1.見習い魔道士は怠け者
四月になって、村はようやく暖かくなった。冷たい風が北から押し寄せる冬が終わり、うららかな日差しが降り注ぐ芽吹きの春がやってきたのだ。
春は村のみんなで畑に出て、冬の寒さで固く締まった畑の土を起こす。僕なんかは鍬一つ振り下ろすだけで腕が痛くなるけれど、この村のみんなはへっちゃらだ。鋤を引く牛と一緒になって、どんどん畑に畝を作っている。
小麦色の肌に金色の髪、ついでにがっしりした体格。この村に暮らす人は、みんなそんな見た目をしている。この村の人だけじゃない。ブリギッド王国に生きる全ての人の特徴だ。
戦いになれば、重い鎧を着こんで軽々と戦場を走り回り、沃野を狙う敵を次々に葬り去っていく。敵は返り血で鎧を赤黒く染めたみんなを悪魔と呼んで恐れるけれど、普段はとても陽気で愉快、冗談が大好きな人達だ。
ところで僕には、そんなブリギッド人らしさは欠片も無い。肌は白いし、髪も黒いし猫っ毛だ。ついでに胸板が薄くて手足も細い。何をかくそう、僕に流れる血の四分の一はここよりずっと北の方に住むマグナス人のものだからだ。
その四分の一が、北国から飛び出して大陸を横切り、この村で伴侶を見つけて住み着くような変わり者だったから大変だ。四分の三はブリギッド人のはずなのに、四分の一の血が全部呑み込んで、僕をまるでマグナス人のようにしてしまった。しまったといっても、別に僕は自分の見た目が嫌いなわけではないけれど。魔道士としての才能も、その血から受け継いだものだし。
そんな、ブリギッド人らしからぬやせっぽちの僕は、畑の脇にほったらかされた切り株にもたれかかって座り、本を開いたままでぼんやり空を見上げていた。鼠色の雲が、南の山からどんどん張り出してきている。日も高く昇ろうという頃合いなのに、村は少し薄暗かった。もうじき雨になるかもしれない。
そんな事を思っていたら、いきなり黒い影が目の前に張り出してきた。
「堂々と怠けるなよ、メリー」
仁王立ちして僕のことを見下ろしていたのは、無二の友人、ロデリックだ。みんなも僕もローディと呼んでいる。十才の頃から村一番の力自慢、今じゃ王都に上って、王家直属の近衛兵として活躍していた。つまりは村一番の出世頭だ。昔はみんなで一緒に馬を勝手に乗り回して一緒に怒られていたのに、すっかり頭一つ抜けてしまった。僕は溜め息をつく。
「ローディから『怠けるな』なんていう言葉が出てくるなんて、考えたことも無かったよ」
「もう子供じゃねえからな。ほら立てよ。本なら後で読めばいいだろ」
ローディの言うことはもっともだ。でもローディの言うことを素直に聞くのも何だか癪だ。僕は起き上がると、まず空を指差す。
「ローディ、俺だってただぼんやり本を読んでたわけじゃないよ。本を参考にしながら、この空観察してたのさ」
「まーたそういうことを言いやがる。メリー。今日は何だってんだよ」
「あれを見てよ。南の山の方から雲が張り出してきてる」
「見りゃわかるさ」
目を丸くしたローディ。それがどうしたと言わんばかりだ。今度は草原に目を落として、僕は低空を飛んでいる羽虫を指差す。
「そこに虫がいるでしょ。あんなに低いところを飛んでるのは、空気が湿ってるからさ」
「空気が湿ってるから?」
「霧の中で走ったら服が濡れるでしょ。それと同じようなものだよ」
「へえ」
ローディが呆れたように肩を竦める。ちょうど風が吹いて、ぽつりぽつりと天から雫が垂れてきた。思った通りに天気が動いて、僕は思わず笑みを浮かべてしまう。
「つまり、そろそろ雨が降ると思ってたんだ。この本にも書いてある」
「はー、そいつはすげえや」
本の表紙を示して見せたけど、ローディはつれない態度だ。王都で揉まれてる間にすっかり真面目になってしまったらしい。前は名を上げて騎士になるんだって、木剣ばっかり振り回して叱られてたのに。その夢が叶ったら、すっかり真面目な働き者だ。僕は寂しい。
「神よ、貴方は俺の友人をこうも堅物に変えてしまわれたのですね」
「茶化すなよ。俺は二週間しかここにいられねえんだ。その間になるたけみんなの力になりたいってのが人情じゃねえか。お前だって村を離れてみりゃそういう気持ちになるよ」
「そんなものかなあ」
「そんなもんだ。ほら立てよ」
ローディは僕の腕を掴んで引っ張る。実力行使に出られたらとても敵わない。僕は腕が引っこ抜かれる前に立ち上がる。いよいよ雨足も強くなってきた。大きな雨粒が畦道に敷かれている砂利を打ち、ばらばらと大きな音を立てる。空の雲も見る間に黒くなってきた。ローディは眉を顰める。
「そろそろ本当にお前の出番だぞ、メリー」
「わかってるよ。俺だって嵐が来る時に寝転んだりなんてしてられないさ」
登場人物名鑑1:オスティアのメレディス(Meredith of Ostea)
ブリギッド王国の東方、街道の結節点を治めるオスティア伯領に生まれた少年。三度の飯より本が好きで、近衛として宮廷で活躍する友人から王都に流通する本を融通してもらっては読みふけっている。そのおかげで弁が立つが、その分どうにも村の仕事を怠けがちなところがあり、幼馴染には何かと怒られている。
父が偉大な魔導師であることもあって、彼もまた偉大な魔導師を目指し、今はただの魔道士として才能を磨く日々を送っている。しかし、未だそれ以外に明確な目標を持てず、自分は何者になるのかわからないまま日を過ごしている。