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メイルストロムの英雄譚:見習い魔道士と亡国の少女  作者: 影絵企鵝
第三章 父の学んだ大学にて
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33.イレーナの授業

 魔導師志望の学生達は、聖ギルバート大学の西の学舎に集められる。そこはお椀を半分に割ったような形になっていて、中央に教師が立って、さながら吟遊詩人のように講義をする。もとはラティニア帝国の遺構の一つで、かつてはここで本物の劇が毎日のように演じられていたのではないか、とイライジャ様は仰っていた。


 そんな学舎の真ん中に、今はイレーナが立っていた。後ろの壁に大きなタペストリーを引っ掛けて、彼女はぐるりと僕達学生を見渡す。初めて壇上に立ってから一か月、イレーナも年配の教師に負けず劣らず、様になってきたと思う。


「さて、昨日はどこまで話したかしら。覚えている人はいる?」


 僕は教科書を捲って、いつでも応えられるように準備する。けれどイレーナは絶対僕と目を合わせない。決して僕に話を振ってくれない。曰く、贔屓と思われたくないかららしい。寂しいけれど、イレーナの言い分もわかるから、僕は彼女の講義を黙って見守る。


「六つのエーテルの相関についてです」


 僕の隣に座る、剽悍な顔立ちをした青年、ブランドンがすぐに応える。ホイレーカ帝国に境を接する、ボーフォート伯領出身だ。


「はじめこの世には闇のみが広がり、至高神アイテールがこの世界に光を齎しました。その後至高神はその身を四つに分かち、光に満ちた世界を託したのです」


 教科書を開いて、ブランドンはすらすらと答える。ボーフォート伯オドネル家の血筋に連なる人間というだけあって、その振る舞いは堂々としてる。問答に慣れているらしい。


「その四柱が地神ブリギッド、水神エルメース、火神マグナス、風神ホイレーカ。神々が己が力を出し合い、大地と海とを創り出し、我ら命を育んだ。エーテルの相関は神々によって定められた絶対の理である。それが昨日の話でした」


 彼が一息に言い切ると、イレーナは納得したように何度も頷く。


「そうね。そこまで話したわね。この世界の基礎を形作る地水火風に、その根源である光と、それらの外にある闇。これが世界に存在する六つのエーテルというわけ。ま、この辺は他の先生もうるさいくらい繰り返してると思うけど」


 イレーナはタペストリーを指で示す。正方形に並べられた地水火風と、その中心に描かれた光、それをぐるりと取り囲む闇。それらの象徴が色とりどりの糸で刺繍されている。


「帝国では、神の定めた理が私達の存在そのものへいかに絡んでいるのか、様々な形で仮説が立てられ、研究が進められてきたの。そんな研究をしてきた人間の一人に、ガレーノスってのがいて……知ってる?」


 彼女は僕の反対側に座っている女学生、パトリシアは口惜しげに首を振る。


「いえ……寡聞にして存じません」


 彼女はブリギッド王国の南方、白海に面するギャロウェイ伯領の出身だ。ギャロウェイ伯に代々使える騎士の家の生まれらしく、幼い頃から今に至るまで長く勉学に励んできたという。


 そんな彼女が知らないっていうなら僕だって知らない。周りの学生達もそんな顔だ。イレーナは肩を竦める。


「まあ仕方ないわね。図書館を見せてもらったけれど、帝国時代の文書はほぼ残ってないんだもの。どうしてここまで何にも残ってないのか……とにかく、ガレーノスはこの大陸におけるエーテルの偏在性と、それぞれの民族の気質の相関について指摘しているわ」


 イレーナはもう一度タペストリーを指差す。


「貴方達ブリギッド人は粘り強く、連帯を強く重視する傾向にあるとされてるわね。ブリギッド地方の穀類の収量が多いのも、土地が肥沃なだけじゃなくて、人々が手分けして害虫や雑草の駆除を丹念に行うからだというわけ」


 確かに、村の中で畑仕事の手を抜こうとするのは子どもか僕かくらいのものだった。それがブリギッド人全体の性向と言われても納得できる。


「そしてその性向を持つのは、地のエーテルが身体により多く流れているからだ、とガレーノスは主張したの。この考え方は、帝国に広く受け入れられるようになったわ。これを心身一体説というの」


 心身一体。僕達の時代にも、似たようなことを言う人はいる。身体と心はエーテルによって不可分に結ばれているのであり、だから健康を保つには己の中に流れるエーテルを食餌や運動を通して調整することが大事だ、とか。僕自身も、感情が昂っている人の身体からエーテルが湧き上がってるのをよく見る。ただそれを体系化したのが、イレーナが言うガレーノスって人だったんだろう。


「他の例を挙げれば、エルメス人は柔軟だけれど迎合的、ホイレーカ人は即断即決を好むけれど細部に目が届かない、マグナス人は寡黙で争いを好まないけれど、頑固で他人の意見を聞き入れにくい、って具合ね」


 僕は自分の事を振り返る。ローディにもエリザにも頑固な奴だと言われる。ただ寡黙の方は間違いなく当てはまらない。その辺りはブリギッド人の血がそうさせるんだろう。


「さて、ここまでが今日の授業の前提ね。ガレーノス説の是非はともかく、人には持って生まれたエーテルの相があって、その強度や性質によっていわゆる『魔道の才』が決まるのは紛れもない事実よ。だから今日は、己のエーテルの相をどう認識して、それを生かした魔法の行使はいかにして追究されるかについて、授業していくことにするわ。じゃあ、ウィクリフ教授の作ったありがたい教科書の、えーと……」


 イレーナが手元の教科書をパラパラ捲っていると、いきなり隣でブランドンが手を挙げた。瞬きもせずにイレーナを凝視している。


「イレーナ教授、その前にお尋ねしたいことがあります」

「なに?」

「先ほどイレーナ教授は、エルメス人、ホイレーカ人、マグナス人については一つを褒めて一つを貶しました。ですがブリギッド人については長所を述べるばかりで、短所については一つも仰っておりません。意図的に隠してはいませんか」


 にべもない言い方だ。からからに乾いていて、何を考えているのか隣で聞いていてもわかりにくい。そのくせ、瞬きしないその眼だけはやたらとぎらついている。


 乾いているけど、渇いている。僕は少しこの人が怖い。そしてそれは、イレーナも一緒らしい。バツが悪そうに、彼女は肩を竦めた。


「その辺はほら、私はブリギッド人じゃないけどブリギッドのみんなに食べさせてもらってるわけだし、特に触れる必要はないかしらってね。気分悪くするのも本意じゃないし」

「我々に阿って、先人の言葉を意図的に伏せるのは、その舞台に立つ者として相応しいとは思いません。同時に、先人の教えを耳が痛いと聞き入れない者は学生としてまた相応しくない」


 言うと、ブランドンは立ち上がってぐるりと僕達を見渡し、無言で同意を求める。イレーナはそんなブランドンを見て、小さく溜め息を零す。


「ま、ブリギッド人の欠点はそこね。とかく他人に同調を強いる。そして同調しない者に対して排他的な態度を見せる癖がある」


 イレーナは壁にもたれかかると、腕組みしてブランドンを見つめる。


「帝国生まれの私から何もかも学んでやろうって態度は買うけど、少し落ち着いた方がいいと思うわよ。乱れた心持ちで魔法を使うと、思わぬことになるわよ」

「……心しておきます」


 ブランドンは静かに頷く。その硬い表情からは、やっぱり何も読み取れなかった。


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