2.轟く雷鳴、防ぐ結界
至高神アイオーンがこの世界を六つのエーテルで満たし、アイオーンから分かれた四柱の神がこの世界に命ある存在を創り出して天上に帰ってから、もう一万年も経ったという。僕達と神様の繋がりは絶えて久しいけれど、未だに僕達は雨が降る度、神様の存在を身近に感じている。
村の広場に向かって走っていると、いきなり空が瞬いた。一、二、三と数えた辺りで轟音が響き、足元が軽く震える。かなり近くだ。これは一刻の猶予もない。
「あ、メリー! やっと来た!」
家の屋根に立った女の子が、こっちを見るなり叫ぶ。エリザだ。彼女も僕やローディと歳が近くて、よくつるんできた友達だ。刈り入れ時の小麦畑みたいなつやつやの金髪に、くりくりとした緑色の瞳。まさにブリギッド美人だ。ドレスやティアラで着飾らせたら、誰もがどこかのお姫様だと思うだろう。黙っていれば、だけど。
「早く準備して! みんな待ってたんだから!」
エリザは早口でまくしたて、いきなり黄色い背表紙の本を僕へと投げつける。見た目は美人でも、口やかましくてお節介。中身はどこにでもいる女の子と同じだ。
「そんなに急かさなくたっていいじゃないか」
エリザから投げつけられた本を、僕は手に取る。村長に選ばれた人間が代々この村に伝えてきた、大地の力を操るための魔導書だ。嵐が来ると、決まって僕やエリザみたいな村の若い人間が魔法の結界を張って、この村を守りに包む。そうしないと、村が滅茶苦茶になりかねないからだ。
「グノームよ、我らの村を守り給え」
僕は魔導書を開いて、羊皮紙に刻まれた円や多角形が複雑に組み合わされた幾何学模様――魔法陣に手を翳す。自分の身体に流れる生命力をそこへ流し込むと、それが呼び水になって、辺りから大地のエーテルが吸い寄せられてくる。
僕は巨大な天蓋を思い描いて、空へと手を掲げた。屋根に立ったエリザや他の友達も、一斉に魔法陣の描かれた羊皮紙を空へ突き出す。僕の手から放たれた大地のエーテルがエリザ達の手にある魔法陣に吸い込まれ、さらに多くのエーテルを集めながら空へと放たれる。やがて雲を切り裂くような眩しい光が瞬いて、それから流れ星のような光の線が弧を描いて村を包み込んでいった。
まさにその時、再び雷光と雷鳴が襲いかかった。けれども、大地のエーテルで作った巨大な天蓋は、火のエーテルの塊である雷を簡単に弾き返す。小さな火花になって散った雷を見上げて、皆は歓声を上げる。
「今日も魔法の冴えはばっちりみたいね」
屋根から軽やかに飛び降りて、エリザが僕のところへ駆け寄ってきた。
「当たり前じゃないか。俺だってもうちょっとした魔道士だよ」
「そうね。後はもう少し真面目に村の仕事も手伝ってくれたら言うことなしなんだけど」
腰に手を当て、エリザは下から僕を覗き込むように詰め寄ってくる。僕は昔からエリザのこれが苦手だ。彼女の上目遣いを見ていると、まるで喉元に短剣でも突き付けられたような気分になってしまう。僕は思わず目を反らした。
「俺はこういう時のために力を蓄えてるんだよ。畑仕事でへろへろになったら、魔法の結界までへろへろになっちゃうからね」
「それはメリーがひ弱いからでしょ。怠けて本ばっかり読んでないで、もっと畑仕事手伝いなさい。そして体力つけなさいよ。あんただってブリギッド人なんでしょ」
エリザはいきなり僕の頬を引っ掴んでこねくり回す。畑仕事に慣れたエリザは力が強い。頬なんかつねられたらひとたまりもない。村のいたずらっ子なチビたちも、僕も、いつもエリザを恐れていた。
「いたたたた! わかったよ。わかった。前向きに検討する」
「検討するって何よ。ちゃんと手伝うって約束しなさい」
その時、三度空が閃いた。村の脇に張り出した森林の上に雷光が走る。けれど、後に続く雷鳴は酷くくぐもって聞こえた。僕達は慌てて振り返る。鼠色の雲の向こうに、星空よりも暗い裂け目が広がっていた。
そこから小さな深紅の光がいくつも、雨粒のように降り注ぐ。光は暗い森の向こう側に吸い込まれて、やがて見えなくなった。小さな流れ星の群れを見送ったエリザは、小さく溜め息をつく。
「ま、明日はメリーも忙しそうね……」
「そうとも。嵐の次の日は、俺の出番さ」
嵐が起きる度、天から遺物が降り注ぐ。僕達はみんな、それを『天来』と呼んできた。天上に暮らす神様や精霊が、嵐のたびに喧嘩をして落とし物をしているからだと。
それを拾い集めるのが、この僕の仕事だ。
ブリギッド王国
メイルストロム大陸の南方を統べる大国。沃野と安定した気候が多くの収穫を齎すため、ホイレーカ、エルメス双方の諸侯からその領土を常に狙われてきた。それゆえ王や諸領主の結束は固く、メイルストロムの中では最も政体が安定している。