17.黄金の翼と火蜥蜴の炎
これまでのあらすじ
一緒に旅をするようになってから、メリーは寝る度にうなされているイレーナの事が気になっていた。しかし、正面切って訪ねても彼女は頑なに拒むだけである。彼女を心配しながら旅を続けていると、再び器械人形がメリー達に襲い掛かった。
器械人形は獣のように吼え、両手両足をがちゃがちゃ言わせながら丘を駆け下ってくる。狼の頭のような形をした兜の奥で、赤黒い炎が揺らめいている。
飢えている。
僕はそんな気がした。目の前にいる鉄の獣の中には、エーテルが少し渦巻いているのが見える。でも、巨大な鉄の塊がのしのし動き回るのに十分な量とはとても思えない。もうすぐ死ぬ年寄りだって、もう少しエーテルに満ちている。
だから食べようとしたに違いない。あの夜、あの人形は、父さんを。
「スヴァローグ、その炎を我が手に宿せ」
そんな事、これ以上僕の目の前ではさせない。僕はマスケットを構えると、突っ込んでくる鉄の獣、その兜の奥に狙いをつける。銃床を肩に押し付けると、刻み付けられた魔法陣が深紅の光を放つ。僕の身体に宿る火のエーテルを一発の弾に変えて、鋼鉄の銃身に押し込んだ。
「これでも喰らえ!」
僕は気合と共に引き金を引いた。矢のように放たれた火の弾。けれど、銃弾は途中でふわりと逸れ、獣の肩をほんの少し掠めただけに終わってしまった。イレーナは隣でふんと鼻を鳴らす。
「どこ狙ってんのよ」
「……頭を撃ち抜くつもりだったんだけど」
「もう少し思い切ってエーテルを込めなさい。綿のように軽い弾撃ってるからへろへろどこかに飛んで行っちゃうのよ」
言うなり、イレーナは背中に金色の翼、巨大な金色の魔法陣を展開した。眼で見てわかるほど大量のエーテルを、彼女は直接その身に集めていく。風が逆巻いて足元の雑草を切り裂き、ぱちぱちと宙で火花が爆ぜる。一歩強く踏み込んで彼女が凄むと、こちらへ向かって突っ込んでいた鉄の獣が、慌てて後ろに飛び退いた。イレーナはもう一歩先へと踏み出すと、風を纏って軽やかに宙へ跳び上がる。
「ひれ伏しなさいよ、犬畜生」
イレーナは冷然と言い放って、掌から光の塊を放つ。兜の奥で揺れていた深紅の火が一瞬で弾き飛ばされて、金色の光が代わりに収まる。ぎこちなく暴れていた獣は、急にその場で伏せて、頭を静かに下げる。飢えた獣が、あっという間に王様に仕える軍犬みたいになってしまった。
「さっさと行け」
彼女が右手を振るうと、鉄の獣は素早く跳び上がって、もう一体の獣へ向かって飛び掛かる。その鋭い爪を振るって、敵の関節を引き裂こうとした。けれど、敵も鋼鉄の獣、食い込んだ爪は敵の身体を引き裂けない。
『コロセ!』
二体が取っ組み合っている間に、丘の向こうからさらにもう一体、鉄の人形が飛び出してきた。長い腕を砂利の街道にこすりつけるようにしながら、こっちに真っ直ぐ突っ込んでくる。ローディは大剣を真っ直ぐに構えて、人形に正面から向かい合う。
「メリー、手伝え!」
「わかってるよ!」
僕は銃を構える。さっきイレーナは、まだまだ銃に込めるエーテルの量が足りないと言っていた。あれだけ自由自在にエーテルを操るあの子が言ってるんだから、きっと間違いない。けれど、身の丈に合わない魔法は自分の身をも滅ぼしてしまう。自分の力に自惚れて死んだ魔道士の話はいくつも読んだ。父さんも、父さんが認めた魔法以外は僕に使わせようとしなかった。
僕には扱えるのか? これ以上強力な魔法を。
僕がただ銃を構えている間に、ローディと器械人形はぶつかりあっていた。人形が繰り出した爪を低く伏せて躱すと、そのまま全身の筋肉にばねを溜め込んで、剥き出しになった顎をかちあげた。ローディの渾身の一撃は、器械人形を大きく仰け反らせたけれど、人形はそのままの姿勢で再び右腕を振り回した。脇腹を狙って襲い掛かる爪を、ローディは咄嗟に蹴りつけ高く跳び上がる。
「おいおい、ぼんやりすんな! 何でもいいからぶち込め!」
「あ、ああ」
どうする。スヴァローグの火の球ならすぐに撃てる。ローディは強いし、僕が牽制を続けていればきっと何とかしてくれる。わざわざ、危険を冒す必要はない。そうだ。
その時、鉄が軋んで割れる鈍い音が響いた。見ると、金色の瞳を輝かせた鋼鉄の狼が、敵の首を噛み千切って天を仰いでいた。割れ鐘を打ち鳴らしたような耳障りな咆哮が響き渡る。そんな狼を背にして、腕組みをしたイレーナが僕をじっと見つめていた。
逃げるつもり? メレディス君。
彼女は唇を真一文字に結んで押し黙っていたけれど、その眼は挑発的な色を孕んで、じっと僕を捉えていた。
どんなつもりで僕を煽り立てているのかわからないけれど、あんな目で可愛い女の子に見られたままじゃ、男として情けない。
「わかったよ。……やってやる」
僕は歯を食いしばると、深く息を吸い込んで、自分の心臓に火を灯す様を思い浮かべた。
「サラマンドラ、我に火山の炎を授けよ!」
空に漂うエーテルを取り込むと、一気に全身が熱くなってくる。身体の節々が悲鳴を上げた。でも耐えられる。このくらいなら死にやしない。僕は銃身に刻まれた照門と照星を覗き込んで、暴れる器械人形の胸元に狙いを定めた。
「これでもくらえ!」
僕の中の炎を銃身に流し込んで、引き金を引く。火薬が弾けるような爆音の後、狙い通りの場所で銃弾が弾けた。眼にも止まらない速さだった。
「……やった」
胸を覆う薄い鉄の板が弾け飛び、その中に覆い隠されていた文字が露になる。魔法文字だ。魔法陣でエーテルを掻き集めた後、魔法文字や呪文でそのエーテルを僕達の思い通りに機能させる。
あの魔法文字に従ってあの器械人形が動いているなら、きっとそこが弱点だ。
「ローディ! あの文字を幾つでもいいから叩き潰して!」
「ああ、任せとけ!」
ローディは革鎧の内側から一枚の術符を取り出した。それを大剣の腹に張り付けて、全身をねじるように構える。
「ニンギルス!」
大地の精霊の名を呼んで、ローディは地面を強く踏みつける。草むらが大きく罅割れて、そこに踏み込んだ器械人形は躓いた。ローディは一気にその身を捻って、人形の胸を一裂きした。文字が真っ二つに割れて、人形は力なくその場に崩れ落ちる。ローディは剣を地面に突き立て言い放つ。
「……近衛の実力、舐めるなよ」
「すごいや、ローディ。さすがだ」
その後ろで、僕はもう息も絶え絶えだった。自分の気力をほとんど火にくべてしまった。耳鳴りとめまいに耐え切れなくて、僕はその場に倒れ込む。
「メリー!」
後ろに下がっていたエリザが慌てて駆け寄ってくる音がくぐもって聞こえる。奇妙に歪んだ世界の中で、イレーナは僕の事をじっと見下ろしていた。
やればできるじゃないの。
そう言っているように感じた僕は、安心して目を閉じた。
魔法陣と魔法文字、呪文
この世界で魔法を行使する上で重要な要素。魔法陣でエーテルを集め、魔法文字、呪文でそのエーテルに指向性を与えるのが基本。この基本が守られていれば、魔法を操る才能に乏しくとも、簡単な魔法は行使することが出来る。