28.酒場の別嬪さま
「見渡す限りの黄金の野原、故郷のビールは琥珀色……」
旅人を迎える酒場には、大道芸人達の陽気な歌が響き渡る。みんなはその歌に合わせて、木製のコップになみなみと注いだ麦酒を一気に飲み干していく。ローディも喉を鳴らしながら、大きなコップをあっという間に空にしていた。
僕も続く。口の中に苦みと辛みが広がってひりひりする。けれどそれをちょっと我慢して飲み干したら、秋の空気を吸い込んだのと同じ爽やかさが喉に走る。それでいて胸の奥や頭はぽかぽかしてきて、この不思議な感覚がたまらなく心地いい。皮がカリカリになるくらい焦がしたソーセージを頬張れば、その塩気と油っこさが幸せな気分にしてくれる。僕は天を仰いだ。
「ああ、さすがに王都の麦酒は美味しいなあ。イレーナ、どうだい?」
僕は舞い上がるような気分でイレーナの方を見る。イレーナは渋い顔をして麦酒を舐めていた。一口含んでは唇を曲げ、焦げたベーコンを齧る。中身はちっとも減ってない。
「どうだいって。私の口には合わないわね、これ」
「おいおい! この酒が不味いってのかよ?」
ローディは両頬を真っ赤にしてイレーナに詰め寄る。鼻先が触れ合いそうなくらいだ。イレーナはそんなローディの頬を引っぱたく。
「近いのよ、酔っぱらい! 別に不味いなんて言わないわ。でも私は苦手なのよ。辛すぎるし苦すぎる。お酒の風味も丸出しだし、何ていうか……品が無いわ」
「おいおい、品がないってのも中々酷い言い方じゃねえか。不味いとどう違うんだ」
ローディは鼻面に皺を作って唸る。イレーナも唇を尖らせ、ちらりと周りを見渡す。その視線をちょっと追いかけたら、コップを突き合わせてがぶがぶ麦酒を飲み、肩を組んでわいわい歌って、カードやダイスに興じている酔っぱらったブリギッド人の姿があった。
「下品よ。こんな風に、酔いに任せて騒げるようなお酒なんて」
「へえへえ、さすがは偉大な帝国の市民様だよ」
給仕さんが持ってきたお代わりを手に取って、ローディはまた豪快に喉を鳴らす。ローディみたいにはいかないけれど、僕もお酒はこう飲むものだと思ってきた。
「イレーナはどんなお酒をどんな風に飲んでたんだい?」
「お酒は葡萄酒に決まってるでしょ。それにそのままじゃ渋いから、蜂蜜や糖蜜を加えてちょっと煮詰めるのよ。」
ちびりちびりと酒を口に含んで転がしながら、イレーナは溜め息をつく。
「そして一杯をグラスに注いで、それが無くならないように飲みながら会食するの。競技場で行われた競技大会や演劇の良し悪しを夜が更けるまで語り明かすのよ。あれもあれでくだらないって思ったりもしたけど……この落ち着かないバカ騒ぎに比べればましね」
イレーナはフォークを手に取ってソーセージを突き刺す。指先でぷらぷら振りながら、イレーナはますます渋い顔をする。
「それに、いつでもどこでも料理がこんなのしかないのは何とかならないの? もうちょっと手の込んだモノを作ろうとか、そういう考えはないわけ?」
僕とローディは顔を見合わせる。テーブルの上に載っているのは、丸焼きにしたソーセージとニンジン、あとベーコン。酒のお供としては上等だ。何を不満に思うことがあるんだろう。僕達は首を傾げる。
「考えたことも無かったよ」
「美味いだろ」
けれど、僕達の反応はイレーナにはやっぱり気に入らないらしい。イレーナは頬杖をついてそっぽを向く。
「聞いた私がバカだったかもしれないわね」
イレーナはソーセージを口へと運ぶ。ぱんぱんに膨れた皮を彼女の白い歯が捉えて、真ん中あたりでぱりっと噛み千切った。溢れた脂が彼女の唇を濡らしてつやつやにする。僕は思わず見入ってしまった。
「何よ」
「いや、別に……」
酔っぱらいが一人、空の樽に乗ってころころと踊り始める。周りに交じってローディは囃し立てるけれど、イレーナはまた溜め息を零すだけだ。
「まあそんな顔すんなって。これはこれで楽しいだろ?」
ローディは椅子を寄せ、イレーナと肩を組もうとする。彼女はさっと立ち上がって、ひらりとローディの腕を躱した。体勢を崩したローディは、そのままどっと床に転げてしまう。イレーナはローブの裾を摘まむと、わざとらしく会釈する。
「あらあら。ごめんあそばせ」
「いってえ……」
ローディはひっくり返ったまま目を白黒させている。顔を真っ赤にした酔っぱらい達が、ローディを見てげらげら笑いだした。
「おいおい、何やってんだよ!」
「女の扱いがなってねえな!」
イレーナは酔っぱらい達の囃し立てる声を聞いて、ついに笑った。
「……ま、たまにはいいかもしれないわね。たまには」
「やれやれ。まあお前がおもしれえと思ったんならいいや」
ローディは脇腹をさすりながら起き上がる。そんなローディやイレーナに興味津々で、酔っぱらい達がずかずかと集まってきた。
「おいおい嬢ちゃん、全然酒が減ってねえんじゃねえか?」
「飲めねえんだったら俺達が飲んでやろうか」
半分も減ってないイレーナのコップを覗き込んで、次々に囃し立てる男達。イレーナはふんと鼻を鳴らすと、いきなり椅子の上に飛び乗った。コップを高々掲げた彼女は、ぐるりと辺りを見渡す。
「女だからって侮らないで貰いたいわね。見てなさい」
そう言い切ると、イレーナは一気に麦酒を呷った。腰に手を当ててふらつかないようにしながら、細い喉をごくごくと波打たせて、彼女はまるで干からびた旅人のように酒を飲み干していく。囃し立てていた酔っぱらい達も、その飲みっぷりに思わず口をぱくぱくさせていた。
「ほうら、これでどうよ!」
やがてイレーナは空になったコップを周りに見せつけて、ぽんと放り投げた。その鮮やかな振る舞いに、酒場は一気にざわめいた。
「やるじゃねえか!」
「よー、別嬪!」
「ふふん。褒めなさい、讃えなさい」
イレーナは胸を張る。得意になって鼻の穴を膨らませていた。顔の形が綺麗だと、どんな顔をしても場が華やぐ。ちょっとくらい傍若無人に振舞っても、愛嬌として数えられる。ようやく空にした僕のコップを指差しても許されるのだ。
「あら、猫ッ毛くん! あんたコップが空じゃない! お代わりは?」
「え、その、俺は……」
身体はマグナス人だから、そんなにお酒は強くない。そう言おうとする間もなく、酒場の亭主が大きなコップを手にしてやってきた。
「別嬪様の御指名だぞ。光栄に思いな」
「う、ううん……」
逃げられそうにない。こうなったらあとは野となれ山となれだ。亭主からコップを受け取ると、僕は机の上に飛び乗って、一気に麦酒を呷った。
この後しばらく、ひどく胸の奥がふわふわしていたことしか覚えていない。




