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砂時計の夜  作者: 七緒錬
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■ 04 … 001


 その少女との交流は、通う小学校から二駅離れたゲームセンターで始まった。


 放課後に自転車を駆って訪れる、喧騒の絶えない遊び場の中で見つけた背中。転校してきて二ヶ月ほどが経った今も彼女は口数少なく、いつもどこか不機嫌そうな顔をしていた。そのせいで集団生活の中で浮いてしまっている……そんな少女だ。


 はじめ、見間違いかと思った。長い髪の毛を揺らして一心不乱にゲームに興じる後ろ姿。……彼女は果たしてどんなゲームをしているのだろう? そっと後ろに立ち、しばらくの間プレイを見守った。


『~♪』


 ワンプレイを終えた彼女が振り返り、僕を見つけたことで浮かべていた笑顔が凍りついた。


『な、な、な…………』


 あわあわ、と口を動かす。僕がクラスメイトだという認識はあるみたいだ。あまり会話したことがないからスルーされるんじゃないかと思った。僕は手を挙げて応える。


『フルコンボおめでとう』


 彼女は顔を真っ赤にした。


『これは、その……あれだよ』

『あれ?』

『そう、あれ……やむにやまれぬ事情、ってやつが……』

『なんだよそれ』


 思わず苦笑した。彼女が熱中していたゲームのことを思うと誤魔化そうとする態度も納得できる。彼女は『むっ』と口をとがらせ、


『……いいでしょ別に! 曲はいいの! いいから、いいの!』


 開き直ってそう言った。


 彼女が向いていた筐体はアイドル育成物のリズムゲームだ。プレイヤーはマイキャラを作り、ゲーム内で発生する様々なイベントをクリアして育てていく。プレイ報酬として手に入る衣装カードを筐体に読み込ませることで、マイキャラを好きなコーディネートでメイクアップすることができる。ゲームセンターよりはデパートの隅でよく見かけるゲーム……要するにちいさな女の子向けの物なのだ。


『ちいさい子向けなんだろ? 簡単そうだし、椅子ちっさいし。楽しめんの?』

『あんた夜八時以降の風営法というバフの効いたここに来て同じこと言えんの?』

『?』


 彼女は『いや……』と視線を逸し、肩掛けポーチから分厚いカードケースを取り出す。先程のプレイで手に入れたばかりのカードをしまいながら、


『大人だって楽しめる』


 自信のにじむ声色でそう言った。


『えー、後ろから見てたけど、フルコンボは楽だよな?』


 音ゲーとしての難易度は低め。ちいさい子向けだから当然だ、逆に言えば僕らが楽しめる難易度ではないように思えた。彼女は『わかってないなぁ』とでも言うように肩をすくめて、


『たとえばデパートとかにさ、夕飯の買い物に子連れでママさんが来るだろ?』

『うん』

『筐体の前で子供がねだる。ワンゲーム、ワンコイン。休憩にもちょうどいい』

『わかる』

『ママさんはそっとプレイを見守る。マイキャラをメイクアップする我が子。微笑ましいワンシーン。やがてカードを手にして帰ってくる。満面の笑み。親としては当然、子供が関心を持ったゲームのことを少しは調べる』

『いかがわしい物だったら困るもんな』

『で、自分がハマる』

『……あれっ? ひとつ前までは納得しながら聞けてたのに、急にわからなくなった』

『ママさんネットワークを介して別のママさんもハマる。パンデミックだ』

『……んっ? わからない、まるでわからないぞ、何言ってんだこいつ』

『あるいはビッグバンとも言える』

『ますますわからない。わからなさのビッグバンだ』

『やればわかる。やらなければ、何もわからない』

『セリフだけ聞くとかっこいいんだけど、何言ってんだこいつ(二回目)』

『つまり、だ』


 彼女は困惑する僕の手を掴んだ。温かな手のひらの感覚をよく覚えている。プレイに熱中していた手のひらは微かに汗で湿っていた。


『やってみろってこと』


 ……そうして、僕は彼女と友達になった。


 学校ではこれまで通り。顔を合わせても何も言わない、まるで他人同士のまま。けど二駅離れたゲームセンターに来れば、ちいさな椅子にふたりで掛けて、かわりばんこにマイキャラのステージを演出する。


 そんな日々が何日も続いた。


 ある日彼女に尋ねられた。僕にゲームセンターに訪れた理由。このゲームをやるようになるまで、一体何を目当てにやってきていたのか。


『他人がプレイしてんの見るのが楽しくて』


 そう答える僕に、彼女は訝しげな顔を向けた。


 見るだけならタダだし、人の数だけ存在するプレイスタイルを見るのは、小学生の僕の目にはとても新鮮だったのだ。ゲームセンターとはもとよりゲームを通じ様々な形で交流するための場所。見るだけの人間がいてもいいはず……そんなふうに考えていた。


『メーワクじゃん? ってか、見られてると気になるじゃん?』


 彼女はそう言うが、僕は首を振る。


『そこはほら。こっちも上達するから』

『上達? なにそれ』

『人を見る目かな。あ、この人、見られて気になるタイプかなー、って思ったらやめる』

『人間観察がゲーム感覚かよ……最近の子って怖いわー……』

『最近の子が何言ってんだよ』


 僕も彼女に尋ねた。どうしてそのアイドル育成物のゲームに触れたのか。もっとちいさい子がこのゲームにハマるのはわかる。大人がプレイする経緯もなんとなくわかる。でも、小学生の僕らがこれに触れるきっかけって言うと、想像がつかなかったのだ。


 彼女はあっけらかんと答える。


『このゲーセンにあるゲーム、全部触ってみようと思って』


 詳しく聞いて、彼女の抱える事情を知った。


 その頃になると忘れていたけれど、彼女は親の仕事の都合で転校してきた少女だった。聞けば転校自体にもう慣れきってしまっているのだという。行く先々で別れを繰り返してきたと。だから彼女は学校の友達を作らず時間を潰せるよう、二駅離れたゲームセンターに通っていたのだ。


 アイドルを育成するこのゲームの最大の売りはカードを用いたコーディネイトシステム。友達と余ったカードを交換したりして楽しめるように作られている。それを独りでやるのは、間違いではないけど……


 ――やってみろってこと。


 あの言葉を発した彼女の胸中を思うと、少しだけ寂しいものを感じた。


 僕はそう多くはない小遣いを多めに投じてそのゲームをエンジョイした。アイドルをキャラメイクして似合うドレスや楽曲を考えるのはちょっと恥ずかしかったけど、楽しかった。集めた衣装カードは分厚い束になっていった。その中には無論、交換した物や『ダブったから』と渡された物も含まれていた。


 ひとつの季節が変わる頃、そんな日々に転機が訪れた。

 彼女の転校が決まったのだ。


 別れを惜しんだ僕らはいつかの再会を誓い合った。寂しかったけれど、その別れは決定的な決裂ではなかった。僕らの時代には幸いにしてスマホというアイテムがある。だから別れの当日だって見送りには行かなかったし(彼女が拒んだ、という理由もあるけど)、涙のひとつだって流さなかった。


 転校していった彼女と毎日のようにメッセージを送りあった。向こうでも同じゲームを続けていると彼女は言った。だからというわけではないけど、僕も続けた。まるで遠距離恋愛をするカップルが同じ映画でも見るみたいに、僕らは離れた場所で同じ時間に同じゲームをプレイした。その度に隣に居ない事実に気づいて寂しくなってしまったけれど、心の奥底にはじんわりと温かな感触があった。通じ合ってる証明……そう思えた。


 けれどそれは長くは続かなかった。メッセージアプリを介した繋がりの糸はあまりに細い。僕らは理由すら思い出せないような些細なことで喧嘩をした。きっと僕が余計な一言でも言ったのだろう。やり取りが途絶えた。新しいメッセージが届くことはなく、時間だけが流れていった。


 一月か、二月か……

 子供の喧嘩なんてそれだけ過ぎれば熱も冷める。


 僕は彼女に向けてメッセージをしたためて、送信した。

 届くことはなかった。


 拒否リストに入れられているのか。

 それなら、まだいい。


 彼女がメッセージアプリの入ったスマホを手放す状況に居るよりは、全然いい。アプリという細い繋がりしかない僕らには、それを確かめる術がなかった。


 なんてことだろう。理由も思い出せないような些細な喧嘩ひとつで、僕は友達を失った。


 もっと慎重に言葉を重ねるべきだった。

 もっと素直に心を通わせるべきだった。

 もっと上手に……喧嘩するべきだった……


 波のように押し寄せる後悔は、僕に初恋の結末を気づかせた。


 初恋の終わりは強いトラウマとなって、僕の心に深く根付いている。

 十七才になった今になっても、ずるずると。


  ***


「――固有能力がトラウマやコンプレックスを下地にしているって言うのが本当なら、これが僕の心当たりかな。初恋が僕の言霊使い師(メーラーデーモン)のきっかけになったのだとしたら、滑稽な話だね」


 島の端、瀬戸内海の濃霧を見つめながら、僕は隣にいる五十嵐ビビに語った。


 トラウマやコンプレックスを下地に固有能力を得ている……それが彼女の仮説だった。その仮説を裏付けるため、彼女は僕のトラウマやコンプレックスを尋ねたのだ。言われてみれば、僕の言霊使い師(メーラーデーモン)という『他人と繋がろうとする』能力……名前も思い出せない彼女との別れは、確かに符合する。


「青春だねぇ……」


 白いワンピースを着、アッシュブラウンの髪をサイドテールに結った彼女は、僕のトラウマをそんな一言で総評して見せる。これが青春だって? ひどい物言いだ。


「青春にしてはちょっと苦々しいよ。未だに気軽にゲーセン入れないし」

「青春って、得てして苦いものだろう? 眩しくて、苦い」


 知ったような口を利く奴だ。僕は肩をすくめる。


 この苦々しくて切ない思い出が青春だと言うのなら、人間には誰にだって青春がある。別れを経験していない人間なんてきっといないだろうから。……だとすれば、みんながみんな、別れをきっかけに固有能力に目覚めるのだろうか?


「…………」


 笑ってしまった。

 もしそうなら、地球上にいる超常現象行使者の数は七十億を越える。


「別に、思いの強さで能力の有無や優劣が決まるってわけじゃないんだよ」


 まるで心を読んだみたいに――僕相手だ、ひどい皮肉である――彼女は言う。


「人間の情念その物は常に無力だからね。問題はそれをきっかけにどうやって生きたか、という点にあるのだと思う」

「……っていうと?」

「君が答えだよ、アスク。その経験の末に、君の生き方はできあがったんだろう?」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 付かず離れずの人間関係を築く。それが僕の信条だ。


「その生き方はきっと、固有能力が芽生えるに足る物だったのさ」

「この、言霊使い師(メーラーデーモン)が?」

「そう思うよ」


 トラウマやコンプレックス自体が直接、固有能力を生むわけではないが、しかし固有能力の方向性を決定づけている――それが五十嵐ビビの考えってことか。


「ま、なんにしたって証明しようもない仮説さ、頭が痛むほど考えるものじゃない」


 彼女は僕に微苦笑を向ける。


 それから視線を濃霧の立ち込める瀬戸内海へ。遠く、遠くへと向けた。倣うように僕も視線を海へと向ける。名前も知らない島の輪郭がぼんやりと見える。あの島にも僕らの()()が居るのだろうか?


「私には、幼い頃の記憶が、ない」


 彼女は呟くように言った。


「七つの頃、両親に連れられて旅行に行ったらしいんだ。しかし旅行先で事故にあった。両親は帰らぬ人になり、助かった私はと言えばショックが原因なのか、それ以前の記憶が飛んでしまった」


 淡々と語る彼女のその横顔からは、何の感情も読み取れなかった。


「事故で、記憶が……?」

「そう、失ってしまった。両親の顔すら思い出せない。事故の後は里親のもとでこの年齢まで育ててもらった。……この異国の血を引いた出で立ちだけが、親との間に残った繋がりってわけだ」


 アッシュブラウンの髪。碧眼。白い肌。

 十六人の中、浮いた容姿。


「私は失った記憶を埋めるみたいに読書に没頭してね。日々図書館に通い詰める子供だった。当たり前だけど、どこの図書館にも私の記憶はなかったけどね」


 彼女は言いつつ、念動力によって足元の小石を虚空に浮かせる。


「代わりに様々な知識は得てきた。そうして育った私はね、さしづめ過去を見る人なんだ」


 小石を海に向けて投擲。

 波の先へ消えていった。


「過去を見失った人間が未来余地の能力を得るなんて……皮肉なことだって思わない?」


 僕が語ったことへのお返しとばかりに、彼女は自身の過去を語った。


 友達を失った僕は、他人と心を繋げる能力を。

 過去を失った彼女は、遠い未来を見る能力を。


 それぞれが得たそれらはどうだ、トラウマに起因しているのだとしたら、確かに……


「……ひどい皮肉だね」


 そんなふうに――生前の五十嵐ビビとそんなことを語りあった日があった。


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