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メイルストロムの英雄譚:見習い魔道士と亡国の少女  作者: 影絵企鵝
第三章 父の学んだ大学にて
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27.王都ハロルランド

 ロージアンから西へ向かうと、南の山地から流れ込むアスタルテ河に突き当たる。そこから大河に寄り添う街道を下っていくと、ちょうど王都ハロルランドを高いところから眺め渡すことが出来る。


 ハロルランドは、統一王ハロルドがアスタルテ河のほとりに作った大都市だ。女神ブリギッドを祀るブリガンティア大聖堂、この国に生まれた学者なら誰もが憧れる聖ギルバート大学、王様が大臣と共に政を執っているハロルランド城。白い城壁に囲まれた三つの偉大な館は、丘の上からよく見える。その城壁の外には、薔薇の花びらが開くように、幾つもの市街地が栄えている。


 小さな頃、父さんが一度だけ僕をここに連れてきてくれたことがある。その時には、ひしめき合う建物、あちらこちらに行き交う人々が何だか化け物のように見えて、泣いてしまったのを覚えている。今更泣きはしないけれど、今の僕も他の街とは一線を画す威容にただ圧倒されていた。


「王様がいるような都市は違うのね。大きさだけなら帝都にも引けを取らないわ」


 ラティニア帝国を引き合いに出して何かとケチをつけようとするイレーナも、ハロルランドの栄えぶりは讃嘆していた。つまりは帝国市民お墨付きというわけだ。


 何だか嬉しくなって、僕は鞄から『メルヒオール旅行記』を引っ張り出す。何十年か前、大陸中を遍歴したホイレーカ人の書いた日記だ。ハロルランドの風景も事細かに記されている。


「ハロルランドは大望あるブリギッド人の溜まり場なのさ。先祖代々受け継いできた土地を耕すだけの人生が嫌だったら、ハロルランドにやってきて兵士になるのが一番手っ取り早いんだよ。ローディみたいにね」


 僕がローディの横顔を見ると、ローディはバツが悪そうに顔を背ける。


「近衛にまで取りたてられるとは思わなかったけどな」

「まさに大逆転ってわけね。行く先行く先、どこでも近衛様近衛様だもの」


 イレーナがひょっこりとローディの前に躍り出る。ローディは肩を竦めると、腰の短剣を取って彼女に差し出す。その柄の先には、剣を天へと掲げたハロルド王の姿が彫り込まれている。王家の紋章だ。


「血筋の上では平民でも、これを帯びてる間は貴族として扱われる。王様にとっても、俺を目指して兵士になりたがる奴が集まるから、良いことずくめらしいぜ」


 溜め息がちに呟くローディ。女の子に黄色い声を浴びせられる中で黙々と自分を律するのは、結構な心労なのだろう。俯き加減の表情は愉快そうに見えなかった。


「まあそんなもんだ。新しい暮らしを求めて、あっちこっちからこの土地には人が集まってくるんだよ。メリーの親父さんも、あそこに見える大学で魔導師としての訓練を受けたらしいからな」

「へえ……でも、どんどん王都に人が集まっちゃったら、村から人がいなくなっちゃうんじゃないの。大丈夫?」


 ローディはそれを聞いてへらりと笑う。


「問題ねえよ。王都で上手くいく奴がいる限り、上手くいかない奴もいる。上手くいかなかったら村に帰るしかねえからな」


 上手くいかなかったら。その言葉を聞いて僕は胸がちくりとする。王都まで来たら何とかなると思ってここまで来たけれど、よくよく考えたら楽観もいいところだ。誰の推薦状も無いのに大学に入れてもらえるのか。お金はあるだけ持ってきたけど、王都で暮らしていくのに足りるのか。心配がどんどん膨らんでくる。


 そんな僕に気が付いて、イレーナはくすりと笑った。


「メリー、不安になってきたんでしょ」

「わかるんだね」

「そりゃもう。ばればれ」


 イレーナは僕の正面に回り込むと、じっと僕の顔を見つめる。


「心配しなくたって、メリーなら何とかなるわよ」


 澄み渡った青い瞳。イレーナは何のてらいも無く僕の事を信じてくれている。それなのに、自分自身が自分を疑ってたら仕方がない。


「……そうだといいな」


 ここであれこれ考えても始まらない。行こう、王都へ。




 王城を取り巻く花弁の街。そこにちょっと足を踏み入れただけで、空気ががらりと変わった。どこを見ても人だらけだ。新しい家を建てている大工、広い通りに絨毯敷いて露店を開く商人、魔法を駆使して芸を披露する大道芸人。僕はそんな彼らの息遣いや口上を聞きながら、ぼんやりと見入ってしまった。


 王都の盛況ぶりはよく文章にされるから知っていたつもりでいたけれど、実際に来たらそんな考えは甘かったと思い知る。僕は所詮、池の中に住む魚で、海の事なんかちっとも知らなかった。


 ふと襟が引っ張られて、僕は通りの脇まで引き込まれる。振り返ると、イレーナが手をひらひらさせていた。


「あんまりぼーっとしてないで。往来の邪魔になってるから」

「ごめん。つい見入っちゃって」

「見入る気持ちはわかるわ。面白いもの。どこもかしこも人が働いてる。帝都で働く人なんて、貴族の下で働く召使いとか、外から物を売りにやってきた商人くらいだったし……雑然としてるけど、人間に活気があって、楽しい」


 イレーナは目を細めた。


「人間は汗水流して働くのが正しい姿なのよね」


 彼女はしみじみと呟く。畑の世話をする村人、宿屋で酒を振舞う亭主、それから今目の前で働いている市民達。人があくせく働く姿を見る度に、イレーナはそんな事を言う。そんな彼女の横顔を見ながら、僕は帝国の伝説を思い出す。


「ラティニア帝国の人達は働かなくても生きていけたんだっけ」

「そうね。耕すことも戦うことも、属州の奴隷や器械人形がみんなやってたし、貴族達の価値は人々をどれだけ養えたかにかかってたから、こぞって食べ物やら服やら家やらを用意してたの。だから普通の市民がやる事といったら、遊ぶ事くらいよ。愚にもつかない哲学ごっこをしたり、闘技場で賭け事をしたり、公衆浴場で取っ組み合いをしてみたりね」

「そんな世の中じゃ張り合いがねえな」


 ローディは首筋を掻きながら呟く。外套も短剣も外して、ただの旅人を装っていた。ロージアンの街ですら桶をひっくり返したような大騒ぎだったし、この城下でローディが歩き回っていると知れたら、何が起こるかわからない。


 イレーナはローディに振り返ると、表情をほんの少し曇らせた。


「そうね。ローディの言う通りだと思う」


 寂しそうな表情だ。イレーナが心を開いてくれるようになってから、帝都の話はぽつぽつしてくれるようになったけれど、その度にイレーナは肩を落としてしまう。彼女がまだ僕に話してくれてないことはまだたくさんありそうだけど、沈んだ顔をする彼女に僕から何かを尋ねる気にもなれなかった。


 ローディもそれは同じだった。イレーナに探るような目を向けていたけれど、やがて彼女の細い肩を軽く叩く。


「さて、王城に帰ったら中々会いにくくなるからな。その前に一杯引っ掛けようぜ。お前も酒くらい飲むだろ?」

「そりゃ飲むけど。……美味しいんでしょうね?」


 イレーナは眉を寄せる。僕とローディは顔を見合わせた。麦酒のひりりと爽やかな飲み心地。後からやってくるふわふわしたあの感覚。僕は頬が緩むのを感じた。


「美味しいよ。もちろん」

「ふうん?」


 イレーナはやっぱり怪しんでいた。



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