底
まどろんでいく意識の底で、俺はスクラップマウンテンに辿り着いた。腰に下げたリボルバーが重い。せおった月が赤銅色に焼けている。大気に温度はない。
「よお、みんな。記憶の商人って知ってるか?」
ゴミ山からの返事はない。俺は故郷に嫌われてしまったようだ。
「つれねえな」
ひとりごちた。背中が燃えているのを疑えるほどに、月が俺を見下してあるのを強く感じた。
「返事ぐらいしろよ」
足もとにあった石ころを放り投げた。ゴミ山の肌にひっかかったのか、石は落ちてこない。眼前にそびえたつゴミ山が、俺を押し潰さんばかりにせりだして見える。俺は何かを恐れているようだ。その正体は分からない。いったい何に怯えている。
「返事ぐらいしろよ」
なにがそんなに気にいらないのか、甲高い声で叫んだ。
「くそったれが」
体がいうことを聞かない。すべての言動が自動的におこなわれている。
一匹の羽虫が目の前をよこぎった。スクラップマウンテンを埋めつくしていた虫だ。行き先を目で追う。ゴミ山の奥へと消えていった。俺はそのあとを追った。
道程は困難だった。無作為に積み重ねられたゴミ山に、人間の通り道など用意されていない。数歩のぼるたびに足場が崩れて、冷や汗をかいた。
山の頂上に立った。荒涼とした景色が広がっていた。うっそうとただよう霧のむこうに、ぼんやりと稜線が見えている。山脈は昔よりも成長しているようだった。鼻をつまむほどの臭気はない。町よりも清潔な印象さえ受けた。
「俺をひとりにしないでくれ」
無意識につぶやいていた。
「なんのために、ここまできたんだ」
ぐらぐらと音がして足場がゆらいだ。足もとのゴミ山が崩れた。抵抗できない流れにのって、体が下方へと運ばれていく。
下敷きになってたまるかと、俺はゴミの流れを泳いだ。上流からきた金属が顔や手を傷つけて、ブランド物のコートを切り裂いた。大きな存在にもてあそばれるのは虚しい。なんのためにここまできたんだ。自らの抱える怯えの正体が、わずかだが掴めた気がした。
無我夢中でもがいているうちに、流れがおさまった。起きあがって周囲を見回す。ずいぶん奥まで流されたようだ。ゴミ以外のものが見えない。持ってきておいたハンカチで口をおおってから、月の位置をたしかめる。天頂高くにあった。
俺はさらに奥を目指した。
羽虫に巻かれながら歩いていると、殺気が迫っているのを感じた。すでに包囲されている。奥に進むにつれて、追ってくる気配が増えていった。おそらくは野犬だろう。あいつらは頭が回るので、自分より強いものを襲わない。そういう場合、相手がくたびれるまでついてきて、弱ったところを急襲するのだ。
どうしようもなく心細い。ボスの顔がふと思い浮かんだ。彼女のきれいな指先が懐かしい。リボルバーのグリップを握りしめる。手になじんだ感触ではなかった。これは俺の銃じゃない。ミーナの持っていた、あいつの兄貴の銃だ。
ややあって、生まれ育ったテントに到着した。粉塵がつもったせいでテントは骨組みごと潰れていた。併設された小屋は無事だった。
「何をしているんだ」
背後から声がした。振り返ると、じいちゃんがいた。
「あんたが記憶の商人か?」
俺はきいた。
「はて、どこかで会ったかね?」
じいちゃんはきょとんとした。
「記憶を消してほしい。上方衛星への移住権と交換だ」
俺の手には、『to Blane』と刻印された金属のカードが乗っていた。磨かれた表面に、小さいころの俺の顏が写りこんだ。年は十二才くらいだろうか。じいちゃんと暮らし始めたころの姿だ。
記憶の回廊を抜けると、大小の線が縦横無尽にはりめぐらされた空間があった。線のあいだには、霞がかった白い球体が無数にただよっている。いくつかの球体がホタルみたいに点滅した。お互いにメッセージを送っているようだった。球体のひとつひとつは、カプセルで眠っている他の人たちだろうか。
自分の体を確認しようとするが、方法がわからなかった。推測だが、俺の肉体はすでに存在していない。蓋然的にいって、まわりを飛んでいる白い球体と同じありかたをしているはずだ。他己との明確な境界をみいだせないが、なぜか一個としての自覚は残っている。不思議な感覚だ。ここでは誰もが他者をこばむ理由をもたない。
――おかえり、ユーマ
遠くにある白い球体が、こちらにむけて瞬いた。
「ただいま、じいちゃん」
俺も点滅した。どうしてか相手の正体を確信できた。
「ずいぶん大きな家だね。となりの家も見えない」
対話相手との距離を問題にしない点は、なかなか便利だ。
――そうだろう
じいちゃんは消灯し、またすぐにあらわれた。
――よくここまでたどりついたね。長く孤独な旅だったろう?
相手との位置関係はわからないが、さきほどよりも近くに感じる。
「つらくはあった。でも、とても短い道のりだった」
――それは良質な経験をしたからだろうね。すばらしい時間こそ、すぐに過ぎてしまうものだから
「途中でフーマが死んじゃったんだ」
――知っているよ
じいちゃんがうつむいた気がした。
――おまえがここにくるまえに、フーマと会ったからね
「本当に? あいつはどこにいるの?」
――心配しなくてもいい。この空間のどこかを飛びまわっているだけだよ
「そっか。あいつらしいね」
俺は明光した。フーマに会いに行くのは後だ。今は聞くべきことがある。
「この空間はどういう場所なの?」
――ブレーン・システムと呼ばれる記憶の集積場だ。そうだな……順番に説明したほうがいいだろうね
じいちゃんの話によれば、大昔には全人類が上方衛星に住んでいたらしい。その中から下方衛星への調査団として派遣されたのが、俺たちの先祖だという。もともとは人間にも、他の動物のように〝脳〟や〝肉の体〟があった。だが、下方衛生の環境に、肉の体では適応できなかった。そこで現れたのが記憶片に個々人の意識を記録する技術だった。
――記憶の商人には特別な使命が与えられた。記憶片に蓄積された情報を上方衛星に持ち帰ることじゃ。……といっても、ブレーン・システムに繋がられた記憶片の情報が送られるだけだ。本当に行くわけではない
俺とフーマを育てた理由についても教えてくれた。記憶の商人の絶対数を増やすためらしい。カプセルの中で眠らされた人間から記憶片を取り出し、ブレーン・システムへ繋ぐことが記憶の商人の本分だという。俺の体もまた、スクラップマウンテンの地下にある施設で保管されているらしい。
世界の仕組みについてはおおかたわかった。次は、俺の頭にある記憶片は誰のものなのかをハッキリさせる必要がある。
「じいちゃん、俺はいったい誰なの?」
――それは私が聞きたい。ユーマ、おまえはどうして自我を持っているんだ?
じいちゃん曰く、俺の頭にある記憶片は複数の人格情報をまとめて保存するための器に過ぎないらしい。それを酔狂で人間の身体に移植してみたところ、いつのまにか自我が芽生えたという。
――おまえが急に子供だったフーマを拾ってきてね。そのときからだな、おまえが個体としての自己を認識し始めたのは
遠くにある球体が楽しそうにまたたいた。最果ての座標で、知らない誰かが消えるを感じた。おそらくそれは、俺の待ち人だと思う。
――わしは一度、下方衛星に帰ろうと思うが、おまえはどうする?
「帰ったら長生きできないんじゃなかった?」
――そうだね。たしかに無は無限だが、故に不自由だよ。一番良くないのは茶が楽しめないことだ
「そっか。俺もボスやミーナに会いたいな。あ、ボスとミーナってのはね……」
俺が説明しようとすると、じいちゃんがピカピカと笑った。
「何かおかしかった?」
――いいや。おまえにも友だちができたんだと思って。……そうか、己とは関係性の中にいて認識されるものだったな
「じいちゃんの話はあいかわらず難しいや。それよりもひとつ頼みがあるんだけど……」