第三話 祝福は境界線を越えて
彼のメールが届いてから、更に数か月が経った。
高島のあとで入社した新しい後輩がやっと一人前の戦力になったこともあって仕事のほうは随分落ち着いた。
……そう、目の前の仕事と関係ないことを、たとえば高島から来たメールのことを考えても問題ないぐらいの余裕ができるぐらいには。
例のメールのことは結局、職場の誰にも話してはいない。
たとえば前田課長はずっと柴崎のことを心配していたがさすがに異世界転移したなどと言っても信じてはもらえまい。
最悪、こんなことを言い広めていたら再び警察から不審人物だと目をつけられたとしてもおかしくはないのだ。
実際イタズラか?と何度も頭を悩ませてみたこともある。
だが、高島以外に俺がネット小説を書いていることを知る者は居ない。
なぜなら『ラスト・ラプソティ』の貴重なブクマの片方は彼が付けたものなのだ。
……もう一人のブクマは誰のものかって?聞かないでくれ。
うちの妹が兄をからかうネタ探しで付けた物だなんて思い出したくもない。
もっとも、彼女は自分がブクマを付けたことすら、とうの昔に忘れているだろう。
異世界転移などにわかには信じがたいが、高島が無事で居てくれたのならば――。
そして、向こうでの日々の生活を何とか乗り越えてくれているのなら幸いだ。
ひょっとしたら何かと不器用なアイツのこと、異世界のシンプルな空気のほうが肌に合っているのかもしれない。
何より今の彼はひとりではない、迎えてくれる新しい家族ができたのだ。
まあ、貴族の家に婿入りすることになるのだからヒビキとやらを愛人に据えて異世界名物ハーレムライフを楽しむわけにはいかないだろうが。
「結婚か……」
アイツに先を越されたのは少し悔しいが祝福を送りたい。
相手はどんな娘なのだろう。
貴族令嬢らしいお淑やかな女性なのだろうか。
それとも気を抜くと内向きになりがちなアイツをグイグイ引っ張ってくれる元気で活発な子なのか。
俺の知っている異世界転移モノのヒロインの顔を何人か代入してああでもないこうでもないと悩んでみるがその横に魔法使いのコスプレをした高島のビジュアルを添えるとどれも急にしっくり来なくなる。
――ああ、顔が見たい!
「結婚式、呼んでくれるといいな」
まず有り得ない事なのに、そんな他愛もないことを考えて心がとてもウキウキしてしまう。
いや、そもそも後輩が異世界転移することがまず"有り得ない"ことなのだ。
ワンチャン期待してもいいのではないか。
引き出物は何をもらえるのだろう、何か便利な魔法のかかったアイテムだとうれしいな。
定住したいとはあまり思わないが一週間ぐらいなら小説の取材も兼ねて観光旅行してみるのも楽しいだろう。
ああ、そうなったらアイツの新しい上司である王様にも挨拶をしに行かなくては。
不器用なアイツのこと、色々大変ですがこれからもよろしくお願いしますと。
いやあ心が弾む!
心が弾めば仕事ははかどるし、時間もあっという間に過ぎてしまう。
つい先ほど昼食を終えたばかりなのに、もう終業時間だ!
「よし、俺も頑張るか」
家に帰ったら今日は半月ぶりに『ラスト・ラプソティ』の新しいエピソードを更新しよう。
そろそろ主人公と誰かヒロインを結婚させてみるか。
異世界の結婚式の様子なら、この上ない資料がそのうち手に入りそうだしな!
そう思いながら、オフィスを出て、定時帰宅組がぎゅうぎゅうに詰まった電車に飛び乗る。
駅に近いスーパーでラッキョウとポテトサラダ、串に刺した焼き鳥。
それに……少し高めのシードル酒の小ビンを買って自宅への帰路に就く。
パソコンを立ち上げ、メールボックスをチェックした俺は……しかし、再び目を疑った。
なんとなく感じた予感のとおり、高島からの二通目のメールが届いていたのだが――。
今回のメールには前回以上に、信じがたいことが書いてあったから。
「いや、アイツ……そんなバカなこと、するわきゃないよな」
俺は額に手をやって、首を横に振った。
フタを開けたばかりのシードル酒のビンが落ちて、床を濡らした。