いつもの日常 2
家に帰るとリビングいた千恵が慌ててこちらへとやって来た。
「ただいま」の挨拶をかわしつつ、買って来た食材を千恵に渡した。
「じゃあ、今から作るから待っててね」
そう言って、キッチンに足を運んでいった千恵。俺は洗濯物をたたんだり、掃除をしようかと思ったが、どちらもすでに終わっていた。
さすがは我が妹。まさに主婦の鏡だ。
料理の手伝いをすることはできないため千恵には悪いが、テレビをつけてソファーでゆっくりさせてもらうことにした。
バラエティ番組を何となく見つつ、時間を潰した。
テレビで行われていることよりは後ろで千恵が鼻歌交じりに料理をしてくれている方に意識がいってしまう。
「お兄ちゃん、できたよ!」
その声を聞いたところでソファーから立ち上がり、颯爽と夕飯の準備を始めた。
生姜焼きの香ばしさに食欲をそそがれる。
ご飯の盛り付けなどを手伝ったところでいつものように二人で「いただきます」をして食事を嗜んだ。
あまり高級な肉ではないものの、千恵の腕で味は格別なものへと変わった。俺から言わせてもらえば、店で食べる肉よりも千恵が作ったものの方が百倍うまい。
その美味しさが食べるスピードに比例し、いつの間にか肉は全て無くなっていた。
「おかわり欲しい?」
向かい側にいた千恵が不意にそんなことを聞いてくる。どうやらもの寂しげにしているように見えてしまったらしい。
「まだあるなら欲しいかな」
「そっか。じゃあ、はい!」
千恵は自分の皿に乗った肉を箸で掴み、俺の口元へと持って来た。このまま食べろってことだろうか。
「いいのか? 千恵の分を取ってしまって」
「うん。だって、お兄ちゃんが食べたいって言ったものだから。私は美味しそうに食べているお兄ちゃんを見ていればそれだけで満足なんだ」
「そっか。じゃあ、お言葉に甘えて」
千恵が差し出した肉をいただくことにした。先ほど食べていたものよりも美味しく感じるのは気のせいではないだろう。
やっぱり、千恵と一緒に過ごす時間は一番落ち着く。
夕食を食べ終えると二人で食器洗いを始めた。千恵が洗った皿を俺が拭く形だ。
それから千恵はお風呂へと入り、俺は再びテレビを視聴していた。バラエティ番組を見ているが、正直面白さがどこにあるか全くわからなかった。
「おさきにー」
パジャマ姿の千恵がさっぱりした表情で俺の横に腰をかける。水を浴びたことによって、肌が艶やかになったからか千恵に色っぽさが増した気がした。
だが反対に、ポカーンとした表情を浮かべて心地好さそうにしている姿は子供のようだった。
次は俺の番かとソファーから立ち上がり、リビングを出て行こうと扉まで歩いていく。
『では、続いてのニュースです。本日夕方ごろ、少女がお風呂場で腕から血を流して倒れており、搬送先の病院で死亡が確認されました。原因は学校によるいじめであることが少女の書いた遺書から判明しました』
俺は「学校によるいじめ」という単語につられ、リビング出る前にテレビの方へともう一度視線を向けた。
ニュースキャスターが読み上げた刹那、すぐにある一枚の写真が映る。
幼い少女の写真。きっと自殺をしたこの写真だったのだろう。だいたい小学校中学年の写真といったところだろうか。
そこで俺は心臓が疼くのを感じた。
俺はこの少女を知らない。それは確かなことで、嘘偽りはない。知り合いでもなければ、面識すらもない。記憶のどこを探ったとしても少女が出てくる気配はなかった。
なのに、なぜこんなにも親近感が湧くのだろうか。
今度は脳に電流が走るような衝撃が襲う。頭痛に見舞われ、思わずその場で座り込む。
「お兄ちゃんっ!」
座った時の音によって、千恵が何かを察したのかこちらを覗き込むとともに駆け寄って来た。
「大丈夫? ひょっとしてテレビを見て気分を悪くした?」
心配そうな表情でこちらを覗き込む。
『学校によるいじめ』『流した血』というのは今の俺にとっては過去のトラウマを生み出す引き金になる。それを察知して声をかけてくれたのだろう。
だが、俺はそれよりも別のことに意識が集中してしまっていた。
周りを囲う木々。こちらに迫りくる狼の群れ。手に握られた光り輝く刀。
それが何を意味しているのか全くわからない。
こんな体験をしたことなんてない。今見えている映像は一体何なのだろうか。
千恵は返答をしない俺の背中をさすりながら「大丈夫、大丈夫」と唱えてくれた。
優しい声音で唱えられることによって、自分の心が落ち着きを取り戻し始めるのを感じた。心臓の鼓動は正常へと戻っていき、頭痛も引き始めていく。
「ありがとう、千恵。だいぶ落ち着いて来た」
「本当に? 無理しなくていいんだからね」
「いや、千恵が横にいてくれたからもう平気さ」
「そっか。なら良かったかな。でも、また辛くなったら言ってね」
「うん。そうするよ」
「お風呂一緒に入ろうか? 今日は一緒に寝ようか?」
「大丈夫大丈。さっき入っただろ」
「そうだけど、でも心配だから」
「その気持ちだけで十分だよ」
千恵はそれでも、心配な顔を俺に向ける。目を潤わせ、キラキラさせる。思わず、千恵の姿に惚れ、頼ってしまいそうになるが、自分を押さえ込む事で俺はリビングを出ていった。
それにしてもさっきの映像はなんだったんだろうか?
頭の中で反芻させようと思ってもうまく思い出すことはできなかった。
自身の経験のない事柄。それがなぜ今この時に頭の中に浮かんだのか皆目見当もつかなかった。
結局それ以降は特に何もなく、眠りにつくこととなった。