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記憶の商人  作者: 本田翼
7/15

フーマ

 闘技場のある町は大陸の南西部にある。これに対して、フーマたちが暮らしていた町は南東に位置する。彼らはまず、人口の少ない漁村まで歩いていった。ギャングの遠征ルートを避けつつ、車を借りるためだ。

 前々日の夜に出発して、到着したのは夜遅くだった。海岸べりには、杭につながれた小舟がいくつか停泊していた。波の動きに桟橋がきしんでいた。まっ黒な海面は、月影すら写していない。

 村にあるモーテルで一泊した後、乗用車を借りた。オフロード用の太いタイヤを履いた、四輪駆動のやつだ。海沿いの荒地をフルスロットルで走ってゆくと、一週間ほどで目的地に着いた。休憩をほとんど挟まなかったせいか、ボンネットから異臭がした。

「すげえな。夜でもこんなに明るいのか」

 フーマは感嘆した。

 その町は不夜城だった。北側にいくほど、人工照明ネオンライトが密集している。

「飛んで火にいるなんとやらだよ」

 ミーナが返した。

「金持ちが多くくるから、甘い汁をすすりたいヤツが集まるんだ」

 町は、闘技場、カジノなどの娯楽産業を中心に発展していた。もちろん、それらに付随するサービス業も成長している。これらを経営しているのは、上方衛星ブレーンの住人か、ギャングである場合が多い。言わずもがな、実際に働いているのは下層階級の人間である。

「とりあえず今日はゆっくりして、明日にでも闘技場へ向かおう」

 ミーナの指示にしたがって、バギーは町の南部にむかった。

「砂浜に下りて、林にむかってくれ。あの明るくなっているほうに宿がある」

 ミーナが示したほうには、ひときわ高い松があり、煌々《こうこう》と燃える空があった。枝葉は上方に影をもっており、低空だけが明るくなっている。

 バギーは砂浜につっこんだ。光度の高いヘッドライトが赤松の幹を照らしだした。木々のあいだを蛇行していくと、小僧が進路に飛び出してきた。ユーマは、はっとしてブレーキを踏み込んだ。小僧に焦った様子はない。筋肉の発達したその腕には、篝松かがりまつの束が抱えられている。どうやら宿の店員らしい。

 ユーマは車のエンジンを切った。小僧は運転席の脇にまわって、早口で何かまくしたてた。なまりがきつくて聞き取りづらい。

「一泊していく」と、ミーナがいった。

 小僧は、バギーは自分が返してくるからという旨のことを言ってはにかんだ。ミーナは先に降りて、小僧にチップを握らせた。小僧は腕まくりしていた袖を戻して、折り返しの内側にその金をしまった。

 小僧の話だと、併設されたバーで食事ができるらしい。三人はまともな食事をしていなかったため、一様に喜んだ。

 旅館はかがり火で囲まれていた。ごうごうと燃えるそれは、木の外壁と土塀とを、深みをもった朱色に染め上げている。宿舎らしい本館には目もくれず、三人は併設されたバーへとはいった。荷物は身につけたままである。

 さっさと食事を済ませると、ミーナは酒を頼んだ。残る二人もこれに付きあい、それぞれに飲み物を選んだ。とうに日付は変わっていた。それでもバーは、けっこうな客で賑わっていた。解放された南の窓からくる潮風が匂っている。

「ルールは単純だ。二人一組で戦って、どちらかのペアが動けなくなるまでつづける。そうして、勝ったほうが賞金を得る」

 ミーナはグラスをかたむけた。頬がほんのりと赤い。

「するとランキングがあがっていき、同ランクの選手とやりあうことになる。とうぜん賞金額はあがる。もちろん死ぬ確率もあがるんだけど」

 ウェイトレスがやってきた。ウイスキーを二杯置いて、あいたグラスをトレイに乗せた。

「なるほど。要はぶっ飛ばせばいいんだろ」

 フーマは、ウイスキーにガムシロップをいれた。

「ところで、前にいた相棒はどうしたんだ?」

「金をもって逃げられた」

 ミーナは頬を引きつらせた。

「どこにいったのか知らないけど、たぶん死んでいるよ」

「へえ。おまえも大変だなあ。それで、なんで逃げられたの?」

「金が必要だったんだろ」

 ミーナはあさっての方向を見た。大きなため息をついて続ける。

「いや、私の銃が暴走して、相棒を殺しかけたんだ。フーマたちに会うひと月ぐらい前かな。闘技場でのことだったから、みんなが知っている。私と組もうとするヤツはどこにもいない」

 フーマは目を細めてグラスを持ちあげた。氷が泡をふいていた。

 カウンターのむこうで、バーテンがシェイカーを振っていた。背後にある棚には、アルコールのボトルがラベルを正面にむけて並んでいる。ネームプレートを結び付けられているビンもままあった。この店は外部にむけて解放されており、宿泊者以外の常連も多かった。

 店の奥にこさえられたステージでは、バンドマンが楽器を弾いていた。編成にボーカルはいない。アップテンポの曲がたんたんと演奏されている。

「兄さんは今でも、上方衛星ブレーンなんてのを信じているのかな?」

 フーマがぽつりといった。

「俺たちの体は上方衛星ブレーンにあって、そこで夢を見ているんだって。で、意識だけが抜け出して下方衛生コアで遊んでいる。たださ、体を離れすぎると魂が消えちゃうんだとさ。どう思うよ?」

「唐突だな。酔っぱらったのか?」

 鼻で笑ったミーナに、フーマは低い声で返す。

「思いだしただけだよ。昔、じいちゃんが言っていたことを」

 ピアノの音が止んだ。

 アドリブパートにさしかかると、アルトサックスが音量をあげた。パターンのひきだしが少ない、退屈なソロだった。バーテンは、ブロック状の生ハムにナイフを入れながら、サックス奏者を睨んだ。

「ちょっといい?」

 ミーナが、茶髪のウェイトレスに声をかけた。

「同じものを、ダブルで」

 ウェイトレスは尻をむけたまま、上体をねじった。スリットからのぞいた太ももに、タトゥーの蛇が巻きついている。ウェイトレスは愛想よくほほ笑んでから、「十二番、ジェイディ、ダブル」と甲高い声をあげた。

「それで、どっちが出るんだ。私ともうひとり。やっぱりアニキのほうか?」

 ミーナは一気にグラスをあけて、それを叩きつけるように置いた。溶け切らない氷が少しはずんだ。

「俺がでる。兄さんは武器をいじってるほうが好きだから」

 フーマは答えると、ユーマのほうを見た。

 当人はテーブルにつっぷして眠っている。頭の横には、氷の溶けきったウイスキーがあった。

「なんでだよ? あんなに強いのに」

 ミーナの問いかけに、フーマは片方の口角をつりあげる。

「簡単だ。向いてないんだよ」

「強いってことが、そのまま向いてるってことだろ」

 ミーナがいった。

「私は間違っているか?」

 フーマは答えずに、目頭をおさえてうつむいた。

「こいつはナイフの専門家か? ちがうだろ。銃を下げているんだからな」

 ミーナは、ユーマの腰にさがった銃をあごでしめした。

「ただ、なんでその銃はからっぽなんだ? 記憶片チップを握らせなきゃ、本人の経験だけで戦うことになるんだぞ」

 記憶片セルが埋めこまれた銃は、独特の模様をもつ。たとえば、フーマの銃には赤い斑点ドットが、ミーナのそれには青い網目チェックがはいっている。いっぽう、ユーマの銃にはなんの模様も浮き出ていない。それはつまり、「この銃はかざりです」と白日しているようなものだ。そもそも記憶片セルを装着していない銃は、弾すら出ない。銃弾の生成もまた、記憶片セルに依存している。

「兄さんはちょっと変わっていてさ。銃をいじっているのが好きなんだ」

 フーマが気まずそうに言った。

 ミーナは更につめる。

記憶片セルから、〝余分な情報〟を読み取れることが関係しているのか? 仲間になったんだから話せよ。事情がわかっていれば、それだけ安全に生きられる」

 フーマは顔をあげて、ミーナの眼の奥を覗きこんだ。どちらも視線を外さない。

 バンドの演奏にかき消されないようにと、隣のカップルが大声で話し始めた。盛大に痴話喧嘩をしているようだった。

 フーマたちは無言だった。ややあって、注文の品がはこばれてきた。

「彼女に」

 フーマは顔をあげた。

「こう見えて俺よりも飲むんだよ」

 ウェイトレスは、グラスを置いてはにかんだ。暖色のチークが塗られた頬骨の下に、深いえくぼが現れた。

 彼女が別のテーブルに呼ばれたのを確認してから、フーマは口をひらく。

「兄さんは、記憶片セルからもとの持ち主の人生を読み取れるんだよ」

「持ち主って、記憶片セルを脳に埋めこんでいた所有者のこと?」

 ミーナの問いに、フーマは目の動きで頷いた。

「バカにするなよ。そんな話は聞いたことがない」

 ミーナは舌を鳴らした。

「だいいち、あれは戦闘経験を蓄積するための媒体で、それ以外の思い出は肉体に記憶されるはずだろ」

「一般論ではね」

 フーマはいった。

「本当はちがう。記憶片セルは、それ以上のことを記録している。その人間が生まれてから死ぬまでの、すべてを記録している」

「信じられないね。それじゃあまるで、私たちの体がオマケみたいじゃん」

「あんがい、そうなのかもな」

 フーマは四本の指を丸めた状態で、立てた親指をこめかみに押しつける。

「人間の頭のなかを見たことがあるか? 液体の中に記憶片セルが浮かんでいて、肉体に線でつながれているんだ。人間の肉体なんてのは銃と大差ない。ほかの動物、たとえば犬なんかはちがう。灰色の肉っぽい塊があって、そこに情報を記録している。この塊は肉体と直接的なつながりを持っているんだ」

 フーマは親指をたたんで続ける。

「人間の存在だけが歪つなんだよな。他の生き物は肉と記憶に一体感があるのに。たぶんだけど、俺たちの肉体は個々人を形成する記憶と乖離した別個の存在なんだよ。肉体という皿があり、そこに満ちた血に記憶が浮かんでいるだけ。精神ってのは、さしずめスープの上に浮いたクルトンってとこだ」

 ミーナは眉間にしわを寄せて、「もっとわかりやすく説明してくれ」と頼んだ。

「説明なんて無理だな。これは高尚な理論じゃなくて、俺の思想の破片なんだから」

 フーマはそういって、自分の首筋をもんだ。

「つまりさ、あんたたちが思っている以上に、肉体ってやつは代えが効くんだよ。記憶片セルさえ無事なら、俺たちは不老不死を達成できる。……なあ、いったい誰がこんなシステムを構築したと思う? 神だと思うか? 違うね。俺が思うに……」

 フーマは発しかけた言葉をのみこんだ。ウェイトレスが近寄ってきたためだ。

「もうすぐ閉店です」

 ウェイトレスは告げた。あいかわらず、愛想よい笑顔がはりついている。

「ああ、これを飲んだら帰るよ」

 ウェイトレスは他のテーブルに向かった。

 ミーナはたずねる。

「フーマ、おまえも見えるのか? その、他人ひとの一生が」

「いいや。俺は見えないよ。それを知っているだけ」

 フーマは答えて、皿に残っていた生ハムを一口で平らげた。

「そのこととユーマが銃を使えないことと、どういう関係がある?」

「通常の場合だと、記憶片セルに記憶された戦闘経験が、それを移植した武器の使用者に、どう動くべきなのかを教えてくれるだろ。いいかえれば、部分的に機能を補完するということなんだけど」

 フーマはつづける。

「兄さんは、もっと全体的に感受できる。動きは当然として、考え方も。というか、そこに書きこまれた人生を追体験しちゃうんだろうな」

「つまり、過干渉を受けやすいってかとか?」

「似てるけど大分ちがう。過干渉の場合は使用者の意識はどっかにイッてる。兄さんの場合は意識を保ったまま、銃に宿った記憶を受けとめることになる。それだけでも相当な負荷なのに、死の瞬間までを体験しちゃうんだから色々とヤバいんだよ」

 フーマは言い終えると、半分以上残っていたグラスをあけて、伝票をつかんだ。

 ミーナは座ったまま、ぼそっとつぶやく。

「正直、言っていることの意味が理解できない。何より、なんでそれを私に教えたのかもわからない」

「それが、あんたに必要な能力だって気づいてるからさ」

「よくわからないな」

 ミーナは立ちあがった。

「それで、フーマは私に何をしてほしいの?」

「特にないよ。兄さんのかわりに、俺と闘技場にでてくれれば、それでいい」

 隣のテーブルを片づけていたウェイトレスが、皿に残してあったチーズをつまんだ。



 目抜き通りには、さまざまな素性を持つ者が集まっていた。ことさら目をひくのは、高価なアクセサリーを身につけた中年の男女だった。彼らは資本家らしく、数人の護衛を伴っている。籠や馬に乗っている者もままあり、みすぼらしい格好をした町人には目もくれない。

 ユーマが借家の手配にいっているため、フーマとミーナとは二人で行動していた。二人の手には、出店で買ったホットドックがある。闘技場の目印、黒い大天幕が見えてきた。日差しは強い。陽炎がのぼっている。

 闘技場の事務所は、客でごった返していた。ほぼ全員が銃をもっている。

 整理券を取ってきたミーナに、フーマがたずねる。

「こいつら、何をしに来てるんだ?」

「賞金の受け取り、闘技への参加申し込み、参加資格リングの獲得のため……」

 ミーナが答えた。

「一括りに言えば、暴力を換金しにきている」

「いいな、そういうの」

 フーマはそういって、ソファからたった。

「どこにいくんだ?」

 ミーナの問いかけに、フーマは片手をあげて答える。

「便所だよ。しばらく待たされるんだろ」

 化粧室を出たところに、細い廊下がある。男女の二人組が、肩を並べて壁にもたれて立っていた。

「あの女と組むと、殺されるよ」

 女はフーマに声をかけた。

「誰だよ、おまえ?」

「あいつの元相棒。至近距離で三発食らわされたんだ」

 女はそういって、タートルネックの襟をずり下げた。鎖骨の下にある皮膚が、黒っぽく変色して皺になっていた。銃創だ。傷の中央部分は肉色をしている。

「心配すんな。俺はあんたほど弱くない」

 飄々としたフーマを見て、女は苦笑する。

「そうか。それが本当ならいいな」

「意外だな」

 フーマは肩で笑った。

「殺されかけたんだろ。恨んではいないのか?」

「ビビっただけだ。恨んではいない」

 女は真顔で答えた。

「ミーナがいなきゃ、私はもう死んでいただろうし。あの子自体は好きだからね。いい子だよ。殺し合いに慣れてない」

「俺は嫌いだな」

 フーマが返した。

「あいつは、自分を中心に世界が回っていると勘違いしている。ナルシストなんだよ」

「そういうところはあるかもね」

 女は屈託なく笑った。

「いつかあたることになったら、お手柔らかにね」

 相棒に目配せをして、彼女は待合室へと戻っていった。

 フーマは、彼女たちと反対方向に進んだ。つきあたりにあるプライベートルームと書かれた扉をひらく。

「おまえ、立ち聞きしただろ?」

 中にはミーナがいた。

「うん。気になっちゃってさ」

「どうやって忍びこんだ? あいつらに気づかれないで」

「外に出て、窓からはいった。おまえが殺されると困るから」

「そうじゃねえだろ」

 フーマはため息まじりにいって頭をかいた。

「今からでも謝ってきたら? ツレなんだろ」

「ダメだよ。敵になるかもしれない」

「変なところでマジメだな。なんか、兄さんに似ているよ」

 待合室にもどると、メガホンをもった係員が大声を出していた。

「午後一番の試合、闘技者が逃げた。ランクはC1。出てくれるヤツはいないか?」

「対戦相手は誰だ?」

 ソファに座っていた女がきいた。

「リンチ姉弟。今回だけは、賞金額に二割のせるぞ」

 ざわめきが数秒やんだ。それから、いくらかの闘技者が相談をはじめた。係員はメガホンを下ろして返事を待っている。

「強いのか?」

 問いかけたフーマに、ミーナは耳打ちする。

「ここにいるヤツらよりは強いけど、全体のなかでは普通だ。降参した相手をリンチして殺すから、嫌われているんだよ」

「親切な名前だな。悪趣味な客のお気に入りってわけか」

 フーマは何かを思い出すように目を伏せてから、「俺たちも出られる?」ときいた。

「無理だ。チームランクが足りない。C1の相手に挑戦する場合、B3からC2のランクが必要だ」

 フーマが曖昧な反応をしたのを見て、ミーナは補足する。

「チームランクは、私とあんたのランクから算出される。私はC1で、あんたはランクはなし。あんたがD1になれば、チームランクはC2になるんだけど」

「どうすれば、その『D1』になれる?」

「まずはEランク戦に参加して、リーグ戦で十戦中九勝する。そしたら、D3のリングをもらえるから、ランク戦に出られて……たしか、勝率八割を維持すればいいんだっけなあ?」

 ミーナはそこまでをいって、フーマを横目で睨んだ。

「あとはマニュアルを読めよ。私は、ルール説明のためにいるんじゃない」

 フーマは小鼻をこする。

「思っていたよりも面倒だな」

 それから急に、思い出したように大口をあけた。

「そうだ。リングって、他人から貰った物でもいいの?」

「問題ないぞ。無駄死にするだろうけど、運営側は関知しない」

「近所のおっさんにもらったんだ。これで参加できないかな」

 フーマはそういって、懐から銀色のリングをだした。

「見せてみろ。刻印の種類でわかるから」

 ミーナはそれを指先でつまんだ。

「どんなおっさんだよ。B3のリングだ。私よりもランクがひとつ高い」

「喧嘩っ早いおっさんだよ」

 フーマは返した。

「それと、ハムサンドを作るのが下手だな」

 二人が相談を進めているあいだも、参加を表明する選手は現れなかった。業を煮やした係員が、再びメガホンをかまえる。

「誰も出ないのか? 賞金を四割のせてもいい」

「私たちがやろう」

 声をあげたミーナを振り返って、係員は手招きする。

「助かるよ。すぐに手続きする」

 係員はカウンターの内側にまわって、窓口に置かれた休止中の札をどけた。

「参加証の提示と、書類への記名を頼む」

 ミーナはペンをとり、二人分のサインを済ませた。

「賞金を五割増しにしてくれれば、なお良いんだけど」

「そうだな。客を喜ばせてくれたら、そうしてもいい」

 受付係は、二人から預かったリングを文鎮がわりにして、書類にペンを走らせる。

「C1とB3か。チームランクはB3と……。あとの手続きは俺がやっておくから、このまま検査を受けにいってくれ」

「こちらへどうぞ」

 若い係員がカウンターから出てきて、引率をひきうけた。

「なんで、B3とC1で組んだら、チームランクがB3になるんだ」

 廊下を進むユーマが、独り言のようにつぶやいた。

「計算方法がわからん」

 前をいく係員が返す。

「上位ランカーがひとりいるだけで、戦局を有利に進められるからです。上にいくほど昇格は難しいですから、隣接するランク間の実力差も大きくなります。つまりですね……」

「いや、もうわかったよ」

 フーマが遮った。

「少年リーグのチームに、プロ野球のピッチャーがひとりいるって感じだろ」

 廊下の奥では、別の係員が扉をあけて待っていた。これをくぐると、八畳ほどの部屋があった。

「あちらのゲートをくぐってください」

 係員は部屋の中央に立っている二本の棒をしめした。

 二人は指示にしたがった。体の側面が赤い光線に照らされた。

「オッケーです。細菌兵器の持ち込みはなし」

 係員は手にしたボードにチェックをいれながら、「今回はCランク戦になるので、重量調整もはいります。そちらの台へどうぞ」といった。

 ミーナは体重計に乗った。

「ウェイト八十」

 計測係が目盛の数字を読みあげた。

「おまえ、けっこうデブなんだな」

 軽口をいったフーマを、ミーナがグーでどついた。

「金属を服に編みこんでいるからだよ。おまえも防具ぐらい仕込んでこいよ」

 フーマは唇を舐めながら体重計に乗った。下唇が腫れあがって、皮がめくれている。

「ウェイト七十」

 計測係が笑いを噛み殺しながらいった。

「どうします? あと十五増やせますけど、このまま出ますか?」

 フーマは、ミーナをふりむいた。

「その棚に置いてある、武具を使っていいってことだ」

 ミーナは意を汲んで返した。

「相手チームと、こちらのチームの総重量を同じにするって措置ね。別につけなくてもいいんだよ。スマートなまま死にたいって言うなら」

 フーマは大人しく、棚から武具を選んだ。特に迷いもせず、手甲ガントレットをはめた。黒い本革が手首までを隠した。関節の動きを邪魔しない位置に金属板が貼られている。

「あと五いけますよ」

 係員が仕草をまじえながらいった。

「じゃあ、これも持ってくは」

 フーマは部屋の隅に置かれていた工具箱から、モンキーレンチをとった。

 ゆるやかなカーブを描く廊下を抜けると格子戸があった。

「この先が闘技場だ」

 ミーナがいった。

「ビビるなよ」

 格子戸をくぐると、すぐに闘技場があった。舞台は円形をした砂地だった。周囲を高い壁にかこまれており、その外側に階段状になった客席が並んでいる。場内には、ちらほらと空席がある。

 天幕を支える金属の桟から、空中ブランコがぶら下がっていた。そこに座っていた道化師は二人の姿を認めると、立ち上がってアナウンスを始める。

「みなさま、長らくお待たせいたしました。対戦相手の変更があり、調整に時間がかかってしまいました。この場を借りてお詫びいたします」

 道化師は片腕を腹に持っていって、頭をさげた後、口調を明るくしてつづける。

「ですが、今回新たに組まれたカードは面白いですよ。ご存知のお客様も多いでしょうが、このミーナ選手、前回の戦いでチームメイトを殺しかけています」

 道化師は、大げさに首を傾げて、「闘技場始まって以来の珍事件です」とおどけた。

 珍妙な仕草もあいまって観客が笑う。

 道化師は両手を高く上げてこれに応える。

「つまり、この試合は三対一のイレギュラーマッチともいえるんですね。チームメイトであるフーマ選手の動きから目が離せません。誰にとどめを刺されるのかが見物です」

 道化師は自分のこめかみを撃ち抜くマネをした後、さらに口上をつづける。

「それからフーマ選手についてですが、B3ランクにも関わらず、情報がありません。ダークホースとして、馬脚を見せてくれることを期待しましょう。それでは、賭けを開始してください」

 観客席のあいだを係員が練り歩いた。彼らは首にぶらさげたカゴに紙幣を集め、引き換えにチケットを配っていく。カーボンコピーの複写を集める担当の者が、忙しそうに場内を駆け回っていた。正確な配当計算をこれから行うのだろう。大型ボードにある配当表の数字が、概算にもとづいて入れ替えられていく。フーマたちの倍率は、加速度的に増していった。

「これでは、賭けになりませんねえ」

 道化師が頭をかかえた。

「なんだよ、あいつ。ムカつくな」

 フーマがぼやいた。

「悪いな。私なんかと組んだから」

 ミーナはバツが悪そうに呟いた。

 フーマはちらっとミーナの横顔を覗いてから、対角にいる対戦相手の様子をうかがった。身長が二メートルもあろう大男と、小柄な女性とのペアだった。彼らは含み笑いをして、首を切り落とす仕草をした。

 大男は上半身裸で、膝丈のミリタリーパンツを履いている。砂漠仕様のカモフラージュ柄は、返り血で黒く汚れていた。いっぽうの女は光沢のあるボンテージスーツを着ていた。ハイレグからあぶれた腰の肉に、バラのタトゥーが咲いている。武器はどちらも、ロングバレルのライフルを所持している。

「サーカスじゃねえんだぞ」

 フーマはひとりごちた。

「俺はあいつらよりも弱そうなのか」

「ファンの多さが出世の条件だ」

 ミーナがいった。

「金に困っていない客も多いから」

「なるほどね」

 フーマは何度か頷くと、ミーナの正面に移動して、「俺を撃て」といった。

「なにを言ってるんだ?」

 困惑するミーナに、フーマは繰り返す。

「いいから撃て」

「撃つわけがないだろ」

「勝ちたいなら、撃て」

 フーマは、ミーナに銃を握らせた。

「俺の師匠はこう言った。『チームの力を出し切るには、おたがいへの信頼が不可欠だ』と。おまえは兄さんに殺されかけただろ。でも、俺は兄さんに殺されずに生き残ってきた。俺はしぶといんだ。おまえの銃弾で死なないってことを、今ここで教えてやるよ」

「馬鹿か、おまえ」

 ミーナが声を荒げた。

「無駄なことに頭を使わず、勝負に集中しろ」

 この様子をみとめた道化師が、ここぞとばかりにはやしたてる。

「揉めてますねえ。おおいに結構ですよ。若いってのはいいですね」

 中年の客が指笛を鳴らして、卑猥なセリフを発した。周りの客がどっと笑い、会場全体が妙な一体感をもった。

 周囲の状況を知ってか、フーマはさらにつめ寄る。

「俺たちには金が必要だ。ここでは客からの注目が金に変わるんだろ? だったら見せつけてやろうぜ。俺たちのチームの性能を。俺たちに失うものなんてないんだ。何を迷う必要がある?」

「下手な気づかいだな」

 ミーナはくつくつと笑って銃をかまえた。

「今回だけは付き合ってやるよ」

「全弾だぞ」

 フーマは、ミーナから三歩の距離まで離れた。

 道化師が騒ぎたてる。

「おおっと、試合前だというのに早くも決着がつきそうです。賭けが済んでないお客様はお急ぎください」

 賭け終えていない観客が、投票券を配る係員にむらがった。勝ち馬に乗らない者は少ない。係員が人の山に埋もれた。

 すぐさま六発、銃声が起こった。どよめきが会場をつつんだ。興奮した道化師が意味の通じない言葉を叫んだ。

 フーマは吹き飛ばされるようにして後方に倒れていった。体が地面をはずんだ。手甲の鉄板がちぎれ、宙を舞った。

 道化師がブランコから飛び降りた。ミーナはリボルバーをホルスターにしまって、悲しげな眼差しを天幕にむけた。

 道化師はフーマの脇にひざまずくと、ピンマイクを手で覆って、「生きてっか?」と声を殺してきいた。

「死んでいるように見えるか?」

 フーマは身を起こして、ボロボロになった手甲を脱いだ。道化師のピンマイクをひったくり、「殺してみろよ」とささやいた。

 闘技場全体が水を打ったように静まり返った。が、すぐに歓声が蘇り、あちこちで観客が立ちあがった。いつのまにか、狂騒の渦が生まれていた。無謀な人間ほど、この舞台では愛されるのだ。

 ボードに並んだ配当が、五分に近づいてゆく。道化師はふざけるのも忘れて、移りゆく数字に目を輝かせていた。

「ありがとう、フーマ。今日は休んでいていいぞ」

 ミーナはホルスターの位置を調整した。

「今なら誰にも負けない。風景が止まって見えるんだ」

「まかせたぜ。指の骨を折っちまった」

 フーマはポケットに手をつっこんだまま、観客席との境界になる壁際にあぐらをかいた。

 戦闘開始の銅鑼が鳴らされた。ミーナは敵につっこんだ。

 弾幕が彼女を襲った。しかし、ひとつとして命中しない。

 弾数はどんどん増えていった。跳弾が、観客席にも飛んでいった。

 ミーナは銃を抜こうともしない。ただ踊るような動きで、やってくる銃弾を避けつづけた。前後左右にステップを踏んだ。金髪が柔らかく揺れた。弾は、たなびく髪の一本にすら命中しない。

 じょじょに弾速が遅くなっていった。精神的な疲弊が、銃の性能を鈍らせていた。

 やがて銃撃がやんだ。試合終了の銅鑼が鳴った。

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