26.僕らの道を知るために
「ああ、美味しい! 病み上がりに食べるご飯は格別!」
次の日、イレーナは手当たり次第に料理を口に運んでいた。ガチョウの丸焼きから、ニンジンとキャベツのスープ、ベーコンエッグ、それからオーツ麦の粥。小間使いが次から次に運んでくる料理を、イレーナはぺろりと平らげてしまう。唇を肉汁でつやつやにした彼女はほくほく顔だ。見てる僕まで幸せな気分になってくる。
「……イレーナ、君はどれだけ食べるつもりなんだ」
ローディは目を点にしている。そりゃそうだ。旅に出てからずっと、燻製一切れ食べてもういらない、パン一つ食べておいしくない、でイレーナはまともに食事を摂ってこなかった。それがいきなり何皿も料理を平らげ始めるんだから、誰だって驚く。
「まだまだ、こんなもんじゃ、全く足りないもんね」
イレーナは得意げに笑う。ガチョウの丸焼きから太ももをむしると、小さな口を一杯に開いてかぶりついた。
「いやはや、よい食べっぷりだ。見ていて心地が良いな」
ニコラス様はそんなイレーナを見て上機嫌だ。確かに、黙々と蒼褪めた女の子がいるより、喜色満面にがつがつ食べる女の子がいた方が食卓は華やぐ。
「あんたのどこにそんなたくさんの食べ物が収まってんのよ。わっかんないわねえ……」
エリザはもそもそとベーコンエッグを齧りながら尋ねる。イレーナの豪快な食べっぷりに、エリザは半分呆れていた。
「魔道士は自分の命を削って魔法を使ってるのよ。削った分はたくさん食べて補わなきゃ。ここ最近でかなり痩せちゃったわ。もう少し肉を付けないとこの辺が寂しくなっちゃう。この辺りがね」
イレーナはちらりと目を光らせると、いきなりエリザの胸元に手を這わせた。むっと顔をしかめたエリザは、イレーナの頭に拳骨を落とす。
「何すんのよ、バカじゃないの」
「ふん。ちょっと大きくて形がいいからって、それが何だっての」
殴られた頭を押さえて、イレーナは威嚇する猫のように歯を剥きだす。イレーナも僕と同じでかなり痩せ気味だから、めりはりのあるエリザの体つきが羨ましいのかもしれない。だからっていきなり触ることは無いと思うけど。
道化みたいに自由なイレーナを見て一頻り笑ったニコラス様は、腕組みしながら彼女をじっと見つめる。
「しかし、昨日はロデリックがお前の事を『気難しい癇癪持ちの女』と言っていたが、今のお前はむしろ底抜けに上機嫌と見える。何か心変わりでもあったのか」
ニコラス様に問いかけられたイレーナは、こくりと頷く。
「ええ。……ここ数年感じたことが無いくらい良い気分です」
ハンカチを取って口元を拭うと、ふと真剣な顔をしてニコラス様を見つめた。
「オスティア卿、貴方をこの国の有力者の一人と見込み、申し上げたいことがあります。器械人形の襲撃の折には、膝を狙って攻撃するように徹底してください。全身を鋼鉄の鎧で覆っているあの人形ですが、膝は機構が複雑で、少しでも部品が歪むとあれは上手く歩けなくなるのです。立って動けなくなれば、制するのは容易いはずです」
「ふむ……。随分と詳しいのだな」
ニコラス様は少し疑わしげにしている。イレーナはずいとテーブルに身を乗り出した。
「私はイレーナ=ヒュパティアと申します。かつてこの世界にあった、ラティニア帝国の生き残り。あの器械人形もラティニア帝国で労働を担うために作られたものですから、よく親しんできたのです」
「なんと」
ラティニア帝国の名を聞いて、ニコラス様も目を見張った。千年よりも前の帝国の名前を聞くなんて、さすがのオスティア伯も思いつかなかったに違いない。小間使いの女の子達も、遠くでひそひそと耳打ちしあっている。ローディもニコラス様に向き直った。。
「イレーナも天来として降ってきたのです。これまでの武器や装飾品と同じように、またあの器械人形と同じように」
「なんとなんと。にわかには信じがたいが……ロデリックの言うことならば真なのだろう。ふむ……生きた者が降ってくるなど、聞いたことが無いが……」
ニコラス様は顎髭を撫でて、しばらく黙々と考え込む。そのうち彼は頷いて、書記を手元に呼び寄せた。
「よかろう。お前の言うことを信じる事にする。いずれにせよ、先日あれが襲ってきたときにはずっと手をこまねいていたのだ。疑って何もしないよりは、信じて試してみる方がよい」
書記がやってくると、ニコラス様は素早く書記に耳打ちする。円い眼鏡をかけた書記のおじいさんは、さらさらと白い紙に文書を書きつけていく。
「ロデリック。王都へ戻るついでに、これを王へ渡してくれ。後のことは王が上手くこなしてくれるだろう」
文面に目を走らせたニコラス様は、封筒に封蝋を垂らして、指輪に刻まれた紋章を力強く押し付ける。盾の紋章が刻まれた手紙を、ローディは恭しく受け取った。
「かしこまりました」
ロージアンの城門。僕とイレーナとローディは、馬車に乗ったエリザを見送っていた。薬草とチーズを街で売って空っぽになった馬車には、代わりにロージアンの魔道士や兵士が数人乗っていた。エリザと一緒にアロー村へ帰って、村の護衛に当たるらしい。
「やっぱり王都に行っちゃうのね、メリー」
御者台に乗ったエリザは、僕を見下ろして溜め息をつく。僕は頷いた。
「せっかくここまで来たんだ。僕は行くよ。戻ったってイレーナの居場所は無いんだし」
「そうね。……まあ頑張って。あんたはやる気にさえなれば、何とかなるわよ」
エリザは身を乗り出して、僕の頬をゆるゆるとつねる。別れる時も、エリザはエリザだ。
「あんたも、これ以上メリー達に迷惑かけないでね」
僕の頬を一頻り弄ぶと、そのまま隣のイレーナに目を向けた。
「わかってるわよ」
イレーナはしばらく目を泳がせていたけれど、やがて懐に手を突っ込んで、紐でくくった紙束をエリザに差し出す。そこには緻密な魔法陣が書き込まれていた。
「持って行って。危なくなった時に使えば、貴方も村も守れるはずよ」
エリザは術符を握ったまま目を瞬かせる。イレーナは恥ずかしそうに顔を赤らめて、ぼそぼそと呟く。
「貴方には世話になったし。……お礼」
「はいはい。ありがたく受け取っておくわ」
エリザは術符を脇に置くと、僕達の肩越しにローディに視線を送った。僕達も振り返ってみると、ローディは腕組みして顔を背けている。
「じゃあね、ローディ。今度帰ってきたときはゆっくりしていきなさいよ。私達だって、そろそろ決着付けないといけないんだから」
「決着ってなんだよ」
ローディはぎょっとする。
「さあね?」
エリザはからから笑うと、馬に鞭を打って、そのまま帰路についてしまった。僕とイレーナはその背中を見送っていたけれど、ローディは背を向けたままぶつぶつと呟いていた。
「ったく。それどころじゃねえんだって。お前には悪いけどよ……」
僕とイレーナは左右からローディの顔を覗き込む。ローディは煩そうに僕達を押しのけた。
「何ぼやっとしてんだよ。行くぞ!」
ローディは馬に飛び乗って、その腹を蹴った。僕達を置いて行ってしまいそうな勢いだ。僕も慌てて馬に乗り、イレーナに手を差し伸べた。僕達は軽いから、二人で一頭の馬だ。
「さ、どうぞ」
「失礼します」
イレーナが僕の腰にしがみついたのを確かめて、僕は馬に軽く鞭を当てる。馬は小さく嘶いて、ローディの後を追いかけ始めた。
春の日差しが温かい、呑気な空だ。僕は雲がゆるゆると流れる様子を見つめた。空に流れる雲は、色々な要因が積み重なってその形を変えていく。僕とイレーナも、色々な事と向き合いながら、あり方を変えていくんだろう。それが、エリザが言うみたいに夫婦になるのか、また別の形になるのかはわからないけれど。
「ねえメリー」
ぼんやり考えていたら、イレーナがこっそりと囁いた。
「ずっと悔しかったの。みんなのためにと思って作り上げた器械人形が、帝国を滅ぼすきっかけになって、遠い未来に生きるメリー達まで脅かしている事が」
「知ってるよ。そうなんじゃないかと思ってた」
「でも、どう私がやってしまったことにけりをつけたらいいのかわかんなくて、わかんなくなってる間にも人は死んでて、それを考えたら気が狂いそうだった。……もう狂ってたかも」
「大丈夫だよ。僕が一緒に考えてあげる」
「うん。だから私も、もう少し頑張ってみる。貴方と一緒に。せめて、この世界だけは守れる方法が無いかってね」
イレーナの声は、まだ少し震えていた。元気に振舞えるようにはなったけど、まだ心には痛みが残ってるんだろう。あの夜を越えて、イレーナの事はまた少しわかるようになったと思う。
「だから……よろしく。メリー」
「よろしく、イレーナ」
目指すは王都、ハロルランド。僕達の歩むべき道は、きっとそこにある。




