謎の記憶 3
その夜、流れる番組に目を走らせながらこことは違う別世界の存在について考えていた。
燈と別れてから、俺の心はすっかりと過去に起こった出来事を思い出していた。お風呂に入り、リフレッシュすることができた今ようやく気持ちを改め切り替えることが可能となった。
一体なぜ、俺はあんな空想的な世界へと飛ばされてしまったのだろうか。
その世界の存在に気づいてから数時間経ったことでより鮮明に記憶を蘇らせることができた。
イワさんという母親気質な女性も。テツさんという筋肉質の男性も。
洞窟で遭遇する小鬼を、木刀を使って気絶させてから彼らの持っているジェムを採取する毎日。そういえば、小鬼の肉は美味だったな。
俺が行なっていることはごく普通のことだ。最弱モンスターである小鬼を倒すだけ。どこかの地域に住まう主を倒すような依頼をされるようなこともなければ、智桂の国の問題を解決するようなことも起きていない。
英雄になれるような問題も起こることもなければ、正義を気取ることができるような行動も行うことはできない。
ならば、どう言った理由で俺はあの世界に誘われたのだろうか。
「ふー、いいお湯だった」
ソファー後ろの扉が開閉する音とともに千恵の幸せそうな声が聞こえてくる。
こちらまでやってくるとパジャマ姿の千恵が俺の横に座る。
まだ、髪を乾かしていないのか手にはドライヤーとタオルを持っている。
「髪は乾かしてこなかったのか?」
「うん。だってこれはここでもできるもん」
「そうか」
「ということで私が髪を乾かすの手伝ってもらっていい?」
千恵はそう言うと手に握りしめたタオルを俺へと寄せてきた。微笑む千恵の姿を見ると思考が別のところへと行っていてもこちらが最優先となる。
何を言うこともなくタオルを手に取り、千恵の頭にかぶせてからできるだけ柔らかい手つきで千恵の頭を撫でるようにして吹く。
「あー、快適快適。お兄ちゃんのなでなでは気持ちがいいなー」
「それは良かった」
こうしていると昼に燈にしようとした行動を思い出す。燈を突き放して起きながらも心のどこかでは今の千恵みたいに優しく接してあげたい気持ちがあるのだろうか。
いや、それは幾ら何でも慢心だろう。
「お兄ちゃん、痛い。なでなでが強くなってるよ」
「ああ、ごめん」
どうやら燈のことを思い出してつい力が入ってしまったようだ。気をつけないといけないな。
ある程度髪を乾かし終えたところでドライヤーを使うことになった。
「じゃあ、お願いします」
その一言で再び乾かし役は俺へと回される。全意識を千恵に集中させ、乾かすように試みる。サラサラとした髪は手のひらをすり抜けていく。そう言った動作を何度も繰り返し、丁寧に髪を乾かしていった。
「ありがとう。お兄ちゃん」
綺麗に乾いたところで千恵はタオルとドライヤーを目の前にあるテーブルへと置いた。
「戻してこなくていいのか?」
いつもなら使い終わったら、元の位置に戻してくるはずなのにと疑問を浮かべる。
「いいの。今はこうしていたいから」
不意に左肩に重圧がかかる。千恵が体をこちらへと寄せてもたれかかっていた。
「何かあったか?」
「それは、こっちのセリフだよ。お兄ちゃんこそ何かあったの?」
さすがは我が妹。いつも通りをふるまっていてもわかってしまうようだ。
「ちょっとな。今日燈に大会を見にきて欲しいって言われたんだ」
俺は悩んだ二つの事柄のうち千恵にもわかる方を提示した。さすがにこことは違う別の話をしても頭がこんがらがるだけだろう。現に今俺自身がこんがらがっているのだから。
「大会って居合道の?」
「ああ。近々あるらしい」
「そうなんだ。お兄ちゃんはどうしようと思ってるの?」
「行く気は全くなかったんだけどな。でも、今日の燈の姿を見たら迷っちゃってさ。あいつ、今でもすごくかんばってるんだ」
倒れそうになる程、懸命に。燈は何を思ってそんなに頑張っているのだろうか。
「私としてはお兄ちゃんには言って欲しいと思ってる」
千恵は握りしめた俺の拳に手を沿わせると暖かい声音でそう言った。反動か添わされ縦にも暖かさを感じる。
「でも、もしお兄ちゃんがまだ刃を見るのが怖いんだったら行かないで欲しいって言う思いもあるのも確かなんだ。きっとまだ克服なんてできてないと思うから」
一週間前、この場で起きた事柄。ニュース越しに過去のトラウマを聞かされ、倒れた俺を見ている分、そう思うのは必然的なことだろう。
「ごめんね。あまり答えになってないかもしれない」
千恵は、呆れるような笑いを出す。仕方がない。これに関しては俺だって千恵と同じ気持ちなんだ。
欲する気持ちを害する力が大きいせいで、選ぶことができない。
解決できるのは俺自身が気持ちに整理をつけること。燈みたいに頑張ることができれば俺ももうすこしはマシになれたかもしれない。
違うか。頑張った結果がこれなんだ。行き過ぎた正義のせいで悪に染まってしまったんじゃないか。
「なあ、千恵。もう少しこのままでいていいか?」
「うん。私は全く構わないよ」
心の弱った俺は目の前にいる大切な存在に手を伸ばすしかなかった。
儚く散りそうな気持ちはここに千恵がいてくれるからこそ保てている気がした。
燈の大会まではまだ時間がある。そのうちに気持ちの整理をつけておくしかない。
ひとまず、今やるべきことはこことは違う別世界に誘われた理由について調べることが最善だろう。
寄り添われた光に闇に染まった身を清めつつ、これからの未来に思考を注いでいった。