エピローグ
場所:地球
大会当日。
開始時刻少し過ぎてから俺は会場へと赴いた。
下手に開始前に行くと知り合いからの注目を浴びかねない。とは言っても、もう数年前の話。俺のことなんて忘れ去られている説も考えられるが。
昔はよく見た市民体育館に懐かしさを覚えつつ、中へと入っていく。
ロビーでは道着を着た人がチラチラ見える。自分の番が近いのか体をほぐしたり、精神統一をしている様子だ。張り詰めた体育館内のよりはこっちの方がリラックスできるのだろう。
彼らの様子を片目で見つつ、階段を使って観覧席のある場所へと向かっていく。
階段を上がり終えると場はより一層静まり返っていた。
聞こえるのは指示をする図太い大きな声のみ。
観覧席へと着き、競技場の方を覗くと真剣な表情で刀を振る者達とそれを見つめる審判の姿が目に入る。
まだ一回戦だからか多少動作に荒のある様子が見られる。それでも、真剣に振るうその姿は見ていて心地の良いものだ。
そのタイミングで胸を踊らされた。そういえば、刀を見ていてもなんとも思わない。前なら乱れた呼吸もしっかりと普段通りに働いていた。
クラチェンフォートに転生させられてからの自分の成長に思わず歓喜してしまう。昔の輝いていた自分に近づけた気がした。
燈から大体自分がやる時間を聞いた。それまでは他の選手の様子を見ることにしよう。今の燈ならば、少なくとも決勝に近いところまでは行くのではないだろうか。
ログアウトしてから燈がどんな型を見つけたのかはわからない。今日この時のために俺はあそこに一度も赴くことはなかった。
きっと良いものになっているだろうと楽しみで仕方がない。
「どうやら、来てくれたようだな」
競技場を眺めていると俺の横に座った者がそんなことを言った。声からして誰かわかった俺はそちらへと顔を向ける。
「燈と約束しましたからね」
俺の言葉に穏やかな表情を男は浮かべた。普段は稽古中と言うこともあってか張り詰めた表情や口調だが、今はさっぱりと消え失せていた。
「良いんですか、ここにいて。自分の教え子の様子を見なくても」
「なーに、ここでも見ることはできるさ。それに今は誰も審査を受けていないからな」
だから張り詰めた表情をしていないわけか。
「久しぶりに見た感想がどうだ? 息苦しいのはもう大丈夫なのか?」
「もう大丈夫みたいです。今はただ懐かしい思いに駆られているだけですよ」
「それは良かった。だが、どうして克服できたんだ?」
「秘密です」
「ほう、元師匠に秘密ごとなんて感心できないな」
「たまにはそう言うのも良いじゃないですか。人に言えないこと一つや二つありますよ」
「様子を見る限り悪いことではないのだから心配はなさそうだな」
「そうですね。悪いことではないです」
「お前と言い、燈と言い、俺の知らないところで劇的な変化を遂げるのはなんだか気に入らないがな」
「燈の型良いものになりましたか?」
「自分の目で確かめてみろ」
「かなり嫉妬してますね。語尾が強いですよ」
「ふっ。俺の知らないところで色々とやった罰だ。今日はお前にも教え子の型について感想を聞かせてもらうぞ」
「わかりました」
「どうやら、噂をすればみたいだったな。次は燈のようだ」
男は顔を引き締め、競技場を覗く。俺も釣られるようにそちらへと顔を向けた。
前に道場で稽古していた様子を見ていたことですぐに要望を見つけることができた。
始まる前の初動作はゆっくりとした中に生々と感じさせるものがあり、調子の方は悪くないようだ。
刀を腰に携え、前をむく。
抜刀。鞘から抜けた刀は迷うことなく、自身の描く軌道を伝って行く。
その動作だけを見て。心の中が澄んでいくのを感じた。
無意識のうちに拳を握る。もっと見てみたいと思わされた。
刀を振り下ろし、血を払ってからの納刀。それらが全て理想の軌道を伝って、行われていく。
動作の美しさだけではない。燈の見据える先には確実に敵となる存在がいて、奴を倒すための刀さばきを行なっている。だから自然と刀は倒すための軌道を描いている。
ここからは技の方に入っていく。
一度納刀し、後ろに下がったところで再び抜刀。
以前道場で見た時の燈とは別格だ。振り下ろしも振り上げも全てが迷いのないしっかりとした形になっている。
鼓動の高鳴りを感じる。呼吸が荒くなったのは、刀を見るのに恐怖を感じているからではない。
燈の成長が歓喜している証。あれだけ迷い詰めていた彼女が今、自信を持って刀を振っているその姿に感嘆させられている。
これがあいつの持っている本来の力なのだろう。
全ての動作が終わった。
礼をして、審判が勝敗を決める。迷うことなく、燈の勝ちだった。
「どうだった?」
試合が終わったところで男は俺に感想を聞かれる。少しの間、頭の整理をするために沈黙が走った。胸の高鳴りは未だに抑えられない。
「ただ率直に心動かされました。まさかここまで上達していたなんて思ってもみませんでしたから」
今、戦ったらもしかすると負けていた可能性が高い。今の燈ならば、技の一つ防がれたくらいですぐに立ち直してくるだろう。
「あいつから負の部分が消えたことで動きのわずかなズレがなくなった。それからしっくりきたのか日をまたぐたびに上手くなっていった。あいつ自身の表情にも曇っていた者がなくなったからな。俺にはよくわからないが、お前のおかげなのだろう」
「そんなことはないですよ。俺は師匠に言われた通り、自分の尻拭いをしただけですから。あの域にまで達したのは燈自身の成果です」
「で、どうだ? 燈の技を見てお前自身はこれからどうしたい? 戻ってこなくならなかったか?」
「今はまだやめておきます。でも、少し前向きに検討してもいいかもしれないとは思いました」
俺自身まだクラチェンフォートからログアウトすることはできていない。それに千恵を一人にするのも憚れるしな。だからまだ居合道に復帰するということはできない。
でも、ある程度今の環境が安定してきたらその時は。
「そうか。楽しみだな。お前なら今の燈が到達した、その先の景色を見せてくれると思っているのだが」
「買いかぶりすぎですよ」
でも、もしその日が来たら俺はこの男のことをまた『師匠』と呼ぶのか。なんだかむず痒いな。
「そんなことはないさ。でも、ひとまずは翔が一歩踏み出せたことを祝福しないとな。おかえり」
男は手をこちらへと向け、拳を握った。
「まだ完全ではないですけどね」
『ただいま』ということはできないが、男が握った拳に俺は自らの拳を突き出した。
****
大会は燈の優勝で終わった。
最初の動作を見たところで察しはついていたが、実際にそうなってくれてホッとした自分がいる。
大会が終わったところで道場の子供たちと反省会をするため師匠は去っていった。
俺はロビーで飲み物を買って一息つく。
燈の成長は著しかった。前に道場で見ていた彼女も動きは洗練されたものだったが、刀を振る動作に何か負のものが見られた。それが今日の大会では綺麗にな
くなっていた。
クラチェンフォートでの俺の行動が報われた気がしてなんだか嬉しかった。久しぶりに人のために何かできたんだな。
ずっと叶えられなかった母との約束。俺はようやくヒーローになれただろうか。
いや、きっとまだだな。俺が誓ったのはスーパーヒーローなんだ。だからクラチェンフォートもその一歩として、レベルが一つ上がったのだろう。
「翔くん!」
感慨に浸っていた俺はソプラノ調の声によって、現実に引き戻される。
遠くの方から道着を着たポニーテールの少女がこちらへとやってくる。
まだ飲みかけの缶をその場に置き、立ち上がる。
目の前まで来た少女、燈は額に汗を垂らしながら俺の方を覗いた。手には賞状を持っていた。
燈は潤った瞳をこちらに向ける。大会の時とは違い、力強い目にはほんのわずかな不安が見られる。
俺はそんな燈に少し穏やかな表情を見せた。
「優勝おめでとう」
「あ……ありがとうございます」
高鳴った鼓動を戻すようにため息をし、微かな吐息を混ぜて反応した。
「その……翔くんはどうでしたか。私の型を見て」
でも、大会の優勝なんて今の彼女には通過点に過ぎないのだろう。優勝できた今、自分の型が俺に届いたのかどうかそれが知りたいのだ。
俺がどう思ったのか。決まっている。
燈の不安を取り去るように手を彼女の頭へと載せる。
「とても良かった」
そう言って、彼女の頭を撫でるように手を揺すった。
瞳が開いていくのが見える。目尻からは止まらなくなった水達が溢れ出てくるように姿を現す。
「良かった、良かったです」
溢れ出た涙を気にすることなく顔をこちらへと向けていた。
今まで募っていた思いがはじけた瞬間。俺は彼女の背負っていた重荷をより一層感じた。
だから口を綻ばせながら俺は燈に届くかわからない静かな声でそう言った。
「ありがとう」
〜Fin〜




