赤い果実
非力なこの体では如何に草食動物と言えど狩猟は困難である。しかし道具を使えば、例えば奴が寝ている隙に大きな石で頭を殴ったりすれば、可能性はある。とにかく、隙を突くんだ。
鹿はゆっくりと歩く。獣道を迷いなく進む。まるで何かに誘われているかのような独特な動きだ。
しばらくして、私も鹿の意図を察した。
甘い香りが漂い始めたのだ。
到着したのは果樹園だった。
いや、勿論人の手によって整備されたものではなく、完全なる自生ではあるのだが、そこにはリンゴのような赤い実をつけた木が何本も生えていたのだ。
涎がこぼれて地面に垂れる。
食料。
食べたい。
鹿は既に食べている。角を器用に使ってなっている木の実を落とし、一心不乱にむしゃむしゃと咀嚼している。
私の思考からは『鹿を狩る』なんて野蛮な発想はとうに消え失せていた。
鹿、案内してくれてありがとう!
「いっただっきまーす!!!」
一つ手に取る。かじる。みずみずしい果汁が飛び散る!甘い!味もリンゴに似てて美味しい!もしもリンゴの亜種か何かだとしたら、私の知っているリンゴと同様に栄養価も高いはずだ。腹も満たせて栄養素も摂取できるとすれば、これほど私が求めていたものはない。
それからは手当たり次第に木からもぎ取って食べた。とにかく食欲に支配されるまま、「食」に没頭した。完全に腹が満たされるまで、私は一回一回噛みしめる食感や、舌で感じる甘さ、喉を通る感触、胃が、腸が動くことに、逐一幸せを感じていた。生きていることの素晴らしさを実感した。
「食って、素晴らしい……」
この森に来てそんな当たり前の事に気づかされるとは思ってもみなかった。
一時間ほど経っただろうか。私は例の果実をたらふく食べ、満腹感の余韻に浸りながら休憩をとっていた。食休みである。
すると、鹿がこちらに近づいてきた。それだけじゃない。私の隣まで来ると、なんと身を寄せてきたのだ。
同じ釜の飯を食べた(この場合はリンゴだが)仲間だとでも思ってくれたのであろうか。なんだか嬉しい。今になってこの鹿が可愛く見えてきた。
「さっきは食べようとしてごめんね」
私も鹿の体を抱くようにして眠りについた。あったかい。心臓の音が聞こえる。落ち着くなぁ。生きてるんだよな。鹿も。私も。
冷たい感触で目を覚ました。
まだほの暗い早朝だ。眠い目を擦り、隣で寝ている鹿に目をやる。
「ひっ」
鹿は死んでいた。
目をむき、だらしなく開いた口からは夥しい唾液と血液が噴き出していた。
「な、なにが……、」
外傷はない。となると、病か毒か……。
よく見ると、鹿の皮膚には赤い斑点が浮かび上がっている。昨日まではなかったはずだ。一体どうして……。
そこで様々な情報がフラッシュバックした。
獣の気配がしない森。甘い香り。誘われるように歩く鹿。そして、赤い木の実。
見ると、私の全身にも赤い斑点ができていた。
「きっ、きゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
あの果実、遅効性の毒!?
意識した途端、身体中いたるところで神経をねじ切るような激痛が私に襲いかかってきた。
「……っ、あ、ぁ……!!」
最早言葉にはならない。堪えがたい苦しみ。なんで、折角命を繋いだと思ったのに、私は、こんなあっさり、死ぬの?そのために生まれ変わったの?嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!!
昨晩は暗くてよく見えなかったが、辺りには古い獣の死体がいくつも散らばっていた。きっとあれが、まんまと誘い込まれた動物たちの末路なのだろう。
この果樹園は他の生物の命を養分にしてきたのか……!!
死にたくない。死にたくない。
血塊が口から飛び出る。びちゃっ、と、これまた夥しい量だ。致死量を超える猛毒で、間違いなく胃が壊れている。
「こんなの、認めないっ、私は……」
生きるって決めたんだ……!!
そう、強く思ったとき。
両手のひらの文字が、紅に輝き始めた。
『不老不死30』
『999』