30.いざ薔薇の奥地へ
荷支度を整えた僕達は、『薔薇の街』を内へ内へと分け入っていった。壁外の街は旅人や商人がたくさんいて、やっぱり賑やかだ。ハロルランドの薔薇は、僕も含めて、あらゆる人を惹きつけてやまないらしい。僕は旅行記を開いて、そこに著された街の景色と一つ一つ照らし合わせていた。
「『日の出と共に商人達が大通りに現れて、めいめい天幕を広げて店を出す。何者の眼にも止まるよう、天幕は鮮やかに彩られ、薔薇の街はよく華やぐ……』」
僕は文章を唱えながら、大通りにひしめく人の間を練り歩く。イレーナは僕の後ろでひょこひょこしながら、本を覗き込もうとしていた。
「勉強熱心ね」
「俺にとっての王都は、小さい頃に一回だけ来たのと、後はこの本に描かれた情景だけだからね。俺が知っている景色と本物の景色、どこまで合ってるのか比べてみたくて」
「ふうん。で、どうだった?」
イレーナは僕の傍らに躍り出て、横から僕を覗き込む。晴れた日差しが、彼女の瞳をくりくりと輝かせている。うっかり目を奪われそうになったけれど、何とか僕は賑やかな街へと目を戻した。
「百聞は一見に如かずってね。本で読むだけじゃ、ここに暮らす人の息遣いはわからなかったよ。みんながこの街で成功してやろうって気を吐いてる。俺も負けてられないって気にさせられるよ」
「ちょっとちょっと、そこのお兄さん、お姉さん」
さっそく僕達を呼び止める声がする。振り向いたら、東国渡来の蒼い絨毯を広げたおばさんが、にやにや笑いながらひたすら手招きしていた。
「お二人は夫婦だね? それならいいものが……」
おばさんは早速足元の木箱を漁り始める。イレーナは身を乗り出すと、そんなおばさんの手を慌てて止めようとする。
「ちょっとちょっと。夫婦なんかじゃないわよ、別に」
「夫婦じゃない。ならどうして二人っきりで歩いてるんだい」
「……えーと、それは……」
イレーナは助け船を求めて振り返る。頬をほんの少し赤くして、もじもじしていた。たしかに、男女が二人寄り添って歩くなんて、夫婦か、それでなくても将来を約束した仲かのどっちかしかない。そうじゃなかったら姦通の罪に手を染める不埒者だ。おばさんの眼がみるみる怪訝になっていく。僕はすぐに取り繕った。
「別に夫婦ってわけじゃないですけど……お互い身寄りを失くしてしまったので、とりあえず力を合わせて生きていこうって、この都まで出てきたんです」
「あらそう。なら夫婦みたいなものじゃないのよ」
「だから別に、夫婦とかじゃ」
「照れなくたっていいのよ。ほら、これなんかどう? あんた達によく似合うわ」
そう言って、おばさんは二つ一組のブローチを取り出した。色鮮やかなメノウで出来ていて、月と太陽を模している。光を浴びてつやつやと光る白い飾りは、イレーナにもよく似合いそうだ。付けてみてほしいと思ったけれど、僕の財布はほとんど空だ。とても装飾品なんて買ってる余裕は無い。
「……いつかお金が出来たら買わせてもらいますよ。ちょっと今日は持ち合わせがなくて」
「別にお金なんていいわよ。代わりに、二人でいつでもそれを身に付けなさいよ。そして誰かが目に留めたらこう言うの。『これはキャスリーンのお店で手に入れました』ってね」
「ふうん。持ちつ持たれつってわけね。せっかくだし、貰っておくわ」
イレーナはおばさんからブローチを受け取ると、太陽を模した丸いブローチを早速マントに留める。ますます彼女は華やかになった。そばを歩く商人達も、皆彼女に視線を注いでいる。
「どう? メリー」
「よく似合うよ」
僕もイレーナから受け取ったブローチを留める。僕の事を頭のてっぺんから爪先まで見渡して、彼女は笑った。
「あんたもね、メリー」
「じゃ、頼んだわよ」
おばさんは僕達の肩を叩くと、また僕達を通りへ送り出した。話している間に時は流れて、ますます通りに立つ人が増えてきた。城壁まではそう離れてないはずなのに、やたらと遠く感じられる。
「寄り道してないでさっさと行くわよ。いつまでも辿り着けなくなっちゃう」
イレーナは僕の袖を引いて、ずんずんと通りの真ん中を歩き出す。彼女の人並み外れた美貌に恐れ入ったのか、皆があっという間に道を空ける。イレーナも調子に乗って、朗々と声を張り上げ始めた。
「ほら、どいてどいて。将来有望な魔道士のお通りよ」
魔道士と聞いて、視線が僕の方にも注がれ始める。王都で魔道士を名乗るにはちょっと覚悟がいる。ここに来た魔道士は、そもそも故郷で師匠に大学へ入る許しを得てやってくる。それだけの実力を持っていると、当たり前のように見なされるのだ。でも僕は、結局大学で学ぶ許しを僕の『師匠』から貰っていない。僕はただの半端者だ。
「やめてよ、イレーナ。みんながじろじろ見てる」
「黙んなさい。このくらいでじりじりしないの。これから一等の魔道士になるんだから」
街を抜けて、僕達は長い石橋へと辿り着く。アスタルテーの河を渡す橋。向こう側には、高くそびえた白い城門と、それを守る門番がいた。僕は端っこを通って渡ろうとしたけれど、イレーナはそれを許さず、堂々と真ん中を突き進む。やってきた僕達を見て、門番二人は早速槍を担いで迫ってきた。
「止まれ!」
イレーナは言われたとおりに足を止めると、僕を門番の方に突き出した。僕はよろけて、門番の目の前ですっ転ぶ。門番は僕の肩を掴むと、無理矢理引っ張り立たせた。
「何者だ。名乗れ」
「ここに来た目的は何だ」
もうここまで引きずり出されたら覚悟を決めるしかない。なぜだか頭がすっと冷えてきた。今自分はどうすればいいか、はっきりと見える。
「僕はオスティアのメレディスです。父は大魔導師イライジャに師事し、魔導師として認められたアロン。父よりの言伝を預かった故、イライジャ様にお目通り願いたく、アロー村よりここまで参りました」
「アロンの息子、メレディス?」
門番達は兜の庇を上げて、互いに目配せする。眉間に皺が寄って、明らかに僕を怪しんでいる顔だ。
「アロン殿の事は知っている。メレディスという息子がいる事も。……しかしお前がその息子だというのか?」
「信用ならん。証拠を見せよ」
「証拠ならあります」
僕は背負っていた包みを下ろすと、布を素早く剥ぎ取る。現れたのは深紅に彩られた鋼鉄のマスケット。父が大学で魔導師認定試験の折に創り上げた傑作だ。
「これをイライジャ様にお見せいただければ、きっとわかるはずですから」