謎の記憶 1
場所:地球
授業中、俺は窓に映る風景を覗き込みながら考え事をしていた。
先ほど、先生からの質問に当たってしまったためもう選ばれることはないだろうということで思考はあのニュースへと移行してしまっていた。
いじめによる自殺のニュースが放送されてから一週間が経過した。
この一週間、俺の頭の中からそれは一度も離れたことがなかった。登下校中、授業中、家にいる時ですらも暇になればそれを考えてしまう。
ニュースを見たときに頭を流れた森も狼も。あれが何なのかはどれだけ記憶を探ろうとも答えらしきものは得られなかった。
「おーい、翔。次は体育だぞ。早く行こうぜ!」
景色を眺めながら思考していると、いつの間にか授業は終了してしまったらしく、生徒の皆は次の授業に向けての準備を進めていた。
「ああ、悪い」
机横にぶら下げていた体操着を持ち、皇と一緒に廊下へと出る。
「最近の翔は惚けてばっかりだな。いや、いつもか」
「ぼーっとしているのはいつものことだな」
「何かあったのかよ。そんな思いつめた表情をして。もしかして剣道部に入るかどうか迷ってくれているとか!」
「いや、それはない」
「あっさり断るな。だとすると他に何かあったのか?」
「いや、なんていうか。記憶にないことが突如として自分の頭の中を駆け巡る現象にあってるんだ」
「記憶にないことか。それってただ忘れているんじゃなくて?」
「狼に囲まれるっていう現象なんだがな」
「わお! それは確かに非現実的すぎて忘れなさそうな記憶だな。ああ、でも、その時のショックで記憶から消えてしまったってことはあるんじゃないか?」
「それは……一理あるかもしれないな」
「何だかファンタジックな記憶だな。今時狼に囲まれるとか日本じゃ絶対起きなさそう」
「だな。海外移住とか、した覚えないんだけどな」
「次の体育でいい汗かいてきっぱり忘れちゃうのが一番いいかもな。何だって、剣道なんだから!」
剣道という言葉を発した途端に、皇は「剣道、剣道」とメロディーに乗せながら上機嫌に歩いていく。
皇みたいに好きなことがあれば、俺もこんなことで悩まずに済むんだろうなと少し羨ましながら体育館へ向けて歩いていった。
****
剣道着に着替えた俺たちは先生の指示のもと各々練習へと励んでいく。
授業は男女合同。さすがに男子女子で相手をするということはないが、指導を受けるのは合同だ。
だからふと横を見れば、燈の姿が見られた。
燈は俺の視線に瞬時に気づき、目を合わせるが何を言うこともなく自分の場所へと歩いていった。
「ささ翔、早く始めようぜ」
竹刀片手に意気揚々としながら皇は俺の元へとやってくる。「はいはい」と生返事し、俺も自分の場所へと歩んでいった。
皇と正面向き合う形になり、竹刀を向ける。
居合刀とは違って、照明に照らされて光ることはないが、凛々とまっすぐに振舞われる刀に毎度のことながら魅了される。
刃物を見ることは恐れがたいことであるが、それでも刀好きというのは今も変わらない。
だからこそ、竹刀を見ると心なしか鼓動が高まっているような気分にさせられる。
とは言っても、剣道部に入ろうなんて気持ちは微塵もわかないわけだが。
「用意はできたか?」
心を竹刀に注いでいると不意に先生の声が体育館に響き渡る。ふと我に帰り、意識を目の前にいる皇へと移行する。
面で覆われているためはっきりとは見えないが、これから行われる試合に心躍らせているようで笑みを浮かべていた。それでも、目は獲物狩る猛獣のようだ。よほど、戦闘に飢えているようで今か今かと待ち惚けている。
「大丈夫なようだな。それではいくぞ! はじめ!」
合図とともに、皇は咆哮を打つとともにこちらへと竹刀を振りかぶる。
ムラのなく、精錬された動き。最初に打った咆哮により、相手より一歩先に出るそれはまさに部活の主将を任されるには十分なほどの実力が備わっていると言わんばかりだった。
こちらも負けていられないな。無駄がなく精錬された動きでも、繰り出す動作によって、時間はいくらでも縮められる。
だから俺は最小限の動きをすることで皇からの攻撃を防いでいった。
すかさず攻撃へと移行。皇の方はこれを予測していたのか竹刀を戻すことで逃れていく。
一度、互いに竹刀を交じらせる形になり、いがみ合いが始まる。
どちら先に攻撃を仕掛けるか。この距離だとカウンターを食らうと痛い。
先に攻撃を仕掛けてきたのは皇だった。素早い動きで面へと竹刀を持っていく。
思わぬ皇の動きに戦慄する。繰り出すタイミング、速さ。どれを取っても一級品だった。これでは、カウンターはできず、受けきる手しかない。
手首を使って、細やかな動きで面を受け切っていく。弾き返すことで一度皇から距離をとっていった。
どうやら接近戦でのいがみ合いはかなり不利な領域にあるようだ。それならば、今このタイミングで仕留めていくしかない。
「あかりっ!」
覚悟を決め、皇に一太刀浴びせようとした時、突如聞こえてきた誰かの焦り声に思わず反応してしまった。
視線を横へ向けると防具を被った女子生徒が一人尻餅をついている姿が見て取れた。
「殺っあああああああああああああああ!」
俺が一度、攻撃から離れてしまった隙に動きを見逃さなかった皇がこちらへと一閃を放つ。「余所見している余裕なんてないぜ」と言わんばかりの強く滾った一太刀だった。
食らう前に風が舞うのを感じた。思考を許すことなく真っ直ぐ俺の元へ突き刺さっていく。
だからだろうか。体は反射的に動いていた。
両手もちではあるが、竹刀を握る力は弱めで、相手の太刀を受け流すような形で横へと振るっていた。
竹刀と竹刀は互いを敵と認めていないようにぶつかることなく流れていく。次第に皇から放たれた一閃から覇気のようなものがなくなっていた。
俺は足を一歩前へと出すことによって、体制を立て直し、竹刀の向きを変えることで隙を見逃さないように皇に竹刀を振るっていった。
面に当たったそれは高音を放つ。それはまるで試合が終わるような合図を示していた。
「すっげー。なんだよ、今の技。教えてくれよ、翔」
皇は試合に負けたはずなのに悔しがりもせず、ただただ今起こった出来事に胸を高鳴らせていた。竹刀を振るう余韻がまだ残っているのか素早い動きで面を取り、声をかけてくる。
対する俺は皇の言葉に反応する余裕がないほど、今起こった出来事に驚きを隠せないでいた。
前と同様再び、疼き出す記憶。
この動作を俺は知っている。いつの日か同じことを俺はやっていた。
でも、いつだ。この前の体育の授業、違う。それなら皇がここまで驚いているはずがない。なら、授業外。これも違う。少なくともこの授業以外で俺が竹刀を振るうことなんてあるはずがない。
なら、いつ。俺は竹刀を振るったんだ。
一度、竹刀を見る。すると竹刀から別の何かが見えた気がした。
木で作られた黒い刀。竹刀に移った黒刀にはとても親近感がある。
瞬間、頭の中から様々な情景が映し出されていく。
緑色。人と同じように二足歩行し、木の棒を携えて迫ってくる彼ら。
さらに写し出される情景。
目の前に置かれた刀にそれを持ち俺に話しかけてくる筋肉質のおっちゃん。
全くもって実体験したことのない記憶。
いや、違う。
実体験したことのないはずの記憶だ。俺の動きは確かに物語っていた。この小鬼を倒した時に同じような動きをしたことがあった。
ないはずの記憶はいつしかきちんと脳へと注ぎ込まれていた。ないものがあるものへと移り変わる瞬間。俺の心にしんっと染み渡っていく感覚。
悩んだ末に記憶の奥底から蘇っていく爽快感に俺は今襲われていた。
俺は確かに狼に遭っていた。夜空に光る月が綺麗に見える森の中で彼らと戦っていた。
そして、彼らの血を見て気絶した。
あの時のニュースの少女もそうだ。あの少女も確かにこことは違う別の世界で生きていた。そして、死んだんだ。
「おーい、翔。大丈夫か。翔くーん」
返事のしない俺に皇が何度も声をかけてくれるが、それでも返事をすることができないでいた。
違う世界の存在を知り、この一週間思い悩んだ事柄が解決した今でも、目の前に起きた異常な現象に戸惑いなんて消えるはずはなかった。