15.自分の道を知るために
これまでのあらすじ
心を閉ざしてしまった少女の事がどうしても気になるメリー。エリザの助言に勇気づけられた彼は、正面から少女へぶつかり、共に旅をすることを約束させるのだった。
東の空が白む頃、僕は旅嚢と父さんの形見を担いで村を貫く街道を歩いていた。隣にはイレーナがいる。みんなが起き出してくる前にこっそりいなくなろうと思っていたけど、そんな僕の考えをすっかり見通している奴がいた。騎士の紋章が刺繍された黄色の外套を身に纏い、大剣も担いで、すっかり旅支度を整えている。
黙って横を抜けるわけにもいかない。僕はそいつの目の前で足を止めた。
「おはよう。随分と早いね、ローディ」
「エリザから大体の話は聞いた。まさか、こいつと一緒に旅に出てやろうなんてな」
ローディはイレーナの顔を覗き込む。イレーナはきっと歯を剥いてローディを睨んだ。ローディも負けじと眉根を寄せる。二人のにらめっこを眺めながら、僕は尋ねた。
「止めるかい?」
振り返って、ローディは呆れたように首を振った。
「止めて止まる奴じゃねえだろ、お前。普段はふらふらしてるくせに、こうするって決めたら梃子でも曲がらねえ。お前もお前で困った奴だよ」
「さすがはローディ、僕のことをよくわかってる。待ち構えていたのが君でよかったよ」
僕がイレーナの手を引いて行こうとすると、ローディも僕に足並みを揃えてついてくる。
「で、どこに行くつもりなんだよ。行くあてが無かったら迷子になっちまうぞ」
「わかってるよ。僕だってもう子供じゃないんだから」
肩に結んだ革帯を締め直す。父さんの形見のマスケット銃。頼れる武器でもあるけれど、工房と親方を失った僕にとっては、唯一身分を証してくれるものだった。
「僕は王都に行くつもりだよ。王都なら仕事はいくらでも見つかるだろうし、何より父さんが通った大学もある。父さんに推薦してもらえることはもう無くなったけれど、これがあれば話の一つくらいは聞いてくれるんじゃないかってね」
「アロンさんが学んだ大学か。……確かに、行ってみる価値はあるだろうな。最後にお前に言ったんだろ。お前の道を見つけろって」
「そうさ。でも何の手掛かりもくれなかった。最後の最後までそういうところは変わってくれなかったよ。だから、まずは素直に父さんの辿った道をなぞってみるつもりさ。いいでしょ、イレーナ」
「どうでもいい」
イレーナはぴしゃりと言った。相変わらず彫刻のような顔をして、本当に心底興味なさそうだ。嫌だと言われなかっただけ良かったと、僕は自分に言い聞かせる。
「で、ローディも王都に帰るんだね」
「帰るにはちょっと早いが……この一件はなるべく早く報告しねえといけないからな。またあんなのが襲ってくる目は十分ある。とりあえず兵を向けてもらわねえと」
「そうだね。王都の精鋭に守ってもらえたら心強いよ。僕がいなくなったら誰が村を守るんだって、それだけは少し気がかりだったからね。夜のうちに結界用の術符は何枚も作って俺の机に残しておいたんだけど」
ローディはからから笑うと、いきなり僕の背中を叩いた。
「気にすんな。今のお前じゃどうせあのガラクタには勝てねえんだから」
「励ましになってないよ」
「今のお前じゃ、な。……アロンさんが通った大学で修業して、そこのいけ好かない女みてえに強い魔法を操れるようになって、あのガラクタに太刀打ちできるようになる。村の事を気にするんだったら、それが一番いいと思うぜ」
ローディは自分の言葉に何度も頷いて、くるりとイレーナに振り返った。俯きがちに歩いている彼女を上から見つめて、ローディはその鼻先を指差す。
「つうわけだ、イレーナ。王都までは俺もお前たちと一緒に行くからな。メリーに相応しい女かどうか、その間に俺が見定めてやる」
イレーナは白い眼をじろりと向けると、羽虫を追い払うような手の動きで、ローディの指先を払いのけた。見るからに煩そうだ。
「気安く呼ばないで。それに、どうしてあんたに私が値踏みされなきゃいけないのよ」
「メリーは俺の親友だからだ。親友には幸せになってもらわなきゃ困る」
「ブリギッド人ってのは、どいつもこいつも押しつけがましいわね。メレディスといい、あんたといい……」
深々と溜め息をついたイレーナ。僕とローディはにやりと笑い合った。
「友達の子供の名前を勝手に決めちまうのがブリギッド人だからな」
「……わけわかんない。もういいわ。あんたも面倒だから勝手にして」
イレーナはローディを細い両腕で押しのけると、そのまま早足で歩いていく。散々文句はぶつけてくるけれど、あっちに行けとは言ってこない。心の底から嫌がられてるわけじゃなさそうだ。根っこが優しいおかげで、僕達を拒絶できないだけなのかもしれないけど、それは今は考えないことにしておく。
「ま、とりあえずは一つお近づきになったってところか」
「……いつかは心を開いてくれればいいけど」
僕達が顔を見合わせていると、不意に足を止めたイレーナが振り向いた。
「何突っ立ってんのよ。ついてくるのか来ないのか、はっきりして」
「急かさないでくれよ。王都まではまだまだかかるんだから」
イレーナの後を追ってまた歩き出そうとしたとき、不意に背後で馬の嘶きが聞こえた。振り返ったら、二頭立ての大きな馬車がこっちに向かってのこのことやってくる。その手綱を握っているのはエリザだった。
「ねえ! ちょっと待ちなさいよ! メリーもローディも、そこのあんたも!」
エリザが手綱を引くと、馬はちょうど僕達の前で足を止めた。ローディは目を丸くする。
「おいおい、お前も来る気かよ。そんなでけえ馬車まで持ち出して」
「違うわよ。私はたまたま行商に行くことになってただけ。で、どこまで行く気なの」
「王都だよ。とりあえず王都に行きゃ何とかなるだろってさ」
僕はエリザを見上げて頷く。エリザは僕達を見渡すと、隅によって空いた席を手で叩いた。
「ふうん。ならせっかくだから乗りなさいよ。ロージアンまでなら連れてってあげる」
ロージアンはオスティア伯領の城下町だ。ここから王都へ行こうとしたら、必ず通る大都市である。ローディは顔を綻ばせると、いそいそとエリザの隣に納まった。
「いやあ、ありがてえ。ロージアンまで行くのも結構骨だからなぁ」
ぐっと伸びをしたローディに、エリザはむっと顔をしかめる。
「何であんたが隣なのよ。……まあいいわ。荷台の方にもう少し空きがあるから、メリー達はそこに収まって」
「ありがとう。助かるよ」
「いいのよ。私達の仲なんだから」
僕は荷馬車の後ろへ回り込む。ちらりと様子を窺うと、エリザとイレーナがまたまた火花を散らしていた。
「性根の腐った女をよく乗せようと思えるわね」
「私はあんたと違って大人なのよ」
「ふん」
互いに鼻を鳴らすと、イレーナは僕に続いて荷台に乗り込んできた。薬草をみっちり詰め込んだ樽にその身を預けて、イレーナはさっさと目を閉じる。うるさいから話しかけるな、そう言わんばかりだ。
仕方ないから僕は鞄から本を取り出した。四冊しか持ってこられなかったから、大切に大切に読み返すしかない。
とある蒐集家の手記には、ラティニア帝国の伝説が事細かに記されていた。働かなくてもあらゆるものが手に入ったとか、世界の全ての金銀を手中に収めていたとか、そんな言い伝えがまことしやかに語られている。
初めて読んだときは全部眉唾だと思った。けれど、生きて動き回る鉄の人形を創り出せるような技術を手にしていたのは間違いないらしい。それだけすごい力を持った国なら、確かにあらゆる富を手中に収めていておかしくないように思えてくる。僕は寝息を立てはじめた女の子を見遣って、心の奥で尋ねる。
いつか教えてよ。君が生まれて育った帝国のこと。
世の中にはいいこともあれば悪いこともあるという。僕の父さんは死んでしまった。これほど悪い事は無い。最悪だ。まだまだ教えてもらわなければならないことが山ほどあったのに。そして、出会った女の子は全く心を閉ざしていた。これも辛い。でも、これから先、僕が歩いていく道の先には、この災難を塗りつぶしてくれるくらいの僥倖があるに違いない。
僕はそう信じて、生まれ育った村を飛び出したのだ。