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いつもの日常 1

場所:地球


 照らされる光の眩しさで瞼が開いた。

 視線を窓側へ向けると太陽が凛々と輝いている。天気はどうやら快晴のようだ。

 

 鮮明になっていく意識。体を起こすといつもの風景が広がっている。

 勉強机に、ハンガーにかけられた洋服。勉強机の棚には授業で使う最低限のものしかなく、部屋全体としては質素なものだった。


 ベッドから起き上がると俺は朝の用意を始めていく。

 何か夢のようなものを見ていた気がしたが、全く思い出せなかった。


「お兄ちゃん、おはよう」


 リビングに入ると妹の『千恵ちえ』が声をかけてくれた。

 黒髪ショートヘアにまん丸で透き通った瞳。全体として細身が特徴的だ。年は俺より三つ下だ。


「おはよう」


 挨拶を交わしたところで洗面所に入って顔を洗った。

 再び戻った時には食パンが机の上に置かれていた。千恵が用意してくれたものだ。


「いつも悪いな」

「うんうん。私はこれくらいしかできないから。本当はもっと色々なことしたいんだけどね」


 千恵は幼い時から病気を患っており、自宅待機という形で生活を送っている。

 勉強などは通信制で行なっており、極力外へ出ることは避けてある。


 だからこうして家事など家でできることを自ら進んでやってくれる。それはとてもありがたい。


 母親を亡くし、父親は単身赴任。

 今この家にいるのは俺と千恵だけなのだから。


「もう十分色々なことをしてもらってるよ」

「そう? でも、お兄ちゃんがそう言ってくれるならそうなのかもしれない」

「困ったことがあったらなんでも言ってくれよ。買い出しとかは俺に任せてくれ」

「うん。さすがは私のお兄ちゃんだね!」

「適材適所ってやつだよ」


 短い会話を交わした後、俺たちは二人で朝食を食べた。

 千恵の焼いてくれる食パンは年が経つごとに俺好みの食感になっていっている。味に関して口に出した覚えはない。なのにどうやってこの食感に持っていったかは疑問だ。さすが我が妹だ。


「ごちそうさまでした」


 毎日美味しいご飯を作ってくれる千恵に感謝しつつ、俺は食器をキッチンへと持っていった。


「今日買い出し行くけど、何か買ってきて欲しいものはあるか?」

「えーっとね、お兄ちゃんは食べたいものとかある?」

「んー、生姜焼きとかかな」

「わかった。じゃあ、後で買ってきて欲しいものをリストにしてLineで送るね」

「了解」


 千恵からの要望を聞いた後、制服に着替えるため自分の部屋へ。

 いつも見ているそれに着替え、カバンを持って玄関へ足を運ぶ。俺の行動を見て、千恵も玄関へと足を運んだ。いつもと同じように見送りをしてくれるようだ。


「そういえば、千恵。今日少し家に帰るの遅くなるかもしれない」

「何かあるの?」

「ちょっと寄りたいところがあるんだ」

「……わかった。気をつけて行ってきてね」

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 千恵が笑って手を振ってくれるのを見ながらゆっくりと扉を閉めた。

 いつもと変わらぬ日常。そして、いつもと変わらず千恵と別れるときは少し心苦しい気分になる。


 本当はいつも一緒にいてあげたい。

 誰もいないこの家で千恵を一人にするには少しだけかわいそうな気がしたのだ。


 通信制のため友達のいない彼女に少しでも長い時間寄り添ってあげたいと思っている。


 まあ、理由はそれだけではないのだが。

 俺は先ほどの穏やかな表情とは打って変わった顔つきで通学路を歩いていった。


****


「翔はテストの結果はどうだった?」


 学校の昼休み。一緒にお昼を食べていたクラスメイト『王流おうりゅう こう』は話の話題として今日返されたテストについて話し始めた。


「全部八十点後半くらいだな」

「マジかよ! 相変わらず、頭がいいことですね」

「そういう皇はどうなんだ?」

「赤点より二点上!」

「かなり渋いラインだな」

「何言っているんだ。魔の海峡を越えたんだぜ。点数が渋かろうが関係ねえよ。これでまた部活に精を注ぐことができる」

「剣道一筋なのはいいけど、学業にも精を注がないとそのうち魔の海峡に足を踏み入れることになるかもしれないぞ」

「仕方ないさ。今年は絶対に全国大会に行くんだ。そのためにも俺が必勝できるようにならないとな。まあ、でも翔が入ってくれるなら少しは勉強に精が注げれるかもしれないけどな」

「それはないな。だいたい剣道なんて授業で触れた程度なんだから大会で勝つなんてできるわけないだろ」

「そんなことないさ。俺の予想が正しければ、翔なら少し練習するだけでその辺のやつらは倒せるはずだ」

「買いかぶりすぎだよ」

「いや、あのとき見た翔の姿はまさに侍だった。俺はそんなお前に一目惚れしたんだ」

「いきなり告白はやめてくれ。そっちの趣味はないんだ」

「そういう意味じゃない! 憧れなんだ。かっこよかったんだよ!」


 相変わらず、刀関連の話になると熱い男だな。そんなことを思いながら卵焼きを一口食べる。味は格別だった。


 皇とは不思議な縁だった。

 たまたま一年の頃、俺の隣の席にいたのがきっかけだった。


 掃除しようと皇の席に置かれた竹刀をどかそうと持ったとき、竹刀を持った俺が光って見えたということで話をかけられた。


 それからは一緒に行動することが多くなった。もともとあることの理由で友達が全くいなかった俺の唯一の親友とでもいうべき存在だろう。


 世間体のことなど皇には関係ないらしい。

 だからと言って、剣道部に入るつもりはない。皇は良しとしても他の部員が良しとするかはまた別の話である。


 それに俺はできれば、千恵と時間を多く共にしたいのだ。


「まあ、翔の意思は固いようだな。それでも、万が一でも、多少なりとも剣道のことが気になったらいつでも声をかけてくれて構わんからな。もう一回言うぞ。万が一でも、多少なりとも、だ」

「はいはい。そんなことはないから安心しろ」

「ほんと食わせないやつだな」


 俺の拒絶が悔しかったのか皇は一気に自分の弁当を平らげた。

 その様子をおかしく思いながら俺はさらに卵焼きを一口食べた。


****


 放課後。千恵からもらった買い物リストを片手にスーパーで買い物した後、私用を済ませるために家とは違う方向を歩いていった。


 ここからは徒歩二、三十分でその場所へとたどり着く。

 いつも見る風景から一変、懐かしい風景へと変わっていく。

 かれこれ目的地には一年ほど行っていない。


 風景を見ながら歩いていると思っていたよりも早い時間でそこに着いた。

 周りにある住宅と比べて、そこだけは異質だ。


 木造作りの門に、木で作られた表札。

 門をくぐり抜けた先には、石で囲まれた池。鹿威しが響き渡るそこは昔名残の庭だ。


 そこを抜けると見えてくるのが、広い一室の空間。

 視界に入る子は真剣な趣で握った『刀』を一振りする。光に照らされ、それは明るく光る。もうかれこれ一年間見ることのない光景だった。


 子供はゆっくりと自身の鞘へと納めていった。

 彼の動作を懐かしく思いつつ、俺は『居合道場』へと入っていった。

 入る前の一礼はここに来ていなくとも怠ってはならない。


 入ると先ほどまでは一人しか見えなかった子供の人数は一気に増えていった。

 どの子も表情は真剣だ。彼らの一太刀、一太刀が凛と美しく、一つの動作を大切にしている様子が伺える。


 一年前に比べて、みんなの技の上達が垣間見えた。

 必死に練習してきた証だろう。

 その中でも、ふと視界に入った彼女だけは一際目立って見えた。


 一つ一つの動作が精錬されている。振りかざした刀は鋭い軌道を描く。風の舞うような一太刀に、引き締まった動作の静止。納刀するまでの無駄のない動作は他の子にはない彼女だけのものだった。


「随分と久しぶりだな。どうだ? うちの子たちは」


 一通り全員の様子を見終えたところで横から声が聞こえた。低く太い声だ。

 声が聞こえた方へ視線を向けると一人の男が立っていた。


 引き締まった上半身に微動だにしない体は日頃から体づくりを怠らない彼だからこそできる芸当なのだろう。

 男は俺の方を見ないと前にいる生徒たちに視線を送っている。


「みんな上達していると思います。特に燈の上達具合は異常ですね」


 俺は先ほどの彼女『東雲しののめ あかり』に視線を向けた。彼女はこちらには気づいていないらしく何事もないかのように目の前の刀にのみ意識を集中させている。


「そうか。お前がそう言ってくれるなら安心かもしれないな。東雲は数週間後に控えた大会に向けて日々稽古に励んでいる。その大会には是非ともお前に来て欲しいと言っていたが、本人からそのことは聞いていたか?」

「いえ、全く。今初めて聞きました」

「そうか。行ってみてはどうだ? 前回の昇段試験の時は行かなかったのだろう」


 居合道では、剣道と同じく段位制を設けている。その段位を上げるための試験が昇段試験だ。


「別に俺には燈が強くなっても関係ありませんよ。だから大会には行きません。そう彼女に言っておいてください」

「それで本当にいいのか?」

「もし、嫌なら本人からと直接俺に言いにきますよ」

「かもしれないな。わかった。そう伝えておく」

「お願いします」


 さすがにこれ以上邪魔するわけにはいかない。見るものも見ることができたし、満足だ。 

 俺は後ろを振り返ると先ほどの道を逆にたどっていった。


「翔。最後に一つだけ伝えておく。自分の犯した罪くらいは自分で吹けるような男になれ。そのために今日はここに来たのだろ?」


 男の言葉に様々な思いが駆け巡る。


「だからこそ、大会には行く気がないんですよ」


 回答に困りつつも自身が思ったことを男に伝えて俺は道場を出ていった。

 男は俺の言葉を聞いても何を言うことはなかった。

 空の見上げると、俺の心とは裏腹に鮮やかな赤に染まっていた。


 その場で大きく深呼吸をする。

 乱れ始めていた呼吸を整えるように二、三度さらに繰り返す。

 やはり、数年経った今もなお『刃物』見ると心が侵される。


 気を紛らわせるようにスマホを取り出し、千恵に帰りのLineを送った。

 するとすぐにスタンプが送られて来た。可愛い猫が「了解」と言っているスタンプだ。


 短いやり取りではあるが、それでも効果は絶大。

 乱れた心はすぐに癒されていった。

 落ち着いたところで俺は帰路を歩いていった。


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