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謎の記憶 2

 体育の授業も終わり、昼放課へと移行していった。

 昼食を食べ終えた俺は皇に一言置いてトイレへと足を運んでいった。


 あの後なんとか意識を切り替えることができたものの湧き出た疑問が消えることなんていうことはなかった。


 だからと言って、また考えようと思ったら、先ほど繰り出した技について皇からの質問攻め。対応に疲れ、リフレッシュしようとこうしてトイレ休憩を挟むことにした。


 閑静なこの空間はいるだけで癒される。リフレッシュがてらに来たためあまり溜まってはいないが、せっかく来たので用を足しておいた。

 誰もいないためホッと一息ついて、手を洗った後トイレを出ていった。


「翔くん……」


 トイレを出てすぐ、ようやく気持ちを落ち着かせた俺に矢を刺すような形でソプラノ調の声が聞こえた。


 見るとポニーテールの少女がこちらへと近づいてくる。

 瞳はこの前見た凛とした目つきとは違い、やや心細い印象を受ける。それが体にも影響しているのか今の俺と同じく、心を落ち着かせようと両手を胸の中心部に押さえつけている。


「どうした?」


 俺は今にも儚く散っていきそうな彼女、東雲 燈に対して引き離すような冷たい声音で返事をした。


「えっと……その……」


 彼女は体をもじもじさせつつも必死に何かを言おうとしていた。

 俺たちの様子に周囲の生徒たちがざわついている。普段は居合の稽古をしている時と同様に堂々とした振る舞いをしている燈がこんなもじもじと小動物のような態度をとっていれば、何事かと思ってしまうだろう。


「場所を変えよう。ここだと言いたいことも言えないだろ」


 燈に告げ、俺は横にある階段を降りていく。後ろから人の気配を感じたので、燈がついて来てくれているということがわかった。


 でも、なぜこんな行動を取ってしまったのだろうか。

 いつもの俺ならもじもじした燈に嫌気がさして、「次はちゃんとまとめてから来い」と突き放したはずなんだがな。


 きっとまだ気を紛らわせたいのかもしれない。自分の身に置かれた状況について。


 歩いている間、お互いの間で交わされた会話はゼロだった。

 俺は適当に歩くと誰もいない校舎裏で止まった。


 ここなら、燈も話しやすいかもしれない。と思いつつ、燈の方を覗くと彼女のほおが火照っているのが見えて取れた。


 そう言えば、我ながら場所のチョイスを間違えてしまったかもしれない。この場所は生徒たちからもあまり覗くことができないため一種の告白スポットになっている場所だった。皇に散々教えられたので嫌でも覚えている。


 にもかかわらず、適当に歩いてここを選んでしまうのは、そういうところがあるのか。いや、そんなまさかな。


「で、話は」


 燈に「そういうつもりできたのではない」のだと一閃するような口調で話しを始める。


「えっと……その……」


 燈は胸元の制服を強く握りしめながらも言葉を紡いでいく。またここから始めるとなると話が始めるのは長くなりそうだな。


 しばしの沈黙が入る。昼練をしている生徒の足音、あるいはボールのはねる音が沈黙をつなぐようにして響き渡る。


 夏へと向かうこの時期。桜は大分散って降り、簡素な木が全体に生えている。


「その……さっきの剣道の授業の時。翔くん、親和流を決めましたよね」


 周囲に広がる景色に戯れているとようやく彼女の声が聞こえて来た。どうやら、あの行動を燈は見ていたようだ。


「どうだかな。咄嗟にした行動だから自分でも何をしたか覚えてないさ」

「そんなことないですよ。わかるはずです。あんな単調な動きだったら流石に『流水』ってことくらいわかるはずですよ」


 親和流、『流水』。


 水のように流れる一振りで相手の攻撃を削いで、軌道をずらすことで防ぐとともに素早いカウンターを食らわせる。


 燈の言う通り、俺が小鬼や皇に放った技はそれに近いものがあったと思う。いや、きっとまんま『流水』の技だったと思う。


 何も言わずにいると再び燈から声が聞こえてくる。


「でも、あの『流水』はとても洗練されていたと私は思いました。数年前に居合道をやめた翔くんから咄嗟に出せるような話後は思えないんです」


 燈の目は真剣に訴えていた。「どこかでやっていたんですか? まだ、やっぱり未練があるんじゃないですか?」と言葉を交わさなくても言っているのがわかる。先ほどの小動物の振る舞いとは違い、瞳には強い意志を感じた。


 燈の瞳に俺は冷徹な目をマジ合わせる。「もう折り合いはついている。未練はない」と無言の返事を彼女にかけた。


「ご、ごめんなさい。おこがましかったですよね」


 燈は耐えきれなかったのか、視線を下へとずらしていった。


「でも、もし翔くんに少しでも、居合道の気持ちがあったのならば」


 だが、言葉が途絶えることはなかった。必死に燈は自分の中の気持ちを振り絞り、話をかけてくる。今までにはなかった彼女の成長をさすがに無下にするわけにはいかなかった。


「良ければ、次の大会見に来てくれませんか?」


 顔を上げ、再びまっすぐな視線がこちらを覗き込む。今にも怯えそうな脆い瞳の中には強い意志が確かに感じられる。


 今まで声をかけるのも様にならなかった燈がここまで感情を前に出したのは何年ぶりだろうか。


 彼女の成長を無下にしてはいけない。でも、だからと言って俺が居合道の会場に足を運ぶことなんてできるはずもないのだ。刀を長時間見たら、どうなってしまうのか自分が一番よくわかっているから。


『自分の犯した罪くらいは自分で吹けるような男になれ』


 いつしか聞いた言葉が頭の中をよぎる。


「考えておく」


 だから俺が出せる精一杯の回答はこれくらいだった。逃げの回答。

 それでも、燈にはまるでその言葉が正解だったかのように晴れやかな表情をこちらへと向けていた。目には涙が浮かんでいる。


「ありがとう、ございます」


 ほんと、この前の道場の姿とは大分違うな。


「そういえば、今日の体育の授業のとき大丈夫だったか。なんかお前を呼ぶ声が聞こえたけど」

「え、えっと。はい、大丈夫です。ちょっと立ちくらみして尻餅ついちゃっただけなんで」

「そっか」


 相当無理しているのかもしれないな。大会に向けて、日々稽古に励んでいるんだろう。


 ふとポケットに入っていた手が外へ出ようとした。すぐに気づき、手を引っ込める。無意識のうちに目の前にいる燈を撫でようとしてしまった。


 小さい頃はよくやっていたが、今は気が引けるな。年と言うせいもあるのかもしれないが、燈が今何でこんな状況になっているのかを考えれば、こんなことするのはそれこそおこがましい。


「体調には気をつけろよ」


 話はついた。ならば、もうここにいる必要はない。

 最後にひとことだけ置いて、俺は自分の教室へと戻っていった。


「はいっ。ありがとう、翔くん」


 過ぎ去る寸前、鼻声混じりの明るい響きが俺の耳に突き刺さった。


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