シェリング
「ユーマ、何か言いたいんだ?」
ミーナがいった。
俺は対岸のゲートに立つシェリングを指さした。
シェリングは、両手にそれぞれ大口径のハンドガンをかまえている。開幕のゴングを鳴らす者はいない。俺は前方に飛び出してトリガーをひいた。
殺してやる――
フーマの殺意が、どす黒い弾丸になって飛んでいった。
シェリングは首を横にかたむけて、右手にある銃を撃った。俺は側方にころがって、銃弾の軌道からはずれた。斜め前方にある樽が、木屑を吐きだしてはじけ飛んだ。
俺が体勢を立て直すよりも早く、シェリングは狙いを修正してきた。シェリングの操る二丁拳銃は目まぐるしく火を吹いて、周囲の障害物を蹴散らしていく。
俺はほうほうの体で、鉄板の裏に逃げこんだ。しかし、すぐに移動を余儀なくされる。ぶあつい鉄板をつらぬいて、相手の弾が飛んできたのだ。ほほの肉をえぐられて、強い痛みを感じた。どれだけの怨念をこめれば、一発の弾丸がこれほどの威力をもつのだろうか。そもそも同時にふたつの銃を扱う人間なんて、フーマ以外に出会ったことがない。シェリングという銃士は間違いなく銃に愛されている。
根元的な恐怖に縮こまる筋肉を叩き起こして、俺は闘技場のはじっこまで駆けていく。とにかく今は、銃撃をこちらに集中させねばならない。足を止めずにリボルバーを連射する。
助けてよ――
フーマの抱えていた恐怖が、実弾となって相手にむかう。
シェリングは、右手にある白い銃を顔のまえで寝かせた。先端にむかって太くなっているバレルが、青白い火花をいくつも散らせた。弾道を精確に予測できるらしい。俺だけの専売特許だと思っていたのに。やっかいな相手だ。
俺が壁ぎわまで到達すると、シェリングは撃ち返してきた。手数に任せた面での攻撃。逃げ場はない。俺は呼吸を深くして銃への感応を高めた。
助けてくれてありがとう――
フーマの戦闘経験が俺の体内に流れこんできて、相手の弾道を正確にしめした。リボルバーがひとりでに動き、上下に散らされた弾丸をすべて防ぎ切る。あたりを包んでいた闇が晴れて、なまっちょろい少年の手が伸びてきた。それは、大昔にケージからフーマを取りだした俺自身の手だった。
「それは俺のセリフだ」
俺はひとりごちて、無作為に敵を撃った。シェリングの前にあった木箱が破裂した。舞いあがる木片を無視して、相手は二丁拳銃を乱射する。
やられる前にぶっつぶす――
フーマは迎え撃つことを望んだ。
「上等だ」
俺は両足をふんばって、片手で撃鉄をはじきつづけた。
リボルバーが高速回転し、百の弾丸がはなたれた。空中で交錯した弾丸が、上へ下へと暴れまわる。四方から襲ってくる悪意の群れを一匹残らず撃沈した。
おまえとは以前にも戦ったことがある。なんで今は二人なんだ――
空間をへだてて、シェリングの声が届いてきた。こんなことは初めてだが、ありえないことではない。記憶片が相手の動きを予測するメカニズムは、同一空間にある記憶片――銃に埋めこまれたもの、人間の頭のなかにあるもの――どうしの共鳴によるものだからだ。いいかえれば、これからどう動くかという未来の情報についてのコミュニケーションが、事前の予測を可能にしているのだ。
おまえは誰だ。いったい何人いる――
シェリングの混乱が、銃丸となってむかってくる。さきほどよりも弾速が遅い。使い手の動揺が武器に逆流して、その機構を抑制しているのだ。使い手の存在は、武器の性能を発揮するために不可欠ではあるが、ときにはこうして、銃がもつ本来の実力をさまたげる一因ともなる。
壊せ――
フーマが短くいった。乱れあう弾雨が空中で静止した。思考が加速していた。銃との共振が極限まで高まっているらしい。流星群のなかにいれられて、まわりの星たちと同じスピードで降っていくような心境だった。眼前には、こちらに弾頭をむけた三つの弾が浮かんでいた。このまま動かないでいれば、俺は死んでいただろう。
ぞっとしないまま、照尺をのぞいた。リンゴほどの大きさに見える山高帽を中心にすえて、引き金をしぼる。
食い殺せ――
浮遊した弾がジャイロ回転を始めて、本来ある世界の速度にもどってゆく。俺はやってくる弾を避けようと、首をすくめて身をこごめた。
完全には避けきれなかった。左耳に被弾した。溶解した金属を血管に流しこまれて、それが爆発したような熱さである。この痛みの大きさが、シェリングのもつ暴力性を表している。
体勢を崩して、側頭部を地面に打ちつけた。視界に星がとんだ。
銃が、手からすべり落ちていった。
どうしよう、壊れちゃった――
過去の映像が頭の中に流れこんだ。幼かったフーマが、じいちゃんの工房にある武器を壊して泣きじゃくっている映像だ。その修繕をおこなうのが、俺の日課だった。そのための才能など持ち合わせていなかったが、俺はすべての銃を直してきた。それこそが自分の役割だと信じて、必死で勉強したのだ。俺はもとから銃に興味があった訳ではない。ただ、弟のよろこぶ顔が見たくて、その拙いがゆえに心をゆさぶる称賛がほしくて、彼の目をあざむきつづけたのだ。
兄さん、これも直してよ――
フーマはときに、ゴミ山に迷い込んできた大人を殺した。あの頃のあいつは大人という存在を憎んでいて、反射的な殺戮を繰り返していた。しかしだからこそ、あいつは二丁の拳銃を扱えたのだろう。銃への感応は殺人衝動に比例する。それは長いメカニック経験から得た、俺だけが知る秘密だった。
これも直して――
残念ながら、俺に死体を蘇らせるだけの技術力はなかった。接続が切れた記憶片を肉体に繋ぐことができるなら、理論上、それは可能だった。技術者としての限界を悟った俺は、死体を遺棄して、自分の無能をひた隠した。俺の半生は、偽証と無関心とに占められている。この道筋にひとつでも真実があるのなら、干からびた荒野で握りしめたあの手こそが、それなのだと思う。俺の生涯における唯一の宝物は、弟との関係だった。けれど、俺はそれすらも手放した。
兄さんは、何もわかってねえよ――
いつからか俺は、あいつと距離を置くようになっていた。フーマが俺の背中を追っていたからこそ、壁を作ったのだ。あいつは俺の暴力性に憧れていた。それを追求した先にあるのは破滅であると、もっとちゃんと諭すべきだったのだ。フーマが闘技場で死んだのも、もとをただせば俺の責任だ。もっとちゃんと向きあっていれば、違う結果があったのかもしれない。
兄さんは俺を捨てないよね――
ああ、もちろんだ。薄れかけた意識に活をいれた。左耳をさわると、耳たぶの部分がそっくり無くなっていた。砂ぼこりのむこうに、金属の光沢が見えた。俺の銃だ。心臓がどくどくと脈打ち、冷たくなった右手に力がよみがえる。
「あたりまえだろ。俺たちはずっと一緒だ」
俺は自分に言い聞かせて、リボルバーに手をのばした。トリガーガードに指をひっかけて、ずるずると引き寄せる。
「まだやれるよな?」
銃身が輝いた。
「オッケー」
俺はグリップをつかんだ。バレルにある模様が、赤く、まぶしい。トリガーにかかる指先をとおして、その熱量が流れ込んでくるようだった。
「まだやれるさ」
立ち上がって銃をかまえる。
「まだやれるんだよ」
相手の姿をさがすが、見あたらない。
あっちだ――
フーマが叫んだ。
「ありがとよ」
俺はしめされた方向に走った。
遮蔽物をいくつか飛び超えると、シェリングの姿を見つけた。山高帽はかぶっておらず、短く刈りこまれた金髪があった。左手がダラリと垂れ下がっているのは、腕のどこかに被弾したせいか。頭を吹き飛ばされるよりはと、左手を捨てたのだろう。
遅かったな――
シェリングの声が、頭のなかに直接やってきた。ヤツの目をとおして、地面にうずくまるミーナを捉えた。
今すぐに撃っても間に合わない。それを理解しながらも、俺はトリガーをひいた。が、弾はでなかった。引き金が驚くほど軽い。円筒形の弾倉が、からからと空転した。
大丈夫だ、兄さん――
爆発音がして、シェリングの腕が蛇鞭のようにはねあがった。
内側から食ってやった――
リボルバーがからからと空転した。さきほどヤツの左腕にささった銃弾が、今になって爆発したのだ。シェリングが膝をついた。左の肩口から煙があがっている。
ざまあねえな――
弾倉から、これまでにないエネルギーを感じた。
次のは、とっておきだ――
銃口から、赤い液体が流れだした。能力を酷使しすぎているからだ。記憶片の死が近い。
フーマに命じられるまま、俺は引き金をしぼった。六発の実弾が、砂ぼこりをかきわけて直進していく。反動の大きさに、両手が頭のうしろまではじかれた。
ほら、飛べ――
一発目の弾は力強かった。それは、近くにあった鉄板の中心をへこませながら、じりじりと押しこんでゆき、つぎつぎに遮蔽物をまきこんだ。そうしてシェリングの前にたどりついたとき、弾丸はリビングルームほどの大きさをしたかたまりになっていた。シェリングは跳躍し、頭上にある空中ブランコに着地した。
止まったら死ぬぞ――
二発目の弾は繊細だった。そいつは空中でまっぷたつに割れると、おのおのが空中ブランコの縄をつらぬいた。ブランコの椅子が、くるくると回転しながら落下してくる。そこに座るシェリングは態勢をくずしながらも、俺のほうに照準をあわせる。
俺はしつこいぜ――
三発目の弾は、ひどく優しかった。それはシェリングのかまえた銃にむかっていき、トリガーと、そこにかかる人差し指とだけを粉砕した。天井にならんだライトに照らされてまたたきながら、シェリングの銃は弧をえがく。
もういっちょ――
四発目の銃弾は、ゆったりと空を飛んだ。あまりに悠長なので、後方からきたせっかちな弾丸が、その尻を押した。接触したふたつの弾は、進行方向を変えて、落ちていくシェリングの右腕と、天井に到達しようとするハンドガンとを、それぞれ射抜いた。シェリングは呻きをもらして、頭から地上に墜落してゆく。
これでお別れだ――
最後に六発目の弾丸だが、これは意識的だった。青く蛍光したそいつは、銃丸にあるまじき蛇行運動をして、うずくまるミーナのまわりを飛びまわったのである。ややあって、ミーナが膝立ちになり、銃をかまえた。すると、六発目の銃丸はバチバチと電気をちらして、降ってくるシェリングへと突進していった。役目を終えた五発の弾丸が、その軌道上にひらひらと浮遊している。
ミーナが引き金をひいた。銃口からでた赤い弾は、六発目の弾丸と同じ軌道をとおって、シェリングの落下地点を目指した。このさい、浮遊している弾と接触して、ミーナの弾は速度を落とす。
シェリングは、右腕で青いほうの銃丸をふせいだ。着弾の瞬間、弾は爆発してその腕を粉砕した。
押しこめ――
こうしてがらあきになった額に、赤い弾頭が突き刺さった。後頭部から飛び出してくるものはない。赤い弾は、シェリングの記憶片に到達して速度を失なったのだ。
まだ死ぬな――
リボルバーを見ると、赤い模様が消失していた。俺はあいつの死に追いつけない。使い手を守るために自殺する銃なんて、いい迷惑だ。
決着がついたと実感したのは、観客席からの拍手を聞いたからだった。いつからそこにいたのだろうか。闘技場の壁をかこんで、ちらほらと人のすがたがあった。また、闘技場にある遮蔽物の裏から、俺が最初に引きずり落とした男が顔をだしていた。必死に逃げまわったのだろう。上等なスーツは砂まみれになっており、派手な金色のネックレスは無くなっていた。観客席から投げこまれたロープをたよりに、男が客席にもどる。他の客たちにとりかこまれて、彼は勇者のようにもてなされた。
「おにいちゃん」
ミーナが悲痛な声をあげて、シェリングに駆け寄っていった。白いキュロットスカートが、尻のかたちをならって汚れている。
あおむけに倒れているシェリングの横に、ミーナがひざまずいた。俺は彼女の後ろに立って、シェリングの顔をのぞきこんだ。
「おにいちゃん、起きてよ」
ミーナが、シェリングの肩をゆさぶる。
「ねえってば」
俺が知らない、甘えるような声色だった。
シェリングの口から、うぅと、うめきがもれた。まぶたが開かれて、赤い眼がのぞいた。
「おにいちゃん」
ミーナはシェリングの顔に手をあてて、自分のほうにむけた。
「私だよ。わかる?」
シェリングが目をしばたかせた。焦点は合っているのだが、自分がどこにいるのかを理解していないようだ。
「おにいちゃん」
ミーナがさらに繰り返した。
シェリングは、ああといって、上体をよじった。
「よお、ミーナ。オムライスでも食いにいくか?」
ミーナは顔をふせて、「うん、いこう。ずっと食べてなかったんだ」と返した。
「あんなに好きだったのになあ。人間、変わるもんだぜ」
シェリングは冗談めかしていうと、ミーナの後ろに突っ立っていた俺に視線をむけた。
「うわ、なんでおまえがいるんだよ?」
「知り合いなの?」
ミーナは、俺とシェリングとを交互に見ていった。
「いや、知らない」「知らねえ」
俺とシェリングとは、同時に返した。
疑うように目を細めるミーナに、シェリングはなだめるような口調をつかう。
「知らねえんだけど、ちょっと話しておきたいかな。たいしたことじゃないんだけど、確認したいことがあってさ」
「……わかった」
ミーナは引き下がって、俺に目配せをくれた。しぶい表情から、兄との関係がそれとなくうかがえる。彼女は少し離れたとこにある、木箱に腰をおろした。
俺はシェリングの横にひざまずいて、「手短にたのむよ」と言った。
「つれねえな」
シェリングは、ぼんやりと天井を見上げている。
「じゃあ単刀直入に……おまえの体はかつて俺が使っていた物だ。おまえは誰だ? どうして俺の体に入っている?」
唐突な告白に頭がついていかなかった。俺の返事を待たずにシェリングが続ける。
「身に覚えはなさそうだな。だったら、あのじいさんが悪だくみでもしたんだろうな。会ったことあるか、スクラップマウンテンに住む記憶の商人に」
思い当たるのは一人しかいない。俺は首肯した。
「たぶん上方衛星にいるはずだから、会って話を聞いてこい」