25.瑠璃のように蒼く、玻璃のように澄んで
僕達が馬を飛ばしてロージアンの城まで帰ってくると、既に陽は高く昇っていた。
今日は久しぶりに雲一つない晴れ模様、からっとした風が街の通りを真っ直ぐ吹き抜けていく。普段なら広場に留まってぼんやりと陽に当たっていたいところだ。でも今の僕にはやらなければならないことがある。僕達は真っ直ぐに城へと、イレーナが待っている二階の客間へと向かったのだ。
重い扉を開くのももどかしい。僕は樫の扉に寄りかかり、全身の体重を預けて力任せに押し開けた。途中で急に蝶番が緩んで、僕は絨毯に足を取られて転びそうになる。
「メリー!」
濡らした端切れを取り換えていたエリザが、僕に気付いてはっとする。
「戻ったわね。苔はあった?」
「あったよ、あった」
腰に結わえていた革袋を取って、エリザに差し出す。彼女はキイロゴケを引っ張り出すと、目を凝らしてじっと見つめた。
「……うん。間違いなさそうね。すぐに薬を作るわ」
エリザは術符を一枚取り出すと、小机の上に広げる。その上に黄色の苔を広げると、両手で揉み擦りながら念じ始める。
「女神ブリギッドの遣わし精霊オレイアス、大地の力を我に授けたまえ」
彼女が呟いているうちに、キイロゴケがあっという間に干からびる。エリザはそれを他の薬草と一緒に乳鉢に押し込むと、そのまま術符の上でごりごりとすり潰し始めた。ローディはのしのしとエリザの隣まで歩いて、その手元を肩越しにじっと覗き込んだ。エリザはそんなローディをじろりと睨む。
「じろじろ見ないでよ。気が散る」
「適当にすり潰してるだけだろ、いいじゃねえか」
「あんたには簡単に見えてるのかもしれないけどね、それなりに繊細な作業なのよ。あんたみたいな馬鹿には出来ないんだから」
「馬鹿ってなんだよ、おい。これでも近衛の中じゃ頭が切れてる方って言われてんだぞ」
エリザとローディがいつもの口喧嘩を始めた。昨日からずっと神経が張り詰めっぱなしだったけれど、二人の他愛ないやり取りを聞いて、ようやく僕も気持ちが緩んできた。エリザはしっくりこないって言っていたけど、二人が揃っているのを見ると何だか安心するし、さっさとまとまっちゃえばいいと思う。
僕はそんな二人をよそに、イレーナを見舞うことにした。ベッドの傍らまで近寄ってみたら、イレーナは静かに寝息を立てていた。宿に泊まったり野宿をしたりしていた時は、いつも息が浅くて、たまにしゃくりあげるように喉をひくつかせていた。見てると心配になるくらいだったけど、今日のイレーナは寝顔も穏やかだった。
「……ん」
じっと眺めていたら、イレーナはゆるゆると目を開いた。焦点の合わない目でぼんやり天蓋を見つめていた彼女は、ふと僕の方に顔を向ける。
「帰ってきたのね、メレディス」
「メリーでいいよ」
「そうね。……メリー、大丈夫だった?」
「大丈夫だよ。ちょっと左腕にスライムのべとべとがくっついちゃったけど、それくらいさ」
僕は剥き出しの左腕をイレーナに見せようとする。でも、見ると薄皮がびらびら剥がれて、何ともわからない体液がじくじくと沁み出していた。
「うわっ」
思わず声を上げてしまった僕を見て、イレーナは不安そうに首を傾げる。
「大丈夫なの、メリー」
「大丈夫、大丈夫さ。これくらい」
イレーナは額に乗っていた端切れを取って僕に差し出してくる。
「とりあえずこれで拭いたら」
「……ごめん、ありがとう」
しっとり濡れた布で腕を拭うと、ぴりりと沁みた。
「ごめんね、私なんかのために大変な目に遭わせて」
「いいんだよ。ずっと苦しんでた君に比べたら、腕が火傷したみたいになるくらい、大したことじゃないさ。それに、スライムなんて会いに行こうと思わなきゃ会えないんだ。貴重な体験になったよ。スライムなんてどう見たって火に弱そうだし、出くわしたら僕の魔法をお見舞いしてやればいいと思ってた。でもね、実際に戦ったら周りが湿り気だらけで火のエーテルが全然集まらないんだ。スライムが危険な魔生物と言われてる理由が身に沁みたよ」
「腕がでろでろになるくらいに、でしょ」
言って、イレーナはくすりと笑った。
「おばかさんなんだから。ちょっと考えたらわかるのに」
「君を助けたくて必死だったんだよ。実際にスライムに出くわしたらどうなるかなんて、考えてる暇がなかった」
「そっか」
イレーナの顔は穏やかだった。声色も朝に鳴く小鳥の声みたいに柔らかい。聞いているだけで、全身に纏わりつく疲れが洗い流されるような気がした。
彼女はのそりと身を起こすと、僕をじっと見つめる。その眼は瑠璃のように蒼くて、玻璃のように澄んでいた。
僕がずっと見たいと待ち望んできた、綺麗な眼だった。
「……ずっと夢を見てた」
イレーナはおずおずと話し始める。
「周りを大勢の人が取り囲んで、私を責めるの。あんなものを作らなかったら、自分達は殺される事は無かったって。お前は罪人だって。私はずっと、何も言い返せなかった。ずっと暗いところで、うずくまってることしか出来なかった」
彼女は毛布をぎゅっと握りしめる。顔は真っ青だ。ずっと苦しめられてきたんだろう。悪夢は繰り返し現れて呪いのように纏わりつくものだから。
「でも、今日は違ったの。メリーが助けに来てくれた。私の手を引いて、人込みの中から外に連れ出してくれた。空から光が差し込んできて、とっても明るくて、温かくて。……ほっとした」
イレーナは眉を開いて、にっこりと目を細めた。僕があれこれと思い描いてきた笑顔より、ずっと綺麗だった。
「ありがとう。メリーがいてくれて……」
僕はイレーナの笑顔に見とれてぼうっとしていた。最後は何と言ったかもわからない。それに気づいたイレーナは、真っ赤になって口を尖らせる。
「……やめてよ。じろじろ見ないで」
「ごめん」
僕達の間に流れる変な空気。助け船を出してくれたのはエリザだった。
「ほら、薬が出来たわよ。さっさと飲みなさい」
お椀を突き出すエリザ。そこには黄緑色に濁った液体が溜まっていた。イレーナは見たとたんに嫌そうな顔をしたけれど、やがて恐る恐る口をつける。あっという間に顔を強張らせて、イレーナは叫んだ。
「うええ。ちょっとこれ、何とかならないの?」
「うるさいわね、薬なんてこんなもんよ。私よりも二つも年上なんだから我が儘言うな」
エリザはぴしゃりという。エリザと僕は同い年だから、イレーナは僕の二つ年上って事にもなる。ローディから見ても一つ上のお姉さんだ。
「わかったわよ……」
苦い薬に四苦八苦してる姿は、今部屋にいる誰よりも子供っぽく見えるけれど。
「ほらどう? 全部飲んだでしょ」
「はいはい、えらいえらい」
得意げに椀を突き返したイレーナを、エリザはさらりと受け流す。僕達が森へと向かう前よりも、何だか打ち解けて見える。
「効きやすいようにエーテルも込めてるから、明日起きれば治ってるはずよ」
「そう。……ま、よく出来てるんじゃない」
僕に向かってはころころ鈴を鳴らすように喋っていたのに、エリザに向かってはやっぱりお澄まししている。ずっとつんけんしてきたから、上手く素直になれないのかもしれない。
そんなイレーナの胸の内が透けて見えて、僕は思わず笑ってしまった。
「ちょっと、どうして笑うの」
「何だかイレーナって面白いなって」
「何よ。むかつく……」
イレーナは赤くなったままぼそぼそと呟く。不機嫌な猫みたいだ。抱きしめて髪をわしゃわしゃ撫でたい。我慢したけれど。
そんな僕達を遠巻きに眺めていたローディは、大股で近づいてきて、僕の背中をばしりと叩く。
「ま、これで解決だな」
「うん。本当にそうだ」
勢いだけで飛び出して、ローディとエリザに脇を固めてもらいながら、雲を踏むような足取りでここまで来た僕。でもこれからは、ちゃんと土に足をつけて、イレーナと一緒に歩いていける。そう僕は確信していた。




