽の下を流れる小川みたいに、澄んだ光を湛えているに違いない。


「何だか変だな」


 この女の子と一緒にいると、この女の子にばかり気を取られてしまう。手元に持ち出してきた本も、ほとんど読み進められなかった。僕は本に栞を挟むと、小机に置いて彼女にじっと向き直る。


「えーと、その……」


 当たり前だけど、僕はこの子の名前をまだ知らなかった。呼びかけようとしても、つっかえてしまった。


「僕はオスティアのメレディス。みんなはメリーって呼ぶよ。……君の名前は何て言うんだい?」


 けれど、彼女は睫毛の先すら動かさない。ひっそりとした沈黙に押しつぶされそうになって、僕はこそりと付け足した。


「起きたら教えてほしいな」


 肩を落としていると、いきなり階段が軋む音が背後に聞こえた。慌てて振り返ると、そこにはエリザが立っていた。


「起きてたんだ」

「眠れないわよ。あんな話聞かされたら。寝っ転がってれば眠りの神様が夢の世界に攫ってくれそうになるんだけど、そこではっとなっちゃうのよね」


 彼女はふわりと欠伸する。思わず僕は笑ってしまった。


「昨日も眠れてないじゃないか。エリザには災難だったね」

「ほんとよ。二日も眠れなかったら、肌も髪の毛もぱさぱさになっちゃう。ぐっすり寝てるそこの子が羨ましいわ。……ほんとに、何食べたらこんなに綺麗な髪の毛になるんだか」


 どうにもエリザは女の子の髪にこだわっているらしい。さらさらと髪の毛を撫でた後、エリザは僕の小机に目を落とす。表紙には、金糸で『帝国記』と刺繍されている。


「その本は?」

「蒐集家の手記さ。世界各地から上古のものとみなされた遺物を集めた変な人が、ずらずらその遺物について書き連ねてるんだ。これをご覧よ」


 栞を挟んだページを開く。そこには鷲の紋章が刻まれた石板の絵が、まるでそこにあるかのように描かれていた。


「この人の話だと、昔の人が残した遺物にはこの紋章がよく刻まれていたらしいんだ」

「昔……ラティニア帝国ってのが、私達のご先祖様をみんな押さえつけてたんだっけ?」

「そうだよ。で、この鉄の腕を見て」


 僕は小机に置いてあった鉄の腕を持ち上げて、エリザに差し出した。


「……はあ、あるわね。鷲の紋章。つまり、この鉄の腕は、ラティニア帝国で作られたものじゃないかって言いたいわけ?」

「そういう事。それが天来としてやってきたってことは……」

「あの空の裂け目は天上と繋がってるんじゃなくて、昔のラティニア帝国と繋がってる、ってことね。どうしてそうなってるのか、はともかく」


 ローディも頭がいいけど、エリザもつうといえばかあと返してくれる。僕が飽かずに本を読み続けてるのも、そんな二人がいてくれてのことだと思う。


「じゃあ、この子はラティニア人ってことになるのね」


 僕は頷いた。


「だから、まずはこの子に聞きたいんだ。昔の帝国は、どんなにすごかったのか。この子は、実際に目で見てるわけなんだから」


 僕は女の子を見つめる。そういえば、この子はどんな声をしてるんだろう。小鳥が鳴くみたいに高い声なのか、狼が鳴くみたいにハスキーな声なのか。彼女を見てると、帝国がどうのよりも、どうしても彼女の事ばかり気になる。


 そんな僕を見て、いきなりエリザはけらけらと笑った。


「あーあ、これは全く一目惚れね」

「一目惚れ?」


 そうなんだろうか。僕は今まで読んだ恋物語の筋書きを引っ張り出してみる。けれど、そこに出てくる主人公たちは運命の人物に出会った瞬間、みんな雷に打たれたような、あるいはそれに似た衝撃を味わっていた。でも僕はそうじゃない。


「そんなんじゃないよ。俺がこの子に一方的に期待してるだけだよ。この子と出会って、ようやく僕も何者かになるんじゃないかって。この子が僕の腕の中に降ってきたのは、そういう星の巡り合わせなんじゃないかって」

「それが一目惚れって言ってんの。それだけの興味を、私や他の村の女の子に向けたことがあった? ないでしょ。私がこんだけ近づいても、あんたちっとも動じないじゃない」


 エリザはぐいと僕の懐に踏み込んで、じっと上目遣いで僕を睨む。やっぱりこの角度は苦手だ。服の襟が緩んで、胸元が見えちゃうし。


「動じてるよ。蛇に睨まれた蛙みたいな気分だ」

「バカ」


 彼女は歯を剥いて、僕の頬をぐいと引っ張った。


「いたっ、何するんだよ」

「大切にしなさいよ。女の子がメリーに何をしてくれるかは知らないけど、メリーのその気持ちは、間違いなくメリーを何者かにするはずだもの。ローディみたいにね」


 早口で言い切ったエリザは、やがて深々と溜め息をついてくるりと背を向ける。


「それにしても困ったなぁ。そのうちメリーと夫婦になるつもりだったのに。これじゃあその望みはさっぱりね」

「僕と夫婦に?」

「そ。怠け癖は玉に瑕だけど、メリーの隣にいるのが、私にとって一番しっくり来てたのよ」


 エリザがそんな気でいたなんて、十五年間一緒に暮らしてきて全く気付かなかった。何かあればいっつも頬をつねられてばかりだったから、エリザは僕のことを聞かない弟みたいに扱ってると思ってた。だから、エリザと夫婦になろうなんて、考えたことも無い。


「しっくりね……僕はローディとエリザの方が釣り合ってると思ってたよ」

「ローディ! ま、あいつにその気があるんなら、ローディとくっつくのも悪くない気はするけど。あいつなりに大切にはしてくれるんだろうし。でもねえ、やっぱりあいつと一緒に寝て、あいつの子どもを産んでる私を思い浮かべようとしても、しっくり来ないのよね」

「僕と寝て僕の子どもを産んでるエリザはしっくり来てたのかい?」


 思わず尋ねると、エリザはくすくす笑い出した。


「ふふん。秘密。今更話すようなことじゃないわ。メリーはこの子に集中してればいいの」


 そう言うと、またエリザは僕の頬をつねる。さっき僕に怒った時とは違う。何だか優しい手つきだった。


「励みなさい、親友。ブリギッド様は産めよ増えよと私達に仰ったんだから」


 僕は女の子に向き直る。ふと、その手に触れたくなった。でも、理由も無いのに、名前も知らない彼女に触るのは気が引けた。


 ためらっている間に、ふと女の子の様子が変わる。


「……ん」


 小さな呻きを洩らす。眉間が悩ましげに歪んだ。起きたかもしれない。僕はエリザと顔を見合わせると、彼女に声を掛けようとする。


「ねえ――」




 けれど、その声は下の扉が蹴り開けられる音に遮られた。慌てて僕達が階下を覗き込むと、目を見開いたローディが、僕達を真っ直ぐ見上げていた。


「メリー! 外に来い! やばいことになってる!」

「やばいこと?」


 僕は階段を蹴ると、手すりを伝って一気に玄関まで滑り降り、ローディの後に続いて外に飛び出した。数人の村人も起き出して、不安そうに空を見上げている。


「変な形の雲が見えるだろ。さっきからどんどん大きくなってる」


 ローディは空を指差す。月を取り囲むように、黒い雲が広がっていた。


「また天来が来るかもしれないね。そんな風情だ」

「鉄の腕が降ってきたと思ったら女の子、そして今度は変な雲だ。一体何が来るってんだよ」


 何が来る。ローディの放った疑問を聞いた瞬間、僕の中でモザイクのように、ぱちぱちと色々な考えがまとまり始めた。僕ははっとして叫ぶ。


「そうだ、あの鉄の腕! あの器械の腕は本当に腕だけしかなかったのか? もう一つの腕も、足も、胴体も、頭もあるとしたら?」


 僕の中で想像が膨らんでいく。全身を鉄の鎧に包んだ、その肉も骨も鉄で出来上がった人間の姿が出来上がっていく。


「昔滅んだ帝国は、鋼鉄を帯びた兵士に戦場を走り回らせて、僕らの先祖を従わせたって伝説だったじゃないか。それが、本当は鋼鉄を帯びた兵士じゃなくて、鋼鉄そのものの兵士だとしたら?」

「そんなの有り得るのかよ」


 ローディは顔をしかめる。


「わかんない。でも、王都の『魔導師』は、土塊の人形に仮の命を吹き込んで操るじゃないか。鉄の人形だって、作れば操れるのかもしれない」


 このままぼんやりしてたら大変なことになる。考えてる暇はなかった。


「エリザ、皆を起こしてここに集めて! ローディ! 武器を取って、ついでに父さん達を連れてきて! 僕は父さんと結界を張る準備をする!」


 エリザとローディも頷いた。


「わかったわ。避難させる」

「何でもやっておくに越したことはねえよな。行こうぜ、エリザ」


 二人は走り出す。僕は工房に飛び込んだ。ずっと黙って金鎚を振るっていた父さんが、不意に手を止めて立ち上がった。


「どうやら、俺が思ってた以上に、事態は深刻らしいな」




 父さんは魔導書を取って僕に放ると、本棚を脇に避けて、奥に隠された箱を取り出す。蓋を蹴り開けると、中には深紅に輝く鉄砲が入っていた。それを担いだ父は、のしのしと工房の外へ歩き出す。




「行くぞ。楽観はするな」


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