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22.少女は少年に告解する

 この街に来てから、イレーナの様子はずっとおかしかった。もちろんこれまでもおかしかったけれど。むすっとしていたかと思ったら、急に癇癪を起こして怒ったり笑いだしたり、とにかく感情の起伏が激し過ぎる。ブリギッドとホイレーカを隔てる『竜の牙』くらい激しい。


 そんな彼女の胸の内を探るのは難しかったけれど、彼女の言葉の端々を掴んで、何となく見えてきた。彼女は誰よりも自分の事を責めている。自分には怒りを向けられるのが相応しいと思うほどに。だから、あんな風に人を煽って怒らせようとしてしまうんだ。


 でも、この街に来たイレーナは静かだった。歓呼の声を聞けば聞くほど、彼女は青褪めていく。今にも刑場に引き立てられていく罪人のようだった。


 見える。城壁の縁に立たされたイレーナが。あの子は涙を一筋流して、暗い夜闇の底へと真っ逆さまに落ちていく。僕は必死に城壁に飛びついて、彼女に手を伸ばそうとする。けれどその手は届かない。




「イレーナ!」




 僕は自分の声で跳ね起きた。部屋は暗い。窓から差し込む月の光が、辛うじて床を照らしている。僕の弾む心臓の音だけが、耳の奥でずっと響いていた。


 瞼を閉じると、今もまだ夢の景色が張り付いていた。イレーナの姿だけじゃない。城壁に積まれている石の形一つまで、くっきり見える。イレーナが立っているのは、ロージアンの城壁だ。月を見上げて、神妙な顔して立っている。


 胸騒ぎは酷くなるばかりだ。僕は寝間着の上からローブを引っ被ると、部屋を飛び出した。イレーナはエリザと一緒に隣の客間で寝ている筈だ。


「イレーナ」


 扉をそっと開いて、中を覗く。エリザが眠い目を擦りながらのっそり身を起こした。


「何よメリー、まだ真夜中じゃない」

「イレーナは?」

「イレーナ……?」


 エリザはイレーナの名前を呼びながらきょろきょろ辺りを見渡す。けれど返事は一つも帰って来ない。


「そういえば、姿が見えないわねえ……。どこ行っちゃったのよ……」

「いいよ。ごめん」


 僕はそっと扉を閉じる。


 血の気がさっと引いてきた。落ち着こうとしても、息は浅くなっていく。自分で見た夢が、僕を捉えて離そうとしない。このままぼんやりしてたら取り返しのつかない事になる。


 眼を閉じる。暗闇の中から、まだ夢の絵が像を結ぶ。昼のうちにニコラス様に城下を案内してもらったから、そこが何処なのかはわかる。


「頼む、そこにいてくれ……!」




 城の中は静かだった。小間使いの女の子たちはもちろん、城壁に立つ見張り番までがすっかり寝入っている。彼らは詰所のテーブルに突っ伏して、ぐうぐう寝息を立てていた。


「衛兵さん、衛兵さん、起きてくださいよ」


 肩を揺すぶってみるけれど、見張り番の人はちっとも目を覚まさない。魔法で眠らされている。こうなったら殴ったって目を覚まさない。


 彼女に違いない。関わり合いになるのが面倒で、眠らせたんだ。


「イレーナ!」


 僕は詰所を飛び出して、城壁上の回廊を走る。降り注ぐ月の明かりが、城壁を白く照らしていた。その縁に立って、じっと月を見上げるイレーナの事も。


 月明かりに晒されたイレーナは静かに涙を零していた。その細い足が、そろそろと城壁の外へと踏み出そうとする。夢の景色が僕の頭に蘇った。


「イレーナ、やめろ!」


 喉が千切れそうなくらいに叫ぶ。彼女を引き留めようと、身体が勝手に動いていた。けれど、イレーナのところまであと三歩のところで、振り返ったイレーナは小さな光の結界を張って、僕を弾き飛ばしてしまった。


「イレーナ!」

「近寄らないで」


 いつも通りの淡々とした口振り。その眼はすっかり濁り切っていた。沢山の感情が渦巻いている。怒り、悲しみ、苦しみ、嘆き。見ているだけで、こっちの胸が痛くなってくる。


「もうほっといてよ。私はもう終わりにするの」

「どうして! 死ぬなんてダメだ!」

「ダメ? そんなことないわよ、メレディス君。むしろ私なんかいなくなってしまう方がいいの」


 近づこうとする僕を今度は旋風でいなして、イレーナはまた城壁の向こうに顔を向ける。その虚ろな眼に一体何が映ってるのか、僕には想像もつかない。


「この街には活気があるわね。……帝都には全く敵わないけど」


 イレーナは街をじっと見つめて呟く。僕は必死に食いついた。


「そうだよ。エルメスやブリギッドの東から来た商人はみんなここを通るんだ。だからブリギッドの中でもよく栄えてる。僕の村も、薬草やチーズをよくここにもってきて売ってるんだ。ねえ、明日市場を見に行かないかい? 君の髪によく似合う髪飾り、僕が見繕うから」


 とにかくこの世にイレーナの興味を繋ぎ止めたかった。そうすれば、死のうだなんて思わなくなるかもしれない。けれど、僕の話なんて聞いていなかったみたいに続ける。


「……皆張りのある顔をしてた。でも、もう少しで器械人形オートマタが全てを台無しにするところだった。もう幾つも台無しにしてしまった。私があんなものを作ったから、みんなに作り方を教えたから……!」


「イレーナ。違うはずだ。そんなの違う。それは君のせいなんかじゃないはずだ。だから」


 僕は必死に首を振る。けれど、イレーナはいよいよ胡乱な目をして僕を見下ろした。


「ねえメレディス君。私は最初から死ぬつもりだったの」

「最初から?」

「私はこの世界に飛んでくるつもりなんかなかった。最初から死ぬつもりで、こんな壁の上から飛び降りた。でも死ななかった。気づいたら硬いベッドの上で寝てただけだった」


 イレーナは歯を食いしばる。頬が小刻みに震えていた。


「そして外に出てみたら、またあの器械人形が暴れていた」

「また? あれはラティニア帝国でもあんな風に人を襲ったのか?」

「ええそうよ。帝国が滅んだのも私のせい。全部私が悪いの。私があの人形さえ作らなかったら、誰もあの人形の手に掛かって死ぬ事なんかなかった。帝国でも、今のこの世界でも! これから先もきっとあの人形はこの世界に棄てられて、人々を襲い続ける。そんなのもう耐えられない!」


 胸の中に張り詰めていたものを吐き出した彼女は、そのまま城壁から飛び降りようとする。僕は慌ててその手を掴んで止めようとした。イレーナは足を止めると、また光の壁を作って僕を弾き返した。


「邪魔しないでよ、お願いだから。あんたが邪魔するせいで、いつまでも死ねない」


 イレーナは唇を噛んで、今にも泣きだしそうに声を震わせる。僕はもう頭が真っ白だった。死ねないなんて言われても、僕は絶対に君を死なせたくないんだ。罪悪感に塗れて、ひたすら自分で自分をいじめ続けて死ぬなんて、あんまりだ。


「……わかった。じゃあせめて、最後に僕のお願いを聞いてくれないか」


 僕は何とか知恵を絞る。思いつくままに言葉を並べる。


「何よ」


 イレーナが首を傾げた。やっぱりイレーナはお人よしだ。頼みがあるとか、お願いがあるって言われたら、聞かずにはいられない。そこに付け込むのは気が引けたけど、手段は選んでられない。


「笑顔を見せて。飛び切りの笑顔を僕に見せてくれ」

「……はぁ? いきなり何言ってるのよ。死にたい人間に笑えって? 正気?」

「正気だよ。思ったんだ。そんなに苦しいのに、死ぬなだなんて、僕はわがままだなって。でもやっぱり僕は君に死んでほしくない。だから全力でわがままを言う事にした」


 何を言ってるのか自分でもわからない。けれど、ちょっとでも言葉を選んだら喉が詰まりそうだ。だから僕は胸の奥から湧いてくる言葉をそのままイレーナに向かって放り出した。


「僕は君が世界でも一等の美人だと思う。そんな子の笑顔が一度も見られないなんて、絶対に嫌だ。あの日生き延びた意味が何にもない!」


 思いつくままに叫んだら、イレーナはぎょっとしてたじろいだ。


「ば、馬鹿じゃないの。いきなりそんな事……」

「だから笑ってみせてよ。僕が満足するような笑顔を見せてくれたら、もう僕は止めない。そうじゃないなら、君がどんなに突き放そうとしたって、僕は絶対その腕を掴んで止める」


 僕は畳みかける。ここまで来たら意地だ。反駁の隙なんて与えるものか。イレーナも僕の勢いに押されて、とうとう頬を引きつらせて笑おうとした。


「こ、これでいい?」

「ダメだね。頬が固すぎる」


 僕が首を振ると、イレーナは眼を丸くして、何とか頬を緩めようとする。今度は眉間に皺が出来てるけれど。


「こう?」

「眉根が寄ってる。もっとふわっと笑ってよ。そんなの笑顔じゃない」


 また首を振ると、イレーナは憎々しげに顔を歪めて叫んだ。


「何なのよ! どう笑えってのよ! だいたい、何であんたなんかの為に――」


 叫んで僕を詰ろうとしたけれど、彼女は急にふらついて、その場にがっくり膝をつく。僕は今度こそ彼女の側まで駆け寄ると、彼女を城壁の縁から引きずり下ろす。息が荒いし、何だかイレーナの全身が熱っぽい。額に手を翳すと、明らかに熱があった。


「あんたのせいよ」


 イレーナは声を絞り出す。目を潤ませながら、彼女は僕を睨む。


「さっきからずっと腕も足も痛くて、頭も重くて、立ってるのも、やっとだったのに。……あんたがくだらないことばっか言うから、死ねなかった」

「もう何も言わないでくれ。君に必要なのは死ぬ事じゃない。寝る事だ。全部元気になってから考えてくれよ」


 僕は何とかイレーナを横抱きに抱え上げると、寝室を目指して歩き出す。


「でも死ぬのはダメだからね。それだけは僕が絶対に止める。何度だって止めてやる」

「……どうして」


 イレーナは僕を見上げる。彼女の目にいっぱい浮かんだ涙が、月明かりに輝いた。


「こんなにひどい事ばっかり言ってるのに、どうしてあなたは私に優しくしようとするの」

「言ったじゃないか。初めて出会った時、君はそんな風に泣いていたんだ。だから僕は思ったんだ。君の笑顔が見たいって。笑顔が見せられないくらい君が苦しんでるなら、その苦しみを取り除きたいって。君が罪を犯して苦しんでるなら、僕はその罪を一緒に背負うよ。だから、死んじゃだめだよ。イレーナ」


 その眼から涙が零れた。ぽろぽろと止め処なく溢れて、イレーナは必死にその顔を覆い隠す。


「バカ。……本当にバカ」

「文句なら後で聞くよ。今は何も考えないで、休んでくれ」


 イレーナは顔を覆ったまま頷く。きっともう大丈夫だ。

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