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記憶の商人  作者: 本田翼
9/15

ユーマ1

 他人の記憶をのぞいていると、気分が落ち着く。そのときだけは自分という束縛から逃れて、別の人生を送れるからだ。俺は記憶片セルのなかに隠された町を、他人の感覚でもって散策する。長く続けているうちに見知った町ばかりになったが、それでも気分は新鮮だ。

 この日の記憶も、やはり銃士のものだった。彼は大工の家に生まれながら、十歳にして家を飛びだした。もともと銃使いとしての才覚を持っていて、近所のチンピラにそれを指摘されたのだ。ひとりで生きていくことへの不安はない。彼は金銭的な成功を求めて、闘技場への道筋を模索する。

 彼は小さな町の自警団に入団して、銃を撃ち続けた。自分の暴力性を認めてもらいたくて、できるだけ派手な殺し方を選んだ。相手が重犯罪者の場合には、その体を細かく切り刻んで、町の広場に飾ったりもした。そのやり口に惚れこんだ誰かから、俺の相棒にならないかと誘ってもらうためだ。

 同僚には嫌われた。いや、恐れられたというほうが適当だろう。彼は日ごとに荒んでいった。その凶行はとどまることを知らず、しだいに酒に溺れるようにもなった。

 殺戮はやがて、自己を慰めるための行為に意味を変えた。当初の目的はすでに存在しない。彼の叫びは誰にも届かなくなった。それにも関わらず彼は、誰かを待ち侘びているようだった。

 ある日彼は、無実の人間を手にかけた。妻だった女性だ。わざと殺したのではない。泥酔から覚めたときには、バラバラになった妻が転がっていたのだ。狂い切っていなかったことが、彼にとっての不幸だったのかは分からないが、それ以来銃を持たなくなった。

 残された娘を連れて、彼は小さな村へ引っ越した。それから数年の後、彼はあばら屋のなかで死んだ。

 殺ったのは、山高帽をかぶった幼い少年だった。彼は、俺と同じ赤い眼をしていた。

 男にとっての待ち人とは、その少年だったのだろう。生に寄り添う死を救いに思う人間もいるのだ。



 部屋の掃除をするついでに、換気扇をなおした。ゆるんでいたネジを締め直しただけだが、動作は良好だ。キッチンには、お茶の用意をしてある。片方のカップには二日酔いにならない香草をいれておいた。帰りが遅い日には、フーマは酒を飲んでくることが多い。体に悪いから量を控えろと言ってあるんだけど、響いてはいないようだ。

 あいつもいい年になったのだから、心配されても迷惑だろう。そのことをわかっていながら、やはり気にしてしまう。たぶん俺は、ダメな兄貴だ。弟が危険なことをするのを許しているくせに、いらない世話だけは焼きたがる。もしかしたら嫌われているのかもしれない。最近あいつが無口なのも、たぶんそういうことなのだろう。

 すべての仕事を終えてしまった。いじくる武器が残っていない。適当な銃を解体して、内部の掃除でもしてようか。かけ時計の動きがわずらわしい。時間を長く感じるからだ。

 外はすっかり夜だった。大気が黒くぬりつぶされる、長い夜だ。

 工房の扉がひらかれた。途端に安堵を覚えた。

「おかえり。今日も勝ったんだな」

 俺は平静をよそおって顔をあげた。

「あ、いや」

 玄関にはミーナがいた。泥だらけの服を着ていた。

「ひさしぶりだね。お茶をいれるから座ってよ」

 明るく聞こえるように返したつもりだが、俺の声は震えていたかもしれない。キッチンに向かうとき、フーマが置いていった酒瓶が目にはいった。俺は見なかったことにして、いつもどおりに茶をくんだ。

 ふたつのマグカップをテーブルに並べた。はじめての売上で買ったブリキのカップだ。俺はステンレスがいいって言ったのに、あいつはブリキにこだわった。『じいちゃんのニオイがするから』だってさ。金属のニオイがする人なんているわけがないのにね。

 ミーナは何も言わずに突っ立っていた。顔全体が青白い。俺もそこまでマヌケではないから、何が起きたのかはわかっている。そしてミーナのほうでも、俺が気づいていることを察しているのだろう。

「ほら、すわってよ」

 俺は先に腰をおろして、お茶に口をつけた。水面に浮いた香草が唇をなぞった。カップが手から滑り落ちそうになった。

「ごめん」

 ミーナの体がとすんと落ちた。ソファが空気を吐いて沈んだ。

「ごめん。負けちゃった」

「フーマは死んだのか?」

 口をついたのがそれだった。俺は、自分の愚鈍さを恥じた。

「おまえのせいじゃない。フーマはそういう道を選んだんだから」

 そういってから思いついた。ここでいう『おまえ』には、俺自身も含まれているのだと。考えたくもない。弟が死んだのに、自己保身しかできないなんて。

 想像したくもない。フーマが二度と帰ってこないなんて。

「ありがとう」

 ミーナはマグカップをつかんだ。「いただきます」と言ったが、口はつけない。彼女の手先は、こきざみに震えていた。

 俺は初めて、彼女の手を注視した。どこもかしこも傷だらけで、戦いの軌跡がありありと見えた。分かりさきっていたことなのに、どうして今まで気にかけてやれなかったのだろう。俺は、自分の薄情さを恨んだ。死んだ誰かの記憶とではなく、今生きている人達にこそ目を向けるべきだったのだ。

 こんなはずじゃなかったのに。住み慣れたゴミ山を出てから、俺は後悔ばかりしている。じいちゃんの顔を思い出そうとしたが、ぼんやりとした輪郭が視界に浮かぶだけで、鼻の形すら思い出せなかった。

 ミーナが口をひらく。

「相手はシェリング。たぶん私のアニキだ」

「たぶんって、どういうことだ?」

 俺の口は、的外れな質問をしていた。

「私はアニキの顔を覚えていない。でも、あの山高帽には見覚えがある。それに、私だけが殺されなかった。だから……」

「だから、そいつを殺さないでくれって? 関係ないね」

 口走ってしまってから後悔した。

 ミーナはこくりと頷いて、「私の目的はこの銃に残る記憶を、兄の体に戻すことだ」といった。

「どうだろうな。人間にチップをいれる方法なんて聞いたことがない。少なくとも、俺には無理だね」

「でも兄は、あの体に別の記憶をもって生きている。兄の体をあのままにしておくのは耐えられない」

「不可能だ」

 考えるまでもなく断言した。

「そんな技術は存在しない」

「スクラップマウンテンにいる記憶の商人なら、それができるらしい。老人ってことは聞いたんだけど、結局見つからなかった」

 ミーナは顔をあげて、ジャケットの内ポケットに手をつっこんだ。出てきたのは封筒だった。彼女はそれをテーブルのこっち側にむけて滑らせた。「あんたの物だ」

 俺はそれを取り上げて、促されるままに封を切った。記憶片セルと、銀色のリングとが入っていた。

「フーマのか?」

 俺がたずねると、ミーナはああといった。

 沈黙が煩わしかった。俺は手にした物を封筒に戻して、茶を口にふくんだ。だいぶ冷めていた。ちょうど、フーマが好むぐらいの温度だ。

「フーマから聞いたけど、あんたは記憶がないらしいな」

 俺は黙ってうなずいた。

「どうして自分を探さない。まだ、ここに閉じこもりつづけるのか?」

「探しているよ」

 俺は返した。

「でも、見つからない」

「いいや。探してすらいない。あんたの能力があれば、今までに自分の過去と出会わなかったはずがない。本当に過去を探しているのなら、その片鱗に気づいてなきゃ、おかしいんだよ」

 ミーナはテーブルの上に身を乗りだして、「本当は怖いんだろ? 自分が何者かを知ることが」と言った。

「おまえがそれを言うのか?」

 俺の言葉に、ミーナは怪訝な表情を返した。

「おまえだって、兄貴を探しているフリをしているだけだろ。俺の技術力を知っているなら、今までにそれを頼んだはずだ。あんたは誰も探していない。闘技場に出ていたのも、無目的な自分から逃げるためじゃないか」

「そうだよ」

 ミーナは間髪入れずに応じた。

「でも、これからは違う。私は兄を探す」

 力強い口調だった。

「それがどんな結果であれ、向き合うべきなんだよ」

 彼女は俺の手を取って、「ユーマはどうする?」ときいた。

 他人の体温を感じるのは久しぶりだ。故郷からの旅立ちの際に見た、フーマのあどけない横顔を思い出した。

「目的がないのなら、私につきあえ」

 ミーナがいった。

「兄を取り戻す方法を、一緒に探してくれ」

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