31.飄々たる大魔導師
父さんの威光は王都でも輝いていた。父さんの作った銃を見るなり、門番達は目の色を変えて、あっという間に樫の門を開いた。それどころか、一人が僕達の前に立って、大学まで案内してくれることになってしまった。全く父さんは凄い人だ。
「さっきまで散々怪しんでいたくせに、アロン様の息子だとわかったらあっさり態度を変えるのね?」
イレーナはそんな門番さんの横顔を、渋い顔して見上げている。門番は兜の庇を下ろすと、くぐもった声で答える。
「アロン殿は、本来ならば教授として大学に一つの地位を築いていてもおかしくないようなお方だ。そのご子息を粗略に扱うわけにはいかぬ」
そこで言葉を切ると、門番さんは兜越しにイレーナの事を睨みつける。
「お前こそ、一体何者なのだ」
「私? 私はメリーの友達よ。メリーが魔導師になるため大学に行くって言うから、私も連れてってもらおうって思って、ここまで来たの」
「我らが学府は望めば誰でも入学が認められるものではないぞ」
門番さんが語気を強めた途端、イレーナはいきなり左の指をぱちりと鳴らした。飛び出した火花がふわりと飛んで、蝶の形を取ってひらひらと飛び回る。
「才能が必要なんでしょ。これでどう?」
「む……」
イレーナはそう言って不遜に微笑む。門番さんは槍を強く握りしめた。どう見ても不機嫌そうだ。僕は慌てて二人の間に割って入る。
「僕も彼女に頼んでここまで来てもらったんです。ちょっと世間知らずなところがあって生意気なんですけど、どうか大目に見てやってください」
「君がそう言うのなら……仕方あるまい」
門番さんは溜め息をつくと、学府の尖塔を目指して大股に歩きだした。僕はその背中を追いかけながら、隣のイレーナを肘で突く。
「やめてくれよ、変に挑発しようとするの」
「だってやたらに怪しんでくるんだもの。ちょっとからかいたくなっちゃって」
イレーナはけろっとしている。投げやりな態度をとることはなくなったけれど、代わりに負けん気の強さがぐんぐん張り出してきた。僕の事を引っ張ってくれるのは頼もしいけれど、今みたいな場面は少しはらはらしてしまう。
「頼むから、イライジャ様の前では大人しくしててよ」
「はいはい。メリーのこれからがかかってるもの。ちゃんとしとくわよ」
「静粛にしろ。着いたぞ」
門番さんは鉄の門の前で足を止める。僕達も門番さんに倣って足を止め、鉄柵の向こうに立ち並ぶ大理石の建物を眺めた。
中央に高く伸びる尖塔。その天辺では、この世を包み込む真理を知るために、熱心な学生達が星の運航の観察を続けているという。
塔を囲うように張り巡らされた学堂。名だたる学者が教授として論壇に立ち、将来有望な学生と日夜議論を繰り広げているという。
「ここが……」
父さんが暮らした学び舎だ。見上げただけで緊張して、声が途切れてしまった。雑然としていた壁外の街と違って、壁内は人通りも少なく、しんとしている。大学は街の静寂を纏って、僕の値打ちを絶えず測り続けていた。
僕が立ち尽くしていると、尖塔の扉が開いて、刺繍だらけの分厚いローブを着込んだ老人がぱたぱたと駆け出してきた。その右手には、翼を広げたカラスを象る杖が握られていた。ブリギッド王家に伝わる至宝、ハロルランド大学の魔導師長を務める者にのみ持つことが許される聖杖だ。
「やあ、やあ。待っておったぞ、メレディス」
杖を手にした老人は、僕へ向かって朗らかに微笑みかける。表情は柔らかいけれど、その全身にはエーテルが満ちて、凡人とはかけ離れた圧力を放っていた。
「お、お初にお目にかかります」
僕は何とか短い言葉を絞り出し、深々と頭を下げる。けどイレーナは隣で突っ立ったままだ。僕は慌てて彼女の背中を押す。
「ちょっと、イレーナ。君も頭を下げてくれ」
「ええ? そもそもこの人誰?」
「誰じゃないよ。この方こそがブリギッド王国で最も偉大な魔導師、イライジャ様だ」
「貴方が?」
イレーナはかくりと首を傾げた。世界に名だたる魔導師を前にしても、イレーナは平静を保ったまま。元帝国市民は流石だ。
僕の背中を冷や汗が伝う。門番さんも兜の奥でその眼をぎらぎらと輝かせていた。
けれど、当のイライジャ様はころころと陽気に笑っていた。
「ほっほっほ。君のこともよく知っておるよ、イレーナ。君とも一度話がしてみたかった」
「私と? そもそもどうして私の名前を知ってるの?」
イレーナが自分の事を指差すと、イライジャ様は杖に寄りかかりながら右手を天へと差し伸べる。高らかに鳴いたワタリガラスが、その手の上に舞い降りた。
「このブリギッド王国の中で起きている事なら、わしは全てお見通しじゃよ」
カラスは僕達を見てもう一発カアと鳴く。自分こそが全て見ていたのだと言わんばかりだ。イライジャ様は悪戯っぽく相好を崩すと、くるりと背を向け軽やかに走り出した。
「さあついて来い。昼食でも交えながら話すとしようぞ」
ローブの裾をふわふわさせながら走る大魔導師。どの足取りはおじいさんとは思えないほど速くて、あっという間に庭の彼方へ小さくなっていく。
「行け。イライジャ様をお一人にするな」
門番さんは僕達の背中を乱暴に押す。僕達は小走りしながら、互いに顔を見合わせた。
「何だか不思議な人ね。ふらふらしてるようで、根っこは何だかどっしりしてる」
「だからこそあれだけの地位にあるんだよ、きっと」