来訪者
麻雀卓を囲んで四人のギャングがいた。室内はタバコの煙でスモッグがかかっている。牌のぶつかりあう軽い音が響いた。天井にすえつけられた白いファンは、明暗を移ろわす半透明の円をつくっていた。
「それだ。兄弟」
ボスはユーマの捨てた牌を顎でしめした。
「わりいな、今日もオレの勝ちだ」
「またイーピンかよ。いつもそれで待つよな。いい加減、だれも振ってくれなくなるぜ」
フーマはボヤいて、手牌の隅にあったイーピンを指先で倒した。
「問題ないね」
ボスはほくそ笑んだ。
「ユーマはオレの好みを知っているからな」
「正確にはボス好みの部下でいる方法さ。まったくよお、いい迷惑だぜ」
「やけにからむな。フーマ、さてはおまえでかい手を張っていたな」
ボスは茶化すと、フーマの手牌をのぞきこんだ。
「国士無双、五シャンテン。こりゃあ、なんもしてねえのと同じだな」
笑った拍子にくわえ煙草が落ちた。
フーマは機敏な動きでこれをつかんだ。
「わかってねえな、ボス。必要な準備をして待つってことが、ツキを呼び込む唯一の賢いやり方なんだぜ。それよりも」
煙草をふかしながら続ける。
「明日から出はらうんだよな。留守のあいだに問題がおきたら、どうすればいい?」
「カトーにって言ったろ」
ボスは新しい煙草に火をつけた。
「おまえの言いたいことはわからんでもないが、あいつは最年長だ。顔を立ててやってくれ」
「すみません。そんなつもりで言ったんじゃないです」
フーマは小さく頭をさげた。
「気にすんな。おまえの素直なところを、オレは気にいってるんだぜ。しかしなあ、おまえら兄弟がいれば、たいていのモメごとは問題にすらならねえだろ。オレがじきじきに仕込んだんだ。せいぜい言えるのは、殺さないように気をつけて殴れ、てことだ」
「オウケイ、ボス」
フーマは笑みを作る。
「俺のなかの、とびっきり繊細な部分を見せとくよ」
「わかってんじゃねえか。じゃあそろそろ行くわ。清算は帰ってからな」
ボスは席をたち、ユーマに目配せをした。部屋を後にする。
ユーマは手配を伏せてから、閉じかかった扉をくぐった。
屋外に出たユーマは胸で息を吸った。昇りはじめたばかりの太陽が、人通りの少ない道に長屋の影をつくっている。
「あいかわらず苦手なんだな。煙草」
ボスは相手を見ずにいった。
「うーん」
ユーマは、どうとでもとれる相槌をうった。眠たげな目は焦点が合っていない。
二人は長屋の列にそって進んだ。しばらく歩くと、営業中の看板が出ている店に到着した。エンリケ食堂――引退したギャングが切り盛りしている店だ。
ドアをひらくと上部についた風鈴が、きらきらと鳴った。カウンターにつっぷしていた店主――ローリンズが顔をあげる。
「いらっしゃい、何にするかね?」
「いちいち聞くなよ」
ボスはカウンターに掛ける。
「どうせコーヒーとハムサンドしかねえんだろ」
「わかってねえな。それを客の口から聞くから意味があるんだろ。卵サンドとレモンティーなんて言われた日にゃあ、俺はそいつを殴っちまうぜ。こっちにだって客をえらぶ権利はあるんだからな」
ローリンズは独自の御託をならべると、くわえ煙草のまま厨房へと引っこんでいった。
ボスはフィルターだけになった煙草を灰皿に捨てると、すぐさま新しい煙草を取りだす。
「兄弟。いくつになった?」
「さあ。俺は自分の年齢を知りません」
「そうだったな。たぶん、オレと同じくらいだよな。フーマは十五才ってとこか」
「そんなもんですね」
ユーマはうなずいた。
「ここにきてから三年たつから、たぶんそんなもんです。俺は十八才ぐらいなのかな。わからないけど、たぶんそんなもんです」
「そうか」
ボスは煙草を灰皿に置いて、スーツの内ポケットをまさぐった。
「やるよ」
手には札束がにぎられていた。
「間に合っています」
ユーマは手のひらを見せて断った。
ボスは不服そうに首をかしげ、カウンターに置いてあった天秤をたぐりよせる。真鍮製の皿は磨きこまれており、部屋の照明をよく集めていた。
「知っているか、ユーマ。神のつかさどる天秤はどちらにも傾かない。絶対者のまえでは、すべてのものは平等だからだ」
ボスは秤の片方に札束をのせる。当然のように天秤がかたむいた。
「いっぽう人間のつくりだした天秤は、ふたつの事物の重きを教えてくれる。どちらの天秤がいいって? そりゃあ後者に決まっている。天秤ってのは、平等を担保するための理念じゃねえんだから」
「どうしてそんな話を?」
「そうだな」
ボスは厨房の様子をうかがってから続ける。
「おまえは欲望がなさすぎる。そういうヤツはいざってときに死を選んじまうだろ。執着は人を苦しめるが、ここぞってときには必要な代物だ。つまりさ……」
「心配してくれるんですか?」
ユーマが口をはさんだ。
「まあ、そうだな」
ボスはユーマの背中をはたいた。そうとうな力をこめたのだろう。ユーマの顔がひきつった。
「わりいな。加減が苦手なんだ」
ユーマの背中をさすりながら続ける。
「おまえ言ってたよな。生まれてからしばらくの記憶がないって」
「はい。気づいたときにはゴミ山にいました」
「だよな。そのときに、目が覚めたとき、どんな気分だった?」
「茶の香りがして、湯気があって、すごくいい気分でした。あるべきはずの記憶がないことは怖かったけど、すがすがしいなって」
「そうか。今は、この町での暮らしはどうだ?」
「楽しいですよ。毎日銃をいじっていられるし、家族もたくさんできた。フーマだって喜んでます。ボスに戦い方を教えてもらって。あいつはそういうことが好きだから」
ボスはまどっろこしそうに肩をゆらした。なにかを言いかけたのだが、厨房との境にある暖簾が動いたのを認めて口をつぐむ。
ローリンズが厨房からでてきた。両手に白いプレートを乗せている。
「はいよ。ハムサンドとコーヒー」
「どうも」
ユーマが目礼をした。
「いただきます」
「そんなありがたいもんじゃねえよ」
ローリンズは耳にひっかけておいた巻きタバコに手をのばした。照れ笑いを浮かべながら念を押す。
「残したら殴るぞ」
サンドイッチを食べ終えるころに、数人のギャングが店にはいってきた。ボスはカウンターに紙幣を置いて席をたった。敵対組織との抗争のため、遠征にむかうのだ。
彼らがいなくなると、ローリンズがカウンターからでてきた。スコッチの瓶を手にしている。先ほどまでボスが座っていた場所に陣取り、嘆息する。
「やってらんねえよなあ」
「なにがですか?」
ユーマは目を合わさずにいった。
「とぼけんなよ」
ローリンズはスコッチを流しこんだ。
「おまえら、何かたくらんでるだろ」
「どういう意味ですか?」
「おまえは顔に出にくいけどさ、フーマの野郎はすぐにわかる。あいつが悪だくみしてるときは、コーヒーに砂糖をいれないんだ。あの甘党がだぜ」
「ふーん、知らなかったなあ」
ユーマはとぼけた表情をする。
「あれかな? 明日は俺の誕生日だから、サプライズパーティーでもひらいてくれるのかな?」
「おもしれえなあ。おまえもジョークをいうんだな」
ローリンズは腹をかかえるマネをした。スコッチを一口ふくんで続ける。
「で、いつ町を出るんだ? ボスが留守のあいだなら、三日以内ってところだよな」
「ありえないね」
ユーマは残っていたコーヒーを一口で飲みほした。出口へむかっていく途中、ローリンズを振り向いて呟く。
「裏切りはご法度だ」
「かてえこと言うなよ」
ローリンズは軽薄な笑みをうかべる。
「ちゃんと挨拶してから出ていけよな。ボスだって、それを期待して朝メシに誘ったんだぜ」
「あんたはいい人だけど、おせっかいだ」
ユーマは背をむけたまま手を振った。
表にでると、ちらほらと人の姿があった。エンリケ食堂の入口にある小さな階段には、ランニングシャツを着た女の子が座っていた。脂ぎった髪にハエがとまっている。くたびれた短パンから生え出した足は、肉づきが悪く骨ばっていた。
ユーマはポケットをまさぐって小銭をとりだした。少女の前にある空き缶にそれらを投げ入れようとしたところ、缶の底にある高額な紙幣に気がついた。
ボスの顔が思い浮かんだ。朝めしの礼を言ってなかったなと、あっさりとした後悔をもった。
南にむかい、雀荘として使っている長屋の前をとおりすぎる。町の北端にある市場へとゆく人たちは、眠たげに目をこすっている。人波に逆らっていく途中、見知った顔をとらえた。
布売りのサーシャ、町にきた当初、世話になっていた未亡人だ。
ユーマは立ち止まって、彼女を注視した。数か月前に見かけた時よりも、さらに老けこんでいた。
サーシャは足もとに視線を落としながら、市場のほうへとむかっていく。若さをなくして丸まった背中が過ぎ去っていくのを、目をそむけずに見送った。
彼女の背負う木のカゴが、雑踏のなかで小さくなっていった。カゴのいちばん上に乗った青い織り布が、やがて見えなくなった。
サーシャのうしろすがたを見送ったユーマは、ぽつぽつとした足どりで南にむかう。時たま、挨拶をしてくる町民がいた。ギャングの構成員かもしれない。気づかないフリをして通過した。
『南街道』という案内板が立つ交差点で、右に折れる。東西にのびる細い道は閑散としていた。
金属の煙突がある平屋に辿り着いた。ユーマ達の工房だ。
「おかえり、兄さん」
フーマが出迎える。
「どうだった。ボスは勘づいてた?」
「いいや、何も言ってなかったよ」
ユーマは返した。
「いつもどおりだった」
「だよな。三年間も耐えたんだから、ばれる訳にはいかねえよ。ヘマもぶってないし、俺たちの自由は約束されたようなもんだぜ」
ユーマはテーブルを見やった。食いかけの卵サンドとコーヒーとが置いてあった。砂糖壺は見当たらない。
ジャケットを脱いでソファに倒れこむ。
「客はきたか?」
対面のソファにフーマが座る。
「来てないよ。おもての看板は閉店にしてるし、今日が受け渡しの銃もない。いつ逃げだそうか。今日か、明日の深夜か。ボスが帰ってきたら驚くぜ」
「そうだな。ただ……」
ユーマは口をつぐんだ。入り口の扉につるした呼び鈴が、突然鳴ったせいだ。
二人はぎょっとしてふりむいた。
全開になった扉のむこうに、少女が立っていた。
「銃のメンテナンスをしてほしい。ここがいいって聞いて」
見覚えのない顔だった。小ぎれいな身なりをしている。
フーマは動こうともしない。
「ダメだ、今日は店じまい。おもてにかかっている看板が見えなかったのか?」
「看板は見たよ。でも急ぎなんだ」
「ダメだ。俺たちには関係ない」
強い拒絶にも関わらず、少女はずかずかと侵入してくる。
「この銃なんだけど」
ホルスターからリボルバーをはずす。
「型が古いからパーツが揃わないらしいんだ。ここなら、なんとかなるかもって聞いて」
少女は後ろ手にドアを閉めた。長い金髪が、風に押されてゆらめいた。
「言っただろ。今日は……」
フーマが言いかけたのを、ユーマがさえぎる。
「見せてみろ」
「うん、頼むよ」
「直すわけじゃない」
ユーマは立ちあがってリボルバーを受け取った。すこしのあいだ外観をながめると、さっさと解体をはじめる。慣れた手つきだった。内部にある記憶片が、すぐに姿をあらわした。
フーマが身をのりだす。
「こりゃあダメだ。接続が完全に切れている。どんな使い方をしたら、こうなるんだよ?」
記憶片の端子から青い液体が漏れていた。内部の情報が消えかけている徴候である。
「普通に使っていたよ」
少女は間髪入れずに返した。
「違法な改造もしていない」
「ウソつけ。記憶片の指示に従わなかっただろ。忠言に逆らいつづければ、接続は切れていくもんだ」
フーマが責めたてる。
「経験を拒絶されることを、記憶片は好まないからな。基本中の基本だぜ」
少女は肩をすくめた。身に覚えがあるらしい。
フーマはきつい口調で続ける。
「銃に記憶片を埋めこむのには、いくつかの意味がある。ひとつは、そこに蓄積された戦闘経験を銃に覚えさせて、使い手の補助をすることだ。もうひとつは、弾丸を生成すること。あんたが記憶片を否定するごとに接続は切れていって、最後には弾も飛ばなくなるぞ」
「耳が痛いね。でもさ、こっちにも事情がある」
少女は反論する。
「そいつに任せると身がもたないんだよ。私が撃とうとしなくても勝手に敵を殺しちゃうし……好き勝手させると、私の体が動かなくなる」
「記憶片のほうが、操作権をもっちまうってことか」
フーマは後頭部にむけて髪をなでつけた。
「危なっかしいな。そういう手にあまる代物は交換しちまいな。銃に体を乗っとられるぞ」
「イヤだよ。その記憶片じゃなきゃ駄目なんだ」
「すぐに交換しろ、死にたくないならな」
フーマは釘をさす。
「今だって弾が出ないことがあるんじゃないか? 撃ちたいときに撃てない銃にどんな価値がある? 実力がついてから、あらためてこいつを使えばいい。数年も我慢すれば、そういう機会もやってくるんだぜ」
少女は何も言わずにフーマをにらんだ。
「なんだよ? 思い入れだけで生き残れねえって教えてやってるんだぞ。なあ、兄さんもそう思うだろ……って、兄さん、なにやってるんだよ?」
「なにって、直すんだよ」
ユーマは当然のように言った。いつのまにかパーツがテーブルに整列している。フーマが目をはなしている隙に、銃の解体を進めていた。
「いい銃だな。俺が見てきたなかで、二番目にきれいな銃だ」
「おい、兄さん」
フーマは机をたたいた。
「修理なんかしてる場合じゃないだろ」
ユーマは手を止めない。からっぽのコンテナにパーツを集め、作業台に運んだ。それから方眼のマス目にしたがい、百四十四の部品を整列させた。
「ダメだ、いれこんじまってる」
フーマはおおげさに肩を落とした。
「ありがとう。大切な銃なんだ」
少女は破顔した。
「手入れはしているみたいだな。掃除の必要はない」
ユーマはひとりごとのようにつぶやいて、記憶片をつまみあげた。
「かなり入り組んだ記憶だな。フーマ、俺が読むから繋いでくれ。こいつは面白い仕事になるぞ」
指先と記憶片とのあいだに、青い閃光が走った。
「マジで。兄さんがそういうのも珍しいね」
フーマは興味津々といった様子で駆け寄り、机にならんだパーツをながめた。
「どうしてもっていうなら、手伝わないこともないけど」
思いだしたように少女のほうを指さす。
「すぐに直してやるから、そこの椅子に座ってろ。いいな、絶対ジャマするなよ」
「わかった。助かるよ」
少女は入り口近くにある木椅子に腰掛けた。
「はじめるぞ」
ユーマは記憶片に手をかざした。白い火花がパーツのあいだを泳いだ。
フーマは、少女の脇にあるキャビネットから必要な工具をかき集める。
「だいぶ錆びついてるな。記憶の欠損がおこっている」
フーマは少女のほうを振り向いて声をかける。
「安心しろ。俺と兄さんが組めば、修復できない記憶はない」
「ありがとう」
少女がはにかんだ。
「それがなきゃ仕事にならないんだ」
「オッケー、兄さん」
フーマが言った。
「こっちは準備万端だ。チャッチャとつないで、茶でも飲もうぜ」
「よし、始めるぞ」
ユーマが目を閉じた。
記憶片が白く光る。
「山高帽の男」
最初の単語が読まれた。記憶片から線が生える。
フーマはそれを迅速につかんだ。
「くりかえされる呪詛……」
つづいて別の部分から線がのびた。先ほどの物よりも小さいピンセットで捕獲する。
「まだあるぞ」
「マジかよ」
フーマは線をつかんでいるピンセットを片手に集めた。空になった左手に、新しく二つのピンセットを構える。
「余裕だけどね」
「ぬけがらの男、対峙する死体……」
線がつぎつぎに生えていった。フーマは的確に捕らえていく。
「その四本が始点。『男』と『呪詛』が十八番で落ちあう。『男』は六番に終着。『呪詛』はそこから四番までおりていき、『ぬけがら』と『死体』にからむ。『死体』は十八番をめざす。『ぬけがら』と『呪詛』は、まだキープしろ」
ユーマの指示にしたがって、ピンセットがめまぐるしく動いた。細い線がからみあい、情報網を築いていく。ピンセットにつままれている線たちは、首を絞められた生物のように痙攣した。これに対して、接続が完了した線は、安定した物性を見せた。
ユーマが薄目をあける。
「次はさっきよりも多い。俺のぶんの工具も用意してくれ」
「こりゃあ手が足りねえわ」
フーマの声がはずむ。
「おい、お客さま。手伝え。キッチンからタオルを持ってきて、それから棚にある黄色い箱もだ」
少女はびくりとするも、言われたとおりに動いた。指示された物を持って、フーマの隣に立つ。
「さっきは、じっとしていろって言ったのに」
「さっきはさっきだろ。思った以上に重症ってことだ。誰のせいだと思ってんだ」
フーマは目の動きで、工具箱を置く場所をしめした。
「記憶が死にかけているせいで余分な作業までしなきゃいけねえ。記憶片に情報を思いださせて……まあ、いいや。とにかく言われたとおりに動けよ」
作業は困難をきわめた。欠損した情報が多すぎたせいだ。このことは、発生する線が枯れていくスピードに表れていた。何本かは、ピンセットでつかむ前に枯死してしまった。
また、情報そのものも複雑だった。一度に相手にしなくてはいけない線が多すぎたのだ。部屋にあるすべての手を動員しても、ゆうに五人分は足りない。このため、線を固定するための工具をつかって、大がかりな修繕がおこなわれた。
「裸婦像を四十八番に接合」
ユーマがいった。
「以上で作業終了だ」
最後の線がつながれた。記憶片から生えた線が交差して、織り布のようになっている。
いつからか、西日がさしこんでいた。生まれ直したばかりの銃を祝福せんばかりの、あたたかい色をした光だった。
フーマは大きく息をついた。
「ひどい目にあったぜ。ていうかさ、兄さん。かなり深いとこまで辿っただろ」
「ああ、やっぱバレた?」
ユーマは返した。
「これだけ線がでてこれば、まあバレるよね。正直、窒息しかけたよ。途中で何回か意識なくなったし」
「じいちゃんが聞いたら、ぶち切れるぞ。『記憶の商人たるもの、他者の人生への尊敬を忘れてはいかん。命を畏怖しないことすなわち』とか言ってさ」
「いいそうだね。じいちゃんはややこしい話が好きだから」
二人が雑談するのを、客の少女は微笑みながら見守った。細まったまぶたからのぞく瞳は潤んでおり、どこか懐かしげだった。
フーマが彼女に向き直る。
「悪いな、手伝ってもらって。これから茶にするけど、一緒にどうだ?」
「いや、悪いからいいよ。せっかく兄弟ですごす時間なんだから」
「心配するな。金はとらねえから」
「そういうことじゃなくて……」
気兼ねする少女の腹がぐううと鳴った。
「食べ物もあると嬉しいかな」
顔を赤らめながら言う。
茶と、大量の菓子とがテーブルに並んだ。
「ところで名前はなんていうんだ?」
フーマが言った。
「俺はフーマで、こっちがユーマ兄さん」
「ミーナだ」
少女は名乗り、チョコレートをつまむ。
「あ、おいしい。酒にあいそう」
「よろしくな、ミーナ」
フーマは緑茶に砂糖をいれると、スプーンのささった小さな壷をミーナのほうに寄せてやる。
「なんでこの町にきたんだ?」
フーマがたずねる。
「いやあさあ、ここって何もないだろ」
「仕事だよ」
ミーナは砂糖の壺をユーマのほうに追いやる。ユーマはそれを持って階段をあがっていった。
「銃を使う仕事ってなんだ?」
フーマがきいた。
「悪いがそれは言えない」
ミーナが返す。
「お前たちには感謝してるけど、依頼主との約束がある」
「そういう事情なら俺も知りたくねえな」
フーマは話題を変える。
「じゃあ、首にぶらさげているリングについては? それって闘技場の参加者資格だよな?」
「よく気がついたな」
「さっき銃を直しているときに、ちらっとね。良かったら見せてくれないか?」
「別にいいよ。胸をのぞいたのもアニキには黙っていてやるよ」
ミーナは茶化すと胸元に手をさしこんだ。首にぶら下げたボールチェーンの先で、金色のリングが光った。
「どうだ、よだれが出るだろ?」
「たしかに最高だね」
フーマは目線を合わさずに言った。
「ほかにもう一種類、銀色のリングがあるんだよな?」
「よく知ってるな。もしかして闘技場に出たことがあるのか?」
「いいや。知り合いが持っているだけ」
フーマは手のひらにキューブ状のチョコレートを二つ置いて、それらが接触しないように転がした。
「大金が必要なやつは、誰もが闘技場を意識する。例えば上方衛星への移住権が欲しいやつとか」
「私はそうじゃないよ」
ミーナはチョコを二つつまみ上げて、フーマの手に乗せた。
「人を探しているんだ。そのために金が必要なだけ」
「誰かを探すのも大変なんだな」
フーマは手のひらに乗ったチョコをまとめてほおばる。
「俺の兄さんに聞いてみたら? ああ見えて顔が広いんだぜ」
「どうだろうな。もしかしたら死んでいるかもしれないし」
ミーナは顔を伏せた。黒いチューブトップの胸元で、金色のリングが揺れている。
ユーマが一階にもどってきた。
「お、それ見たことあるよ。たしか、ボスが同じものをもっていた。流行ってるのか?」
何気なしに言って、腰を下ろす。
「わかっていたことだけどさ、兄さんは世の中にうとすぎるよ」
フーマはため息をついた。
「だってさ、だからこそ誰もボスに逆らわないんだぜ。闘技場に参加して生き残っているやつは化け物。ローリンズのおっさんが一目おかれているのも、同じ理由からだ」
「へえ、そうなんだ。ローリンズさんがねえ」
ユーマは興味なさげに呟き、ミーナに視線をうつす。
「ところで闘技場にでると、なんかいいことあるの?」
「ん、そうだなあ」
ミーナは憮然としていた。化け物と形容されたことが不服だった。
「勝つと金がもらえる」
「シンプルだね。ええと、普通に働くよりも儲かるの?」
「あんたたちの稼ぎは知らないけど、ウェイトレスをやっているよりは儲かるよ」
ミーナは憎まれ口をたたく。
「知ってる、ウェイトレスの収入を?」
「よくは知らないけど、儲かるってことだね」
ユーマはしきりに頷いた。
「それで、その銃は誰かからのプレゼントなの?」
「そうだよ。兄貴からもらったんだ」
「それでか。記憶片の持ち主が、あんたに特別な感情をもっていたみたいだからさ。シェリング……変わった名前だね」
ユーマの言葉に、フーマの顔がひきつった。
「なんでそれを知っている?」
ミーナは身をのりだす。
「話した覚えはない」
ユーマは曖昧な表情をして、弟に助けを求めた。
フーマは居心地悪そうに膝をゆすった。
「なんで知っているんだ」
ミーナがつめよる。
「まさか兄の知り合いか?」
「たまにそういう記憶が逆流してくることがあるんだよね。珍しいことじゃない」
フーマが代わりに応えた。歯切れは悪い。
「あんたは記憶の商人じゃないから知らないだろうケド」
「兄のことを知っているなら教えてくれ。そのためにここまできたんだ」
「知らねえよ。あんたの勘違いだ」
フーマは、残っていた茶を飲み干した。
「そういえば、だいぶ暗くなってきたな。この辺は物騒だから、早く帰ったほうがいいんじゃない?」
ミーナは不承不承というふうだったが、提示された金額をはらって帰った。
玄関を施錠したユーマは、弟の顔色をうかがう。
「ごめん。マズいこと言ったよね?」
「いいんじゃねえの。この町からも離れるんだし」
フーマは急須から茶をいれて、喉を潤おす。
「むしろいい方向に転ぶかもしれない。あいつは俺たちを上に連れていってくれるかもよ」
表の看板は昨日から閉店のままだった。しかし、来るはずのない客がやってきた。
カトーだった。肩で大きく息をしている。
「アジトにもどれ」
「どうしたんですか。特大のゴキブリでも出ましたか?」
ふざけるフーマに、カトーは淡々とした口調で告げる。
「ああ、でけえのがぞろぞろとな。隣町のヤツがこぞって押し寄せてきやがった。腕の立つヤツらはボスに同行していて、どうにも手に負えねえ。チクショウ、最悪の日だぜ」
「ギャングですか。そいつは面倒ですね」
「すぐに来てくれ。ローリンズさんも駆けつけてくれたんだけど、『ユーマたちを呼んでこい』って。頼む、助けてくれ」
カトーは丁重に頭を下げた。
フーマの顔つきが変わる。
「らしくねえぜ、カトーさん。あんたが俺に頭を下げるなんて」
「仕方ねえだろ、それぐらいしかできねえんだから」
カトーの声に感情がこもる。
「弱え俺じゃあ、家族は守れねえんだ」
「家族か」
フーマは目を細めた。
「オッケーだ、カトーのアニキ。報酬はチョコレート十年分でいい」
「恩に着るぜ。糖尿病に詳しい医者も紹介する」
カトーは礼を言うと、脇目もふらずに去っていた。
「チャンスかもな」
フーマがにやけた。
ユーマはこくりと肯き、ククリナイフを腰に下げた。
アジトに近づくにつれ、あたりはざわついていった。流れ弾を恐れた町民が、二人と逆方向に逃げていく。
たえまなく銃声が響いていた。焦げたニオイが鼻をつく。ギャングの拠点である洋館から煙があがっていた。
アジトは高い石塀で囲まれており、その上部に有刺鉄線がはりめぐらされている。
鋼鉄製の正門は開いており、外には銃をもった男たちがたむろしていた。見たことのない面々だった。隣町のギャングだろう。
二人に気づいた者が拳銃をむけてきた。ユーマ達は両手をあげて、そそくさと路地へ逃げこんだ。
「やっかいな仕事だぜ」
フーマは両の手に、それぞれ拳銃をもった。
「兄さんは奇襲をかけてくれ」
ユーマは親指をたてて了承すると、身軽な動きで民家の塀を乗りこえた。
フーマは数秒待ってから、もといたほうへ飛びだす。
銃をかまえた男が二人、接近していた。二丁拳銃をどてっ腹にぶちこんだ。右側の男が即座に倒れた。もう一人のほうは、くずおれそうになりながらも撃ち返してくる。
フーマは身を低くして突進する。敵の弾は当たらない。記憶片が相手の弾道を予測していた。ゼロ距離で頭を撃ち抜かれた男はのけぞって倒れた。
正門にいた敵の一団が異変に気づいた。銃口がフーマのほうに集まる。
フーマは踵を返して裏路地に逃げこんだ。さきほどまでいた場所を銃弾が襲う。石畳が砕け、粉が舞い上がった。
フーマは路地をつっきってアジトの裏へむかう。T字路を右に曲がったとき、追手が撃ってきた。奥にある土壁に、多数の銃弾が突き刺さった。
フーマはジャケットから手投げ弾をだして、きた道に転がす。
爆ぜた。
数秒待ってから通りにもどる。たちこめる煙にむけて両手の銃を乱射した。しばらく撃ったところで、また物陰に隠れる。
息を整えながら待った。相手は撃ち返してこない。
呼吸が落ち着いた。突然、角から人影が躍りでた。フーマは銃をかまえたままバックステップをとる。
「久しぶり、兄さん」
「表は片づいた。本隊は中にいるみたいだ」
ユーマはククリナイフを服の裾でぬぐった。白いシャツがまっかに濡れた。
「俺は正面から行く。フーマは裏から回れ」
フーマは警戒しながらも急いだ。途中、誰とも会わなかった。死体すら見当たらない。敵は正面から攻めて来ているらしい。
裏口に着くと、ローリンズがドアにもたれるようにして立っていた。
「何やってんだよ、ダンナ」
フーマは言った。
「止血してんだ。見りゃわかんだろ」
ローリンズは負傷していた。血で黒ずんだタンクトップの腹を押さえている。
「おめえこそなんだ、朝飯でも食いに来たか?」
「おっさんが俺たちのことを呼んだんだろうが」
フーマの表情が強張る。ローリンズの周りには血だまりができていた。
「そういや、そうだったな。こっちにこい」
フーマは言われるままに近づいた。すると、ローリンズが銃を抜いた。
空底が前後した。フーマの遥か後方で、銃をかまえた男が倒れた。
「てめえは呼んでねえよ」
ローリンズはあぐらをかいた腿に銃を置いて、軍パンのポケットをまさぐった。
「選別だ。とっておけ」
銀色のリングをフーマに握らせる。
「闘技場の参加証。どうして俺に?」
「とぼけんな。おまえら、逃げ《バックれ》るんだろ」
「だとしてもだ。これはおっさんの勲章だろ」
「使う予定がねえんだ。それに、おまえなら役立ててくれると思って」
「冥土のみやげってやつか。えらく謙虚じゃねえの」
「ちげえよ、くそガキ」
ローリンズは満面の笑みをみせる。
「俺は繊細なんだ。こんぐらいで死ぬほど、粗雑な作りしてねえよ。なんなら、今すぐポエムを読んでやってもいいんだぜ?」
「あいかわらず、悪趣味だな」
フーマは返した。
「オッケー、これは預かっておくよ。そのうち返しにくるから、それまでに詩集を作っておいてくれ」