10.黄金の翼を持つ少女
これまでのあらすじ
強靭なことこの上ない鋼鉄の人形が襲いかかってきた。メリーの父、アロンは必死に応戦するが、人形に取って食われかけ、刺し違える形で命を散らす。悲嘆に暮れるメリーにも人形の魔の手が迫るが、目覚めた女の子によって何とか命を繋いだのであった。
『コロセ!』
二体の人形が一斉に女の子目掛けて突っ込んでいく。歯車の軋みが辺りに響いた。
「危ない!」
僕は叫んだけれど、そんなものは必要なかった。女の子の身体に向かってあらゆるところからエーテルが集まっていた。爆ぜる松明の炎が揺らいで消え、雨が乾き、風が凪ぎ、土が罅割れていく。
信じられない。地水火風のエーテルを一度に操るなんて。
そう思った時に、ようやく僕は気づいた。背中の翼に見えたものは、とても緻密な魔法陣だった。背中に、魔法陣が直接浮かび上がっている。
「私に従いなさい、器械人形」
翼のような魔法陣がまた大きく広がって、彼女の突き出した手からは一気に光の奔流が溢れだす。真っ先に彼女へ殴り掛かろうとした人形一体は、その光の波から逃れられずに飲み込まれる。人形の動きが固まった。
でもまだ一体が残っている。女の子の溢れる生命力を前に兜の奥の炎を爛々と燃え上がらせて、彼女を取って食べようとしていた。
「ふん」
しかし女の子は微動だにしない。光を浴びて固まっていた人形が、いきなり左腕を振るって隣の仲間を殴り飛ばしてしまった。エリザは思わず息を呑んだ。
「一体、何が起きてるの……?」
女の子の放った光を浴びた人形は、赤い焔の代わりに金色の光を兜の奥に宿らせていた。操り人形みたいにぎこちなかった動きも、まるで人間みたいに自然になっている。前のめりに構えてもう一体の人形を睨む姿は、女の子を守る騎士のようだった。
女の子が放ったエーテルが人形に満ちている。女の子が、あの鉄の人形を操ってる。
「さっさと死ね」
女の子は冷たく言い放つと、右手を突き出した。騎士は唸りながら人形へ向かって飛び出す。人形は正面から迎え撃った。騎士と人形は互いに掴み合って、腕を捩じ切ろうとする。
騎士は跳び上がって、人形の背面へと回り込もうとした。けれど人形は力任せに腕を振り下ろして、騎士を地面に叩きつける。
だめだ。動きは女の子が操る騎士の方が柔軟だけど、根本的に力が足りてない。騎士の方の状態が悪いんだ。
「……むかつく」
むかつく? どういう意味だろう。けれどとても余裕がある顔には見えない。騎士も人形の手を払って体勢を立て直したけど、睨み合うばっかりで明らかに攻めあぐねていた。
明らかに女の子は凄い力を持ってる。けれど、目を覚ましたばかりで本調子じゃないんだ。当たり前だけど、寝てる間はずっと何も食べてなかったんだし、力が入らないんだろう。
何とかするんだ。
父さんは僕に道を見つけろと言った。この村を守ろうと最期の力を振り絞った。その言葉を、戦いを、無駄にするわけにはいかない。
僕は走り出していた。目の前には、父さんが使っていたマスケットがある。
「ねえ、キミ!」
女の子を呼ぶと、彼女は騎士と一緒に気だるげな顔で振り返った。
「何よ」
僕はマスケットを拾うと、人形の目に狙いを定めた。
「僕が注意を引き付ける。だから、あいつをあのレンガ造りの建物にねじ込んで!」
「はぁ? 何言ってんの」
「頼むよ! この村を守り抜くためなんだ!」
「わけわかんないんだけど」
「もうやるよ! お願い!」
人形は話を待ってくれない。唸りを上げて、再び騎士や女の子へ襲い掛かろうとする。僕は咄嗟にマスケットの引き金を引いた。僕から命を吸い上げて、火の弾が人形の顔面目掛けて飛び出す。
「こっちを見ろ。こっちを見ろ!」
痛みなんかもう吹き飛んでいた。父さんは村を救うために全部の命を棄てたんだ。骨が折れたくらい、何だって言うんだ。
「来いよ。お前達は父さんの仇だ。纏めて僕がぶっ壊してやる!」
人形の胸元を目掛けて弾丸を撃ち込むと、咄嗟にそれは腕で胸元を庇って、僕を狙って突っ込んできた。これでこいつの脇はがら空きだ。
「今だよ! お願いだ!」
「はぁ……どうして見ず知らずのあんたにいきなり指図なんか受けなきゃならないのよ!」
女の子は目を剥いて悪態をついたけど、それでも騎士を人形に突っ込ませた。
「纏めて潰してやれ!」
怒り狂っている、という表現がぴったりだ。女の子の叫びに応じた騎士も、金色の光をさらに激しく輝かせて、僕達の工房に人形を叩きつけた。背中から大量の蒸気を噴き出して、そのままレンガの壁を突き破って中へねじ込む。屋根も壁もバラバラに崩れて、騎士と人形の上に積み重なった。
「ありがとう! そこなら……」
僕は未熟だ。父さんみたいに、全ての命を火のエーテルに転化しようとしたところで出来やしない。けれど、工房には僕のおばあさんが刻み付けた強力な魔法陣がある。
「ヘパイストス! 鍛冶の炎を我らに与えよ!」
僕は工房の瓦礫の中に潜り込むと、魔法陣に触れて叫んだ。空に溜まっていた火のエーテルが雷に変わって、魔法陣に引き寄せられるように落ちてくる。騎士と人形に直撃、魔法陣が真っ赤に光り輝く。
「燃え尽きろ!」
雷を、鉄をも溶かす炎に変える。騎士も人形も白熱して、飴細工みたいにどろりと溶け落ちていく。僕を止めようと人形は手を伸ばしてくるけれど、もう遅い。全部溶かしてやった。
『コロセ、コロセ……』
人形は僕の目の前で手を止める。親指を地面につきつけるジェスチャーを見せつけて、そのまま歪な鉄塊に姿を変えた。
「……終わった」
空を見上げる。いつの間にか雲は晴れ渡って、月と星だけが静かに光っていた。
もう身体に力が入らない。今まで吹っ飛んでいた痛みや疲れが、どっと身体に押し寄せてきた。身体が冷たい。瞼が重い。死にそうではないけれど、もうこれ以上動けそうにない。
「メリー!」
エリザが瓦礫を乗り越えて、僕のところに駆け寄ってくる。
「よかった。生きてる……今、手当てするから」
彼女は小さなポシェットから魔法陣の描かれた術符を一枚取り出すと、僕の背中に張り付ける。大地のエーテルが集まって、僕の肋骨を継ぎ合わせ始めた。痺れた感覚が研ぎ澄まされてきて、僕は思わず跳び上がった。
「痛い!」
「我慢して。今動いたら骨が歪んじゃう」
エリザは僕を無理矢理押さえつけた。ナイフで背中を何度も突かれているみたいで、暴れたくて仕方がなかったけど、僕はどうしても動けなかった。
やがて、鋭い痛みがまた鈍ってきた。打ち身をした時の傷みだ。エリザはそこでようやく手を放す。はらはらと涙を溢れさせて、彼女は両手で顔を覆う。
「よかった。アロンさんが死んじゃって……そのうえメリーまで死んじゃったら、私……!」
そうだ。父さんは死んでしまったんだ。僕は生き残ったけど、大切なものを失ってしまった。人形には勝ったけれど、失くしたものが大きすぎる。
高い足音が響く。何とか身を起こすと、歪んだ鉄の塊を踏みつけにして、さっきの女の子が僕のことをじっと見つめていた。憐れんでいるような、蔑んでいるような、そんな目で。
「君は、一体何者なんだ?」
僕は尋ねる。女の子は口端を歪めて、小さく首を傾げる。
「さあ。一体何者なんでしょうね?」
どうしてそんなに怖い顔をするんだ。何があったんだ。君に。
どうして、この世界に君はやってきたんだ。
魔法陣
魔法を行使する際には、エーテルを効率的に収集するために一定の法則に則った幾何学模様を描く。なぜ幾何学模様を描けばエーテルを収集できるかはいまだ明確な結論が出ていないが、魔道士達は経験に基づいて魔法陣理論を確立させてきた。
魔法陣に関する知識さえあれば、本人にエーテルを操る能力がない、すなわち魔道士としての才覚がなかったとしても簡単な魔法を操ることは出来る。エリザが用いた医療用の医術符などはその最たる例である。