14.僕は君についていく
陽が森の彼方に再び沈む頃、女の子は窓の外を見つめていた。畑起こしを終えたみんながぞろぞろと広場の方に引き上げているところだ。みんなは窓辺に立っている彼女に気付くと、揃って冷たい視線を女の子に向ける。中には女の子に下品な仕草をしてみせるようなヤツもいた。それを見て、女の子は一体何を思ったのだろう。
『私にはお似合いね』
そんな風に思ったかもしれない。
「起きたんだね」
僕はソーセージとキャベツを入れたお粥を持って、寝室に足を踏み入れる。女の子は気だるげに金色の髪を掻き上げ、じろりと横目に僕を見た。
「何よ。懲りもせず構いに来たわけ?」
「構いに来るったって、そもそもこの部屋は僕の部屋だよ。僕の部屋に入るのは僕の勝手じゃないか。違うかい?」
その眼は氷のように冷たいけれど、僕はとりあえず気にしないことにした。ここで遠慮してたら、女の子に何もしてやれない。
「はいはい。そうだったわね。さっさと出ていけばいいんでしょ?」
女の子は眉を顰めると、足早に僕の隣を抜けようとする。僕はそっと軸足をずらして、女の子の目の前に回り込んだ。
「おっと、そうはいかないよ。君は俺の家にいた。つまりは客人だ。客人に何も振舞わずに帰らせるなんて、ブリギッド人として相応しくない振る舞いだ。出ていくんなら、せめてこれを食べてから行ってくれないかな」
「はぁ? 何よそれ。押しつけがましい習慣ね。客が出てくって行ったんだから、ほっといてくれればいいでしょ」
「ダメだよ。俺の沽券に関わる。それに、君は昨日から何も食べてないじゃないか。そろそろお腹空いてるんじゃないの」
「そんなこと……」
その時、女の子のお腹が大きく鳴った。僕は思わず声を上げてしまった。
「ははっ。やっぱりお腹空いてるじゃないか」
「こいつ、むかつく!」
真っ赤になった女の子は、また僕のわからない言葉を吐いた。多分腹立たしいって意味なんだろう。何だか響きが可愛らしくて、僕は調子に乗ってしまう。
「遠慮してるんだろう? 君のために作ったんだから、食べておくれよ」
僕は女の子にお粥を突き出す。ふわりといい香りが漂う。我ながら自信作だ。女の子はぎりぎり歯を鳴らしていたけど、そんなので僕は怯まないと分かったらしい。やがて溜め息をついて、ベッドまですごすごと引っ込んだ。
「わかったわよ。食べればいいんでしょ、食べれば。何作ったの。私は食べ物にはうるさいわよ。不味いもの作ったんならひっくり返してやるから」
「お粥だよ。刻んだソーセージにキャベツも一緒に煮込んだから、美味しいに決まってる」
「粥ねえ……何の粥よ、これ」
匙で掬って食べようとした女の子は、ふと首を傾げる。
「何って、オーツ麦だけど」
「はあ? オーツ麦? 馬の餌じゃない!」
彼女が顔色を変えた瞬間、僕は気づいた。僕達は当たり前に食べてるけれど、ホイレーカやエルメスだとオーツ麦は馬の餌にして、自分では食べない。女の子もそうだったらしい。
「馬の餌を私に食べさせようってわけ! まあそりゃそうよね。私なんかにはこれがお似合いってわけね!」
「ごめん! 僕らは普通に食べるんだ! 美味しいよ。僕の作るお粥は村でも評判だし」
いや、そんな事を言ったって僕の失策は取り繕えない。自己弁護なんて、ただの恥の上塗りだ。彼女はつんと尖った形の良い鼻をひくひくさせて、曰く言い難い顔をしていた。
「それが客人をもてなす態度なの、ねえ……」
僕をとっちめようとした彼女を、腹の虫が押し留める。一気に肩の力が抜けてしまった女の子は、匙を手に取り直す。渋い顔で睨みつけていたけれど、ついに匙で粥を掬って食べ始めた。最初はそろそろと匙を動かして、厭そうに食べていたけれど、次第にがつがつし始めた。椀を口元に近づけて、掻き込むように食べている。やっぱり相当お腹が空いていたみたいだ。少し多めに作ったはずなのに、あっという間になくなってしまった。
「ふん。これで満足?」
口元に残った重湯を手の甲で拭いて、空っぽの椀を僕へと突き返した。料理をこうして一粒残さず食べてくれたら、胸がぽかぽかする。僕はまた微笑みかけた。
「やっぱり君は優しいよね。『馬の餌』を食べてくれるんだもの」
言うと、彼女は口を尖らせる。
「あんた、頭おかしいんじゃないの。あんなこと言われといて、私が優しい人間だなんて思わないわよ、普通の人間だったら」
「君もそう思ってたわけだね。自分が意地悪いこと言ってるって」
「……だったら何よ」
僕は小机の引き出しから人形の腕の残骸を取り出すと、鷲の紋章を女の子に見せつける。
「これ、ラティニア帝国の紋章でしょ。……君はさっき、あの器械人形は自分が作ったって言ったよね。つまり、君もラティニア帝国に生きてたってことだ」
「……ええ、そうよ。私は帝都育ちよ。それがどうかしたの」
「とても辛いことがあったんだろ。帝都で」
こめかみがぴくりと震える。ローブの裾を握る指が固くなった。
「どうしてそう思うの」
「帝国はもう滅んだからだよ。千年も昔に」
「滅んだ……ラティニアが?」
しばらくぽかんと口を開きっぱなしにしていた女の子。けれど、急に彼女はその口端をわなわなと震わせて、いきなり笑い声を爆発させた。
「はははははっ! 器械人形が錆だらけだったから何かおかしいと思ってたけど……やっぱり滅んだのね! いい気味! 傑作!」
匙を取って僕が持ったままのお椀を打ち鳴らし、いかにもおかしくて仕方がないという仕草をする。けれど、その眼は澱んでいた。あの森の奥にある、死んだ泉みたいだ。僕は心臓がぎゅうと痛んだ。
「やっぱりだ。やっぱり。またそんな目をする。真っ暗じゃないか。この村でそんな目をする奴は一人もいないよ。いったい君に何があったんだ。ほんとの君はそんなじゃないはずだ。話してくれ。何がそんなに君を苦しめたんだ」
女の子は僕に向かって匙を投げつける。僕はお椀で受け止めた。からんと乾いた音がする。
「何で見ず知らずのあんたに話さなきゃいけないの」
「……そうだよね。本当にそうだ」
君は一人ぼっちだ。親も友達も、誰もいない。だから、せめて僕は君の隣にいてやりたい。僕は女の子の隣に座ると、その白い手を取った。
「だから、俺は君についていくことに決めた。君と一緒に、俺は村を出る。君にとって、俺が見ず知らずの人間じゃなくなるまで、一緒に旅をするよ」
「……何ですって?」
女の子は眼を丸くする。僕は勢いに任せて喋り続けた。
「俺は役に立つよ。料理に洗濯に裁縫に、一通り家事は出来るし、これでも錬成士だから、街に入ればちょっと仕事して路銀も稼げる。俺となら流浪の旅も少しは楽になるはずさ」
我ながら無茶苦茶だ。僕が女の子の立場だったら、呆れて物も言えなくなりそうだ。でもなりふり構ってられない。ここで手を離したら、女の子は本当に一人になってしまう。
「そういえば名乗ってなかったね。俺はブリギッド王国オスティア伯領、アロー村のメレディスだ。……お付きの者でも雇ったと思ってさ。どうだい?」
女の子は唇を曲げて僕を見ていた。卑しい獣でも見るような目をしている。それでも僕は構わなかった。あの死んだような目よりはずっとましだ。
僕は両手で女の子の手を包み込む。一瞬振り払おうとする素振りを見せたけれど、やがて女の子は深々と溜め息をついた。
「……嫌だと言ってもついてくるんでしょ。勝手にすれば」
「言ったね。じゃあ俺はどこまでもついていくよ。君……いや、いつまでも君だなんてよそよそしい呼び方したくないな。そろそろ名前教えてよ」
「こいつ、調子に乗って……」
女の子は目を三角にしたけれど、僕は構わずにっこり笑う。好意を見せる人間に拳を振り下す子じゃないって、もう僕にはわかっていた。女の子はふくれっ面を作ると、ぼそぼそとした口ぶりで答える。
「イレーナ。ヒュパティアの娘、イレーナよ」
「ありがとう。よろしく頼むよ、イレーナ」
こうして、僕とイレーナはこの村を出て、広い世界へ旅立つことになった。