決断の時 1
場所:地球
「じゃあ、お兄ちゃん! やるよ!」
準備を整えたところで千恵はそう俺に言う。手には雑巾を持っている。
休日に入り、今日は二人で部屋の掃除をすることになった。
「まずは、どこからやる?」
「うーんとね、個人の部屋からかな。そしたら、リビングに入ろう」
「了解」
と言うことで、最初に向かったのは自室だった。
もともと簡素な部屋であるため片付けるものは数少ない。
ある程度片付けたところですぐに雑巾がけに移っていく。物が置かれていなかったことで机や棚にある埃の量は多いものだった。
目に見えるほどの多量の埃を雑巾で綺麗に拭っていった。
あとは掃除機で地面に落ちているゴミを吸い取って、自室は終わり。
早く終わらせて千恵の手伝いでもいくかなどと思いながら掃除機をかけているとふとクローゼットのところに目がいった。
そういえば、ここにも色々と片付けていたな。
懐かしく思うが、手を差し伸べるかは迷いどころだった。今見たら俺はどんな心境になるのだろうか。
片付けという建前でクローゼットの中を恐る恐る開けた。
クローゼットの中には段ボールが二つに布にくるめられた長い棒が一本建てられているだけであった。
俺はどこに何が入っているのか記憶を辿りつつ、一つの段ボールへと手をかけた。
開けて中を覗くと色々なものが出てくる。
賞状を包んだ棒状の箱にトロフィー、そして写真入れにノート。
懐かしさとともに恐怖を感じる。これを見ても大丈夫だろうかと自身に訴えかける。
大きく深呼吸をして、呼吸を整える。呼吸のタイミングが乱れないようゆっくりと手を差し伸べ、写真入れを手に取った。
本の形になった写真集。その一ページ目を覗く。
そこには幼い頃の俺がいた。道着を着て、今と同じく木刀を携えている。表情は笑顔で溢れていた。
次のページをめくると一変して真剣な表情で木刀を振っていた。脇には道場にいた男の姿見える。
もう一ページ。今度は千恵の写真が写り込んでいた。幼い頃の千恵を強く抱きしめている俺の姿。見ると羞恥心にかられるが、それだけ千恵のことを大切に思っているということ。その気持ちは今でも忘れていない。
ページをどんどんめくっていくと今度は燈が出てきた。
俺と同じく刀に向かう姿は真剣そのもの。だが、一歩下がって休憩時間の写真は撮られるのが恥ずかしかったのか、手で顔を隠している写真が多く見受けられた。
だが、さらに数ページめくると羞恥心もなくなり、笑顔で写っている写真に変わっている。隣にはいつも俺がいた。
終盤に差し掛かると今度はプライベートの写真に変わっていく。そのほとんどが家族や燈との写真ばかりだった。
懐かしさがこみ上げて思わず、頰が緩んでしまう。
「キャッーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
すると部屋の外から千恵の叫び声が聞こえてきた。
瞬時に反応し、写真入れを段ボールへ。そのまま声のするリビングへとかけていった。
自分としたことが、片付けして思い出深いものを見つけて浸ってしまう典型的なパターンに引っかかってしまうとは。
リビングへ入るとキッチンで座り込んでいる千恵の姿が目に入る。
「千恵! 何かあったか?」
「お、お兄ちゃん。あれ……」
千恵はある場所を指差す。だが、そこには何もなかった。
「何もないぞ」
「そんなことは……」
刹那、カサカサという音がキッチン内に響き渡る。
そういうことか……
音で一瞬にして、正体がわかると思わず頭を抱えてしまう。
千恵はおぞましい表情を浮かべていた。
「千恵、一旦リビングに行ったほうがいいんじゃないか」
「嫌だよ! お兄ちゃんそばにいて」
「わかった」
さすがにこれ以上、千恵のこんな表情は見てられないな。
履いていたスリッパを手に取り、音のした方に目をこらす。
次動いた時が、きっと奴の最後だろう。
今まで戦ってきた小鬼や兎、馴鹿よりも真剣な眼差しで戦いに赴く。それはきっと、後ろに守るべき対象がいるからだろう。今の俺は誰にも負ける気がしない。
カサカサ……
音が聞こえると同時に、居場所を瞬間的に掴む。置かれていたものを退けるとその姿が露わになる。言葉では表したくないほどのおぞましさを秘めたものが血を駆けていく姿が見てとれる。
だが、これ以上好きにはさせない。
スリッパを奴が駆けていく方へと向け、刀を振り下ろすような形で素早く叩く。
一撃で仕留めるために力を込めるとともにスリッパのど真ん中に当たるように調節する。
パンッという音が響くとともに確かな感触が手から脳を伝わった。
予想通り、奴は動くことなくその場に倒れている。勝負ありだ。
「もう大丈夫だ」
「はーー、良かった」
千恵は胸をなでおろし、安心したように笑顔を見せる。どうやら、うまく千恵を守ることができたようだ。
きちんと粘着テープ等でくるめとって処理をしておく。
「じゃあ、気を取り直して今度はリビングキッチンのお片づけをやろう!」
先ほどの調子に戻った千恵に安堵しつつ、二人でまた掃除を始めていった。
****
小学高学年の頃、母親が亡くなった。
死んでから数日間、俺は心にぽっかりと穴の空いたような感覚に陥っていた。
もともと病気であるとわかっており、寿命も聞かされていたため心の準備をする期間はあった。
だが、実際にそうなってみると心の準備なんてなんの効果もなかったのだと思える。
ある日の昼放課。
遊ぶ気力もなく、教室でぼーっとしていた俺はリフレッシュがてらにトイレへと足を運んでいた。
ほとんど生徒が外で遊んでいるためかどのクラスも閑散としており、教室にいる生徒は指で数えられるくらいだっただろう。
だから、あるクラスを通った時俺の視界に入った光景に目を疑った。
数人の生徒に囲まれた女子生徒。彼女は手にカッターを携えており、それを自身の首に向けていた。これから自分がやろうとしていることに怯えているのかこわばった表情をしている。
周りの生徒は言葉を失っており、ただただ彼女の姿を覗いていた。
助けなければ。
自分の心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。
母親に誓った。正義を重んじる母親に俺はみんなのスーパーヒーローになるのだと約束したんだ。
その約束だけは守らなければならない。俺と母の間の架け橋なのだから。
「何やってるんだよ?」
他クラスの教室の侵入は原則として禁止されているが、今は例外だ。迷わず教室へと入り、彼女の前に立つ。
「来ないで! 私、本気だから!」
彼女は行き交じりの声を吐く。動揺は激しいようだ。
「そんなことして何になるんだよ!」
それはきっと俺も同じことだったと思う。何を考えることもなく気がつけば、彼女からカッターを取り上げようと手を出していた。
必死に抵抗しようとする彼女。その抵抗を抑えようと必死に力を入れた。
彼女の意思はかなり強い者なのか、全く振り切ることができない。
だからさらに力を加えようとした。
刹那、俺の手は彼女から離れてしまった。力を入れるために握り直そうとしたのがいけなかったかもしれない。
必死に抵抗していた彼女の力は抑えきることができず、そのままカッターの先は彼女の肩付近へと突き刺さって行った。
「痛い、痛い……」
カッターが落ちるのとともに彼女の身体も床へと引っ張られていく。
手で押さえてもなお、止まらない彼女の血。
目の前で激しくもがいている彼女に何をするわけでもなく、ただただ見ることしかできなかった。
俺がやったのか。そう察した時、力が抜けるように地へ座り込んでいた。
床につこうとした手は着く前にある物に触れることとなった。
俺はそれを握りしめ、自分の手元へと持って来ていた。
刃先に血のついたカッターは俺がやったのだと言うかのように刃を輝かせていた。
「なんだ!」
そのタイミングで大声を聞きつけた先生がこちらへとやってくるのがわかった。
「お前、何をやっているんだ!」
先生はカッターを握りしめていた俺を怒鳴りつけるが、そんな言葉は今の俺に届くはずがなかった。
母親との約束が守れなかった自分がとてつもなく嫌に感じた。