記憶転移 1
場所:???
バチバチという焼ける音で目が覚めた。
広がる視界には寝る前に見た光景とは違うものが写っている。
上半身を起き上がらせ、部屋全体を見渡すようにする。
先ほどの音が聞こえるかまど。部屋の真ん中に置かれたテーブル。そして、自分が今寝ているベッド。どれをとっても寝る前にはなかったものだ。
どうやらこの世界に訪れてもなお、記憶は健在しているようだった。
ひとまず、記憶の呼び起こしを始める。
俺の名前はヒビキ・ショウではなく、響 翔。
妹の千恵と二人暮らしをしている。向こうの世界では王流 皇、東雲 燈という人物と友達もとい知り合いである。
大丈夫、きちんと思い出すことができる。名前も顔も何もかも鮮明に思い出すことができる。それに加えて、この世界での出来事もきちんと自身の中に存在している。
確かめられたところでベッドから起き上がり、下へと降りていった。
「おはよう、ショウくん」
降りると朝の支度をしていたイワさんが声をかけてくれた。「おはようございます」と返す。そこで少しだけふと疑問に思った。
イワさんの名前はイワ・カリンと言っていた。これも俺と同じで岩 夏凛のように感じで変換できたりするのだろうか。
「どうしたの? 私の顔に何かついているかしら?」
考え事をしている中でイワさんを見つめてしまっていたのか不思議な表情を見せる。
「いえ、ちょっと……」
思わず、言葉を噤んでしまう。どう返せばいいだろうか。
「ひょっとして、私の可愛さに見とれてしまったのね? やっぱり、私達付き合って」
「それはないです」
「本当にそこだけはゆるぎなく早いわね。でも」
今度は逆にイワさんの方が俺の方を見つめた。潤った綺麗な瞳がこちらを覗く。彼女の表情は穏やかでまるで息子を見る母親のような表情だった。
「なんだか今日はらしい顔をしているわね」
「そう、見えますか?」
「ええ。何か悩みが消えたみたいな」
「そんなことはないんですけどね」
俺がいた地球とは別の世界の存在を知っただけでまだ、疑問に思うことはある。
「ふふっ。自分では無意識のうちに心の中で折り合いがついたようね。さ、朝食にしましょう」
イワさんはキッチンへと入っていくとあらかじめ用意されていたパンを机の上へと置く。ついで、目玉焼きにハムとさらに置いていった。
ここに来て一週間。さすがに見慣れた光景になんの戸惑いもない。
「「いただきます」」
二人で手を合わせたのちに各々パンを掴んで口へと入れる。
変わらぬ味だが、慣れた今でも食感や味は美味しいと言わざるを得ない。
パンを食べ、目玉焼きとハムをひとかじりした後に今日からの目標へ向けて俺はイワさんへと質問をした。
「アニマテスって一体、なんでこの世界に来たんでしょうね?」
「どうしたの? かなり急ね」
「ちょっと気になっただけですよ。こうして、毎日小鬼と戦って報酬をもらって、イワさんと楽しく食事して寝る。俺としては全く不満のない生活なんですけど。でも、本当にこの生活を送るだけでいいのかって。例えば、勇者と魔王みたいにこの世界には凶悪な敵がいてそれを倒すためにアニマテスが存在しているのかなって思っただけです」
「翔くんってそういう正義の味方っぽい考え方をするのね。でも、残念ながらこの街には凶悪な悪魔なんていうものはいないわね」
「なら一体なんのために?」
「あまり硬く考えすぎちゃダメよ。でも、そうだな……強いて言えば、私としては『幸せになるために』ってところかしら」
「幸せに?」
「そう。この世界の住民はみんな幸せを探している。何気ない幸せ、大きな幸福。それらを掴むためにみんな生きていると思うのよ。だからショウくんは自分が幸せになることをすればいいと思うわ。今こうして毎日の生活を送ることが幸せならそうすればいいし、何かしたいことを見つけたのならばそうするも良い。全てはショウくんが決めることよ」
イワさんの言葉に心を撃ち抜かれた気がした。幸福を生むために何がしたいかか。
「お母さんみたいなこと言いますね」
「ふふっ。これでも、翔くんよりはたくさん生きているからね。思うところはたくさんあるのよ」
「イワさんは何か不満なことあったりするんですか?」
「今の生活には、とても満足しているわ。何不自由なく暮らせているし、こうして可愛いショウくんがここにいてくれる」
イワさんは俺の頭に手を置き、撫でてくれる。俺がいつも千恵にしていることを今度はイワさんが俺にしてくれていた。
「けれど、頑張ろうとしている子が苦しんでいるところを見るのは少し思うところがあるのよ。この街には凶悪な敵がいないと言ったけれど、でも生まれることはある」
俺に向けられた穏やかな表情には何か悲しげな様子があった。
この前言った、『血への恐怖』についての話をされているのだろうか。だとすると少し申し訳ない気持ちが出てしまう。
「だからそういう子には幸せになってもらいたいのよ。ショウくんも頑張ってね」
悲しげな表情は一変。とても元気で朗らかに頭を撫でていた手は俺の背中を叩いた。
「今日はとことんお母さんやってますね」
「母親のいないショウくんが恋しいようなお母さんになってあげるわよ。あ、でも、それでは付き合うことができないわね」
えへへ。と照れ笑いを浮かべるイワさん。母親がいないという言葉に胸がドキッとしたが、アニマテスはみんな母親の記憶がないのだから当然か。
「頼りにしています」
「あれ、そこは『やめておきます』じゃないんだ」
訝しげな笑いを浮かべたながらイワさんがこちらを覗く。イワさんのいう通り、カノジョとしては即刻却下なのに母親としては受け入れてしまうのだと我ながら恥ずかしい気持ちになった。
「俺、きっとマザコンなんですね」
マザコンであり、シスコンであるなんて手を伸ばしすぎではないだろうか。
「自分で言ったら終わりよ。でも、ショウくんがそういうのならば、務めないわけにはいかないわね」
笑んだイワさんの表情が何時ぞやの記憶と重なる。だから俺はもう一度、その言葉を口にするしかなかった。
「頼りにしてます、母さん」
****
今日もいつも通りギルドへと向かった。
ボードに貼られた依頼から『ジェムの採取』を選んで受付へと持っていく。と言いたいところだが、今日は別の行動をしたいと思った。
イワさんの言う通り、この世界に来て何をしたらいいか見つけるためにも少し方向性を変えて行動するのもありかもしれない。それに方向を変えれば、この世界についての情報を得られる可能性が高くなるだろうから。
だからと言って『血を見る』ような依頼に関してはできる限り触れたくない。小鬼からのジェム採取みたいに気絶させるだけで終わらせられるのがいい。
依頼内容を見て見ると、平原にいる『猪の肉狩り』や森にいる『狼の牙狩り』などいかにも血が出そうな依頼ばかりが貼られていた。
中には、街でできる仕事のようなものもある。この世界についての聞き込みをするためになら良的なものであるか。
候補に入れつつ、さらに眺めていく。
お、これは。ある一つの依頼が目に止まった。
『雪山にある薬草をとって来て欲しい』という依頼内容だった。
これなら下手に血を見ることもない。出会った怪物は気絶させ、無理ならば逃げればいいだけの話だ。
ようやく自分に合った新しい依頼を見つけたところで受付へと足を運んでいった。
「あらショウくん。今日はいつもの『ジェム採取』ではないのね」
予想通りと言ってもいいのかいつも受理してくれるテルイさんから疑問の声が上がった。
「はい。もう少し他の依頼にも触れてみようと思いまして」
「それはいいことだと思うわ。はい、受理したわよ」
依頼の用紙に押印され、用紙が返される。これが受理完了の証だ。
ここでテルイさんに会ったので、同じ質問をすることを試みる。
「テルイさんは、アニマテスがなぜこの世界に来たのか知っていたりしますか?」
「そうね……よく同じ質問を聞くけれど、私としても答えを出すのは難しいと思うわ」
「同じ質問をされたことがあるんですか?」
「ええ。たまにね、『なんで俺はここにいるのだろう』とか『なんで俺は生きているのだろう』とかね」
精神的な問題のことだったか。てっきり、俺と同じくこの世界と地球の記憶を混在している者がいるのかと思ってしまった。
「アニマテスでない私はあまり核心的なことは言えないけれど、何も理由なくここに来たりはしないと思うわ。きっと何か理由があったのだと思う。だからこそ、それを見つけるために依頼を達成したりして自分のできることの幅を広げていく。それでも、見つけられなければ自分自身で作ればいいと思うわ」
「作る、ですか?」
「そう。自分はこの世界でこう言うことをしてみたいと目標を作ることよ」
探すだけでなく、探す過程で自分のやりたいことを作っていくか。なんだか本当に精神的な話になって来たな。
「でも、気をつけて欲しいのは『自分の目的』と『自分の行動』に誤りが生じないこと。自分の願うことが行動にマッチしているかは常に考えることが大事よ」
願いと行動の一致か。今の俺にはかなり心に響く言葉だったりする。良いか悪いかで言われれば、きっと良くない方でだが。
「ありがとうございます。少し、心が晴れた気がします」
「少しでも方向性を見つけたショウくんならきっといい結果が得られると思うわ。あ、でももう一つだけ。雪山では近頃、黒いフードを被った男たちがアニマテスに依頼を頼んでいる噂があるの」
「依頼って、ここで頼めばいいんじゃないですか?」
「ここにある依頼は全て国で管理されて、了承を得たところで貼られたものになるの。つまりは国での了承が出なければ依頼としては成立しないと言うこと」
「その黒いフードたちは国の了承を得られない依頼を直接アニマテスに頼んでいると言うことですか」
「そう言うこと」
「国の了承を得られない依頼ってかなり黒そうですね」
「真っ黒よ。中には国の存続に関わる依頼もあると思うわ。でも、見返りはそれ相応のものであると思うの」
「なら大丈夫ですよ。俺は欲しいものなんてないので」
「ふふっ。なら大丈夫ね。でも、武力行使っていうのもあるかもしれないわよ」
「それは……困りますね」
「でしょ。通り魔もあの辺はうろついているだろうから、十分に注意を払うのよ」
テルイさんは「でも、ショウくんなら大丈夫」という表情で語ってくれるけれど、実際のところかなり不安なところである。
だからと言って、押印された用紙を返すわけにも行かなかった。
言うならもう少し早く言って欲しかったと俺はテルイさんにぎこちない笑みを返した。




