6.世界の荒れる予兆
2階のベッドに女の子の身を横たえさせて、エリザはその脇腹や首筋をじっくりとさすっていく。怪我をした村の人の面倒を見るのはエリザの家の役目だった。それだけによく手慣れている。
「触った感じだと、特に打身や骨折も無さそうね。このまま放っておけばそのうち起きるはずよ」
「それなら良かった」
ようやく一息つけた。僕は階段を駆け降りて、隣の工房へと向かう。今まさに父さんが工房の真ん中に錆びついた剣や槍の穂先を並べ、魔法を行使しようとしているところだった。
「精霊サラマンドラ、今こそ焔となりて我が前に顕現せよ」
父さんの力強い大音声に合わせて、工房の床に刻みつけられた魔法陣が輝く。錆びついた武器が丸々白熱し、どろりと溶けていく。父さんは目を閉じ、指先で小さな円を描き始めた。液体と化した鉄が宙に浮かび上がると、父さんの指先の動きに合わせて筒状に形を変えた。
「はっ」
父さんは息を詰め、一気に手を引く。鉄から一息に熱が消え去り、鈍色に光る長い筒になって転がった。鉄砲の要、銃身だ。
「どうした、メリー」
父さんは銃身を手に取ると、銃床やら火蓋やらと組み合わせてあっという間に銃を組み上げていく。その手捌きに目を奪われそうになりながら、僕は声を張り上げる。
「あの女の子は俺のベッドに寝せたよ。エリザの見立てじゃ、特に怪我はないって」
「そうか」
父さんは押し黙ったまま鉄砲を木槌で叩き、目釘を絞めていく。僕は焦れて父さんに詰め寄った。
「父さん、あの子は一体何者だと思う?」
手は止まらない。僕も構わず続けた。
「天来と同じところからやってきた子だよ。きっとその正体が何か知ってる。神様の落とし物なのか、また別の何かなのか……もしかしたら、天来がどんなふうに作られているのか知ってるかもしれない。もしそれを教えてもらうことができたら、俺達の世界はまた大きく変わることになる!」
話してる間に気持ちが大きくなってくるのを感じた。たった一人の女の子に期待し過ぎているのかもしれない。けれど、まだ何者にもなれていない僕にとって、彼女は千載一遇の好機を引っ提げてやってきた天使に違いなかった。
そんな僕の胸の内に気づいているのかいないのか、父さんは眉を顰めた。
「そんな可愛げのある話で済めばいいがな」
父さんの言葉は、ずんと重く響いた。ローディとエリザが、僕の背後からこっそりとそばまでやってくる。
「メリー、ローディ、エリザ。お前達にはまだ実感なんてないだろうが、天来はずっと激しさを増してきている。俺が若い頃にはひと月に一度二度あるくらいのものだったが、最近は雨が降る度起きるようになってきた。量もずっと増えている。そこに、今度は娘が一人降ってきたというわけだ。いよいよ『竜の牙を越えた』というところだろう」
竜の牙。僕達の住むブリギッド王国と、西方の大国であるホイレーカ帝国を隔てる大山脈だ。ブリギッドの土地を狙ってしばしば帝国は攻め寄せ、この国は危機に晒されてきた。だから僕達は抜き差しならない事態の時に『竜の牙を越えた』と言う。
父さんがこの言葉を持ち出すなんて、滅多にないことだった。
「つまり、あの女の子がやって来たのは、これからもっと良くないことが起きる先触れってこと?」
エリザが問うと、父さんは頷いた。
「ああ。これから先、何が降ってきても不思議じゃない。今までは結界を張れば何とかなったが、これからはそれで済むかどうか」
今まで見たことがないほど饒舌に語った父は、出来たての鉄砲を構え、明かり取りから覗く太陽を睨む。
「世界は荒れるぞ」
若い僕達は、父さんの言葉にただ圧倒されるだけだった。